日本のファッション系フォトブック・ガイド(連載第4回)坂田栄一郎「注文のおおい写真館」
(1985年、流行通信社刊)

今回は坂田栄一郎(1941-)の「注文のおおい写真館」(1985年、流行通信社刊)を紹介する。発行元の流行通信社は1966年~2007年までファッション雑誌”流行通信”をだしていた。同誌はもともとは森英恵のPR誌として創設されたもの。80年代にはファッションブームに後押しされ雑誌に勢いがあり、ADに横尾忠則を起用するなどしていた。当時の”流行通信”はいまではレアなコレクターズ・アイテムになっている。同社は当時コストのかかる写真集出版も手掛けていた。ハービー・山口の初写真集「LONDON AFTER THE DREAM」(1985年刊)、稲越功一の写真集「IRINI」(1987年刊)なども出版している。

私が「注文のおおい写真館」と出合ったのは90年代になってから。本を手にしたとき、すぐにトゥエルブ・ツリーズ社刊のブルース・ウェーバーのデビュー写真集「Bruce Weber」の影響を受けているなと直感した。ダストジャケットのデザインや色使いはかなり違うのだが、それをはずすと装丁はともに黒色とダーク・ブルーの布張り。サイズはウェーバーよりやや小さいが、26.5X33cmもある大型本だ。2冊の手に持ったときの存在感はかなり近い。和書というよりも洋書の雰囲気が強い写真集だ。

1983年刊のウェーバーの本は、アートとファッションを融合させた新しいタイプの写真集として注目された。出版したツゥエルブ・ツリーズ社は編集者ジャック・ウッディー率いるカリフォルニア州ロサンゼルス・パサデナの新興出版社。お金儲けではなく自分たちの作りたいものだけを作る、通販や書店との直接取引を謳う経営方針は業界で異彩を放っていた。コストのかかるグラビア印刷や高級紙を取り入れ、写真を生かしたシンプルなデザインの写真集はまるで写真によるアートオブジェクトだった。手に持っているだけで幸せな気分にさせてくる本だった。彼らの写真集は、良いものをコストをかけて少数限定で制作し、コレクターに売り切るというもの。販売価格は高いものの同社から出る写真集の高いセンスは瞬く間にコレクターに熱狂的に支持されるようになった。
写真集コレクションを同社の本から始めた人も多かったのではないか。彼らは現在多くあるブティック的小規模出版社のはしりだったのだ。後に定義されるフォトブックの精神を早くから理解して写真集制作に取り組んでいた出版社ともいえるだろう。

著者のブルース・ウェーバーは1982年のカルヴァンクラインのメンズアンダーウェアー広告で注目された写真家。プレ・エイズ時代の高度消費社会におけるゲイの美意識を作品に取り込んでいるのが特徴だ。彼の写真集には当時の消費社会の気分と雰囲気を見事に反映されていたと思う。私は本書はアートとしてのファッション写真を体現した初期フォトブックと評価している。

坂田栄一郎は雑誌「アエラ」の表紙を創刊以来担当していることで知られている。彼は、日本大学芸術学部写真学科卒業後、1966年に渡米。ニューヨークであのリチャード・アベドンのアシスタントを務めている。1971年に帰国。その後、広告、雑誌などで活躍している。
「注文のおおい写真館」は流行通信社が手掛けていた「スタジオボイス」の表紙の仕事がきっかけに取り組み始めたとのこと。横尾忠則、明石家さんま、村上春樹、坂本龍一、美空ひばりなど、当時の各界の有名人37名のポートレート集だ。モノクロで色々なオブジェを被写体とともに撮影するアプローチはいま見てもとてもアヴァンギャルドに感じる。コマーシャル世界での成功に満足せずに表現者として評価を求めて作品作りに取り組んだ意欲的な1冊なのだ。いまとは違い、80年代中ごろの写真家はまだアーティスト志向を持っており、仕事以外の作品作りは当たり前だった。またそれを支援しようという環境もあったことがよくわかる。

坂田は、オブジェを使ったり、ボディーパーツのクローズアップ、ブレ・ボケ・アレの導入などの実験的手法を取り入れて時代を象徴する被写体を撮影している。当時としては画期的な全く新しいスタイルのポートレートだったと思う。いまのアエラとは対極の写真だ。有名人は顔が命なので、これだけ写真家に自由裁量が与えられたポートレート撮影は日本では極めて稀だと思う。収録されている伊藤俊治氏はエッセーで、リチャード・アベドンの撮影スタンスである、“撮りたいと思った人に撮られることを承知してもらってカメラの前に立ってもらう”を引用。坂田もアベドン同様にそれを踏襲していると書いている。この構図が成り立つには、被写体と写真家とに尊敬し合う関係があることが条件になる。当時の坂田がアーティストとして高く認められていたのがよくわかる。現在、被写体とこのような関係が成り立つ写真家が何人いるだろうか?と考えてしまう。

顔がぶれて判明できないなどの実験的な手法の写真はポートレートというよりもリリアン・バスマン(1917-2012)の抽象的ファッション写真に近いと思う。バスマンはリチャード・アヴェドンとともにハーパース・バザー誌の伝説のアート・ディレクター、アレクセイ・ブロドビッチの片腕として知られた女性写真家。坂田の写真にはアヴェドンよりも、さらに彼の師であったブロドビッチの影響が感じられる。この本の収録作の正しい評価は新しいポートレート写真というよりも、高度消費社会が到来した80年代日本において、斬新さを求めるというポストモダン的な気分が反映されたファッション写真ととらえるべきだろう。
また写真集化の背景には、当時の流行通信社で写真集制作に取り組んでいたメンバーが上記のトゥエルブ・ツリーズ社の自由な編集方針への憧れがあったのではないだろうか。そして、当時の好調な経済状況により、経営側にも写真家と編集者へ自由裁量を許す余裕があったのだと思う。

この豪華本の当時の販売価格は5,800円だった。
文:佐山一郎、伊藤俊治、タイトルコピー:糸井重里、装幀・構成:清水正巳。
残念ながら日本には本書の評価基準となるべきアートとしてのファッション写真の歴史が書かれていない。従って本書は古書市場では過小評価されている。最近のネット古書店では当時の販売価格前後の価格が付いていることが多い。しかしリアルの古書店の店頭にではかなり安いことがある。低価格の掘り出し物を見つけたらぜひ買っておきたい。