デジタル・プリントの最前線 ファインアート系プリントのスタンダード

ⒸWilliam Wylie

現在、”As the Crow Flies”展をテリ・ワイフェンバックとともに開催中の米国人写真家ウィリアム・ウィリー(1957-)。ヴァージニア大学アート部門の教授も務めているベテラン写真家だ。彼の展示作品”The Anatomy of Trees”(木の解剖学)”シリーズは、全作が8X10の大判カメラで撮影され、インクジェット・プリンターで制作されている。アクリル越しという理由もあるかもしれないが、銀塩写真だと思いこんでいる人もいるくらいだ。多くの人がプリントの高いクオリティーに驚いている。

作品制作は、スキャニング、プリント出力までも経験豊富な専門業者に委託しているという。(ただしデジタル・ファイルは自らが制作している)来日した本人に話を聞いてみるに、米国でのファインアート系のインクジェット作品制作の認識が日本とかなり違うことに気付かされた。
日本ではまだ写真のインクジェット出力はアマチュアのものだという認識を持つ人が多いだろう。しかし、米国では専門業者に依頼すればインクジェットでもアート用のファイン・プリントが制作できると考えられているようだ。(彼のようなモノクロ写真でも当てはまるとのこと)いまではほとんどの写真家やアーティストは専門業者に発注しており、美術館も普通にそれら作品をコレクションしているという。ちなみに彼のプリントも、ワシントンD.C.のアダムソン・エディションに依頼している。今ではインクジェット用ペーパーの方が、アナログ用よりもはるかに種類が豊富になっている状況らしい。特にこの10年でテクノロジーがハード・ソフト両面で格段に進化して、また制作ノウハウが専門家に蓄積されたという。現在では、専門業者による仕事がデジタルによるファイン・プリントのスタンダードだと認識されるようになったと断言していた。
このような状況に至ったのは、2000年代に現代アート系のアーティストがデジタル写真での表現を採用するようになったことがある。それがきっかけで、かつては個別に存在していたアート写真と現代アートの市場が急激に融合していくのだ。しかしここの部分を説明すると非常に長くなるので本稿では触れないことにする。
私は欧米でプリント技術が進歩した背景には、マーケットの存在が大きいと考えている。たとえデジタルでも、ファインプリント制作には、すべての作業過程で多大なコストがかかる。しかし、大きな規模の市場があれば作品が売れるので技術への投資が可能になる。そのような状況で、ハード面の技術進歩とともに、デジタル時代のインクジェット・プリントのノウハウがプリント業者に蓄積されてきた。
私は世界中のアート写真オークションをフォローしているが、2016年にはいままで28の写真専門オークションが開催され売り上げは約64億円だ。これでも減少傾向なのだ。これにギャラリーの店頭市場がある。市場規模はオークションの約2倍程度といわれている。大まかな計算だがだいたい192億円くらいのアート写真市場が存在しているのだ。これには現代アート系写真は含まれていない。
一方で、日本には写真専門のオークションはないし、コマ―シャル・ギャラリーも数えるほどしか存在しない。作品が売れないので高いコストを支払ってプリントを制作する人はあまりいない。写真家が民生用プリンターで作品制作する場合も見られる。業者依頼は大判のロール紙にプリントするときが中心になっている。したがって、アート系デジタル・プリントのノウハウがプリント業者に蓄積されていない。現状ではデジタル・プリントの品質にはかなりのばらつきが見られる。一部には、アナログのCプリントや銀塩プリントと比べてイメージ再現力が不自然に感じる作品も散見される。したがって、写真家やシリアスなコレクターはいまだにアナログの銀塩プリントを好む状況が強く残っているのだ。
上記のウィリー氏によると、10年前の米国でもインクジェットの品質が悪く、銀塩写真の優位性を主張する人が多かったそうだ。日本はいまだにその状況にとどまっているのではないか。写真が売れないといわれて久しい日本市場。デジタル時代を迎え、その状況はさらに混沌としてきたようだ。

今回の”As the Crow Flies”展では、テリ・ワイフェンバックがカラー、ウィリアム・ウィリーがモノクロのインクジェット作品を展示している。米国のスタンダートになっているデジタルによるファイン・プリント2種類を見比べることができる絶好の機会といえるだろう。ブリッツでの写真展は12月17日まで開催しています。