ジュリアン・レヴィ (Julien Levy)「Beauty Is You Chaos Is Me」展 欧米におけるアート写真最前線の表現!

シャネル・ネクサス・ホールは、数ある日本のアート作品展示スペースの中でも、最も熱心に最先端の欧米のビジュアル表現を紹介している。常にアーティストの展示意図をできる限り尊重する彼らの姿勢には敬意を表したい。 そこからは、日本とは違う欧米社会でのアート支援の基本姿勢が垣間見えてくると思う。

現在、同ホールではジュリアン・レヴィ(Julien Levy)「Beauty Is You Chaos Is Me」展が7月20日まで開催されている。レヴィは1982年パリ生まれ。現在はニューヨーク中心に活躍しているアーティスト。本展では、東京、パリ、ニューヨークで制作された、写真、映像、インスタレーション、フォトブックなどを複合的に展示している。それらはデジタル革命第2ステージを迎えた欧米の最先端のアート写真表現といえるだろう。

彼自身は「眼で見る詩のコレクション」と自作を語っているが、詩人が様々な映像手段を使用して3次元空間で表現していると解釈したほうがわかり易いかもしれない。
アストリッド・ベルジュ=フリスベ、水原希子などの女優たちのポートレートやメランコリックな風景が主なモチーフになっている。すべてが観る側が写真家の視点を共有できるようなカジュアルなスナップ的なヴィジュアルだ。 アート的な写真として非日常的に展示会場の壁面に存在するのではなく、あくまでも観る側が自分の視点の延長上にあるように感じるシーンが連なっている。
そのための仕掛けとして、フィルムの半分だけが露光されて写真や、大きなマットの中に数センチの四方の極小の写真をセットしてそれをルーペで拡大する方法、部屋のインスタレーションの中で見せる方法などが導入されている。私たちの頭の中で、浮かんでは消えていく過去の記憶イメージを表現するかのような布や壁へのビデオの映写もその一部なのだろう。
これらはすべて、観る側が作品に入り込んでリアリティーを感じてもらうための仕掛けなのだと思う。この部分の展示アイデアもが彼の作品コンセプトと一部になっている。
ただし、自由な表現を目指し、作品がフレームからも自由になろうとしながらもその中にあえて留まっている印象もある。個人的にはフレームでの展示パートにやや違和感を感じた。会場設営に1週間もかかったそうだが、広いシャネル・ネクサス・ホールでの短時間での展示には限界があったのだろう。

全体の様々な形態の作品を俯瞰するに、一種のヴィジュアル・ストーリーのような印象だ。会場がシャネル・ネクサス・ホールであることから美を追求するシャネルというブランドの世界観をビジュアルで表現しているような感じもする。同社のリシャール コラス氏は彼のことを”ジュリアン・レヴィの作品は私たちの心を揺さぶり、混沌と嵐、無垢と残酷、エレガンスと無頓着とを問いかける。過去に例の見ないポエティックな「美」の賛歌であり、シャネルがこれに関心を寄せたのは当然の成り行きであった”と評している。彼もそのような印象を持ったのだろう。

現代社会の中で自由に生きることもレヴィの重要なテーマとなっている。彼はココ・シャネルと自分は「美」のとらえ方が共通していると主張している。さらに続けて”「美」は、パーソナルで、形がなく、変化し続けるもの。闘って手に入れなければならないもの。与えられるのではなく、この手で掴みとるもの-。私にとって、美を渇望することは、独立宣言と同じなのです。”と語っているのだ。ここの「美」は全て「自由に生きる」に置き換えられるだろう。
生きにくい社会生活のなかでできる限り自由に生きるために、シャネルは服を通して、レヴィはヴィジュアル表現を通して、「美」を追求してきたのだ。
この点を正しく知っていないと、本展の趣旨は理解できないだろう。自由に生きることを自分の夢を一方的に追求すること、権威を否定することと勘違いしている人がとても多い。しかし自由とはある一定の条件の中で成し遂げられることなのだ。アーティストは好き勝手なことを行っている人ではない。それができるのはアマチュアだけだ。

シャネルのような有名ブランドとの仕事では、レヴィはアーティストとしてある程度の妥協が求められるだろう。時に納得がいかなくて精神的に落ち込むこともあるかもしれない。それは一般の社会人が行っている仕事と何ら変わらない。そこで自己主張だけを一方的に行えば仕事は成立しない。自由と不自由との落としどころを的確に見つけ出す能力がプロのアーティストには求められるのだ。
またそれは仕事を行う相手にもよっても変わってくるだろう。フランス人の彼は、同じような考えを持って苦労してブランドを構築したシャネルの生き方に敬意を払っている。だからこそ妥協点が見つけられるではないか。彼のように自分より上位のものを尊敬して、認められる人は自分自身をそこまで高めることができるのだ。それで逆に彼は自由を獲得しているといっても良いのではないか。またアートの世界で生きていくこと自体も、資本主義という大きなシステムの中で確信犯で自分をそれに合わせることを意味する。彼は、若い時は「美」を追及していたが、いまは「優雅」を追求しているという。その優雅「Grace」とはシステムをうまく乗りこなすという意味も含んでいるだと思う。 彼はアーティスト活動を続けていくうちに自由に生きるということの真の意味を理解して実践しているのだと思う。

本展では、欧米のアートシーン最前線で活躍するアーティストの写真表現を見ることができる。まさに「デジタル革命第2ステージ」の現場といえるだろう。特に写真表現でアーティストを目指す人には見て、考えて欲しい展覧会だ。