ピーター・リックの7.8億円写真とアート・フェア用の抽象絵画
勢力拡大するする高額インテリア・アート

最近の欧米のアート・メディアで話題になっていて、私が注目しているのが「ゾンビ・フォーマリズム(Zombie Formalism)」とピーター・リック(Peter Lik)の高額写真作品だ。アート系情報を取り扱うウェブサイトでも頻繁に取り上げられるので、聞いたことがある人も多いだろう。絵画と写真でまったく異なる分野のアート作品の話題だが、報道される視点はかなり似通っている。欧米のアート界の現状を象徴している現象ともいえるので紹介しておこう。

「ゾンビ・フォーマリズム」は、アーティスト・批評家のウォルター・ロビンソン氏が指摘する最近のアート・トレンド。ゾンビは死体のまま蘇った人の総称。直訳するとゾンビのように蘇った、型式主義のフォーマリズムという意味になる。
それは、35歳以下の比較的若い男性アーティストが制作した、見やすく、内容が希薄な、マンネリ化した抽象作品のことをさしている。インテリア・コーディネートに向いていて、売ることを主目的に制作されている作品の総称ともいえる。それらが、アートフェアで良くみられることから、アートフェア・アートともいわれている。
また、これらは2010年代に急増したアートで投機を行う裕福なコレクターたちの対象になっている。彼らはオークションなどを通して短期間に売買を繰り返し、値段を何10倍に吊り上げたりする。有名アーティストと違い、当初の値段が安いので結果的に非常に高い利回りの投資となるのだ。まるで株式公開(IPO)投資と同じだと指摘されている。
これはまさにアート・バブルそのもので、ブームが去るとそのアーティストの相場は急激に縮小してしまう。それは店頭公開した企業が倒産するのと同じ現象だ。

ピーター・リック(1959-)はオーストラリア出身の風景写真家。アート界での知名度がほとんどないが、昨年”Phantom”という1点もの作品が6.5mioドル(約7億8000万円)でコレクターに売れたと自らがプレスリリースを発表して話題になった。

作品画像と英文のプレス・リリース

NYタイムズによると、彼は大量生産の絵画風プリント販売で知られるトーマス・キンケードの写真バージョンのような存在であるとのことだ。作品は彼が経営する約15のギャラリーで販売される。それらはハワイ、ビヴァリー・ヒルズ、キーウェスト、マイアミなどの観光地にあり、アートの知識がないお金持ち相手に商売している。限定エディションが995点、最初は4000ドルで販売を開始。売れるごとに、将来的な供給が減ることから値段をステップアップする方式をとっている。ギャラリーでの作品販売価格が上昇するので、買った人は所有作、の資産価値が上がったように感じる仕組みなのだ。エディション数が異常に多いものの、これはアート界では一般的に行われている手法だ。
しかしアート写真の資産価値を証明するオークション市場での取引実績はほとんどないことから、彼のやり方に対して業界内で議論を引き起こした。私も2013年のデータを調べてみたが、大手オークション業者の取引実績はなく、中小業者でわずか4件が出品されていた。最高額はわずか2500ドル(約30万円)だった。6.5mioドルの取引実績はセカンダリー市場の相場とかけ離れており、今回の発表は彼の作品の既存コレクターや、自身のギャラリーでの販売促進策だったのではないだろうか、という疑念がわいてくる。
まるで日本でもおなじみの、イベント会場で販売されるハッピー系のプリントと同じではないだろうか。

上記の2例は、アート・コレクション経験の浅い人たちや、単にアートを投機の対象とした人たちがターゲットになっている。シリアスなアートコレクションを行うためには、相当量の勉強と経験が必要になる。それは歴史を勉強して、美術館やギャラリーを回って多くのよい作品を見て、ディーラーやアーティストから情報を集めることだ。その積み重ねの上で自分なりのアートを見る視点が構築されていく。しかし、そんな面倒なことはしたくないが、壁に飾るアートが欲しい、短期間に値が上がるアートが欲しいという人もいる。彼らは、多くのギャラリーが一堂に集まるアートフェアや旅先のギャラリーに行き、自分のフィーリングにあったアートを買う。旧来のギャラリーが衰退して、アートフェアが活況を呈している背景には新しいタイプの裕福なコレクターの増加があるのだ。

このような事象が話題になるのは、欧米のアート界の根底にはお金儲けのためのインテリア系アートとオリジナリティーを追求するファイン・アートは別だという認識があるからだろう。アーティスト、ギャラリー、アートフェアでも明確な区別がある。市場が拡大するとどうしてもアート・リテラシーが低い富裕層が市場に参加してくる。 そうなると、マーケティングが行われて、彼ら好みの作品が大量に供給されるようになる。彼らを想定して商品開発されたのが「Zombie Formalism」の抽象絵画とピーター・リックの写真作品なのだ。やがてアートの歴史に足跡を残すよりも、お金儲けを優先する業界関係者の存在感が大きくなっていくのだ。
アート界では、これらのアート性があいまいな作品や作家の存在は、市場拡大時の必要悪としてある程度までは黙認されている印象もある。その存在感が一定のレベルを超えて目立ってくると、評論家・アート・ライターなどの専門家による区分けを明確にする行動が顕在化する。新しいコレクターは、ファイン・アートとインテリア・アートの区別がつかない。両者に違いがあることすら認識されていない。特に写真に関してはその傾向が強い。専門家は警告を発して、バブルを鎮静化させて、市場の健全化を図ろうとする。この辺が西欧アート界のシステムの良心であり、バランス感覚だと感心してしまうところだ。
翻って日本には、このようなアート界のお目付け役的なメディアの存在感が感じられない。特にアート写真に関しては、感想を述べる専門家はいるが、市場を俯瞰して問題提起したり批評する人は非常に少ない。