写真展レビュー
“写真 X 建築 ここのみに在る光”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、膨大な数の写真コレクションをどのような切口で紹介するか常に試行錯誤を行っている。本年5月には、写真を“たのしむ、学ぶ”をキーワードに展覧会を企画している。
今回は“建築”の写真によるキュレーションに果敢に挑戦。しかし、雑誌カーサ・ブルータスを愛読しているような建築写真好きな人を想定しての企画ではない。あくまでも、写真ファンやカメラ愛好家を想定した、非常にオーソドックスな写真展だ。19世紀から現在まで続いている、拡大解釈された建築物を被写体として撮影された写真の歴史を網羅する構成になっている。
ちなみにカーサ・ブルータスは、2005年7月号で“見る、撮る、買う! 建築写真の愉しみ。”という特集号を出している。そのなかで、巻頭でトーマス・ルフ、ベッヒャー夫妻、カンディーダ・ヘーファを紹介。さらに“建築を記憶する傑出した10人。”として、ルネ・ブリ、エズラ・ストーラー、石元泰博、ジュリアス・シュルマン、ハイナー・シリング、アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトルート、ホンマタカシ、畠山直哉、ルイザ・ランブリをピックアップ。ギャラリー小柳の紹介ページでは杉本博司の「建築」シリーズを取り上げている。こちらは明らかにいま流行りの現代アート系作家の作品紹介を中心としていた。
本展と重なる写真家は、ベッヒャー夫妻、石元泰博だけ。同じ建築の写真だが切口が全く異なっている。

今回の展示で、現代アート系写真の重鎮であるベッヒャー夫妻の作品“9つの戦後の家”が含まれているのは非常に意味があるといえるだろう。これにより本展は、従来の写真表現自体でのアート性の追求から、現在の現代アート系写真につながる、写真がより幅広いアート表現の一形態となっていく未来像を示唆するものとなっている。以上から、この建築写真の企画は、現代アート系をフォーカスした第2部に展開する可能性を感じさせられる。もしかしたらその舞台は、現代アート系をカヴァーする東京都現代美術館かも知れない。

作品展示は2部で構成されている。写真の専門美術館らしく、ダゲレオタイプ、カロタイプ、アンブロタイプ、鶏卵氏、ゼラチン・シルバー・プリント、タイプCプリントなどのアナログ写真から、最新のデジタル技術で制作されたインクジェット作品までを含む、写真表現の歴史を提示する展覧会にもなっている。

第1章では同館が収蔵する貴重な作品群が展示されている。建築の写真なのだが、まるで19世紀から20世紀の写真史の教科書を見るようだ。一番古い写真はジャン=バティスト・ルイ・グロの“ボゴタ寺院の眺め”。これは1842年制作の1点物のダゲレオタイプ。世界初の写真集“自然の鉛筆”で知られるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットのオックスフォードのクイーンズ・カレッジ、横浜に写真館を開き、日本全国を撮影したイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトの“愛宕山から見た江戸のパノラマ”、ウジェーヌ・アジェの19世紀末のパリ、ベレニス・アボットの30年代の変わりゆくニューヨーク、ウォーカー・エバンスの米国南部の街並み、前記のベッヒャー夫妻によるタイポロジー作品も必見だろう。アート写真ファン、コレクター、写真やアートを学ぶ学生ならば、第1章の29作品を見るだけでも十分に本展を訪れる価値がある。

第2章では、渡辺義雄、石元泰博、原直久、奈良原一高、宮本隆司、北井一夫、細江英公、柴田敏雄、二川幸夫、村井修、瀧本幹也の日本人写真家11人のポートフォリオをミニ個展形式で紹介。こちらの方が展示数も多く、はるかに広いスペースが割り当てられている。
日本人の写真家の作品も、建築やインテリア自体が撮影されている写真と、広く建築写真と定義することは可能だが、写真家の表現が第一義になっている作品も混在している。写真家の代表作の一部といえる、石元の“桂”、宮本の香港にあった“九龍城壁”、細江の“ガウディの宇宙”、渡辺の“伊勢神宮”、奈良原の“緑なき島-軍艦島”、原の“イタリア山岳丘上都市”(展覧会チラシの写真)、北井の長きにわたり忘れ去られていた“ドイツ表現派1920年に旅”などのオリジナル作品を鑑賞することができる。多くは貴重なヴィンテージ作品だと思われる。最後の展示スペースでは瀧本が2017~2018年に撮影したという、“Le Corbusier”を展示。現在の広告分野の写真家が考える、建築に触発された作品が、抽象的でデザイン感覚重視の大判サイスの現代アート風であることを象徴的に紹介している。

本展カタログの解説で、キュレーターの藤村里美氏は、“渡辺、石元、二川は明らかに記録としての要素が強い”、“奈良原と細江は「パーソナル・ドキュメント」であり、あくまで個人に視点を強調している”、“原、北井、宮本の作品は(中略)個人の意識を抑制したフォト・ドキュメントである”、“柴田、瀧本は、全体像を追うのではなく、独自の視点から細部を強調し、対象の本質に迫ろうとしている”と展示作品を分析している。
専門家の視点からは様々な見方があるが、一般の観客はもっとシンプルに見ればよいだろう。本展の提示作品の中で、19世紀写真は表現というよりも記録目的だった。しかし、20世紀以降の写真になると建築自体を表現しようと撮影された写真と、写真家の自己表現の中に建築が写っている写真が混在している。私はこの大きな二つの方向性の違いを意識して作品に接することを提案したい。本展は建築がメインテーマなので、個別作品の生まれた詳しい解説はあまり紹介されていない。しかし見る側が作品と能動的に接したときに、写真家が何かを語りかけてくるのか、それとも建築物が主張しているかで違いが判断できるのではないだろうか。

“建築 x 写真 ここのみに在る光”
東京都写真美術館(恵比寿)
開催中 2019年1月27日まで
詳しい開催情報は以下を参照ください。

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3108.html