日本のファッション系フォトブック・ガイド(第6回)操上 和美「ALTERNATES」横須賀 功光「ザ グッド=バッド ガール」

今回は操上 和美(1936 – )「ALTERNATES」と横須賀 功光(1937 – 2003)「ザ グッド=バッド ガール」を紹介する。ともに1982年刊行の写真集だ。
以前に70年代後半から80年代にかけて、写真家のコマーシャルフォトとアートフォトへの姿勢が変化していくと述べた。米国では写真家はパーソナルな自己表現の可能性を追求するようになる。その活動の延長上に写真のアート性の認知がある。一方、日本はコマーシャルフォトの勢いが増していく。この時期の日本は、使用価値から象徴的価値の消費が中心になる。好景気の中、個人が消費を通して自己実現を目指しはじめたのだ。この高度消費社会到来により広告関連予算が急拡大する。その結果、予算に制限がないコマーシャルフォトの延長上にもアート表現の可能性があると多くの日本人写真家が考えるようになったのではないか、と分析した。

そのわかれ道が、今回紹介する繰上和美「ALTERNATES」と横須賀功光「ザ グッド=バッド ガール」が刊行された1982年前後の頃ではないかと思う。2冊に収録されているのはほとんどがコマーシャルフォトだ。このような写真セレクトの写真集が存在していたこと自体が今ではとても新鮮だ。当時コマーシャルフォトとアート写真とが混在していた証拠だろう。まさにそのような時代の気分が反映されていた過渡期的な写真集だと思う。いま収録写真をみると気が抜けたビールのような眠たい印象がする。当たり前だがコマーシャルフォトは写真家だけの作品ではなく、多くの人が関わる共同作業の一面を持つ。ヴィジュアルとコピーが共存することでパワーを持つことがよくわかる。

欧米の写真家も常に自己表現とクライエントとの軋轢の中で悪戦苦闘してきた。それには長い歴史があり、ロバート・フランクがアレクセイ・ブロドビッチのもとでハーパース・バザーで働いていた時くらいまでさかのぼれる。ポール・ヒメル、ギイ・ブルダンらも挑戦は行うもののコマーシャルフォトのなかに自由な表現の可能性はないと失望しているのだ。
コンデ・ナスト社のアレクサンダー・リーバーマンは、このあたりの事情を以下のように解説している。これが欧米の写真家にとっての仕事と自己表現との基本的な認識だと思う。何度も引用しているが再び紹介しておこう。
「一流の写真家の大部分は、コマーシャル写真の中での彼らの生活と並行して、別の生き方をつくりあげてきている。大きなプロジェクトに敢然と立ち向かい、人生の特異で深遠な面を記録する。彼らが使える時間の一部を“純写真”にささげる。このコマーシャルと“純写真”ふたつの関心事の結合が、われわれ人間がもつ映像の集積と、世界についてに経験を豊かにしてきた。コマーシャル写真で創造への意欲が満足させられずに悩む写真家は、仕事上の写真からの収入は純粋に創造的な試みをするための経済的な裏付けとみなす道をとることが賢明だろう。経済的な裏付けがないと写真を追求することは非常に難しい。制作にかかるコストは膨大であり、無駄になる部分があることを承知で費用をかける余裕がなければ写真で成功することは難しい。」

70年代後半くらいまではその流れは日本でも変わらなかったのだと思う。しかし2冊の写真集の収録作品をみると、二人の日本人写真家がこの時代にコマーシャルフォトの延長上にアートの可能性を追求していた痕跡が感じられる。これらの写真はギイ・ブルダン(Guy Bourdin)、チコ・リードマン(Cheyco Leidmann)、ジャン・ポール・グード(Jean-Pau Goude)の写真に似ているという意見がある。これに関しては、同様な時代背景を持つ、同じ志向の外国人写真家のイメージと偶然に似てきたのだと好意的に解釈したい。

このような動きの背景には、コマーシャルフォトを日本独特のアートととらえる動きがあったことも影響していると思う。以前、浅井慎平の時に紹介した谷川晃一が提唱していた「アール・ポップ」だ。戦後日本に流入してきた民主主義主義とアメリカ文化。共同体の中でしか生きることが出来なかった日本人はとても魅力的に写った。谷川はそのような精神を愛でて、アメリカ的な感覚を持つ人たちが好む感覚を持つモノやイメージを「アール・ポップ」という一種のアート・ムーブメントにとらえた。彼は「アールポップの時代」(1979年、皓星社刊)にまとめ、展覧会などを開催している。 それには絵画、オブジェ、イラスト、デザイン、写真、ポスター、レコードジャケットなど、大衆文化などが含まれる。同書には、アール・ポップの例として、操上和美のコマーシャルフォトとギイ・ブルダンのファッションフォトも選んでいる。しかし、自由な精神を持つ生き方を追求するには西欧的自我の確立が必要不可欠だった。また共同体的な価値観に背を向けることは孤独に耐えることと同意語でもあった。ところが実情は好景気で日本人の精神性までもが変わったわけではなかった。経済成長は共同体の締め付けを弱くする。景気がよければ組織の中でも多少のやんちゃで自由な行為は許容されるのだ。
もし日本人の本質までもが本当に変わったならば、ハイカルチャーとサブカルチャーが混在している日本社会ではコマーシャルフォトの先に独自のアートが生まれる可能性があったかもしれない。当時の写真家たちは日本人の精神性も変わりつつあると信じたのだ。実際に彼ら自身が社会の最前線で組織から自由に生きることを実践していたからだろう。

80年代以降、日本ではコマーシャルフォトが写真界を完全に凌駕してしまう。しかし、ハングリーさを失ったクリエーターから斬新な表現は出てこなくなる。洗練されたヴィジュアルよりも、強いインパクトを狙う奇をてらった表現が多くなる。 実はその兆候をこれら写真集の中で見つけることが出来る。
結局、その後のバブル崩壊と長期の景気低迷で、独立した個人ではなく共同体的なセンチメントがいまだ日本人の精神性の中に深く根をおろしていることが明らかになる。それが単に好景気で覆い隠されていただけだったのだ。景気低迷期に自由な生き方を追求すれば簡単に社会の底辺に落ちてしまう。不安になるときに人の本質が表れるのだ。
いま考えるに、日本でのアートととしてコマーシャルフォト、ファッションフォトの誕生は、戦後の非常に例外的な豊かな社会状況により起きた幻想にすぎなかったのだろう。

実はファッション写真のアート性は90年代以降に欧米で認められるようになる。80年代に二人の日本人写真家やブルダンらが信じたことが実現するのだ。ファッション写真は広い意味のコマーシャルフォトの一分野と考えればよいだろう。今ではファッション写真は単に洋服を撮影したものだけにとどまらない。非常に拡大解釈されており、二つはほぼ同じ意味に使われる。ただし、アート界ではファッション写真の方が好まれて使われる。どちらにしてもアートになりうるには、時代性がどれだけ反映されているか、また撮影時の自由裁量がどれだけ写真家に与えられるかによる。通常、写真家に自由裁量が多く与えられるファッション雑誌のエディトリアル・ページの写真はアートになり得る。また広告であっても、クライエントが写真家の個性を愛でて大きな自由裁量を与えることがある。それらもアート作品になり得る。そのような写真家の作品には、時代の移ろう気分や雰囲気が反映されている点が新たに評価されたのだ。ドキュメント写真にはよのような機能がない。いまやアート写真の一分野として確立しており、オークション、ギャラリーで取引され、美術館で展示されている。

今年東京都写真美術館で行われた操上和美の展覧会では、トイカメラなどでプライベートに撮影されたモノクロ写真の展示が中心だった。ファッションやコマーシャルフォトの展示はなかったと思う。いま彼自身、コマーシャルフォトは共同作業で写真家個人のアート作品ではない考えていることがよくわかる。
一方で同じ場所で2006年に行われたギイ・ブルダンの個展では、カラーのファッション写真がアート作品として展示されていた。ギイ・ブルダンの作品は死後の21世紀になってからアート作品として再評価されるようになったのだ。今年の東京フォトでも彼の作品がロンドンのマイケル・ホッペン・ギャラリーでフィーチャーされていた。操上は、本書「ALTERNATES」で、「ぼくは土っぽい人間だから、どっちかというと、リアリストだと思う。だけど願望としてはロマンチストでありたい。」と語っている。これが書かれた後に訪れるバブルの流れのなかで、リアリストとしてコマーシャルフォトに取り組んでいくのは非常に困難だったと思う。
80年代以降の日本では、写真家が主導するというより、クライエント、アート・ディレクターなどを巻き込んだ共同作業になっていく。操上、横須賀はそのうねりのなかで生きていくしかなかった。一方でブルダンは自身に与えられる自由裁量にこだわりを持ち続けた。それがかなわない仕事は行わなかったのだ。そこには実直なアーティストの精神線が横たわっていた。時代が後になって彼のファッション写真をアートと認識するようになるのだ。
その結果、80年代前後にはほぼ同じことを考えていた二人の21世紀に行われた写真展が好対照の展示になる。
ちなみに、2005年には東京都写真美術館で横須賀功光の展覧会「光と鬼」が開催されている。これは「光と鬼 実行委員会」主催の追悼目的の展示で、アート志向の展示とはやや意味合いが違う。

現在コマーシャルフォト分野で活躍する写真家が考えるアート表現は、以前と同じようにプライベートなものとなった。しかし、どうも撮影方法だけが追求される傾向が強い印象がある。過去の先人たちの精神性が受け継がれていないのだ。80年代以降に歴史が一端途切れてしまった影響は非常に大きいと思う。いまの日本における、歴史の積み上げのない、明確な評価軸のない状況では、写真家自身が明確な拠り所を見つけないと作品がエゴの追求に陥るリスクがある。混迷している現状の分析は別の機会に行いたいと思う。