トミオ・セイケ(Tomio Seike)「ウエスト・ピア(West Pier)」 抽象化されたタイポロジー的な作品

ブリッツ・ギャラリーで、トミオ・セイケ写真展「West
Pier(ウエスト・ピア)」のプレビュー(9月27日まで)が始まった。本展は10月21日から開始となる。

ウエスト・ピアは、英国イングランド南東部イースト・サセックス州にあるヴィクトリア朝の1866年に建築された観光目的の巨大な桟橋。イングリッシュ・ヘリテッジから指定建築物第1級に認定された貴重な歴史建造物だった。そこにはコンサートホールや各種の娯楽施設があり、長きにわたり人気観光名所として賑わっていた。しかし1975年に施設老朽化のために閉鎖。その後は複雑に絡み合う利害関係に翻弄され、補修されることなく放置されていた。老朽化が進む中、2002年にはハリケーンの影響で施設の一部が破壊。また度重なる原因不明の火災発生と悪天候により崩壊が進行し、いまや一部の鉄骨の骨組みを残すだけの存在になってしまった。興味ある人はネットで検索すると、現在や過去の画像などが見られるので参考にしてほしい。

ブライトン在住のセイケは、この放置され続けていた巨大な文化遺産がずっと気になる存在だったという。彼は2005年~2009年にかけて、次第に朽ち果て始めたウエスト・ピアを撮影。霧の中や降雪時など、様々な自然環境の中でたたずむ桟橋の姿を写している。
しかし、彼は決して桟橋が時間の経過と自然の力により崩壊する過程をドキュメンタリー的に撮ったのではない。その過程ごとの姿やフォルムを、それぞれ全く独立した抽象的な対象物として捉えている。晴天時には桟橋の背景に海原が広がっているのだが、あえて霧や曇りの時に撮影を行い鉄骨の存在自体を強調。一部には全体像がわかるイメージも含まれているが、これは極端に現代アート的な印象にならないことを意識したのだと思う。全体の展示では抽象的イメージが中心にセレクションされている。
観光名所の桟橋は、様々な利権が絡み合っており、多くの人々の欲やエゴの象徴ともいえる存在だった。彼は自然の力と人のエゴにより引き起こされた火災事故で、この地でかつて大きな存在感を誇っていたウエスト・ピアが次第に朽ち果てていく過程に引き込まれていったのだろう。彼はその崩壊過程の継続した撮影を通して、自然の持つ大きな力を実感した。そして巨大な宇宙のなかの人間のちっぽけな存在を直感的に意識させられのだ。ウェスト・ピアの撮影を通してセイケは自らを客観視することができたのだと思う。上にシルクハットを被った紳士の写真を掲載したが、彼こそがセイケ自身を象徴した存在なのだ。
本作は上記のような過程を経て崩壊していく建築物を、タイポロジー的(類型学)に提示した作品と解釈してよいだろう。何枚かの作品を連続して鑑賞してそのフォルムの変化や違いを見比べるとともに、崩壊する桟橋を前にした作家の感情にも思いを馳せてほしい。
タイポロジーの元祖であるベッヒャー夫妻は、対象物の違いを意識してもらうために写真をグリッド状に並べて見せている。本展では、壁面ごとに同サイズ、同方向の写真を、同寸法のマットとフレームに入れて並列に展示している。モノクロの小さな銀塩写真の展示は、非常にミニマムな印象が強い現代アートを感じさせる雰囲気になっている。
本作はややアート写真玄人向きの作品といえるだろう。セイケのキャリアや写真史やアート史の知識がない人には作品の本質や作家の意図を理解するのは難しいかもしれない。しかし、それらとは違うアプローチの写真グループも一壁面に展示されている。それらは積雪時にエプソンRD1Sで撮影され、DGSMプリント(デジタル・ゼラティン・シルバー・モノクローム・プリント)で制作された作品だ。こちらは、人物や、引いて撮影された風景などで構成されている。いわゆるセイケらしいイメージだ。雪の悪天候下のシーンはアナログでの表現が困難だ。本作品はデジタルとアナログの利点が巧みに生かされて制作された銀塩写真といえるだろう。これらはシグマDPシリーズ作品からセイケに興味を持つようになった、比較的新しいファンを意識してのセレクションだと思う。通常の銀塩写真は限定枚数15点だが、こちらは限定数を設けていない。しかし、たぶん写真展開催期間中以外の販売はないと思う。
本作の大きな魅力はその戦略的な販売価格だ。なんと他のアナログ銀塩写真の半額以下、昨年のインクジェット作品の約半額に設定されている。DGSMプリントの専門家である永嶋勝美氏は、本作をフィルムで撮影した銀塩写真だと勘違いした、という。それほど完成度の高い作品なのだ。セイケの作品を買いたいと考えている人にとっては銀塩写真をお値打ち価格で入手できる絶好のチャンスだと思う。
「ウエスト・ピア」の撮影データにも触れておこう。展示されてる全作は1930年代に制作された6X9cm判の折り畳み式蛇腹カメラのスーパーイコンタで撮影されている。レンズ交換などにより撮影過程が複雑になるよりは、自然環境の中で厳かに存在する被写体とシンプルに対峙したいという意図があったからだという。このカメラはセミ判枠をフィルムチェンバーにセットしてからフィルムを装填するとブローニー判の半分の4.5X6cmで16枚の撮影も可能だったそうだ。本作はすべてセミ判で撮影されている。セイケは約60mmになる画角が好みだったそうだ。特に意図があったのかは不明だが、結果的にこのカメラの使用により19世紀の鉄骨の遺物を客観的かつ抽象的に捉える作品となった。印画紙はフランスのベルゲール製を使用している。なお本作に関する彼のインタビューが現在販売中の「カメラマガジン10月号」(エイムック)に掲載されている。興味のある人は参考にしてほしい。

「フォト上海(Photo Shanghai)」レビュー(2)アート写真ブランド化の試み

今回、上海をはじめて訪れた。中国の高度経済成長はもちろんマスコミ報道で知っていたが、現実は予想をはるかに超えていた。中心市街地は世界的なトップ・ブランドが店を構える巨大商業施設が複数乱立しており、シンガポールがより巨大化したような感じだった。日本の銀座さえもスケールでは凌駕するのではないだろうか。
そしてどの店もお客でにぎわっているのだ。収入が多くなくても将来に経済的に豊かになるという見通しがあれば人々は消費をするのだ。バブル期の日本を思い出した。

地元の人によると不動産価格はここ20年で約15倍になったそうだ。上昇率はあくまでも個人の感覚的による比較だと思うのだが、不動産上昇による資産効果が消費を刺激している面は間違いなくあるだろう。直近は成長率が低下したというが、それでもGDPは7%以上、日本の1%台と比べるとまだまだ高度成長だ。高齢化が進む日本と違い、中国には将来的に豊かになりたいと考える若い人の人口がまだまだ多い。このような国に活気があるのは当たり前だと実感した。

道路には普通に欧米の高級車が走っているし、街中の高級店の乱立とそれなりの活況を見るに中国人がブランド志向なのが直感的にわかった。そして次に来るのが究極のブランドであるアートなのだろう。

「フォト上海」にも写真を新しいブランドとして富裕層に紹介しようという意図が強く感じられた。会場が上海展覧センターである点も重要のようだ。上海中心部の高級ブランド店や欧米系ホテルが立ち並ぶ南京西路に位置するイコン的なランドマーク建築物なのだ。
フェアのメイン・ヴィジュアルに使用されていたのはハーブ・リッツの”Versace Dress, Back View,1990″とパトリック・デマシェリエのカラーのファッション写真だった。

そしてフェアのメイン展示は20世紀写真の巨匠ヘンリ・カルチェ=ブレッソンの展覧会という具合だ。外国からの参加者は明らかに「イコン&スタイル」を意識した資産価値のあるセカンダリー作品の展示が中心だった。一方で地元ギャラリーはコンテンポラリー系のプライマリー作家中心の展示が多い印象だった。

私はもっと地元写真家中心の展示なのかと思っていたが、国際的に認知された有名写真家のイコン的作品とファッション系が数多くみられたのは嬉しい誤算だった。ギャラリーのレベルや品格はその在庫のクオリティーによるといわれる。特に海外ギャラリーは自らの珠玉の在庫を上海に持ち込んだ印象が強かった。結果的に会場全体では写真史やファッション写真史を網羅する、鑑賞目的の人が楽しめる展示構成だったといえる。
東京、ソウル、タイペイのフォトフェアは地元のプライマリー・アーティストの展示が中心だ。どちらかというと、販売というよりも取り扱いアーティストを紹介する面が強く出ている。市場が小さいので販売よりもギャラリー自身や取り扱いアーティストの紹介が目的となっている。主催者も販売目的というよりも、アマチュア写真家や鑑賞目的の人を意識した運営を行っている。しかし、上海は明らかに欧米的な販売を意識したフォトフェアになっていた。

この分野の作品をメインに取り扱っているのは、ベルリンのCamer
WorkとロサンゼルスのFahey/Klein。両ギャラリーは、まるで競い合うがごとく非常にハイレベルのファッション系作品を展示していた。前者はピーター・リンドバーク、リチャード・アヴェドン、ジャンルー・シーフ、ブランアン・ダフィー、ミッシェル・コント、ロバート・ポリドリなど、後者はウィリアム・クライン、メルヴィン・ソコルスキー、エレン・ヴォン・アンワース、パトリック・デマシェリエなどだ。
また、サンタモニカのPeter Fettermanは、リリアン・バスマン、アンドレ・ケルテス、 セバスチャン・サルガドなど、パリのA.Galerieはアルバート・ワトソン、ピーター・リンドバークなど。また北京のSIPA CHINAはバート・スターンのマリリン・モンローを展示していた。

あまりにも市場で評価されている有名作品の展示が多かったので、まだ評価が未確定の地元ギャラリーの作品はどうしても印象が薄く感じられた。私が興味を感じたのは北京のTime Space galleryの展示。

ここではモノクロのアウグスト・ザンダーとカラーのJiang Jianの作品を対比して「August Sander & Jiang Jian」として見せていた。まるでインスタレーションのように壁面全体に同時展示していた。果たしでザンダーの写真がオリジナルプリントかどうかは不明だったが、興味深いアプローチの作品だった。
アート・フェアでは、会期終了後に取引が行われることが多い。果たして今回のフェアでは高価な海外の「イコン&スタイル」系か、比較的買いやすい地元のコンテンポラリー系か、どちらの系統が地元の富裕層により強くアピールしたのであろうか? 「フォト上海」は来年も2回目が開催されるとのこと。たぶん来年の参加者の変化と展示内容を見ると今年の結果が想像できると思う。結果次第では、ニューヨーク、パリに次ぐアート写真の中心市場に短期間で育っていく可能性があると感じた。しばらくは目が離せないフォトフェアになりそうだ。

「フォト上海(Photo Shanghai)」レビュー(1) アジアのアート写真中心地となるか?

9月5日から7日にかけて第1回「フォト上海」が上海展覧センターで開催された。
上海は中国中部の東海岸、長江の河口に位置する人口約2300万人の中国最大都市。経済成長を続ける中国を目の当たりにできる場所なので、フェア開催地としては最適だと思う。マネージメントは世界的にアートフェアーを手掛けるモンゴメリー(MONTGOMERY)が出資するWorld Photography Organisation (WPO)が担当。約40のアート写真を取り扱うギャラリーが世界中から参加している。約半分が上海をはじめ中国から。その他は、香港、東京、ロンドン、ベルリン、フロリダ、プラハ、ロサンゼルス、チューリヒ、サンタ・モニカ、コペンハーゲン、パリなどからだ。

Fahey/Klein、Peter Fetterman、Camera Workなどの業界大手ギャラリーも参加。日本からはアマナ・サルトが来ていた。初回でこれだけのギャラリーが世界中から集まったのは、実績のあるマネージメント会社への信頼と中国市場への大きな期待があるからだろう。

会場の上海展覧センターは、ソビエト連邦の経済技術支援を受けて「中ソ友好記念会館」として1955年に竣工したもの。先細りの塔が中央ホールの中心軸上にそそり立ったスケールの大きな歴史的な建造物。 

会場内部はアーチ型の高い天井と照明などの設えによりレトロな雰囲気を強く感じられる。ニューヨークのフォトグラフィー・ショーやパリ・フォトに近い趣がある。
ブースは2フロアーに分けて施工されており、1階のメイン展示場を囲むように2階展示場が設置されていた。会場の細部の作り込みには、一部雑な仕上げの箇所も散見された。メイン・スポンサーはソニーとイタリアの高級車マセラーティ。4K技術の実演や会場外の実車の展示などがあった。
特別展示は現代中国写真を展示する「Contemporary Photography in China, 2009-2014」と、Peter Fettermanコレクションからの見ごたえのあるヘンリ・カルチェ=ブレッソン展覧会だった。
私は土曜日の午後に訪れたのだが、会場の混雑ぶりには本当に驚かされた。一般入場料は50元(約850円)と地元感覚では決して安くはないとのことだったが、人気ブースの周りは本当に立錐の余地がない感じ。じっくりと作品を見る余裕はなかった。また来場者が人気作品をカメラで撮りまくっているのも特徴。記念撮影も当たり前だ。イコン的作品、ユニークなヴィジュアルの作品の人気が高いようだ。
職業柄どうしても作品売上をチェックするのだが、私の見た限り作品自体はそんなに売れている感じはなかった。東京、ソウル、タイペイなどのフォトフェアと同様に、鑑賞目的の観客か、カメラ好きのアマチュア写真家が数多く来場している印象が強かった。
しかし今回は中国での初フォトフェアであることから主催者も地元の観客の啓蒙を開催目的に掲げている。複数の参加者もそのように発言していた。会期中にわたり、写真コレクションに関するトークイベントなどが数多く企画されていた。
やはりギャラリーにとって、経済発展が続いている中国市場はとても魅力的であり、この地でギャラリーの知名度を富裕層たちにいち早くアピールしておきたいという心理が強いのだと思われる。街の持つエネルギッシュな雰囲気に実際に触れると、誰しも将来的にマーケットが育っていくような印象を抱いてしまう。 とにかく人口が多いので何が起きてもおかしくない。今回のフォトフェアがきっかけでもし実際にコレクターが生まれてくると、アジアにおけるアート写真の中心地は上海になる可能性も十分にあると感じた。
(以下はパート2につづく)

2014年後半のアート写真市場見通し 市場2極化進行の中でフォトブックに注目

米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度理事会)は、今秋からは緊急的金融緩和からの出口戦略を始めるといわれている。しかしまだ景気は本格回復したわけではなく緩和的政策は続くといわれている。そのような背景からいま米国株式市場ではNYダウが史上最高値近辺で取引されている状況だ。 世界的な超金融緩和策による弊害も散見されるようになり、米国債、社債、クレジットカードの与信などのバブルが発生しているという指摘もある。
アート市場も特に高額セクターの売り上げが順調だ。大手オークションハウスは、2014年前期に軒並み歴史的な売上を記録している。
ササビーズの上半期のオークション売り上げは昨年同期比約24%増の27億ドル(@100、約2700億円)。なんと百万ドル(@100、約1億円)以上の値を付けた落札が487点もあった。同時期のクリスティーズの売り上げも、昨年同期比約13%増の36億ドル(@100、約3600億円)だった。

オークション全般では特に現代アート系、印象派などが好調。アジア部門もやや売り上げを落としているが存在感は相変わらずだ。高額セクターのアート市場はややバブルが発生しているのではないかと感じられる。今秋にかけてオークションハウスは、落札保障金額を増加させる傾向にあるという。これは、貴重で高額落札が見込める作品に関しては、彼らが委託時に金融的落札保証をつけること。委託者はその条件が良い、会社を選ぶということだ。これはオークション市場の活況や過熱を示す指標と考えられている。ITバブル崩壊やリーマンショック時にはオークションハウスはこの保証で多額の損失を被っている。大手はこれから益々ハイエンド作品での勝負の時代になると考えているのだろう。貴重作品を持つ委託者の熾烈な奪い合いの構図が見て取れる。

アート写真の市場はどうだろうか? 前期の売り上げは昨年下期は上回っているが、昨年前期よりは下回っている。一時よりは活況だが、決してバブルと呼べる状態ではないだろう。売れている中身をみると、高額落札されているのは、7月にクリスティーズ・パリで開催された「イコン&スタイル」で象徴される、誰でも知っている有名アーティストの有名イメージが中心だ。リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートンなどファッション系もその中に含まれる。ヴィジュアルの親しみやすさが好人気の背景にあると思われる。
これはアート界で良く言われる「目ではなく耳で作品を買う」コレクターが増加しているのと考えられる。いわゆるブランド志向の人たちだ。彼らは業界ではあまり良い意味ではとらえられていない。この種のコレクターは継続して作品を買わないし、ある程度の期間が経過すると興味が他分野に移ってしまうことがあるからだ。つまり現状は、表面の売上的には順調に推移しているものの、中身は新しいシリアスなコレクターが増えているわけではないということだ。何らかの政治経済上の外的ショックなどが発生すれば相場環境が急変する危うさを抱えている。

以前に欧州の中小オークションハウスの売上状況を紹介したように、100万円以下の価格帯の市場はいまだに低迷しているのだ。これはリーマンショック後の景気回復では、中間層がその恩恵を受けていないことが大きな原因だと思われる。どうもこのような状況は一時的なことではないようだ。いま欧米ではフランス人経済学者トマ・ピケティの著書「21世紀の資本論」が話題になっている。最近の格差拡大は資本主義システムに内在する要因により引き起こされており、グルーバル資本主義の先に中間層のさらなる減少の可能性を示唆している。最近の状況を分析するに、もしかしたらその兆候や影響があらわれているのかもしれないと感じる。
現在のメイン・プレーヤーの富裕層は、前述のようにアーティストの評判やブランド性で作品をコレクションすることが多い。その結果、彼らが興味を示さない若手や新人の市場で競争激化が起きている。また知名度の高いアーティストでも、不人気作品は売れない状況になっている。特にアート写真では、自分の眼を信じて無名や新人アーティストを買っていたのは主にアッパー・ミドルクラスといわれる上位中間層の人々だった。この市場の主な担い手だった層の減少は、コレクターの世代交代とともに中期的に市場に影響を与えるだろう。それはプライマリー市場でのコレクター数の減少、セカンダリー市場では彼らの既存コレクションの換金売り増加による低中価格帯作品の供給過剰として現れるだろう。そのような状況では、アーティストの階層化と人気作品への需要集中が一段と進むと思われる。今後はブランドが確立できないアーティストの作品は、インテリア向けの低価格帯以外はかなり苦戦するのではないか。当然それらを取り扱うギャラリーも同様だ。サイズが大きく、製作費がかかる現代アート系が一番苦戦するだろう。公務員夫婦が優れた現代アートコレクションを構築する映画「ハーブ&ドロシー」的なストーリーは本当におとぎ話になってしまうのだ。

アートでは心は豊かになるがお腹は膨らまない。不況時のアートが売れない理由にされる例えだ。しかし、食事をした次に何にお金を使うかは人によって様々だろう。知的好奇心が強い人は、心を豊かにしてくるアートに目を向けると思う。もし中間層が今後減少していくのなら、彼らの収入減に合致した優れた低価格のアートが求められることになると思う。彼らは目が肥えた人たちなので、値段に関係なく価値が見いだせない作品は絶対に買うことがない。そこで注目されているのがフォトブックなのだと思う。これは本ではなくアート写真の一つの表現形態のこと。欧米ではフォトブックをアート写真のコレクションの対象にしている人が増加しているのだ。

Twelvebooksの濱中氏によると、最近のロンドンではMACKをはじめ優れたスモール・パブリッシャーが乱立しているという。これは間違いなく新しい需要が世界的に生まれているからだろう。私はこの状況はパブリッシャーのアート工房化、アーティスト化だと理解している。MACKの本は市場で高い評価を受けているが、これをフォトブック単体で評価するだけではなく、制作しているマイケル・マックのアート作品だと理解することが必要なのだと思う。フォトブックは写真集としては高価だが、アート写真としては低価格だ。今後の社会経済状況を予想するに、フォトブックはアート写真分野の中の成長分野になると思う。