杉本博司 ロスト・ヒューマン
東京都写真美術館

世界的に活躍するアーティスト杉本博司(1948-)。彼の「ロスト・ヒューマン」は、9月にリニューアル・オープンした東京都写真美術館の総合開館20周年記念展となる。本展は、2年前の春にパリの現代美術館パレ・ド・トーキョーで開催された<今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない>をベースとして、世界初公開となる<廃墟劇場>、インスタレーションで提示される<仏の海>の3シリーズで構成されている。展覧会カタログによると、本展は、人類と文明の終焉という壮大なテーマを、アーティストがアートを通して、近未来の世界を夢想する、形式で提示するものという。
本展の杉本のメッセージを読み解くヒントをカタログ内で探してみた。それは学芸員の丹羽晴美氏のエッセーの最後の一文から見つけることができた。以下に引用してみる。
“<今日 世界は死んだ>の多様な展示物の中から自らの身に刻んだ歴史や現実を拾い上げ、<廃墟劇場>のスクリーンの前で普遍的な道理と呼応させ、<仏の海>の前で無になる。そして日常へ帰っていく。杉本博司がつくりあげた21世紀の黙示録は、まるで十牛図そのもののようだ”と書いている。
この一文こそが本展の要旨を見事についていると直感した。
私が反応したのは「十牛図」(じゅうぎゅうず)という言葉だ。これは禅にでてくる一種の啓蒙書で、10枚続く絵画テキストから成る。牛(悟り)を求める子供が様々な経験を通して悟りにいたる様子が描かれている。禅修行を行い、悟りに至るステップををわかりやすく説くために牛の絵を利用した解説である。禅の解説書やネット上には必ず紹介されているので興味ある人は参考にしてほしい。ここでは本展を十牛図と照らし合わせて読み解いてみよう。
会場3階で展示されている<今日 世界は死んだもしかすると昨日かもしれない>の33の物語は、戦争、政治、経済、環境、人口、少子高齢化などの、現在すでに私たちが直面している事実をもとに、杉本がその行く末を想像して展開させている。最終的に文明が終わるストーリーを自身のコレクションや作品によるインスタレーションで表現したもの。会場は経年経過したトタン板で囲まれている。会場規模は決して大きくはないものの、その空間は細部まで綿密に計算され作り込まれている。そこに身を置くだけで場の圧力で圧倒される。見る側はアーティストの強い表現への思いを否応なく感じてしまう。それぞれの物語自体は現代アート的なテーマとして語られてもよいだろう。ここで現代社会の様々な問題点を見つけ出して提示しているとも解釈できる。この段階は、まだ「十牛図」の、最初の尋牛(じんぎゅう)という、 悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた状況ではないか。
会場2階の”廃墟劇場”は、しだいに「十牛図」の5番目の牧牛(ぼくぎゅう)に続く過程だろう。ここで悟りに近づいていくわけだ。写真の中心に映画一本分の白いスクリーンが描写されている。これこそは私たち人間の一般的な社会の認識を意味する。つまり時間は過去から現在、そして未来に渡って連なっているという感覚。実は白いスクリーンは約17万枚の写真が投影された結果に現れている。過去、現在、未来が連なっているのではなく、写真1枚のように、ただこの瞬間のみが個別に存在する事実を暗に示している。禅の精神を知るための公案に近い作品群ともいえるだろう。
ここまでに、杉本は現代社会に横たわる様々な深刻で気の滅入るような問題点をあぶりだして展示している。それだけだとあまりにも救いがないので、2階の残り半分のスペースでは<仏の海>で解決策を提示している。京都の三十三間堂の千手観音を撮影した九点の作品と五輪塔一基からなるインスタレーション作品だ。杉本によるカタログ収録エッセーによると、平安時代当時の、末法の世に西方浄土を出現させたいという思いがこの建築には秘められている、という。ここでは、欧米の現代アート作家のようにアイデアやコンセプトを提供するのではない。杉本は、人の心の本当の姿は「無」なのだと展開する。末法再来を考える「私」自体は存在しないということ。まるで禅問答だ。
前回、トーマス・ルフの展覧会評で、”釈迦は、人間の行為そのものも結果も存在する。しかしそれを行った人間は存在しない”と語ったというエピソードを紹介した。<仏の海>もこれと同じ意味を持つ。杉本との違いはなにかというと、西洋人のルフは自己がある種の幻想や物語である点を意識しているものの、私という自己の存在と決断を肯定的にとらえる立場に立っていることだ。
「十牛図」の最後の絵では、悟りを開いた人が町に出て人と接している場面が描かれている。悟りを開いた禅者は人々と接して、人々が救われることが仏教の究極の目標であることを表している。これこそは杉本が考えている現代社会でのアーティストの使命、役割。その実践が本展ということを示唆しているのだろう。

作品テーマのスケールは、杉本のいままでの創作をひとまとめにするような大きなものだ。一見難解な作品展のようだが、彼は一般の人でもわかり易いヴィジュアル、オブジェを用い、インスタレーションなど駆使して表現している。

<今日 世界は死んだ>などは、非常にポップな面を持った展示になっている。<23 漁師の物語>では、アメリカ製のロブスターのおもちゃが突然立ち上がり歌い踊る。<20 ラブドール・アンジェ>では、ラブドール・アンジェが裸体のままカウチベットに横たわっている。
一般客を作品世界に誘うような様々な感情フックが散りばめられている。
前回も触れたが、これがトーマス・ルフ展との大きな違いだ。壮大で難解なテーマを、わかりやすく提示するのには非常に高度な創作能力が求められる。
世の中には様々なレベルのアート理解力を持つ人がいる。本展はそれぞれが、それなりに楽しめるように計算された上で制作されている。
私の周りの様々な人に感想を聞いてみたが、本展の評価はかなり高いようだ。杉本の作戦は見事に成功を収めていると思われる。アートや写真が好きな人は必見の展覧会だ。
「杉本博司 ロスト・ヒューマン」
2016年9月3日(土)~11月13日(日)
会場:東京都写真美術館 2・3階
時間:10:00~18:00(木・金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(ただし月曜が祝日の場合は開館、翌火曜休館)
料金:一般1000円 学生800円 中高生・65歳以上700円