全く無名の写真家が死後や晩年に作家として再評価されることがたまにある。
フランス人アマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグは68歳の時にニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキーに見出された。またE. J. ベロックの1910年代の作品群は死後にリー・フリードランダーにより再発見されている。
このようなことが起こるのは、かつて写真は自己表現ではなく記録目的とされていたからだ。アート表現は、写真というカテゴリー独自の中でのモノクロの抽象美とファインプリントのクオリティーを追求するものだった。いまのように写真としてのアート表現の可能性が理解されるようになったのは80年代以降なのだ。しかしそれ以前にも、本人が自覚していたかどうかは別にして写真でアート作品を制作していた人は存在していた。それらの作品が現在のアートの視点で再評価されるわけだ。
私が専門とするファッション写真でも同様の発見がある。戦前の欧州のアマチュア写真家のアルバムを見ると、だいたい1冊に数枚くらいは当時の時代性を偶然に写しとったアート作品と呼べるファッション写真が発見できるものだ。
さて今回紹介する米国人写真家ヴィヴィアン・マイヤー(1926-1989)の発見ストーリーもまるで嘘のような本当の話だ。発見の経緯はこんな感じ。2007年歴史史家ジョン・マーロフ氏は資料用としてシカゴの地元オークションで膨大な無名写真家のネガ、プリント類を落札する。それらがヴィヴィアン・マイヤー撮影のものだった。彼は調査を続けるうちにマイヤーの写真に魅了され、それらを紹介するウェブサイトを立ち上げる。そしてFlickr上で、入手した写真資料で何をすべきかを一般に問いかける。それがきっかけに写真界で怒涛のようなヴィヴィアン・マイヤーのブームが巻き起こるのだ。画像や発見の経緯は以下に詳しく紹介されている。
http://www.vivianmaier.com/
ヴィヴィアン・マイヤーのキャリア全貌はいまでも謎に包まれている。上記ウェブサイトによると、彼女は1926年ニューヨーク生まれ。母親の出身地フランスと米国とを何度も行き来するものの、1951年にニューヨークに戻る。その後、約40年間に渡り主にシカゴで育児教育の専門知識を持つナニーの仕事を行う。一生独身で、親しい友人もなく、撮った写真を誰にも見せなかった。 “keep your distance from me”タイプの人物だったというので、「私にあまりかかわらないで」タイプということだろう。また歯に衣きせない言い方をする人だったらしい。経緯は不明だが、キャリア後期の彼女は一時的にホームレス状態だったようだ。写真類がオークションに出たのも、倉庫代の未払いが原因だったとのこと。しかし、その後、2009年に83歳で亡くなるまでは、かつて彼女が面倒を見た子供たちがお金を出し合ってアパートの家賃を負担していたそうだ。
写真家としてのキャリアは、1949年ころにコダックのブローニー・ボックスカメラで開始。1952年に2眼レフのローライフレックスを入手している。彼女はアマチュア写真家として、50年代~90年代にかけて約10万にもおよぶ写真を、フランス、ニューヨーク、シカゴなどで撮影。その写真には、戦後アメリカの都市生活のリアルなイメージが、高いレベルの、美しさ、感動、ユーモラスさで表現されている。
2011年刊行の写真集”Vivian Maier/ Street Photographer”(powerHouse刊)の紹介文でGeoff Dyerは、”ストリート写真家は、細部を見つめる目線、光と構図、完璧なタイミング、ヒューマニストの視点、シャッターチャンスを逃さないタフさ、など数多くの素養が求められます。特別な写真教育を受けていないマイヤーがそれらをすべて持っていたのは驚くべきことです。”と記している。実際、ネガを調べてみるとほとんどの撮影はワンカットのみだったとのことだ。専門家からは、リゼット・モデル、ヘレン・レビット、ダイアン・アーバス、アンドレ・ケルテス、ウォーカー・エバンスからの影響が指摘されている。
私は、ショーウィンドーのリフレクションを利用したシティースケープやカップルの写真はルイス・ファー、セルフ・ポートレートはリー・フリードランダーを思い起こす。また、同じ女性写真家であるライカ使いのイルゼ・ビングとも共通の雰囲気があると感じる。当時の繁栄するアメリカの華やかな部分以外に、子供、黒人、低所得者、浮浪者などのダークサイドにカメラを向けていた点も評価されている。これは、スイス人のロバート・フランクの名著”The Americans”と同じ視点だろう。
資料によると、彼女は社会主義的考えに親しみを持ち、フェミニストだったという。60年代はフェミニズム運動や黒人による公民権運動が盛んだったことが影響しているのだろう。その理念が正しいかどうかは別にして、彼女の民主主義と平等を推し進めようという考えが社会のマイノリティーへのまなざしの背景にあると思われる。
彼女は自分らしく生きることを追求していた人だと思う。自分なりに社会の仕組みを解き明かそうとし、写真撮影で現状を正しく把握しようとしていたのだろう。彼女は誰にも写真を見せなかった。写真が他者とコミュニケーションするものではなく自分の立ち位置を確認する行為だったと思う。そのキャリアを振り返るに、アーティストとは生きる姿勢のことなのだとよくわかる。それは結果を求めることなく、写真を通じて世の中と能動的に接する人のことなのだ。自らアーティストと名乗る人ほどエゴが肥大しており、本来の意味とは対極の存在なのである。ヴィヴィアン・マイヤーの魅力は、類まれなヴィジュアル能力とともに、この潔いほどエゴがない写真家人生に尽きるだろう。
2010年以降、彼女の写真展は欧米各地で開催。2011年に写真集が刊行されたことでブームはさらに拡大する兆しだ。オリジナル・プリントはいまではニューヨークの有名商業ギャラリーのハワード・グリーンバーグで取り扱われているというから驚きだ。生前の彼女が想像もできなかった高い評価だろう。 彼女の膨大な資料の調査はジョン・マーロフ氏のもとで現在も進行中とのこと。彼の情熱と信念には頭が下がる。まだカラー作品、フイルム、オーディオ録音も多数残されているとのことだ。今後の調査の展開とともに彼女のキャリアの全貌が明らかになり、写真史での評価が定まるのが楽しみだ。
写真集”Vivian Maier/ Street Photographer”(powerHouse刊)は以下で紹介しています。
http://www.artphoto-site.com/b_718.html