ストリートのポートレート写真で米国社会の現実と夢を紡ぎだすリチャード・レナルディ(Richard Renaldi)の「Touching Strangers」

ストリートで撮影される市井の人々のポートレート写真には何も仕掛けはないと誰もが思うだろう。今回取り上げる、リチャード・レナルディ(Richard Renaldi、1968-)のフォトブック「Touching
Strangers」(Aperture、2014年刊)を見た人は、8X10″の大型ビューカメラで撮影されたアメリカ各地の恋人、夫婦、友人、家族の写真だと疑うことはないだろう。しかし、撮影されているペアやグル―プの人たちは実は全くの見ず知らずの他人同士なのだ。

2007年以来、レナルディは全米の都市を旅してまわり、各地で全くの他人である二人もしくはそれ以上の人たちを選び出し、カメラの前で、友人、家族、恋人、夫婦のように親しいポーズをとり、互いに触れ合うことを依頼してきた。
彼のカメラは、他人どうしの自発的で、つかの間のはかない関係性を構築し、それはシャッターが押される瞬間だけ続く。撮影時には、時に彼らの心地よい対人距離を超えることさえあるそうだ。彼の研ぎ澄まされた感性はそんな状況から微妙な親しみやすい瞬間を見事に切り取っている。
撮影時のポイントになるのが、本書タイトルにあるように相手に触ることだろう。個人の性格にもよるのだが、ボディタッチは不安を低減させ、リラック感や安心感を生起させ、相手との心理的距離を埋める効果があるという。これはレナルディの幼少時における教会の礼拝での経験がヒントになっている。牧師は横に座る見ず知らずの人と平和のサインを握手で伝えるように求めたという。彼はその行為で親戚以上に他人と心がつながるように感じ、写真作品で同様の効果を作り出そうと考えたと語っている。

レナルディの作品は明らかに今のアメリカ社会をテーマにしている。表紙の女の子の星条旗がプリントされたT-シャツ、メジャーリーグやアメフトのロゴの入った洋服類。そして背景や撮影場所も、ストリートだけでなく、スーパーマーケット、ダイナー、美術館、マーケット、コインランドリー、クラブ、ピックアップトラック、ハーレーのバイク、地下鉄などのアメリカ的なシーンが選ばれているのだ。
またアメリカがいま抱えている様々な分断もポートレートで伝えられている。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教、白人、アフリカ系、アジア系、先住民系などの人種、老人と若者、富と貧困など。建前上は平等だけれども様々な不平等が存在する現実が、ポートレートとなる被写体のペアリングで見事に表現されていると思う。
そして、現実には相容れない他人同士の穏やかな表情のポートレートを通して、現状は変えられないが、彼らの心が通う合う可能性があることを示唆しているのだ。
なんでこのような奇跡的なポートレートが実現するかといえば、それはアート作品として撮影されるからだと思う。宗教、信条、人種、貧富の違いに対してアートはニュートラルなのだ。本作を、写真やアートが世界を多少は良くする可能性を持つ実例として見ることもできるだろう。

レナルディのメッセージは宗教的ともいえ、やや胡散臭いと感じる人もいるだろう。しかし現実のアメリカ社会では、「宗教」が大きな分断や格差の中で希望を見いだせない人の心の支えになっているのだ。日本人である私はどうしても日本と比較してしまう。この国でも格差は広がっているが、未来に希望が持てない人たちを支える社会的仕組みが存在しない。しかし共同体的な古き良き時代にはもはや後戻りもできないだろう。このあたりをテーマにした日本人アーティストから何らかのメッセージを見聞きしたいところだ。ヴィジュアル的には、現代アメリカの本当に多様で幅広い現実のファッションが写っている点が面白い。写真家が特にファッションを意識して被写体を選んでないのだが、多種多様な人選がそのような結果をもたらしたのだろう。リアルなストリート・ファッションをコレクションした写真集にスコット・シューマンの「The
Satorialist」がある。本書には、これよりもはるかに現実的なファッションが紹介されていると思う。
大型ビューカメラで撮影された、社会文化的な視点が明確な美しいポートレートは、時代の気分と雰囲気が反映された広義のアート系ファッション写真でもあると思う。21世紀におけるファッション・フォトの進化形と評価しても良いだろう。