欧米のフォトブック解説書を読み解く
(パート2)写真集との違いを知っていますか?フォトブックの作り方(17の基本ルール)

前回に続き、ヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)による、フォトブック解説書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」(A Focal Press Book、2017年刊)のレビュー・パート2だ。

今回は、”フォトブックの作り方(17の基本ルール)”を以下に簡単に紹介してみよう。

  1. “なぜこのフォトブックが作られなければならないか”という質問に対する明確な回答を持とう
    フォトブック制作上で一番重要なのは、作品コンセプトを本の形式で展開していくことだとしている。つまり、それぞれのフォトブックは作家が発見した社会における問題点をまず提示して、それに対しての自分なりの解決法を提示している。私は問題提起のみでも十分にフォトブックとして成立すると考えている。
    写真のオリジナル・プリントがアート作品になる場合があるのと同じく、写真集の中のフォトブックは、ここの部分が担保されてアート表現になり得るのだ。フォトブックを作る理由が明確に語られない場合、それは写真を集めて本にしたフォト・イラストレイテッド・ブックとなる。同じ写真集のフォーマットなのに、写真家のアート表現と、写真がデザイン的に素材として編集・収録されたものがあるのだ。初心者には、この2種類の写真集の区別は非常に難しいだろう。特に最初に写真ありきで、”フォトブックを作る理由”が後付けされて制作されたケースは厄介だ。それらは、体裁上はフォトブックの制作理由が語られているように見える。しかし多くの場合、写真と制作理由との関わりが不自然、不明瞭で、違和感が感じられるのだ。
    これらの例は、商業写真家やアマチュア写真家の自費出版本に非常に多く見られる。アート写真の専門家が見たらすぐにわかる。しかし、それらが本として悪いという意味ではないので誤解しないでほしい。アート表現としてのフォトブックではないが、写真を掲載したフォト・イラストレイテッド・ブックとしては完成度が高い場合も散見される。両者は外見にはあまり違いがないが、異なる価値観で作られている別物なのだ。
    またパート1でも述べたが、私は最初に写真ありきで、写真家本人は何も語っていないが第3者により制作理由が語られる方法(見立て)もあると思う。ここでは詳しくのべないが、それは欧米とは違うアプローチで作られる、日本独自のフォトブックになり得ると考えている。実際に、いま高く評価されている60~70年代の日本のフォトブックは、海外の専門家に見立てられたものが多い。個人的には、現在の自費出版本の中にも見立てられる可能性を持つものが存在していると認識している。しかし、いまや世界中で出版される写真関連本が膨大な数にのぼる。その中には良質なフォトブックや見立てられる可能性のある本がある一方で、レベルの低い本も数多く存在している。専門家の目に留まらないで、本の洪水の中に埋没して忘れ去られるものもかなりあると思われる。
  2. リサーチの実践
    写真家の心が動いて、読者に伝えたいと考えたメッセージを写真で伝えるには様々な方法がある。それを実践したのが過去に出版されたフォトブックとなる。成功作、失敗作があるが、それらを分析することは自身のフォトブック作りに非常に役に立つ。海外の優れた写真家は、フォトブック・コレクターの場合が多い。それは収集趣味というよりも、自作のためのネタ集めの意味合いが強いと思われる。
  3. ショート・カットを避けよう
    優れたフォトブック作りに近道はないということ。フォトブック制作には多様な分野の膨大な仕事量がある。一人で取り組むとどうしても手抜きが起きる。専門家を雇い入れることがその解決になる。
  4. フォトブックは専門家のコラボレーションで作られる
    本書は写真家の独断主義をいさめている。”My way or the highway”(私のやり方に従うか、それとも出て行くか)が、写真家の出版社に対しての最悪の態度だとしている。大手の場合でも、アドバイスを聞かないような自己主張が強い写真家には自己での出版を進めるとのことだ。出版社は経験豊富でポリシーを持っている、写真家が思い通りにやりたくて出版社の主張が聞かない場合はプロジェクトがすすまない。また自費出版では、写真家がすべての制作過程を同時にこなそうとする場合がある。本書では、それこそは諸悪の根源としている。
    以前のブログ「独りよがりが失敗を生む すぐれたフォトブックの作り方」で、2015年秋の”The Photo Book Review”第9号を引用した。そこには、フォトブック制作プロジェクト時における写真家の心がけについて、自分以外の専門知識を持つ人を利用すること、つまりコラボが良いプロジェクトにするためには必要だ、と提案している。
    本書でも上記の内容を引用していた。つまり優れた写真家でも、フォトブック制作に求められる様々な分野の仕事の素養を持っているわけではない。写真家は、デザイナー、エディター、ライターなどからなるチームのコーディネーターになるべきということ。写真家の主張や思いを実践するためのチームではないことが注意点だ。
    ビジネスマンの人は、会社での仕事の流れを思い起こしてほしい。役職についた人は、各分野の専門家の能力を生かして仕事を遂行していくだろう。それは全体のコーディネーターであり、決して独裁者ではない。フォトブックの制作過程も全く同じなのだ。会社は利益を生むため、フォトブックは作家のメッセージを伝えるためにチームワークで仕事を進めていくのだ。
    フォトブック作りでは、上記のルール#1が明確で、各担当者に浸透していないと、チームワークが上手く働かない。関係者のエゴのぶつかりあいに陥りがちになると指摘している。
  5. どのフォトブックも写真家の出費が必要だ
    まずフォトブックを出版するには写真家のコスト負担が必要だということ。ファンがいる有名写真家で、コンテンツが素晴らしければ出版社が全てのコストを負担する場合もある。しかし、多くは写真家がフォトブックを買い取るなどでコストの一部を負担するのが一般的とのこと。
    本書では大手のDewi Lewisの例を紹介している。それによると、最近は50~60%程度のコストを写真家に負担してもらっているとのことだ。アーティストとしての評価が定まっていない、広告写真家やファッション写真家が有名出版社から豪華なフォトブックを刊行することがある。どうもそれらは、写真家が仕事での儲けをフォトブック製作に投資している事例のようだ。アーティストのブランド構築のために、フォトブックが使われているとも言えるだろう。
    歴史的にも17世紀からアートブックにはスポンサーやパトロンがついていた。出版の際は、写真家はどのような方法でもコスト負担が求められ、ほとんどの場合も儲けを得ることができない、と厳しく断言している。
  6. すべてはフォトブックのために
    これはルール#4のフォトブックは共同作業と関連する。
    編集、シークエンス、写真セレクション、デザイン、素材、サイズ、装丁など、すべての判断は、良いフォトブック制作と関わってくる。
  7. どの決断にも正しい理由がある
    ルール#6で上げた複数の項目の決断には明確な理由があるべきだ。それはそれぞれの担当者の好き嫌いのような感覚重視で行うものではない。繰り返し出てくるが、ここでも最終的にはフォトブックのコンセプトと予算とに関連しなければならない。
  8. 妥協することを恐れるな
    人生と同じで、フォトブック制作にも妥協はつきものだ。妥協は様々な理由から求められるだろう。まず共同作業には妥協はつきものだ。コンセプト重視の制作手法も写真家の個人的好みと相反するかもしれない。一番大きな実際的な妥協は、予算からくるだろう。
  9. 完璧を目指し、できる限りベストを作ろう
    フォトブック制作は、オール・オア・ナッシングの選択ではない。最終的に必要なら妥協しても本を世に送りだすべきだ。その制約の認識と妥協の判断は、一人で行うよりもチームで行った方が的確にできる。
  10. 完璧なフォトブックなどは存在しない
    一つのフォトブックのプロジェクトには様々な方法が存在する。そこには、パズルや模型キットのように絶対的な正解は存在しない。パーフェクトなフォトブックではなく、できる限りベストなものを作ればよい。またその創作過程は従事した人には重要な経験となる。
  11. フォトブックは写真家に多様な効用をもたらす
    重要なのは出版できた事実だとしている。また本は写真家のプロモーション用の手段でもある。それがきっかけで、世間からの何らかの承認を得る可能性がでてくる点を考慮すべき。
  12. あなたの読者を想定して作ろう
    これは、自分でどれだけ数多くのフォトブックを購入したかの経験がものをいう。それは、写真家ランク、内容、装丁などによるフォトブック市場における価値観が持てるようになること。それに照らし合わせて、自分の本の造りや販売価格の適正な判断が下せるようになる。フォトブックをあまり買った経験がないのに、作りたいという人が割と多いものだ。
  13. 編集とシークエンスは謎だらけの黒魔術ではない
    写真作品のコンセプトをより的確に伝えるために、編集とシークエンスが行われる。これが前提だ。写真の見方、複数の写真の関係性の理解なしでは的確にその作業ができない。ラズロ・モホリ=ナジは、”1枚の写真は独立した存在意義を失い、それは全体の構造の一部となる”と、フォトブックと写真の理想の関係を語っていると本書は引用している。その実践には、読者を納得させるシークエンスのロジックの存在が必要だという。
    またシークエンスは最初から最後までに至る”動き”とも理解できる。これは経験を積み、優れた手本を研究することで学べる。教材として提案しているのはウォーカー・エバンスの「American Photographs」と、ロバート・フランクの「The Americans」。納得である。
  14. プロセスに時間をかけろ
    これは文字通りの意味で、時間制限のある中でも必要なら制作期間を延長する余裕が必要だということ。問題があるのに、その回答が見つからないまま制作を続けても良い本はできない。
  15. フォトブックを現物として作業しろ
    本は物理的なものだ。ダミーを制作して実物のサイズ、質感、装丁などをチームで議論して確認したほうが賢明だ。
  16. 制作の要素は全てが重要だ
    ここはルール#4の”コラボ”とルール#8の”妥協”と関わってくる。フォトブック制作過程がすべてうまくいくのが理想だ。しかし、多くの場合は問題に直面する。問題は制作の最終段階よりも、最初の段階で判明する方が対処が容易だ。早い段階から関係者とのコラボを行うことで、問題点に早く気付いて、適切な対応(妥協)が可能になる。
  17. 制作費に思い悩むな
    フォトブックと予算に対する基本的な認識を持たないといけない。それは、制作には多大な費用を写真家が負担しなければならない。出版社が無料で制作してくれるとも、儲けられるとも期待してはいけない、というものだ。以下のようなフォトブック制作者のジョークが紹介されている。”豊富な予算を持って開始すれば、フォトブック制作後に少しのお金が儲かるかもしれない”。つまりフォトブックを制作したいと考える写真家は、事前にある程度の予算を確保しておかなければならないというアドバイスだ。
    そして制作に取り組むにあたり、以下の理解が必要であるとしている。それは、お金儲けを考えるなら、フォトブック以外にもっと有効的な手段がある。フォトブック制作は、無駄になるかもしれない金融的な投資で、金銭的な負担によって持たされるアーティストのステータスであると考えよう。
    本書は、フォトブック制作への取り組み方がかなり具体的に、それも生々しく書かれている。所々に、制作者への厳しいアドバイスもある。本書をまとめると、すべてのフォトブック制作を考えている人は、まずルール#1のフォトブックを作る理由を厳しく自分に問い詰めなければならない、ということだろう。

欧米のフォトブック解説書を読み解く
(パート1)
写真集との違いを知っていますか?

ヨーグ・コルバーグ(Jorg Colberg、1968-)による、フォトブック解説書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」(A Focal Press Book)をタイトルに魅かれて読んでみた。アマゾンでは2016年刊と記載されているが、それはハード版で、ペーパー版は2017年に刊行されている。本書の著者ヨーグ・コルバーグは、写真家、ライター、フォトブックの教育者。写真関連メディアに数多くの文章を寄せている専門家だ。
序文には、フォトブックの重要性がアート写真界で高まっているのにフォトブックとはなにか、どのように機能するかのメカニズムや情報を解説したガイドが存在していない。作家と制作者のために、フォトブックのイメージ、コンセプト、シークエンス、デザイン、プロダクションの関係性をより良く理解してもらうことを目指して執筆したと書かれている。今回は本書を通して、海外の最新事情と、フォトブックがどのように認識されているかを確認しよう。

まず最初にフォトブックの意味を再確認しておこう。日本では写真が掲載されている本はすべて「写真集」と分類される。しかし、現在の欧米のアート写真界では、写真集は、フォトブック、モノグラフ、アンソロジー、カタログなどと色々な種類に分けられている。日本と同様の広い意味で使われるのが、フォトグラフィック・ブックやフォトグラフィカリー・イラストレイテッド・ブックとなる。そのなかでフォトブックは、作家のテーマやコンセプトを写真集のフォーマットで表現したものだと理解されている。いまやアート写真表現の一分野としてコレクションの対象にもなっているのだ。

本書には、海外の現実的なフォトブック事情がていねいに書かれている。2015年英国のフィナンシャルタイムズに、フォトブックがブームになっているという記事が掲載された。デジタル化進行で出版コストが劇的に下がって、フォトブック制作の敷居が低くなった。状況をあまり知らない人は、無名や新人の写真家でも優れた内容なら売れるようになったと勘違いしがちだと指摘している。
実際にそのような例はあるようで、例えばフォトジャーナリストのCristina de Middleによる”The Afonant” (2012年刊)が紹介されている。これは、1964年のザンビアの宇宙計画を事実とフィクションを混ぜて表現したもの。自費出版した1000冊が完売したという。昨今は有名写真家でも短期間に1000冊売るのは容易ではない、大変な快挙といえるだろう。
このような例は誇張され一般化されがちだが、実際は極めて稀なケースのようだ。過去15年で、アート関連本の市場は大きく変化した。90年代後半ごろまでは、一般的なフォトブックは4000冊程度を印刷するのが当たり前だったという。それが写真や印刷のデジタル化進行により、膨大な数のフォトブックが刊行され流通するようになった。市場が供給過剰となり、いまや1500冊程度しか作られなくなったというのだ。実際に新興出版社が発行部数を絞って良質な本を出して完売するケースも散見されるという。そして、売り切れたら再版するというビジネスモデルだ。同書によると全体の売り上げ冊数自体は90年代後半とほとんど変化がないという。新興フォトブック出版社を経営するマイケル・マック氏は、世界中のシリアスなコレクターは500名くらいしかいない。出版ブームはバブルの様相になってきており、それが持続するかは時間が証明してくれるとかなり慎重な見方をしている。
ニューヨークの専門店ダッシュウッド・ブックのデヴィット・ストレテル氏は、世界には数百人のコレクターがいるとしている。市場縮小が起きても、フォトブック表現における膨大な範囲の興味が存在することから、市場への関心は決してなくなりはしないとみている。
関係者により見方は様々なようだ。フォトブックの出版冊数は増加しているものの、市場規模自体には大きな変化がないようだ。つまりフォトブックの種類が増えたことで、1冊の販売数が減少傾向にあるという意味のようだ。たぶん販売が増えない理由の一つには、フォトブック情報の氾濫があるだろう。いま多くの出版社、販売店、ネットショップ、写真家からフォトブック関連情報が日々発信されている。以前にアート写真オークション分析の時に述べたように、読者は情報の洪水の中で消化不良を起こしているのではないか。

本書「Understanding Photobooks(The Form And Content of the Photographic Book)」は英文だが、非常に簡素でわかりやすい表現で書かれている。全部で7章に別れていて、本文内容を最終章で17のフォトブック制作のルールという形式で丁寧にまとめている。英語があまり得意ではない人は、このルールを読んだ後に興味あるルールに関連した章を熟読すればよいだろう。実際例として”In Focus”というセクションで、5冊のフォトブックを取り上げて解説している。私の知っている写真家では、リチャード・レナルディ―の”Touching Strangers”(Aperture、2014年刊)のカバー写真が、編集とシークエンスの実例の項目で紹介されていた。

制作上で一番重要なのは、作品コンセプトをフォトブック形式で展開していくとしている。ルール#1の「”なぜこのフォトブックが作られなければならないか”という質問に対する良い回答を持とう」で語られている。コンセプトという言葉が出てくると多くの人が苦手意識を持つだろう。これに関して本書はわかりやすく解説している。つまり、それぞれのフォトブックはシンプルな写真家が認識した問題に対しての解決法を提示している。写真を使用してどのようにストーリーを語るか、また読者に特定な経験を提供できるかということだ。本作りで重要な全ての要素はここの部分の明確化と、関係者の共通理解にかかっている。たとえば、写真の配列を考えるシークエンスと編集作業。これも基本はコンセプト、つまり中心になるメッセージを伝えるために考えていかなくてはいけない。ここの部分が欠如していると、ただ写真を感覚で選んで並べるだけになってしまう。メッセージを伝えるための手段だったはずが、制作する行為自体が目的化するケースだ。その場合、判断基準がないので、どうしてもデザイン的な要素が優先されてしまう。

実は、私は最初に写真ありきのフォトブックもあると考えている。ただしそれには第3者による見立てが必要になる。これは、限界芸術の写真版として提唱しているクール・ポップ写真とまったく同じ構図となる。その場合、写真家ではなく、見立てる人が制作チームのまとめ役になると想定している。それは本書で書かれているような欧米の考え方とは全く違ったアプローチで作られる、日本独自のアート作品としてのフォトブックになる。

 パート2では、”フォトブックの作り方 17の基本ルール”を更に詳しく解説しよう。

2017年欧州アート写真オークション
ネット時代の情報氾濫は市場に何を起こしているのか?

アート写真の定例オークションは、4月のニューヨーク、5月のロンドンが終わり、6月にかけて、欧州各都市で低価格帯中心(約7500ユーロ以下)の中堅業者の、Villa Grisebach(ベルリン)、Kunsthaus Lempertz(ケルン)、WestLicht(ヴェストリヒト・ウィーン)によるオークションが開催された。ユーロ圏は底堅い個人消費や輸出の回復により経済の好循環が続いており、景気下振れリスクは和らいでいるようだ。以上から、将来的にECBが政策正常化に向かうとの観測もでているようだ。昨年と比べると円の対ユーロ為替相場は大きく円安になっている。欧州の経済状況は昨年よりは改善していると思われる。
さて3社の結果だが、昨年同時期と比べると、総出品数はほぼ同数の648点。売り上げはWestLichtが伸ばしたものの他の2社は減少。全体では約11%減の約165万ユーロ(約2.06億円)だった。落札率は3社ともわずかに改善。全体では約61%から約63.5%にわずかに改善した。
2017年前期の複数市場における落札率を比較すると、大手業者はニューヨーク73.8%、ロンドンが64%。一方で中堅はニューヨーク約66%、そして今回の欧州が約63.5%という結果だ。今年は高額作品の多いニューヨーク市場が改善しているものの、低価格帯中心の欧州市場は元気がない状況のようだ。
先週にフリップス・ロンドンで行われた”20th Century & Contemporary Art Evening Sale”では、今年になって相場が急騰しているウォルフガング・ティルマンズのFreischwimmerシリーズからの”Freischwimmer #84 ,2004″が、落札予想価格を大きく上回る60.5万ポンド(約9075万円)で落札されて大きな話題になっている。有名アーティストのエディションが少ない国際的に活躍する人気作品への強い需要が改めて印象付けられた。

今季の欧州アート写真オークションの結果を振り返るに、低価格帯カテゴリーの低迷が相変わらず続いている印象が強かった。ここからはその原因を考えてみたい。

そもそもは、2009年春のオ―クションで起きたリーマン・ショックによる市場規模の急激な縮小から始まる。それが2011年秋くらいから、高額価格帯の動きが次第に改善していく。しかし、中低価格帯は低迷からなかなか抜け出せないのだ。その後、株価の上昇、現代アート・コレクターのアート写真市場参入により高額セクターの市況の回復は続く。一方で中低価格帯の市場では、今度は内部での分断が始まるのだ。有名作家の人気作品に需要が集中して、知名度の低い作家の不人気作品の低迷という状況が顕在化する。現在でもその傾向は続いている。

いままでは、アート写真の主なコレクターだった中間層の没落がこの状況を引き起こした主因だとを考えていた。最近は、それとともにインターネットの普及も一因ではないかと疑っている。つまり、アートの情報がネットで発信・拡散され、また作品自体を販売されるようになったことだ。どのように考えているかを簡単に説明してみよう。

かつて、といってもわずか15~20年くらい前までは、アート写真をオークションで買う場合は、海外の業者からカタログを航空便で取り寄せる必要があった。もし入札する場合は、現地に赴くか、電話するか、事前に入札額の書類を提出する必要があった。銀行の残高照明を求められることもあった。落札結果はFAXか郵送されてきた。アート写真の情報にはかなり偏りがあり、コレクターやディーラーでさえすべての情報を持っていたわけではなかった。
現在は、その状況が大きく変化した。世界中で行われるアート写真のオークション情報はすべてネット上で公開されている。オンラインでの入札やカード決済も可能になり、結果も即時にわかる。従来の公開オークション以外にも、テーマごとのオンライン・オークションが大手競売業者や専門業者により頻繁に行われている。
かつてのコレクターはゆっくりと時間をかけてカタログを眺め、欲しい作品を吟味して入札していた。いまや自主的に情報を取りに行くと、おのずと膨大な情報の洪水に直面してしまう。アート関係のウェブサイトは世界中に無数にあり、日々情報満載のニュースレターが送りつけられる。
情報は多い方がよいに決まっている。しかし、問題は人間の情報処理能力なのだ。いまアート情報のオーバーロードが起きているのではないか?これが私がいま持っている素朴な疑問だ。心理学によると、情報が多いと人間は判断無能に陥り、コンテンツの内容判断が的確にできなくなり、しまいには選択を放棄するといわれている。

オークションは現状販売となる。高額作品は点数が少ないものが多く現物確認が必須だが、低価格帯作品はエディション数が多く、業者のコンディションレポートを頼りに入札することも多い。高額品は通常の公開オークションに、低価格帯はネットオークションに向いている。たぶん低価格帯作品の情報量がより増加したのではないか。結果的にコレクターは同じような作品の情報に触れる機会が多くなる。心理的に、いつでも買えるような気分になり、作品の競り合い少なくなったのではないか。情報量が少ない時代は、欲しい作品はいま買わないと二度と入手できないかもしれないという、脅迫概念があったものだ。

また人間は判断不能に陥れるとブランドに基準を求める傾向がある。その結果として、低価格帯カテゴリーでは知名度の高い写真家の作品が好まれ、その中でも代表作や有名作に人気が集中してるのではないだろうか。

いま業界では、ネット普及のアート市場への影響がホットな話題になっている。わたしどもも市場の最前線の動きを参考にしながら分析を継続していきたい。

(為替レート 1ユーロ/125円で換算)