リリアン バスマン写真展
「Signature of Elegance」

リリアン・バスマン(Lillian Bassman、1914 – 2009)は、米国を代表する女性ファッション写真家。日本での本格的展示は、1994年に三越美術館新宿で開催されたファッション写真のグループ展「VANITES」以来ではないだろうか。
本展では彼女の1940年代からのキャリアを振り返る約47点が、白色と、黒色の箱型のフレームに分けられて展示されている。その中で約7点は大きく引き伸ばされている。作品はすべて透明アクリルなしで直接フレーム上にセットされている。いかにも粗いモノクロのインクジェット出力のように感じられるが、マット系の印画紙にプリントされたオリジナル作品の質感はかなり展示作品に近い。もしアクリル入りフレームに額装されていればたぶん見分けは難しいと思う。

彼女は写真表現の可能性を広げる努力を行ってきたことでいま高く評価されている。その背景には写真も現代アート表現の一つの分野と考えられるようになったことがある。 それは従来の写真プリント自体よりも、写真家の作家性により重点を置くという意味だ。 いまでは多くのアーティストがデジタル技術を駆使して、写真での様々な表現探求を行っている。彼女はなんと1940年代からアナログでそれを実践していた。ティッシュやガーゼを使い、暗室作業で写真トーンの調整なども行っていたのだ。
特に女性ランジェリーの仕事で高い評価を得ていた。それまでのイメージは男性写真家の撮影が多く、非常に堅苦しくて面白みがないものだった。モデルが同じ女性であるから親しみのある雰囲気のヴィジュアルを作れたこともある。 当時はいまよりもはるかに撮影時間に余裕があり、写真家とモデルは撮影に1日を費やすことも多かったという。おしゃべりをして、ランチをともにすることで肩の力抜けたモデルの表情を引き出したとのこと。
彼女の写真は戦後の自由に生きるアメリカの女性像を様々なセッティングや技法を駆使して表現しようという試みだったのだ。

しかし当時はストレート写真に絶対的な価値が置かれていたので絵画的なヴィジュアル作りは写真界からはあまり評価されなかったと思われる。いまでこそ、ファッション写真はアートになりうると考えられているが、当時はファッションは作り物の商業写真で、アートとは最も縁遠い表現と考えられていた。またファッションが巨大産業化し、次第に写真家の自由な表現が難しくなっていく。彼女はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないとしだいに考えるようになる。
1969年に広告関連のネガを全て破壊し、エディトリアル・ページで使用されたネガをゴミ袋に入れて物置に放置してしまう。それらは長らく忘れ去られてしまい、やっと1990年代になってから写真史家のマーティン・ハリソンにより発見される。時代の価値観がやっとバスマンに近寄ってくるのだ。彼女の本格的な再評価は、1991年にヴィクトリア&アルバート美術館ロンドンで開催されたファッション写真のグループ展「Appearances: Fashion photography since 1945」での紹介がきっかけだ。
その後、彼女はかつてのネガを再解釈して新たな作品として提示するようになる。最終的には画像処理ソフトのフォトショップを使用していたとのことだ。
今回の展示でも90年代以降に再解釈された作品が多く含まれている。彼女の再解釈作品とは、アナログ写真の技術的限界により撮影時やプリント時に自分の思う通りにできなかった表現を、デジタル技術を駆使することで新たに実践しているということだろう。サイズもそれに含まれる。たぶん大きな作品を作りたかったのだろう。

ファッションの流行は20年周期で繰り返すといわれている。彼女が再評価された90年代は、ちょうど40~50年代から二周りした時期にあたっていた。当時は忘れ去られていた、アレクセイ・ブロドビッチが再評価を受けており、その流れで彼の愛弟子だったバスマンにも注目が集まったという事情もある。2010年代もちょうど90年代から20年経過している。バスマン作品を斬新に感じる若い世代の人は多いのではないだろうか。

作家としてのりリアン・バスマンはもちろん才能のある人なのだが、今回の例のようにいったん忘れ去られた才能を新たに見つけ出して評価する欧米アート写真界のダイナミズムにはいつも驚かされる。世の中の価値観の変化に合わせて歴史の評価軸も巧みに修正していくのだ。日本でも同じように優れた才能が歴史に埋もれているのではないだろうか?まずアートの視点から、日本のファッション写真、商業写真界の歴史が書き直されることが必要になるだろう。