アート写真オークションの25年
激動する20世紀写真の価値

オークション資料の調査で、1991年10月のニューヨーク・ササビーズで開催された写真オークションのカタログを偶然に見直す機会があった。ちょうど手元に約25年後の2016年10月のニューヨーク・ササビーズのカタログがあったので2冊の内容を見比べてみた。詳しく分析したところ、約4半世紀でアート写真の世界で起こった様々な変化が、この2冊の内容の違いに凝縮されており非常に興味深かった。
まずカタログ内容の印象が全く違う。1991年のものは、だいたい年代順、写真家ごとに写真が並べられているが、全体のエディティングがあまり行われていない。委託者が売りたい作品全部が単に整理されて詰め込まれている印象だ。
それに比べ現在のカタログでは、掲載作品のセレクションは専門家の好みや見立てがかなり反映されており、多くの写真分野や時代などを網羅した、非常に洗練されバランスの取れた内容に仕上がっている。作品単価がはるかに高くなっているのも影響しているだろう。市場性が高い作品が中心に出品されているとも解釈できる。いまや市場性の低い作品は大手では取り扱わず、中小業者のオークションに振り分けられているのだ。
出品数も大きく変化している。1991年は534点だったのが、2016年には178点に減少。これは、必ずしも市場規模が縮小したのではない。当時のアート写真取り扱いは、春と秋のニューヨークのササビーズ、クリスティーズ、スワンくらいしか行っていなかった。いまは、開催都市が欧州にも広がり、取り扱い業者も大手フィリップスなどが加わり増加している。
オークション出品作家数も237名から78名と大幅に減少している。当時は、アート写真オークションは他分野のアートとは全く独立して存在していた。コレクター層もあまり他分野と被らなかった。それ故に、モノクロームの抽象的な美しさとファインプリントの高い表現力を持った作品は写真家のアート性とはあまり関係なく出品されていた。
その後は、写真も幅広いアート表現の一部であるという認識が一般的になり、高い作家性が求められるようになったのだ。2016年では、20世紀写真でも現代アートの視点で再評価が行われたうえで出品が決められている。
1991年に出品されていた多くの19世紀~20世紀の中堅写真家のうち、従来の写真独自の美学しか認められない人たちは市場から淘汰されてしまったようだ。
有名写真家も再評価を避けて通れない。1991年と比べて、アンドレ・ケルテス、エドワード・スタイケン、ウォーカー・エバンス、クラレンス・ジョン・ラフリンらの出品数は大きく減少している。ロバート・メイプルソープも激減しているが、ちょうど彼が1989年にエイズで亡くなったので、当時は利益確定の売りが多かったのだろう。出品数があまり変わらないのが、アンセル・アダムス、ロバート・フランクなど現代アートの視点からも評価されている写真家たちだ。

市場価値はどうだろうか?同じ作品はアンセル・アダムスの”Winter sunrise. Sierra Nebada, From Lone Pine,1944″を発見した。サイズ、プリント年ともほぼ同じだった。1991年は5000~8000ドルだったが、2016年には25,000~35000ドルになっていた。中間値で比較すると約4.6倍の価値上昇だ。アンリ・カルチェ=ブレッソンのボトルを抱えた少年をとらえた代表作”Rue Mouffetard,1954″は、サイズが2016年の方が多少大きいが、2000~3000ドルだったのが、15,000~25,000ドル。こちらは約8倍になっている。アルフレッド・スティーグリッツのフォトグラヴュールの代表作”The Steerage”は、5000~7000ドルだったが、15,000~25,000ドル。こちらは控えめの約3.3倍になっている。作品の骨董品的価値が強いものはあまり上昇していない。

ロバート・メイプルソープの花作品だが、まったく同じ絵柄はなかったが、エデイション10で19.25X19.25インチ・サイズ作品を発見できた。7000~9000ドルだったのが、15,000~25,000ドル。こちらも控えめの約2.5倍になっている。彼の相場は、亡くなる前のエイズ公表時点に当時のピークをつけていた。
驚いたのはロバート・フランク。当時はドキュメント系の評価は低かったのだ。同じ作品は発見できなかったが、写真集”The Americans”に収録されている一般的作品が1991年には、だいたい2000~3000ドルくらいの評価なのだ。いまなら、間違いなく15,000~25,000ドルだろう。こちらも約8倍くらい上昇している。
カタログ表紙を飾ったリチャード・アヴェドンの名作にも触れておこう。代表作“Dovima with elephants” (1955)は、ディオールの黒いドレスが有名だが、実は白いドレスのヴァージョンも存在する。1991年の作品は8X10″サイズの1点もののヴィンテージ・プリント。本作のネガはいまや存在しないそうだ。評価は20,000~30,000ドルで、18,000ドルで落札されている。2010年11月に、クリスティーズ・パリで黒いドレスのヴァージョンの1978年プリントの216.8 x 166.7cmサイズの作品が$1,151,976で落札されている。当時は円高時で1ドル82.50円くらいだったので、円貨だと約9503万円となる。1991年はまだファッション写真がアートとしては市場では広く認知されていなかった。ペンもアヴェドンも出品されてはいたが、ファッション系の評価は低く、ポートレート、静物、ヌードなどが中心だった。25年の間にファッション写真は時代の気分や雰囲気を表現したアート写真の人気カテゴリーへなった。この貴重な1点ものは当時明らかに過小評価されていたといえよう。
25年間を比較するといくつかの興味深い事実が明らかになる。例えオークションに出品された作品でも、いまや市場価値がつかない数多くの作品が存在する。これはアート一般で言われることで、ドン・トンプソン氏の市場分析を行なった著作によると、現代アートの世界では25年のうちにオークション出品作でさえも生き残るのは約半分とのこと。写真でその比率がさらに低くなっているのは、途中で市場の価値観の変化があったからだろう。
個人的な印象では、もともと知名度と価格が低かった人の方が市場から消え去る確率が高かったように感じる。ここでも現代アートの世界でいわれる、”低価格作品は個人が好きで楽しむもので価格が上昇する確率が低い”という一般論が当てはまる。当時、既に写真史で名前が知られていた人は、いまでもほとんどが生き残っている。ただし人によっては価格上昇率が高くない場合があるだけだ。逆にその後にアート性が認知された人の作品、特にその代表作の価値は大きく上昇している。いまや20世紀写真の大御所のヴィンテージプリントよりも、現存する現代アート系アーティストの写真作品の方が高額であるケースは珍しくない事実は広く知られているだろう。
今回の比較結果は、これから写真を買う人の参考になるだろう。アート・コレクションの基本は、気に入った作品をパッションと自らの目利きを信じて買うことだ。それらが生活の質を高めてくれることは間違いない。しかし、もし投資的な視点を加味して写真を買うならば、それに加えていくつかの留意点があるようだ。それは予算の範囲内で最も高額な、知名度が高い人の、代表作の購入を心がけることだろう。
1991年の平均為替レートは 1ドル/134.7067円