癒しよりもサバイバルの時代 不況下で期待される本物の登場?

リーマンショック、東日本大震災、欧州財務危機などが続きアートを取り巻く状況がどんどん厳しくなっている。株価指数のトピックスは、一時バブル後最安値を更新し、昭和58年12月以来の低水準をつけている。それだけではない。全体の売上が縮小している上に、ごく一部の人たちに人気が集中し、その他大多数の人たちの売り上げは下落しているのだ。
パレートの法則とよばれるものがある。結果の大部分は、構成要素の一部が生み出しているという説。80対20の法則などと呼ばれ、ビジネス書には関係した引用が数多くあるので聞いたことのある人も多いと思う。この比率は相対的なもので、マネーやビジネスの世界になるとこれが90対10になるともいわれている。10%が儲け、90%が損をする感じだろう。
不況になるとこの傾向が強まる印象がある。アート写真の市場も例外でない。同じような厳しい変化が起きている。

このような状況下でアート写真作品制作に取り組んできた人たちの態度が微妙に変化している。すぐにお金を生まないアート作品作りの機運が急激に萎んでいる印象だ。ギャラリーに来て、意見交換や情報収集を行う余裕すらなくなっている人も増えている。
特に日本の伝統美を意識したと説明される、癒し系、禅的な写真の勢いがなくなっている。また感覚重視で撮影された写真は、はかなさとセットで語られることが多く、同じように禅や癒し的なコンセプトがあると説明されてきた。これはとても便利な言葉で、そう説明されれば否定しようがなかった。しかし、一時期流行したこれら癒し系は、経済成長のアンチテーゼとして存在してきたのだ。特に制作者が禅などの精神性を追求していたから出てきたものではなかった。どちらかというと、海外のシンプルを追求したZENインテリアなどの影響が強かったのだろう。広告写真に取り組んでいた人はその延長上に作りやすかったこともあると思う。自然、風景、抽象などをモチーフに、プラチナ、デジタル、銀塩で制作された写真類は、ギャラリーだけでなく、インテリア・ショップ、デパートでも販売されていた。実際、一時期売り上げもかなりあったと聞いている。しかし、それらはシンプル、ミニマム、禅などの表層を取り入れた一種のファッションだった。つまり、経済成長とセットで存在し、一生懸命仕事してその疲れを癒しまた仕事に立ち向かうためのものだった。
いまその前提が崩れてしまった。誰も安定的な経済成長の未来図が描けなくなった。いま多くの人にとって癒しどころでなく、生き残りが求められるようになってきたのだ。作品制作者も、コレクターにも経済的、精神的余裕がなくなり、広い意味での癒し系写真は勢いを失っていった。
だいたい、この手の写真が写真賞を獲得し、美術館で展示がされるようになるとブームが終焉するものだ。90年代のガールズ・フォトブームもそのように終わった。

皮肉なことに厳しい経済状況が制作者の真の作家志向を見分ける踏み絵になっている。この環境で、普段はなかなか読むことができない彼らの本心が見えてくる。嬉しいことに、一部に日本の伝統的美意識の本質をとらえた作品作りを行っている写真家たちの存在も見えてきた気がする。彼らは、最終的な作品ではなく制作する行為自体を重要視するのが特徴。それはまさに瞑想と同様な行為であるとともに、過去未来に囚われることなくいまこの瞬間に生きる禅の実践なのだ。例えば、はかなく思うという意味の「侘び」は、未完の美を愛でる考え。その本質はネガティブをポジティブにとらえる意識、つまり人間は死ぬから逆に現在を一生懸命に生きるような姿勢を意味する。彼らのアーティスト活動にはこの精神性が強く感じられる。それゆえこの厳しい経済状況の中、膨大な労力と資金をつぎ込んで作品制作が続けられるのだろう。

文明開化以来ずっと一環していきた経済成長優先の考え方がいま壁に当たっている。その背景にあるキリスト教的な理念の限界も意識され始めている。いま自然とともに生きるという日本の伝統文化や美意識を見直そうという動きが世界的に起きている。一部日本人アーティストの中にはその精神性が受け継がれているのではないかと期待している。実は、現在このような写真家を集めて、「侘び」をテーマにしたグループ展の今秋開催を考えている。個人的には、写真展開催で彼らの作品制作の本質を見極めたいという意図もある。実際に仕事をしてみないとなかなか本音はわからないのだ。ぜひ年末にかけての写真展をご期待ください!