写真展レビュー
杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年
@東京都写真美術館

杉浦邦恵(1942-)は、現在ニューヨーク在住の愛知県名古屋市出身のアーティト。お茶の水女子大で物理学科で学んでいたが、将来は教師になるしか道がないと悟り、アート方面にキャリア転換をはかる。
1963年、20歳の時に単身渡米。シカゴ・アート・インスティチュートに入学し、写真でのファインアート制作を学ぶ。1967年に拠点をニューヨークに移し、その後は様々な写真表現の可能性を探求。初期の魚眼レンズによるイメージの歪みの取り込み、人物や風景のモンタージュ、モノクロとカラー・ネガの使用、最も長く続けているカメラを使用しない写真表現のソラリゼーション、感光材を塗ったキャンバスへのプリント作品の制作、最新作では再び最新デジタル技術を使用してキャンバス作品を制作している。

本展は彼女のキャリアを5つのパートで紹介する回顧展となっている。
・パート1:”弧(Cko)”(1966-67年)、
シカゴ・アート・インスティチュートの学生時代にビル・ブラントの作品をヒントに制作した実験的手法の作品
・パート2:フォトカンヴァス(1969-1971年)、写真-絵画(1876-1981年)、フォトコラージュ(1876-1981年)
・パート3:フォトグラムとレントゲン写真のインスタレーション(1980年-)
・パート4:アーティスト、科学者、親愛な(1999年-)、
篠原有司男との出会いから始まった草間彌生、村上隆、蔡國強などのポートレートシリーズ
・パート5:DGフォトカンヴァス、(2009年-)、
2016年からは日本で撮影されたデジタルプリントによる最新作。

キュレーターの鈴木佳子氏はカタログの解説で杉浦の創作を以下のように分析している。
“杉浦は写真に絵画的表現や絵そのものとの組み合わせによって、写真の可能性を広げていく。彼女独自の方法を模索し、脱皮をしていくように次々に新たな手法を生み出し、同じ表現形式に留まることはない”。

この写真へのアプローチ自体は、カメラや撮影テクニックを通して、現実世界に存在する多様なフォルムやシーンを発見して自由に表現する20世紀中盤にドイツから起きたサブジェクティブ・フォトグラフィーに近いようでもある。
彼女が学んだシカゴ・アート・インスティチュートは、ドイツのバウハウス出身のラースロー・モホイ=ナジの創作理念を受け継いでいるイリノイ工科大学が近いことからことから影響があるのは当然だろう。
写真史的には、戦前に米国で写真を学び、その後は写真表現での様々な実験を試み、抽象的な作品“What I’m doing”シリーズを制作し、“写真としてのアート”の可能性に挑戦した山沢栄子(1899-1955)の流れの写真家だともいえると思う。

杉浦はキャリアを通して写真表現の限界を拡大しようと挑戦してきた。しかし彼女の作品は、文脈の中でテーマ性を提示するというより、方法論の追求が優先されている印象が強い。インタビューでも、“自分はプロセスを通じて新しい作品をつくることに興味がある”と語っている。
サブジェクティブ・フォトグラフィーに近いとも指摘したが、その要諦は、写真家が発見した世界の事象に対する解釈や視点を、写真テクニックを駆使して表現することだ。しかし彼女の作品からはこの世界の解釈の部分がいまひとつ見えてこない。現代アート系の人からは、方法論が目的化しているというようなツッコミが入るかもしれない。しかし、科学的な要素が強いアナログ写真の時代に、女性アーティストが50年以上に渡り創作を継続するのは並大抵のことではない。仮に方法論の目的化といわれても、それ自体が50年という十分に長いキャリアを通して行われたのならば、十分に作品テーマに純化しているともいえよう。その業績を東京都写真美術館が作家性として見立てたのだ。

私が興味を持ったのは、何が杉浦の50年間の創作活動継続のモーティベーションになったのかだ。キャリアを見て気付いたのは、若い時から彼女には多くの優れたメンター(指導者/助言者)がいたことだ。それは支援が必要な人に対して指導や助言をする人のことを意味する。仕事面から精神面まで支援するメンターは、日本語の指導者とはややニュアンスが違うが、ここでは指導者としておこう。
私は、キャリアを通して指導者たちの存在が杉浦のキャリア継続を支えてきたのだと考える。米国の教育心理学者ベンジャミン=ブルームの1985年の著書「Developing talent in young people」によると、音楽家、芸術家、数学者、神経学者など世界的に活躍する著名な人々を詳しく調査したが、IQと成功達成には全く相関がない。しかし若い時から優れた指導者について努力を重ねている、という。
なぜアーティストに指導者が必要なのか。彼らは自らを客観視することで創作のアイデアを捻りだす。一人でいくら努力しても自分の枠の中でぐるぐる回るだけになりがちだ。その枠の存在を指導者が気付かせてくれる。またオリジナリティーが認められるまでには厳しい修業が必要だろう。だいたい修業とは数々の失敗を乗り越えていくこと。その道の先輩である指導者はすでに同じ失敗を経験したり、見聞きしている可能性は高いだろう。彼らのアドバイスにより無駄な失敗を避けることができるかもしれない。また複数の指導者とのかかわりも重要だ。指導者が一人だと、言われたとおりに行動したり、指導者の創作をまねをしたりすることがある。複数の人がいることで創作スタイルや方法が多様に展開していくのだ。
またアーティストとしての評価を受けるために業界の重鎮である指導者の支援が欠かせない。指導者も自らの実績のために弟子を育てたいのが本音だろう。彼らからのアート業界への紹介や推薦は若いアーティストが注目されるきっかけになる。いくら自分に才能があると思っていても、誰かが認めない限り、それは独りよがりでしかない。
杉浦の指導者は、シカゴ・アート・インスティチュートでの指導教官だったハリー・キャラハン、アーロン・シスキンやケネス・ジョセフソン。ニューヨーク時代は、ジェーコム・デシン、アートディーラー/批評家ディック・ベラミー、個展を何回も開催しているレスリー・トンコノウ、日本ではツァイト・フォトの石原悦郎、鎌倉画廊の中村路子などだ。同じギャラリーで数多くの個展を開催しているのは、ギャラリストとアーティストとのコミュニケーションが極めて良好だった証拠だろう。杉浦が素晴らしい人たちと関係が持てたのは、彼女の優れた人間力があったからだろう。これは私の想像なのだが、彼女は見栄やプライドなどもたずに自分をオープンにできたからこそ多くの人から受け入れられたのではないだろうか。

また杉浦が美術手帳へニューヨーク・アート・シーンの記事を“海外ニュース(NY)”で寄稿していたことにも注目したい。彼女は、1986年~2008年まで約20年間以上にわたり、展覧会などの取材や写真撮影を行い現地レポートを書いていた。年齢的には44歳から66歳まで、まさにアーティスト・キャリアのなかで肉体と気力が最も充実する重要期に当たる。レビューの総数は約400本以上にのぼるとのことだ。ちなみにカタログにエッセーを寄せている美術批評家の椹木野衣氏は、編集者時代に杉浦を担当していた時期があったそうだ。

この仕事が彼女のキャリア形成と創作継続に非常に大きな影響を与えたのではないかと考える。アーティストはだいたいが創作途中でマンネリに陥る。そこから脱出できないで消えていく人が無数にいる。前にも指摘したように、自分の狭い創作世界に囚われてしまい、新たな展開ができなくなるのだ。そのようなときに有効なのが、指導者のアドバイスとともに、自分以外の優れた表現に触れて刺激を受けること。それが自らを客観視するきっかけを作り、マンネリ脱出の突破口につながるのだ。だが、アーティストはなかなか自分以外の、特に成功している表現者の作品を見に行かない。しかし、杉浦は雑誌の連載の仕事なので、自分の好みや感情と関係なく、否応なしにアートシーンの最前線で活躍する幅広い人の作品を取材しなければならなかったのだ。彼女は、おのずと刺激を受けるとともに、自らのアート表現のデータベースの情報量が増えていったと思われる。
創作は過去の先人たちのアート表現を新たにかけ合わせたり、それらを突然変異させることで生まれてくる。当然のこととして、杉浦の持つ圧倒的な情報量は、新たな発想を生み出す際に役立ったはずだ。また自分より優れた能力を持つ人とも数多く接することになる。そのために、自信過剰になることもなく、新しい視点を柔軟に受け入れる姿勢が維持できたと想像できる。杉浦は、指導者に恵まれたこと、それに続く美術手帳の仕事により、長きにわたり創作キャリアを継続できたのではないだろうか。

本展“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”は、国内外の美術館による初めての回顧展になるという。彼女の仕事の全貌が初めて明らかになったことで、写真史やアート史とのかかわりが新たな視点から専門家により見立てられる可能性がでてきたでてきたのではないか。特に現代アート系で、生き物を使用したフォトグラム作品があるアダム・フスや、巨大な抽象作品で写真メディアの探求を続けているウォルフガング・ティルマンスとの関連が語られると、再評価がさらに行われると考える。

〇開催情報
“杉浦邦恵 うつくしい実験 ニューヨークとの50年”
東京都写真美術館
7月24日(火)~9月24日(月振休)
10:00~18:00、木金は20:00まで (7/26~8/31の木金は21:00まで)
休館日 毎週月曜日、ただし、9/17, 9/24は開館、9/18は休館

http://topmuseum.jp/