「グラビア美少女の時代」(集英社新書) グラビア写真はアートになり得るのか?

写真家細野晋司による「グラビア美少女の時代」が集英社から発売された。これは細野のグラビア写真約200点と複数の著者による文章とで構成されたヴィジュアル版の新書。
綾瀬はるか、相武紗季らの貴重な写真が満載されている一種の写真集なのだが、コンパクト・サイズの新書版なので価格はリーズナブルだ。この中で私は「グラビア写真からアートは生まれるか」という章を担当した。

グラビア写真はアートとは対極に位置するポップカルチャーだ。それがアートになるかという論議にはかなり無理があると感じられるだろう。まず最初にどのような考えでこのやや無茶な提案を引き受けたかを説明しておこう。

私の専門はアートとしてのファッション写真。しかし、それは単に洋服を着たモデルを撮影したものではない。実際にはアートになりえるファッション写真はほんの一握りなのだ。それが市場で認識されるようになったのは80年代後半とまだ比較的歴史が浅い。そこにいたる歴史と理論構築の過程が、もしかしたらグラビア写真にも応用できるのではないかという直感があったのだ。また文章化することで自分のなかの知識を整理整頓したいという意図もあった。

苦労したのは、想定している読者がグラビア写真を愛でる一般の人たちであること。アートとして理論を展開していくためには、読者と書き手が知識や考え方を共有していることが前提となる。一般の人にアート関係の文章が分かりにくいのは、書き手はある程度の情報を持つ読者を想定して書いているからだ。
今回は、まずアート写真の基本から説明する必要があった。日本では一般的に写真はアマチュアが撮影する趣味と考えられているが、世界にはアートとして認識される写真が存在することから語り始めないといけなかった。 その過程では、読者の現状を把握している編集者からもらった色々なアドバイスは非常に参考になった。またここでの試みを通して、一般の人に写真のアート性を理解してもらい、それらをコレクションしてもらうまでの道のりの困難さを改めて実感した。

前述のようにグラビア写真がアートになるかどうかを、アート系ファッション写真が誕生した経緯を参考に検証を始めた。またその前提に、日本が大衆文化とファインアートが混在している社会であることにも注目した。これは現代アート分野の作家がコンセプト構築の前提としてよく使う認識。この土壌があるからこそ今回の理論展開の可能性が出てくるのだ。
そのためにはグラビア写真と写真史とのつながりをどのようにリンクさせるかがポイントとなる。私は欧米でファッション写真がアートとして認められた流れと、80年代の日本で起きた、広告写真の延長上にアート表現の可能性を探究する流れにあるとした。残念ながら後者はバブル崩壊で頓挫したが、現在の写真界のアート的不毛状況はその流れとつながっていると考えた。しかし、ここの部分は専門的すぎて新書の読者には内容が難しすぎるということで今回は掲載はしなかった。個人的には絶対必要な分析と考えるので機会があればぜひ紹介したいと思う。

歴史とのつながりを確認し、現状分析を行った結果、21世紀の日本では従来タイプのグラビアは残るだろうが、アート性を持つ新しいグラビアが生まれる可能性もあると結論づけた。そしてアートの可能性は最終的に写真家の志向性にかかっているとした。写真家の発想と意識の転換が求められるということだ。グラビアはマスの人たちが満足する写真。しかし、アートとなるとたターゲットが異なってくる。知的好奇心やヴィジュアル感度が高い比較的少数の人たち向けの高品位なものになるということだ。発表するメディアも、雑誌よりも発行部数のすくないフォト・ブックやアート・ギャラリーでの写真展の形態をとるだろう。それらは高品質で限定販売のものとなるので値段も高くなる。ビジネスモデルは従来の薄利多売から、高額商品の少数売り切りを目指すタイプへと変わってくる。イメージとしては少数相手の純粋ファインアートと多数相手のマス向けのポップカルチャーの中間的なポジションになっていくのではないか。アートのエッセンスを持つインテリア向け写真といえないこともない。

色々と状況を分析した結果、欧米のアート系ファッション写真のポジションに日本ではアート系グラビア写真が入るかもしれないと感じ始めてきた。私はいままで日本の広告やファッション分野で活躍している人たちに、自分たちの仕事の延長上にアートの可能性を見つけてほしいと語ってきた。残念ながらそれは非常に困難な試みだった。
アート性獲得には作品作りの段階で写真家にどれだけの自由裁量が与えられるかが課題となる。日本では関係者が多いファッションや広告よりも、グラビア写真の方が写真家が比較的自由に撮影できる環境があるのだ。一番大きなハードルは被写体のグラビアアイドルとその所属事務所の認識を写真家が変えることができるかどうかだろう。欧米では優れた写真家はアーティストと考えられている。モデルになる人はどんな有名人でも自分がアーティストの作品の一部になることを好むのだ。それらは写真集に収録され、アートギャラリーで販売もされている。日本でそのようにポジションを獲得するための努力を行う写真家が生まれてくるかということだ。

誰かがこの分野で先陣を切って行動を起こさないと何も始まらない。今回はギャラリストの立場からできる情報発信の一環として「グラビア写真からアートは生れるか」を引き受けたのだ。本ブログで連載している「日本のファッション系フォトブック・ガイド」も同じ視点で書いているので興味ある人はチェックして欲しい。
写真家では、細野晋司にぜひその先導の役割を担ってほしいと考えている。有名人ポートレート写真でのアート性を追求した写真集「知らない顔」を作り上げたヴァイタリティーがあれば可能だと思う。
かつて、ヘルムート・ニュートンは雑誌の撮影セッションの後にプライベート作品の撮影を続けて行ったという。それは日本のグラビア写真の現場でも可能な取り組みではないだろうか。

現在の日本のアート写真市場は非常に小さい規模しかない。私は、アート系グラビア写真にはビジネスチャンスが十分にあると考えている。 現存するアートカテゴリーの、現代アート系、エログロ系、ファインアート系、ドキュメンタリー系、インテリア系などよりも、間違いなく多くの人がリアリティーを感じる分野だと思われるからだ。
決して簡単なことではないが、グラビア写真のアート性が認識されれば写真家にとって新たな仕事分野が創出されることになる。市場の存在が認識されれば、多くの才能のある人が参入してくるはずだ。「カワイイ」に次ぐ、世界への情報発信も可能な日本独自の文化に育っていく可能性も十分にあると思う。

○「グラビア美少女の時代」 (集英社新書ヴィジュアル版)
細野 晋司 (著)、鹿島 茂、仲俣 暁生、濱野 智史、山内 宏泰、福川 芳郎、山下 敦弘
1,260円

グラビア写真のことがメインに取り上げられているが、アート系ファッション写真に興味ある人でも楽しめる内容だと思う。興味ある人はぜひ読んでみて欲しい。