「コンデナスト社のファッション写真で見る100年」 シャネル・ネクサス・ホール ファッション写真の現在・過去・未来を考える

ファッション写真ファンは絶対の見逃せない日本巡回展が先週から銀座のシャネル・ネクサス・ホールで始まった。
「コンデナスト社のファッション写真で見る100年」では、1911~2011年までの各国版のヴォーグ誌をはじめとしたコンデナスト社のファッション誌に掲載された作品のオリジナルプリント約120点と実際のヴィンテージ・ファッション雑誌が展示されている。
同展は、2012年からC/O ベルリンで始まり、世界中を巡回してきた展覧会の東京展。企画は、FEP(Foundation for the Exhibition of Photography)、キュレーターは、スイス・エリゼ写真美術館元キュレーターのナタリー ヘルシュドルファー(Nathalie Herschdorfer)が担当。彼女がコンデナスト社のニューヨーク、パリ、ミラノ、ロンドンのアーカイブスから作品をセレクションしている。
展示されている写真家は、バロンド・メイヤー、ホルスト、エドワード・スタイケン、マン・レイ、ジョージ・ホイニンゲン・ヒューネ、アーウィン・ブルメンフェルド、ジョン・ローリングス、ウィリアム・クライン、ノーマン・パーキンソン、ヘルムート・ニュートン、ギイ・ブルダン、デビッド・ベイリー、デボラ・ターバヴィル、ピーター・リンドバーク、ブルース・ウェバー、コリーヌ・デイ、マリオ・テスティーノ、ティム・ウォーカー、マイルズ・オルドリッジ、ソルヴァ・スンツボなど。
キュレーターは写真史の専門家であることから、ファッション写真をアート写真の視点から評価。時代ごとのアイコン的な作品を中心としたセレクションではない。ファッション写真特有の時代性よりも、20世紀写真の評価軸を重視している。フォルムやデザイン性などの作品同士の連続性や関連性にも焦点を当てた展示だとも感じた。それゆえ写真家の知名度が低いが、写真的には魅力的な作品も多数展示されていた。ファッション写真の歴史を見せる展示ではなく、キュレーター視点で解釈された各時代の優れたファッション写真のセレクションとなっている。
すべての展示作が実際に雑誌で掲載されたファッション写真だ。初期のジョージ・ホイニンゲン・ヒューネやエドワード・スタイケンなどの写真は正真正銘のヴィンテージ・プリントだと思われる。ファッション写真にアート性が認められたのは80年代以降になってから。それ以前の写真でオリジナルプリントが厳密に管理されて残っているのは出版社のアーカイブのみだろう。資産価値を生むアート作品という認識がなかったので、写真家もネガは残していても、プリントは保存してない場合が多かったのだ。これだけの美術館クオリティーの貴重作品を一堂に鑑賞できるのは本当に貴重な体験だろう。
80年代のブルース・ウェバー、ハーブ・リッツ、70年代のアーサー・エルゴート、アルバート・ワトソン、パトリック・デマルシェリエ、60年代のヘルムート・ニュートンなど、有名写真家のキャリア初期の作品セレクションが多いのも本展の特徴だろう。
またダイアン・アーバスのタイプCプリント”Glamour, May 1948″も展示してあるので見逃さないでほしい。彼女はドキュメント系で知られる写真家だが、ファッションの仕事も行っていたのだ。
さて、本展では100年を以下の4つのパートでファッション写真の変遷を見せている。
パート1 1911~1939年、
パート2 1940~1959年、
パート3 1960~1979年、
パート4 1980~2011年になる。
各時代別のアートとしてのファッション写真の鑑賞方を簡単に解説しておこう。
ファッション写真の社会での役割は時代とともに変化してきた。戦前のファッション写真は階級制の中で上流階級の趣味を中産階級に紹介する機能があった。戦後は女性が社会に進出してファッションもそれに合わせて民主化される。欧米社会、特にアメリカでは、50~70年代にかけて大量生産と大量消費の経済システムが浸透して所得格差が少なくなり、中間層が生まれる。市民の努力が報われる可能性を持つ時代となり、多くの人が共有する価値観や夢が存在するようになる。ファッション写真は、そのような時代の気分や雰囲気を作品に取り込むとともに、さらに社会の理想や未来像までも反映させることが求められるようになる。ここまでが展示のパート3までだ。ところがその構図が80~90年代以降に徐々に変化してくる。情報革命が始まり、欧米諸国で経済グローバル化が広まっていく。日本では、それらの本格的な影響は2000年以降なのだが、90年代以降はバブル崩壊と金融危機で長期不況に突入する。結果的に今につながる中間層の没落と貧富の拡大がはじまる。社会で多くの人が共有する大きな物語がなくなり、価値観は多様化していった。そうなると、ファッション写真の肝である時代の気分や雰囲気は社会の各層でバラバラに存在することとなる。さらに2000年以降には携帯電話、インターネット普及などの高度情報化が進み、さらにソシアル・ネットワーキング・サービスが普及することで、ファッション自体がコミュニケーション・ツールとしての地位から没落していく。複数の要因により、かつての情報伝達手段としてのファッション写真が機能しなくなるのだ。
2012年刊の同展カタログ最終章”A New Generation”で、キュレーターのナタリー ヘルシュドルファーは、ファッションは作り物のイメージだが、リアリティーとつながっていることが必要で、読者に夢を提供しなければならなかった。しかし、いまや現実とかい離した、まるでSF映画の世界のような新しいアイデンティティーが創作されている、と指摘している。回りくどい言い方なのだが、彼女は、21世紀を迎えた最近のファッション写真はリアリティーとのつながりも、夢の提供もできなくなってきたと分析しているのだろう。これは写真家の能力の問題ではない。世界的な社会の構造変化とファッション自体の役割の変化により人々が持つリアリティーや夢が分散したことにより起きたのだ。
アートとしてのファッション写真の意味も変質するだろう。多数ではなく、個別もしくは少数の人たちの生き方や考え方が反映されたものになる。それは社会と関わるかなり絞り込まれたテーマ性が重視される現代アート作品とほとんど同じものになるだろう。ファッション写真家に求めるのは酷かもしれないが、撮影者が何を考えを持って生きているかが重要になってくる。
たぶん相変わらず、服の情報を提供するファッション写真は残るだろう。アート写真市場には、時代性を写したアートとしてのファッション写真として、多くの人が価値観を共有していた90年代前半くらいまでの作品群は残る。懐かしいという感じでその時代を生きた人とつながり、作品はコレクションされるだろう。
それ以降、特に21世紀以降になると、従来の基準のアートとしてのファッション写真はなくなり、ファッション的な要素がある、テーマ性を持つ現代アート的な写真になる。それらは、かつてのようにファッション雑誌の中ではなく、より自由な表現空間の、フォトブックや美術館やギャラリー展示から生まれるのだ。
それらが同展の最後のパートで展示されるべきなのだが、今回のような雑誌アーカイブからのセレクションでは限界があったと考えられる。上記の彼女の文章には、このあたりのキュレーターとしての苦しい心の内がにじみ溢れている。もし自由な展示ができるのならば、ファッション写真の未来像を提示したかったのだろう。しかしそれらはもはやファッション雑誌の中には存在しないかもしれないのだ。
鑑賞者は最終コーナーの作品展示を通して、ぜひ戦後のファッション写真の一時代の終わりを意識するとともに、それがどこに向かうのかにも思いを馳せてほしい。
本展はファッション写真の歴史を独自視点で見せているとともに、その最前線で起きている変化を見事に提示している。ファッション、アート、写真、経済、社会との複雑な関連性の解釈を試みた優れた展覧会だと評価したい。
◎開催情報
「Coming into Fashion A Century of Photography at Conde Nast
(コンデナスト社のファッション写真でみる100年)」
期間/2016年3月18日(金)~4月10日(日)  12:00~20:00
場所/シャネル・ネクサスホール
東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
入場無料・無休
※2016年4月23日(土)~5月22日(日)、
京都市美術館別館で開催される「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2016」で展示予定。