アート写真鑑賞方 感動との出会いを求めて

 

目黒のインテリア・ストリート近くに移転してきてから10年を超えた。最近はギャラリーの写真展に来る人が多様になってきた印象がある。以前は圧倒的に写真関係者が多かった。カメラマン、アシスタント、デザイナー、学生、カメラ趣味の人などだ。それが最近は、美術館などの展覧会に行くような一般の人がギャラリーにも来てくれるようになった。企画によっては、週末に50名超える来廊者がある。なかには写真を買ってみたいとお客様の方から声をかけてくれることもある。

ギャラリーにいるときは来廊者の動きを観察している。時間があれば鑑賞の手ほどきをするようにしているが、来客数が多いとなかなか対応しきれない。最近は定期的にフロア・レクチャーを開催している。
私たちは作品を売る商業ギャラリーなので、鑑賞目的の人は相手にしないと思われがちだ。しかし顧客が作品に心が動かされ、作家の視点を理解しない限り販売にはつながらない。来廊者が写真展に感動し楽しんでくれることは非常に重要なのだ。そのような人が将来のコレクターに育っていく。

作品を鑑賞する時、まず心で感じるべきか、頭で理解感すべきかは議論が別れるところだろう。脳科学では、人間は心、つまり感情で良い悪いの判断をしているという。これを写真に置き換えると、いくらコンセプトやイメージが優れていても感情が反応しない作品は良くないということだ。アート写真を鑑賞する時、まずは何も情報なしで見ることをすすめている。そして、自分の感情に何か訴えるものがあるなら、作家やキュレーターのメッセージを読んでみればよい。何かを感じた作品は、視点の明確化とともに更に気に入る可能性がある。しかし、何も感じない写真は文章を読んでもあまり興味は湧きあがらないだろう。
現代アート系の写真作品を制作する若手の中にはこの点を勘違いしている人が多い。自分が良いと考えるテーマが人の心をとらえると思い込んでしまうのだ。感動が希薄なアイデア中心の写真作品は壁紙と同じになってしまうリスクが伴う。同じように、写真イメージやプリント・クオリティーだけの作品も、ただきれいな高品位印刷のポスターと同じようになってしまうかもしれない。

さて以上を意識して能動的に写真展を鑑賞しても作品の評価軸が見えてこない場合があるかもしれない。特に最近は写真作品でもアイデアやコンセプト重視の現代アートの一部となっている。 見る側の考える力、ある程度の情報量も作品理解には必要なのだ。作品のオリジナリティーは写真史とのつながりで語られることも多い。歴史を勉強しないと、評価の前提の知識不足から作品が理解できないこともあるのだ。1冊の本の価値を知るためには、それ以前の知識の蓄積が不可欠なのと同じことだろう。

実はここがアート鑑賞の面白さでもある。つまりアート体験を重ね、知識を増やすほどにその価値が分かるようになるということ。最初は気付かなかった視点が発見でき、より広い考え方が出来るようになる。アート経験を通じて人間として成長できるのだ。それは自分なりの作品評価の基準が持てること。作品価格の正当性が判断できるようになるのだ。アート鑑賞は、一生をかけて楽しむことができる高度な知的遊戯なのだ。