2014年現代アート系写真の高額落札
アイコン系作品の人気が継続する予感

今年の現代アート系写真市場の動きはどうようになっているのだろうか?
まず2014年の高額取引を振り返っておこう。以下に2014年の現代アート系写真のオークション高額落札ベスト10リストを掲載しておく。
1位はシンディー・シャーマンの代表作”Untitled Film Stills”21点のポートフォリオで$6,773,000(約7.45億円)。1点ものだとリチャード・プリンスの$3,973,000(約4.37億円)が最高額となった。
昨年のプリンス人気はすさまじいものだった。特に1980~1992年までに制作されたマルボロの広告写真から引用されて制作されたカウボーイス・シリーズが多数ランクインしている。アメリカの男らしさの理想像と、メディアにより作られているカウボーイの実像をテーマにした同シリーズは、プリンスの代表的なアイコン作品になったといえるだろう。現代アート市場の活況からの希少作品への需要の高まりが影響しているとも考えられる。

2013年のランキングを席巻したアンドレス・グルスキーだが、昨年はわずか8位にはいっただけだった。彼の人気はやや鎮静化してきたようだ。
7位は現代アート作家マイク・ケリー(Mike Kelley)の写真作品。中古のぬいぐるみを撮影した8作品からなるチバクローム作品で、ロックバンドのソニック・ユースの1992年発売のアルバムジャケット”Dirty”に採用されているアイコン的作品だ。

 1.シンディー・シャーマン $6,773,000(約7.45億円)
“Untitled Film Stills (21photographs),1977-1980”
クリスティーズNY 11月
 2.リチャード・プリンス  $3,973,000(約4.37億円)
“Spiritual America, 1983” クリスティーズNY 5月
 3.シンディー・シャーマン $3,861,000(約4.24億円)
“Untitled#93, 1981”
ササビーズNY 5月
 4.リチャード・プリンス  $3,749,000(約4.12億円)
“Untitled (Cowboy),1998”
クリスティーズNY 5月
 5.リチャード・プリンス  $3,077,000(約3.38億円)
“Untitled (Cowboy),2000”
ササビーズNY 5月
 6.シンディー・シャーマン $2,225,000(約2.44億円)
“Untitled Film Still #48, 1979”
ササビーズNY 11月
 7.マイク・ケリー $1,925,000(約2.11億円)
“AH…YOUTH,1990”
ササビーズNY 5月
 8.リチャード・プリンス $1,805,000(約1.98億円)
“Untitled(Cowboy),1998-1999”
フィリップスNY 11月
 8. アンドレアス・グルスキー $1,805,000(約1.98億円)
“RHEIN I、1996”
ササビーズNY 11月
 10.リチャード・プリンス $1,745,000(約1.91億円)
“Untitled (Cowboy), 1994”
クリスティーズNY 5月
 (2014年の実績は1ドル110円で換算)

2015年になり、現代アート系作品のオークションが、2月ロンドン、3月ニューヨークで開催された。今回はそこでの高額落札作品をレビューしてみたい。

クリスティーズ・ロンドンは、2月11日~12日に”Post-War
and Contemporary Art”を開催。アンドレアス・グルスキーが香港の証券取引所を撮影した180X280cmの “Hong Kong Borse II,1995,”が302,500ポンド(約5590万円)で落札された。

ササビーズ・ロンドンでは2月10日~11日に”Contemporary
Art”を開催。アンドレアス・グルスキーのゴシック様式の教会を撮影した237X333cmの大作”Kathedrale I,2007″が461,000ポンド(約8500万円)、トーマス・シュトルートの”Museo Del Prado I Madrid 2005″は、158,500ポンド(約2932万円)で落札されている。

ニューヨークでは、3月5日~8日にかけて開催された世界的に有名なアートフェアのザ・アーモリー・ショー(The Armony Show)の会期に合わせて大手がキュレーションに趣向を凝らした現代アート系オークションを行った。

フリップス・ニューヨークでは、3月3日に”Contemporary Art & Design Evening” 、4日に”Under the Influence”を開催。 リチャード・プリンス人気は相変わらず高く、”Richard Prince, Untitled (Cowboy), 1986″が114.5万ドル(約1.37億円)で落札されている。

ササビーズ・ニューヨークでは3月5日に”Contemporary Curated”を開催した。バーバラ・クルーガーの “Untitled (Our Prices Are Insane!), 1987″、250 X 248.3 cmサイズの作品が、50.2万ドル(約6024万円)で落札された。

クリスティーズ・ニューヨークでは、3月6日に”First Open”を開催。トーマス・シュトルートのエディション10、227.3 x 186 cm.の大作”Musee d’Orsay II, Paris, 1990″が19.7万ドル(約2364万円)で落札。

5月にニューヨークで開催される本格的現代アート・オークションへの助走はとりあえず順調のようだ。いままでアート写真市場での特徴だった、アイコン的作品の人気が現代アート系写真にも拡大してきた印象だ。高額の現代アート系写真セクターの中でも2極化が起こる予感がする。さていよいよ、来週から本格的アート写真のオークション・シーズンがニューヨークで始まる。低・中価格帯の写真市場の動向が注目される。

(1ドル120円、1ポンド185円で換算)

アーティストの思考を写真で提示する「MACK」マイケル・マックの挑戦

英国の出版社「MACK」のディレクター・マイケル・マックが、アートフェア東京2015での川田喜久治「The Last Cosmology」新装版の発表のために来日した。フェアに先立ち、彼の出版ポリシーに関してのトークイベントが河内タカ氏とともにIMAコンセプト・ストアーで行われた。そこでは彼がどのようなポリシーでフォトブックを制作しているかが語られた。「MACK」のフォトブックは、幅広い写真家による、多様なテーマを取り扱うことで知られている。一見、一貫したポリシーが何か理解しにくい。ここでは彼の発言から、出版の本音がどこにあるのかを独自に分析してみたい。

マイケル・マックが繰り返し主張していたのは、重要なのはアーティストが制作する作品の中身だということ。できる限り多くの本を作らないようにを心がけているとも話していた。ちなみに彼が以前働いていたドイツのシュタイドル社は年間120冊以上発売しているが、「MACK」は年間24冊を目指しているとのことだ。この姿勢は、多少高くても良い本を少数制作して完売させるという高利少売を目指すスモールパブリッシャーの典型的な経営方針だろう。
彼は、写真表現はギャラリー展示には向いていないという考えでフォトブックに取り組んでいる。空間での展示と比べると、フォトブックの形式は写真のシークエンスや配置を利用してアーティストのメッセージを見せ伝える可能性が多様だ。またブック・デザインやタイプクラフィーとの組み合わせもできるだろう。彼は、本フォーマットの特性を生かしたアーティスト・ブック作りの可能性追求を心がけているのだ。

私は以前から、マイケル・マックはアーティストだと理解すべきと感じていた。今回のトークを聞いてそれを確信した。ではパブリッシャーがアーティストとはどういう意味か説明しよう。
2000年代になってから、アート写真界でいくつかの価値観の変化が起こった。まずデジタル革命が起こり、写真の技術的な敷居が無くなったことで、非常に多くのアーティストが写真表現をとり入れるようになった。同時にテーマ性重視の現代アート市場が急拡大し、従来の写真市場を飲み込んでしまった。その結果、写真でもアイデアやコンセプトが重要視されるようになり表現が一気に多様化する。世の中に流通している広告や報道などの様々な写真、ネット上の写真、作者不詳のファウンド・フォトなどをどのような視点で集めて、どのような考えで提示するかでさえもがアート表現だと理解されるようになった。
写真を撮影しないで、他者の写真で自己表現する新種アーティストが次々と生まれてくる。その提示方法にしても、従来のフレームに入れる平面作品、彫刻作品、そしてフォトブック型式も登場してくるのだ。従来はアーティストの資料的な意味合いで考えられていた写真集が写真表現の一形態だと認識されるようになる。
さらに写真でアート表現する担い手までもが拡大解釈される。従来はアートの周辺業務に携わっていると考えられていた、パブリッシャー、編集者、キュレーター、ギャラリスト、評論家など。彼らの中にはアーティストと同様の仕事を行っている人もいると考えられるようになる。従来の人たちは、写真家の知名度、ヴィジュアル、ドキュメント性、話題性、市場性などを重視していた。再評価されたのは、写真家のメッセージが今の時代の中でどのような価値があるかを解釈して提示する人たちの仕事だ。写真の内容が重要なので彼らは写真家の知名度をあまり重要視しないのも特徴だ。
出版界の、ゲルハルド・シュタイドル、クリス・ピヒラー、そしてマイケル・マック。またジョー・シャーカフスキー、ピーター・ガラッシをはじめとする有名美術館のキュレーター、ハワード・グリンバーグ、ジェフリー・フレンケル、ピーター・マクギル、フェーヒー・クレインなどのギャラリストもアーティストに近い存在だと理解されるようになってきた。

「MACK」は独自の流通を作り上げている点もユニークだ。同社新刊はアマゾンでは購入できない。大手オンライン・ブックショップに対抗する姿勢を明確に持っている。新刊が刊行されるやいなや、大幅に値引きして売られるシステムが出版業界を破壊しているという理解なのだ。「MACK」は定価の40%オフで、専門書店と直接取引を行っており、返品は認めないという形態をとっている。近年は大手は値引き販売を前提としており、アジアで印刷してコストを下げたりしている。最近定価が高い本が多いのは、実売価格を別に想定している点もあるのだろう。

またコスト回収の手段として、値引きしなくても売れるサイン本、プリント付本などの限定版を制作することが多くなっている。しかし、「MACK」は定価販売の高利少売の独自のビジネスモデルを作り上げようとしているだ。本だと考えると違和感を感じるが、「MACK」のフォトブックはマイケル・マック作のアート写真のマルチプル作品と考えると理解できる方法だろう。ギャラリーでは、アーティストの新作の値引き販売はあり得ないのだ。最近は、米国の大手書店チェーンの「バーンズ&ノーブル」での取り扱いが決まったそうだ。質の高い本作りが認められてきた証しといえるだろう。

さてマイケル・マックはドイツ人写真家マイケル・シュミット(Michael Schmidt, 1945-2014)に影響を受けたという。ちなみに「MACK」からはドイツの風景をモノクロで撮影した”Michael
Schmidt NATUR”が2014年に刊行されている。シュミットの写真はまさに正統派といえるが、写真展示はかなり工夫が見られる。画像資料を見ると、グリッド状や、シーク―エンスにしたり、組み写真での作品提示を行っているのがわかる。たぶんマイケル・マックは彼の写真の見せ方に影響を受けているのだろう。これは、彼がどのような問題意識で写真に接しているかのヒントを与えてくる。人間の頭の中で展開される、連なる体験と記憶、社会や時代の価値観との接点、その延長上にあるテーマへの気付きと思考のようなものを写真のシークエンスや並べ方などを通して伝えたいのだろう。それゆえ1点の写真は特にインパクトが強いものである必要はない。
つまりアーティストが実体験を通して記憶化したもの、頭の中で意識に上った気づき、考えをフォトブックの2次元時間軸のなかで写真を通して再構築する。そのような視点で写真表現を行っているアーティストを好んで取り上げているのではないか。映像作家をよく取り上げるのは、彼らの動画的な写真へのアプローチがマイケル・マックの好みに近いのだろう。一見フィーリングの連なりのように感じられる写真の提示なのだが、実は最初に写真家の思考がありきで、その後にヴィジュアルのリズム・流れやフォーマットが決められているのだ。この点が理解できるかによって、「MACK」のフォトブックの評価が大きくわかれると思う。日本では、コンテンツのエッセンスを伝えようとするアプローチが結果的にミニマル的なデザインとなりその点がデザイン・コンシャスな人に受け入れられている気がする。また日本の写真家に多い、感情の連なりのように感じられる写真の提示方法が好まれている面もあるだろう。しかし彼はあくまでも最初にコンテンツでありきの姿勢で、グラフィック・デザインに関してはそれを邪魔しないものであればよいとしている。

日本のオーディエンスも、デザインやヴィジュアル以外に、ぜひ内容にもう一歩踏み込んでみてほしい。そうすることによって、「MACK」のフォトブックは現代アート作品を理解する格好の教材にもなるのではないか。アーティストが写真で提示している思考内容は、見る側が世界をどのように認識しているかによって理解度が違ってくる。社会のグローバル化の中で、欧米人とアジア人が共通に反応する内容も多い一方で、地理的、歴史的、文化的な背景の違いによって理解できないこともあるだろう。英国人のマイケル・マックは自分の信じる価値基準でアーティストを評価しフォトブックを制作しているのだが、それと私たち日本人との認識が違っても当然なのだ。絶対的な基準などはなく解釈は人によってすべて違う。
アートの面白い点は、その違いに気付くことで自分自身が何を考えているかに気付かされることなのだ。ブックデザインや収録写真を愛でるだけでなく、作品の中身を読みとこうとすることで、知的好奇心を満たしてくれるという全く別の楽しみ方が見つかるだろう。ぜひ「MACK」の数多いフォトブックを通して、自分が何に反応して、コミュニケーションできるかを発見してほしい。その経験の蓄積を通して自分なりのアートの評価基準が出来上がっていくのだ。

「MACK」の日本での取り扱い代理店
Twelvebooks
http://twelve-books.com/

アート・ギャラリーの存在意義とは
都会のコミュニティになり得るか?

現在の日本社会、特に都会においては人と人とのつながりが希薄化し個人が孤立傾向を深めているといわれている。無縁社会といわれるように、人は数多くいるものの、隣人が誰か知らないような社会なのだ。更に悪いことに、戦後社会における日本人の共通価値観だった経済成長もいまや望めない状況だ。そのような状況で、多くの人はやむなくネット空間に自分の居場所を見つけようとしたりしている。
かつて「孤独な都市風景」という、グループ展を企画開催したことがあった。新人、中堅写真家中心の展示であったが、マスコミでの評判も良く非常に幅広い年齢層の人が来廊した。都会住民はみな孤独を抱えていて、それが反映された風景写真を見てみたいという気持ちにかられたのだろうと分析した。

アート・ギャラリーの社会での存在意義は、孤立した個人が住む都会でのコミュニケーションの場としてだろうと考えている。好きなアーティストや作品、被写体のことを語り合うことで他人同士がつながる可能性を持つ場所になり得るのではないか。まったくの他人どうしがギャラリー空間で初めて会い、いきなり作品について自由に語ることができる。

ただしそれには前提がある、来場者やギャラリー関係者がある程度の知識、情報量、作品理解力を持っていなければならない。いわゆるアート写真リテラシーを持つ人どうしの場所ということだ。このようなコミュニティとしての機能が働かないギャラリーは単にアート・テイストの商品を売るショップでしかないだろう。

また、いま存在する多くのギャラリーは、従来の共同体的コミュニティになっているとも感じている。写真展を見に行ったが、常連のような人が集っていて居心地が悪かった、ギャラリーの対応が冷淡だったという経験を持つ人も多いのではないか。アーティストやギャラリー関係者が中心になり、利害が同じであったり気の合う人たちだけで集い、外部に対して排他的な空間を作り上げているのだ。

ところで、現在ブリッツで開催中のギスバート・ハイネコート写真展「70’s ロック・フォトグラフィー」では、来場者との会話が弾むことが多い。彼らはハイネコートが撮影した60~80年代前半までの音楽を実体験しており、ミュージシャンに対する数々の思い入れがある。音楽を聞くだけでなく、ミュージシャンの楽曲制作の時代背景や互いの影響などの数々の情報を持ち、LPジャケットのグラフィック・デザインや写真を愛でている。
撮影年にその人がどのアルバムを発表して、どのような境遇だったかまでも知っているのだ。作品にはハイネコートによる英文のエピソードが添えられているが、多くの人がそれを読んで反応している。まさにロック音楽リテラシーが高い人たちが多いのだ。
店頭では写真集「ABBA to ZAPPA」を販売している。アーティストが日本では無名なのでそんなに売れないと見込んでいた。しかし、ロック音楽リテラシーが高い人たちは、ヴィジュアルを通してハイネコートがミュージシャンたちと高いコミュニケーションをとっており、音楽雑誌などで見るブロマイド的イメージを超える高レベルの写真を撮影していたことを理解してくれるのだ。ハイネコートは記録目的でロックシーンを撮影していたのではない。ミュージシャンのメッセージに共感して、彼らの生き方が好きだったから撮影していた。
それ故に80年代になりミュージシャンのメッセージ性が希薄になり、お金儲け優先になり、撮影の自由が制限されるようになるとロックシーンの写真撮影をきっぱりと止めているのだ。今回の来場者は、彼と同様のスタンスで当時の音楽に接していた人たちなのだろう。同類の匂いを感じるがゆえに彼の写真を愛でてくれてるのだと解釈している。なんと写真集の初期入荷分は直ぐに完売して慌てて追加分を取り寄せた。

アート写真リテラシーという言葉の意味は、このロック音楽リテラシーと同じようなことなのだ。写真展やフォトブックを継続してフォローする中で、自分がどんなテーマ、コンセプト、ヴィジュアルを持つアート写真に共感できるかを把握できるようになることなのだ。しだいにそれらが関連付けられて、好きなアーティストのリストが出来上がっていく。

ギャラリーは、何かが好きで、その情報を共有する人たちの、とてもゆるい繋がりの都会的なコミュニティになる可能性がある。誰しも自分の好きなことを、同じ趣向の人と話すのは好きだし、気持ち良いのだ。
ギャラリーがコミュニケーションの場になってもビジネス的にはどうだろうか。日本ではアートは鑑賞するものといわれているではないか、というツッコミもあるだろう。それは今後どれだけアート写真コレクションに興味を持つ人が増えてくるかによると考えている。ギャラリー店頭で日々多くの人と接しているが、アート写真リテラシーの高い人は確実に増加していると感じている。彼らは、単に商品として作品や写真集などを購入するのではない。知的遊戯としてのコレクションを楽しんでおり、ギャラリーという場と時間を消費しているのだ。
まずギャラリーが高いレベルの情報交換やコミュニケーションの場として機能しなくてはならない。ビジネスはその先に生まれてくるのではないだろうか。

2015年アート写真市場がスタート
最新オークション・レビュー

最近は、クリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手オークションハウス主導でアート写真がラグジュアリー・アート化してきた。そのような状況下、中小業者の市場での棲み分けと役割がかなり明確になってきた感がある。だいたい1万ドル(約120万円)以下の低価格帯中心の、伝統的な20世紀写真の取り扱いに特化する傾向が強くなってきたのだ。
それは大手が取り扱わない、価格帯、分野に専門性を発揮していくということ。大手は、優れた作品中心に出品作をかなり絞り込んでセレクションする。写真史や、カテゴリーも意識した上で出品作を調整してカタログを制作してくる。そして、過去に不落札になった作家の作品には冷たい。彼らは売却希望者の作品をすべて取り扱うのではないのだ。
中小はといえば、まったく逆の対応をする。市場性がない作品、落札予想価格の低い作品、無名な写真家の作品、作家のサインのない作品、作者不詳の作品、場合によってはプレスプリントまで取り扱ってくれる。一部のロットについては最低落札価格を設けない、いわゆる成り行きの入札が採用されるケースもある。
かつては大手が取り扱っていたフォトブックも中小が専門に取り扱うカテゴリーになりつつある。

中小業者にとってオークション開催時期も非常に重要になる。大手3社は、春と秋に大規模なオークションをニューヨークで開催する。それに続いて欧州のパリ、ロンドンなどで中規模のものを行うのが年間スケジュールとなる。中小業者はそれと重ならない時期を選んで開催する。それがちょうど今の時期にあたる。 2月にスワン・ギャラリー、3月にブルームスベリーでアート写真オークションが開催されたのでその結果のレビューをお届けしよう。

スワン(Swann Auction Galleries)ニューヨークは2月19日に”Fine Photographs”を開催。いよいよ2015年のアート写真オークション・シーズンが始まった。出品作品は173点で落札率は約72%、総売り上げは約93万ドル(約1.12億円)。昨年12月のオークションよりは数字は改善しているものの、驚きのない標準的なオークションだった。最高額はヘルムート・ニュートンの”Portrait of Karl Lagerfeld in Paris, 1976″。これは72.4x113cmサイズの大判作品。ほぼ落札予想価格下限の75,000ドル(約900万円)で落札。ラガーフェルドとニュートンという、大手が得意とする典型的アイコン&スタイル系の人気がここでも高かった。カタログの表紙だった、森山大道のシルクスクリーン作品”Kuchibiru  (Black)” は不落札だった。

ブルームスベリー(Dreweatts & Bloomsbury)ロンドンは、3月5日~6日にわたって、 単独コレクション・セールの”19th and 20th Century Photographs from a Private Collection”と、複数委託者による”Photo Opportunities”を開催した。
結果は、前者の出品作数は213点で落札率は約75%、総売り上げは約32.6万ポンド(約6136万円)。後者は、出品作数は245点で落札率は約56%、総売り上げは約13万ポンド(約2447万円)だった。

最高額は、単独コレクション・セールでのジュリア・マーガレット・キャメロンによる鶏卵紙プリント”The Dream, 1869″。1.86万ポンド(約350万円)で落札された。カタログ・カヴァーを飾る、エドワード・スタイケンのシルバー・プリント”Eva le Gallienne, 1923″は4000ポンド(約75万円)だった。同社の結果も、昨年11月より数字は改善しているものの話題の乏しいオークションだった。

少しばかり気になるのが、同社がオークションの一部で取り扱っているフォトブック分野の低迷だ。落札率は、昨年11月が約58%、今回はさらに悪化して約37%だった。フォトブックは低価格帯のアート写真作品のカテゴリーに含まれる。この分野の低調を象徴している存在で、明らかに一時期のフォトブック・コレクションに対する熱狂は冷めている。

世界経済は原油価格低下や長期金利低下により消費中心に改善傾向にある。特に富裕層は、世界的な金融緩和による資産価値上昇で潤っている。一方で、デジタル・テクノロジーの進歩と経済のグローバル化を背景に中間層の所得はいまだに低迷。今回の結果は、中低価格帯アート写真の主要コレクターである中間層からの需要低迷が反映されていると考える。
高額セクターの好調と、中低価格セクターの低調という、市場の二分化が相変わらず続いている。金融市場の世界的な長期金利低下とともに、この状況は景気循環というよりも何かもっと大きい構造的な変化ではないかと感じている。この点についてはもう少し情報を集めて分析を行いたい。

それでは2015年の高価格帯の写真市場ははどうだろうか?次回のオークションレビューでは、先月にロンドンで行われた現代アートオークションでの写真関連の結果を分析したい。

(為替レート:1ドル/120円、1ポンド/188円で換算)

ピーター・リックの7.8億円写真とアート・フェア用の抽象絵画
勢力拡大するする高額インテリア・アート

最近の欧米のアート・メディアで話題になっていて、私が注目しているのが「ゾンビ・フォーマリズム(Zombie Formalism)」とピーター・リック(Peter Lik)の高額写真作品だ。アート系情報を取り扱うウェブサイトでも頻繁に取り上げられるので、聞いたことがある人も多いだろう。絵画と写真でまったく異なる分野のアート作品の話題だが、報道される視点はかなり似通っている。欧米のアート界の現状を象徴している現象ともいえるので紹介しておこう。

「ゾンビ・フォーマリズム」は、アーティスト・批評家のウォルター・ロビンソン氏が指摘する最近のアート・トレンド。ゾンビは死体のまま蘇った人の総称。直訳するとゾンビのように蘇った、型式主義のフォーマリズムという意味になる。
それは、35歳以下の比較的若い男性アーティストが制作した、見やすく、内容が希薄な、マンネリ化した抽象作品のことをさしている。インテリア・コーディネートに向いていて、売ることを主目的に制作されている作品の総称ともいえる。それらが、アートフェアで良くみられることから、アートフェア・アートともいわれている。
また、これらは2010年代に急増したアートで投機を行う裕福なコレクターたちの対象になっている。彼らはオークションなどを通して短期間に売買を繰り返し、値段を何10倍に吊り上げたりする。有名アーティストと違い、当初の値段が安いので結果的に非常に高い利回りの投資となるのだ。まるで株式公開(IPO)投資と同じだと指摘されている。
これはまさにアート・バブルそのもので、ブームが去るとそのアーティストの相場は急激に縮小してしまう。それは店頭公開した企業が倒産するのと同じ現象だ。

ピーター・リック(1959-)はオーストラリア出身の風景写真家。アート界での知名度がほとんどないが、昨年”Phantom”という1点もの作品が6.5mioドル(約7億8000万円)でコレクターに売れたと自らがプレスリリースを発表して話題になった。

作品画像と英文のプレス・リリース

NYタイムズによると、彼は大量生産の絵画風プリント販売で知られるトーマス・キンケードの写真バージョンのような存在であるとのことだ。作品は彼が経営する約15のギャラリーで販売される。それらはハワイ、ビヴァリー・ヒルズ、キーウェスト、マイアミなどの観光地にあり、アートの知識がないお金持ち相手に商売している。限定エディションが995点、最初は4000ドルで販売を開始。売れるごとに、将来的な供給が減ることから値段をステップアップする方式をとっている。ギャラリーでの作品販売価格が上昇するので、買った人は所有作、の資産価値が上がったように感じる仕組みなのだ。エディション数が異常に多いものの、これはアート界では一般的に行われている手法だ。
しかしアート写真の資産価値を証明するオークション市場での取引実績はほとんどないことから、彼のやり方に対して業界内で議論を引き起こした。私も2013年のデータを調べてみたが、大手オークション業者の取引実績はなく、中小業者でわずか4件が出品されていた。最高額はわずか2500ドル(約30万円)だった。6.5mioドルの取引実績はセカンダリー市場の相場とかけ離れており、今回の発表は彼の作品の既存コレクターや、自身のギャラリーでの販売促進策だったのではないだろうか、という疑念がわいてくる。
まるで日本でもおなじみの、イベント会場で販売されるハッピー系のプリントと同じではないだろうか。

上記の2例は、アート・コレクション経験の浅い人たちや、単にアートを投機の対象とした人たちがターゲットになっている。シリアスなアートコレクションを行うためには、相当量の勉強と経験が必要になる。それは歴史を勉強して、美術館やギャラリーを回って多くのよい作品を見て、ディーラーやアーティストから情報を集めることだ。その積み重ねの上で自分なりのアートを見る視点が構築されていく。しかし、そんな面倒なことはしたくないが、壁に飾るアートが欲しい、短期間に値が上がるアートが欲しいという人もいる。彼らは、多くのギャラリーが一堂に集まるアートフェアや旅先のギャラリーに行き、自分のフィーリングにあったアートを買う。旧来のギャラリーが衰退して、アートフェアが活況を呈している背景には新しいタイプの裕福なコレクターの増加があるのだ。

このような事象が話題になるのは、欧米のアート界の根底にはお金儲けのためのインテリア系アートとオリジナリティーを追求するファイン・アートは別だという認識があるからだろう。アーティスト、ギャラリー、アートフェアでも明確な区別がある。市場が拡大するとどうしてもアート・リテラシーが低い富裕層が市場に参加してくる。 そうなると、マーケティングが行われて、彼ら好みの作品が大量に供給されるようになる。彼らを想定して商品開発されたのが「Zombie Formalism」の抽象絵画とピーター・リックの写真作品なのだ。やがてアートの歴史に足跡を残すよりも、お金儲けを優先する業界関係者の存在感が大きくなっていくのだ。
アート界では、これらのアート性があいまいな作品や作家の存在は、市場拡大時の必要悪としてある程度までは黙認されている印象もある。その存在感が一定のレベルを超えて目立ってくると、評論家・アート・ライターなどの専門家による区分けを明確にする行動が顕在化する。新しいコレクターは、ファイン・アートとインテリア・アートの区別がつかない。両者に違いがあることすら認識されていない。特に写真に関してはその傾向が強い。専門家は警告を発して、バブルを鎮静化させて、市場の健全化を図ろうとする。この辺が西欧アート界のシステムの良心であり、バランス感覚だと感心してしまうところだ。
翻って日本には、このようなアート界のお目付け役的なメディアの存在感が感じられない。特にアート写真に関しては、感想を述べる専門家はいるが、市場を俯瞰して問題提起したり批評する人は非常に少ない。