東日本大震災から半年
写真家はどの様に向き合ったのか

大震災後、多くの写真家が東北に入り写真撮影を行っている。その中で、私がずっとフォローしているのは、震災以来ずっと被災地の撮影を続けている仙台在住の写真家木戸孝子さんだ。彼女が高知新聞に最新作とエッセーを寄せているので紹介したい。

http://www.kokkophoto.com/TK2.pdf

彼女は四国の四万十市出身なので高知新聞なのだ。木戸さんは、一切の邪念がなく、心をオープンにして被災地、被災者と接している。その写真とエッセーを通してのメッセージは読者の心にストレートに伝わってくる。最近は、被災地や被災者の写真で売名行為を行う人もいるので、なにかほっとした気持ちになる。
今回の記事からは、震災のショックから少しづつではあるが彼女を含む現地の人が心理的に立ち直っていく過程が伝わってくる。彼女のライフワークの作品テーマは、普段見過ごしてしまうような日常にある輝きや美の瞬間を写真でとらえること。「Oridinary Unseen」としてまとめられた、ニューヨークなどの都市の一瞬の断片をとらえた作品は業界の玄人筋に高く評価されている。昨年には仙台のカロス・ギャラリーで個展を開催するとともに、インスタイル・フォトグラフィー・センターで行われた広尾アートフォトマーケットにも出展している。

彼女の写真だが、震災直後の時期はともかく、決して被災地の記録を意図していないのが特徴だ。今回の写真を見るにそれが明らかに伝わってくる。つまり、震災の写真ではない、彼女の写真になっているのだ。壊滅的な状況の中にも、見過ごしてしまいがちな、一種のパターンのような、まだ美とは言えないかもしれない状況があることを中判カメラで表現している。自然とともに生きてきた日本人。自然災害からある程度の時間経過後は、自然の美しい面を再確認しながら次第に復興してきたのではないかと思ってしまう。
そんな太古から続いてきたであろう日本人の心理的な回復過程が彼女の一連の写真から感じとれる。自然に痛めつけられたが、再び自然とともに生きかえる。神道や仏教の輪廻のようなセンチメントだ。大昔の日本人が持っていた自然を神として崇拝するDNAが今回の震災で再び無意識のうちに蘇ってきた、というのはやや言い過ぎだろうか。しかし記事中で紹介されている仙台在住の女性の、「きれいな東北を撮ってくれてありがとう」という言葉はそんな気持ちの表れの様な気がする。
これは、自然豊かな四万十市で生まれ育った木戸さんだから撮れたのだと思う。人工環境の中で育った都会の写真家には絶対に撮れないだろう。彼女はこれからも復興する被災地を撮り続けるという。もう少し時間が経過し作品をまとめるときが来たらぜひお手伝いしたいとお考えている。

3月22日の高知新聞はこちら。これも素晴らしいフォトエッセーです。
http://www.kokkophoto.com/TK.pdf