“BOWIE:FACES”名古屋展は、先週日曜16日に10日間の会期を無事に終了した。来場してくれた多くの人たちに心より感謝したい。
初日には同展関連イベントとして鋤田正義のトークイベントが開催された。私も、聞き手として参加した。
最近の鋤田は、自らのキャリアを紹介するドキュメント映画公開や回顧展開催などがあり、数多くのトークイベントを行っている。本人も人前で話すのに慣れてきたと語っていた。それらの多くは、音楽関係者が聞き手になって、鋤田の目を通してのミュージシャン(特に多いのはボウイ)のエピソードやその音楽性や人間関係を語ってもらう傾向が強かったと思う。私はアート写真に関わる人間だ。今回のトークでは、鋤田のポートレート写真のアート性に焦点を当てたものにしようと考えた。
世の中にはボウイを撮影した膨大な写真が存在する。それらは大きく分けて二つの種類に分類できる。ほとんどは、彼をスナップしたブロマイド的な写真。しかし、それとは別にファインアートとして認識されているボウイの写真がわずかだが存在する。以前にも述べたように“BOWIE:FACES”展では、そのような写真作品を展示しているのだ。
両者の違いは、被写体と撮影者との関係性にある。スナップには両者の一瞬の出会いがあるだけ。深い関係性は存在しない。ファインアート系では、被写体と写真家が知り合いであり、二人が互いにリスペクト持つことが重要。被写体が、自分のいままでに気付かなかった斬新なヴィジュアルを写真家に引き出してほしいという心理状態を持つ時に、奇跡のようなポートレート写真が生まれるのだ。BOWIE:FACES展では、ブライアン・ダフィー、テリー・オニールなどのファインアート系の写真作品をアイコニック・イメージのロビン・モーガン氏が取捨選択してキュレーションが行われた。そして唯一の日本人として鋤田正義が選ばれているのだ。
彼は1972年のボウイとのロンドンでの出会いから約40年以上に渡り交流を持っている。トークの中にも、ボウイが鋤田をアーティストとしてリスペクトしていた例として、1980年にボウイが出演した宝焼酎「純」のエピソードが紹介された。当時、日本人写真家でボウイと一番懇意にしていた鋤田にこの仕事の依頼は来なかったのだ。しかし、ボウイはコマーシャル撮影後に京都でのプライベートの撮影を鋤田に依頼している。当時、鋤田は仕事が依頼されなかったことを残念に感じたという。しかし、ボウイは鋤田を企業の希望する広告用の写真を撮る人ではなく、写真で自己表現を行うアーティストとしてリスペクトしていたのではないかと、かなり後になって気付いたという。それは写真集や展覧会などの主要な写真セレクションはすべて鋤田自身に一任されていることから意識したそうだ。デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、YMOなどの大物でも鋤田の判断に一切口を挟まないという。それらの写真はファインアート写真としてギャラリーで取扱いができるのだ。
一方で日本のミュージシャンの写真の方が、はるかに所属事務所からの使用指示が細かいと語っていた。
日本では、写真家はアーティストだと考えられていないからこのような状況が起こるのだ。欧米ではファインアート系写真家と、広告写真家とは明確に線引きされている。前者は自己表現追及を行う人だとリスペクトされるが、広告写真家は写真でお金を稼ぐ職業人だと思われている。
今回、鋤田正義の写真流儀を聞いたとき、彼の母親の話になった。2014年に富士フィルムの創業80周年記念コレクション展“日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」”が開催された。日本写真界の代表写真家が自分のお気に入りの1枚を選んで展示するという企画だ。鋤田はその1枚を代表作であるデヴィッド・ボウイのポートレートと、初期作“母”のどちらにしようか悩んだ。そして、彼は“母”を選んでいる。彼は事あるごとに同作は自身の最高傑作で今でも超えることができないと語っている。
また、子供の時に母親から聞かされていた二つのメッセージを語ってくれた。
“好きこそものの上手なれ”ということわざと、“世の中寝るほど楽はなかりけり”という江戸時代の狂歌だ。私は特に前者のことわざが鋤田のキャリア形成に大きな影響を与えたと感じた。このごろ、ビジネス界では人生や仕事の成功には、生まれながらの能力や生活環境とともに、仕事を継続して“やり抜く力”が重要だといわれている。英語では“グリット”などと呼ばれている。鋤田の母親が語った“好きこそものの上手なれ”はまさにそのことで、彼はそれを実践してきた。
しかしそれは、ただ何かをやり抜くことではない点にも触れておこう。また嫌なことを歯を食いしばって継続することでもない。本当に自分に合った好きなことを見つけなくてはならないのだ。私はその部分が極めて難しいと理解している。多くの人がそれが見つからないで、また捜し求めないで不本意な人生を送ることになる。
鋤田が人生をかける写真の仕事と出会ったのは母親のおかげである事実がトークからは伝わってきた。鋤田の母親はカメラが欲しいといった鋤田少年に当時としては高価な2眼レフのリコーリフレックスを買い与えている。親ばかだったかもしれないが、そのよう大胆な決断を下せた母親が偉かったのだ。これは多くの人が納得するところだろう。
そして、二つ目の“世の中寝るほど楽はなかりけり”だ、この狂歌には“浮世の馬鹿は起きて働く”という文章が続いている。正確な解釈はないが、世の中には寝ることを惜しんで無理して働くことなどない、という意味ではないだろうか。
いま過労死などが問題視されているが、好きでもない仕事を無理して頑張る必要はないともとれる。そう解釈すると、ことわざと狂歌の暗示している意味が見事に関連しているのだ。鋤田は写真の仕事は徹夜などがあり大変だったけれど楽しんでいた、特に苦痛ではなかったと語っている。そして疲れたら、“世の中寝るほど楽はなかりけり”の部分をまさに実践していたのだろう。また、これはストレスをため込まずに生きていくとも解釈できる。鋤田は今年5月に80歳になった。今でも精力的に写真撮影や講演活動を行っている。その元気の源は母親の言葉を実践しているからではないだろうか。そしていま、それを若い人や子供を持つ人へのへのアドバイスにもしているのだ。
最後に鋤田は、いま最も美しい究極の風景写真を撮影したいと語っていた。彼は“あこがれ”を撮り続けてきたというが、80歳を迎えその対象が風景に変わりつつあるようだ。そのシーンは九州にあるはずだとイメージしているようで、いま活動拠点を生まれ故郷の九州福岡に移す計画を立てている。鋤田はポートレート写真で知られるが、キャリアを通してランドスケープやシティースケープも撮影し続けている。将来的に風景の展覧会や写真集制作の企画を温めているのだ。たぶん、その風景写真シリーズの最後を飾る1枚がまだ撮れていないのだろう。
私はそれは無駄がない非常にシンプルな写真になるのではないかとイメージしている。禅僧が一生に一度描くという、図形のマルを一筆で描いた「円相」がある。それは宇宙の心理や悟りを象徴的に表しているという。たぶん鋤田の究極の風景はその写真版のようなヴィジュアルではないかと想像している。
鋤田正義の名古屋トークイベントでは、彼の何気ない言葉の中に多くの深い意味が発見できた。今回のイベントで鋤田の話を聞いたことで、見る側がその作家性を認識できたのならば、写真作品にも特別の価値を見出せるようになったはずだ。
トーク終了後は、BOWIE:FACES名古屋展会場の高山額縁店には多くの人が来てくれた。彼らは、ただボウイのポートレートを鑑賞するだけではなく、自分の価値観を揺さぶるアート作品と対峙していたのだと思う。