新型コロナウイルスのアート界への影響
ニューヨーク市場は機能停止状態

3月末から4月はじめはニューヨークで定例のアート写真オークションが開催される時期だ。それに合わせて、アート写真のアート・フェアや、美術館やギャラリーでの展覧会が開催される。
今年は新型コロナウイルスの影響で状況は様変わり。ニューヨーク近代美術館などの大規模美術館は閉館、早くも一部の美術館では従業員のレイオフが始まっているという。メトロポリタン美術館は従業員が感染したことから7月まで閉鎖される可能性があり、約1億ドルの損失が発生する見通しとのこと。
アートフェアでは、多くのアート写真関係者が待望していた「Paris Photo」の最初のニューヨーク市開催が延期。オークションハウスも定例のアート写真オークションの開催の延期を発表。ササビーズはオンラインのみの開催に変更している。

メトロポリタン美術館ニューヨーク

アートフェアは、コレクター、ディーラー、アーティストなどが、閉鎖空間ではないものの同じ場所でかなり混雑した中で対面で交渉や接客を行う。新型コロナウイルスの感染リスクはかなり高いと思われる。オークションは、すでに電話やオンラインでの参加がかなり一般的になっているので、システム強化の手当てができればかなり通常通りの運営は可能だと思う。また、高額作品については不特定多数の人との接触が少ないプライベート・セールにより力を入れていくと思われる。

大手オークション会社クリスティーズ・ニューヨーク

新型コロナウイルスの蔓延は、オークション市場に多大な影響を与えるだろう。株価が短期間で大きく下落している状況では相場はどのあたりに落ち着くのかは見極め難い。たぶん新しい経済環境での新レベルの相場を模索する動きがしばらく続くだろう。貴重作品を持つコレクターは、相場が安定するまで出品を見直すと思われる。高額落札作品が少なくなるので市場規模は縮小していくと予想される。ちなみに2008年のリーマンショックの後の、2009年春に開催されたニューヨーク・アート写真オークションでは、大手オークション会社3社の総売り上げが前年同期比約85%減の約582万ドルまで落ち込んでいる。

プライマリー市場では、いまニューヨークやロンドンのギャラリーは軒並み閉まっている。多くのギャラリーはオンライン・ヴューイング・ルームなどを行っている。これらはアート情報の発信にはなるが取引につながるかは不明だ。オンライン販売は資産価値のある作品の売買とは相性が良い。しかし知名度がない若手新人は、やはりコレクターが現物をみて彼らからのメッセージが伝わらないと売買は成立しないだろう。ブランド力の劣る作家や、若手新人の作品には厳しい状況が続くと思われる。
また欧米大都市の家賃は高額なので、閉鎖が長引くと中小のギャラリーの資金繰りにも影響が出てくることが懸念される。どのくらいディーラー/ギャラリーへの政府支援が行き渡るかが注目されている。

私が経済ニュースの中で気にしているのが債務返済のための資産売却の動きだ。安全資産で株価下落の時は買われるはずの長期米国債の利回りが一時上昇し、安全資産の金価格も下落している。米国債や金のドルの現金化の動きが影響しているという。米連邦準備制度理事会(FRB)の量的緩和によるドル供給でセンチメントはやや改善したものの不安定な状況は続いている。アート作品は流動性があまり高くない資産だと考えられている。状況が長引いて本当に厳しくなると、運転資金確保のためのディーラーによる在庫処分の売りが市場に出てくるかもしれない。ブルムバーグによると、株価が急落した3月の第2週目などは、アートコレクションを持つ資産家に、緊急の流動性を求めるコレクターからの大幅な割引による「パニックオッファー」が散見されたという。今後しばらくの間は、相場水準の調整とともに、流動性が低くなり、人気作家と不人気作家、そして人気作品と不人気作品の2極化はさらに進む可能性があると考える。
しかし、見方を変えると人気作家の人気作品が以前より市場で安く買えるチャンスがあるかもしれない。不安定な相場を買い場探しだと考えると違う世界が見えてくるのではないか。悩ましいのは人気作家の不人気作品だろう。個人的にはいくら安くなっても、本当に自分がその作品が好きでない限り買わない方が良いと思う。このような時は、悩んだらぜひ経験豊富な専門家に相談してほしい。

新型コロナウイルスの影響は日本のアート界にも及んでいる。大規模な美術館などの公共施設は閉館が続いていたが、いままでは小規模ギャラリーやアートスペースは営業を続けていた。しかし、感染拡大防止にむけた東京都等による先週末の外出自粛要請を受けて、ついにブリッツを含む多くのギャラリーも3月28日(土)3月29日(日)を臨時休廊とした。テリ・ワイフェンバックが参加する大宮の「さいたま国際芸術祭2020」も会期が再延期となってしまった。ここにきて、会期途中での休廊や中止のギャラリーや展示スペースも出てきた。ブリッツも今週以降の状況を総合的に見て営業方針を判断したいと思う。

日本人が普段から清潔好きな国民なので、コロナウイルスの蔓延が欧米やアジア諸国と比べて少ないことを心より願っている。

ノースウッズ─生命を与える大地─ 大竹 英洋
ネイチャー・フォトのアート性とは?

ファインアート・フォトグラファー講座を北海道で開催するときには、ネイチャー系の写真がアートになるかと聞かれることが多い。自然豊かな北海道では、この分野で作品制作している人が多いのだ。
ファイン・アート系分野の写真家は、自然やワイルドライフ自体を撮影することはない。だが自然が作品テーマに関わるとき、作家の感動を表現する過程でそれらが撮影される場合はある。アフリカのワイルド・ライフを作品に取り込んだピーター・ベアードなどだ。
しかし、私はこの分野でもアート性を持つ写真作品が存在すると考える。
ちなみに2019年には、東京都写真美術館が企画展としてネイチャー系写真の展覧会「嶋田 忠 野生の瞬間 華麗なる鳥の世界」を開催している。同展のレビューでは、私は以下のように書いている。

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写真には価値基準が異なる様々な分野が存在している。
どの分野の写真でも、その最先端の仕事を行っている人は、アプローチは違えども、非常に高い強度を持って、また覚悟を持って被写体に接している。その姿勢には、アートの基本である何らかの感動を見る側に伝えるという作家性が意識的/無意識的に滲み出ている。
ファイン・アート系には、それを評価する基本的な方法論が存在する。従来、その範疇だと考えられていなかった分野で活躍する写真家の作品でも、誰かがその作家性を見立てて、アート系の方法論の中での存在意義が語られれば、アート作品だと認知されるようになる。
かつてはアート性が低くみられたドキュメント、ファッション、ポートレート。いまやその中にも優れたファイン・アート系作品が含まれることは広く認知されている。それは、自然写真の最前線で40年以上に渡り活躍している嶋田忠にも当てはまり、東京都写真美術館は展覧会を開催することでその作家性を見立てたと解釈している。

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この認識は、今回取り上げる大竹 英洋の作品「ノースウッズ─生命を与える大地─」にも当てはまると考える。
ノースウッズは、アメリカとカナダの国境付近から北極圏にかけて、北緯45度から60度にかけて広がる森林地域のこと。カナダ初の世界複合遺産「ピマチオウィン・アキ」も含まれる。世界最大の原生林としても知られており、カリブー、オオカミ、アメリカクロクマ、ホッキョクグマなどの、様々な野生動物が生息している。
大竹英洋(1975-)は、1999年より日本では絶滅した野生のオオカミを探しに北米を訪れノースウッズに出会っている。それ以後、約20 年に渡り、森の奥に分け入り、カナディアン・カヌーを駆使して、カナダの原野を精力的に取材/撮影。2015年秋から約1年半はオンタリオ州のレッド・レイクの町で暮らしている。また、写真家のジム・ブランデンバーグ、カヌーイストのウェイン・ルイス、フクロウ研究者のジム・ダンカン博士、この地で狩猟採集の暮らしを営んできた先住民のアニシナベなど、様々な人たちとの出会いがこの写真集化された大きなプロジェクトを可能にしている。写真集のあとがきのタイトルは、まさに「出会いが開いてくれた道」となっている。
彼の作品テーマは、アニシナベの生き方/哲学に凝縮されている。彼らは自分たちをとりまく自然を「ピマチオウィン・アキ=生命を与える大地」と呼ぶ。それは、動物も、草木も、人間も、さらには、岩や水、火や風や雪といった、あらゆる存在がこの地球から命を与えられ、生かされているという考え方だ。彼は写真集に寄せたメッセージで「この写真集が、私たち人間にもう一度そのことを思い出させ、より良い未来について考えるきっかけとなることを願っています」と語っている。

本書によると、大竹は3週間も誰とも出会わない広大なフィールドをカヌーで目的地なく漕ぎ続けたりするという。これなどは、まさに死と隣り合わせの旅だといえるだろう。非常に強い目的意識、精神力、体力がないと実践できない、ネイチャー系写真分野の最先端の仕事だ。多くの人はその行為自体に驚き、感動してしまうだろう。
アート系の視点を持つ人は、ネイチャー系写真は自然を対象とした全く異なる分野の表現だと先入観を持つ場合が多い。それは上記の例として紹介したファッション写真も同じで、単に服を撮影している写真が多い中で時代性が反映されているアート系も存在する。
ポートレート写真でも、ブロマイド的な写真が多数存在する中で、被写体とのコラボレーションから生まれた時代を象徴するようなアート系もあるのだ。ネイチャー系も全く同じで、その評価は見立てる側がニュートラルに写真家の言語化できていないシャッターを押したときの感動に、時代との接点を読み取れるかによると考える。

本書は、特に表紙などを見ると典型的なネイチャー系の写真集に見える。しかし、写真でメッセージを見る側に伝えることを意図したフォト・ブック的要素がかなり含まれている。写真のシークエンスもその要素を持ち、とても好感が持てる。遠近の自然風景、動物、森林、植物、花、キャンプ・シーン、様々な静物などのクローズアップなどが巧みに配置されていて、ヴィジュアルによるリズムが伝わってくる。
アメリカクロクマ、ホッキョクグマなどの写真は、写真家の彼らへの愛情が伝わってくる。自然動物のドキュメントというよりも、撮影者のまなざしを感じるポートレートに近いと感じる。

現在は地球温暖化が進み世界中で異常気象が発生して人類の大きな脅威となっている。地球の環境保護を訴える動きが湧き上がっている。アーティストにとってこの大きなテーマを取り上げるのはかなり難題となる。多くの人は、ただ自然風景をきれいに撮影したり、逆に被害の現場や壊れかけている地球の最前線を撮影したりしている。もちろん写真家は、その場に立ち心動かされてシャッターを押したのだろう。しかし、それを写真のフォーマットで訴求するのは極めて難しい。見る側は、非常に大きなテーマの提示に感嘆することがあっても感動はしないのだ。写真家の独りよがりになりがちで、作品と見る側とのコミニィケーションが生まれ難いのだ。

本書のような、地球の果てにある人間の手があまり入っていない場所での、20年にも及ぶ継続的な自然風景とワイルドライフの撮影は一つのアート表現になりえると考える。そこには私たちの頭の中で理想化されたステレオタイプの自然像が提示されている。実際には、もはや地球上にそのようなシーンはなかなか残されていないだろう。到達するのでさえ困難だと思われる、地球の果てのノースウッドでも、探してみればどこかに環境破壊や地球温暖化の影響は見られるのではないか。あえてそのようなシーンを写さないのも写真家の解釈であり、また自然を理想化して見せるのは立派な自己表現だと思う。私たちはそれらのヴィジュアルを見るに、こんな美しい地球の風景や精一杯生きている動物たちを大切にしないといけないと、頭ではなく心で直感的に理解できるのではないか。

上記の嶋田忠は約40年間に渡り活動することで美術館に見立てられた。大竹のこれまでの活動は20年だ。かれは、あとがきで、本書掲載の地図を前にすると「いまだに足を踏み入れていない場所、訪れたことないコミュニティーの、なんと多いことか」と語っている。間違いなく今後も活動を継続していくだろう。本書の刊行がきっかけで、彼の作品のアート性の評価は今後も積み重なっていくと思う。将来的に、美術館での個展開催も十分に可能性があるだろう。

「ノースウッズ─生命を与える大地─ 」
大竹 英洋 (著)
単行本(ソフトカバー): 216ページ
出版社: クレヴィス (2020/2/22刊)
¥2,750(税込)

コロナウイルスの影響がアート写真界を襲う ギャラリーは慎重に営業継続の方針

コロナウイルスの影響が、集客が多い写真関連の様々な分野で広がっている。
東京都写真美術館は、3月15日までのあいだ、展覧会などの主催事業をすべて休止している。「森村泰昌:エゴオブスクラ東京 2020 さまよえるニッポンの私」を開催中だった原美術館も3月13日まで休館。東急文化村ミュージアムで開催されていた「永遠のソール・ライター」展も3月8日までの開催予定が、2月27日で中止になってしまった。
キャノンギャラリー(品川)、ニコンサロン(銀座・大阪)、ソニーイメージングギャラリー銀座、フジフイルムアンテナスクエア、エプサイトギャラリーなどの企業系ギャラリーもだいたい3月15日前後まで休館となっている。
3月6日から開催予定だった「塩竈フォトフェスティバル2020」 は開催延期。4月18日から開催予定だった「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2020」も9月に開催延期。「さいたま国際芸術祭2020」は3月14日からの会期を2週間延期して28日からの開催となった。招待作家のテリ・ワイフェンバックの来日も中止となった。このようは幅広い分野での活動の一斉中止は、まさに前代未聞の事態だといえるだろう。
3月中旬以降もコロナウイルスの状況が急激に改善するとは思われない。開催しても来場者を集中させない工夫などが必要だとも思われる。今後の各館の対応が注目される。

しかし、多くの商業ギャラリーは通常通りの営業を行っており、また写真展開催を予定している。ブリッツも3月14日から、テリ・ワイフェンバック写真展「Certain Places」を開催する方針だ。ただし、多くの人が集まって会話を交わす機会が多いオープニング・レセプションは中止とした。
私どもが写真展を開催するのは、商業ギャラリーが多数の人を集客して入場料や物品販売で稼ぐイベント的なビジネス・モデルではないからだ。だいたいが交通の便の悪い場所にある。入場は無料だし、コレクターやその予備軍、アーティスト、美術系学生など、かなり限られた人の来場を想定している。従って、平常時でもギャラリー内は人で混雑しない。特に平日などは、来場者が合計数人ということも当たり前。
傾向として、来廊者は週末が多く平日は少なめ。また午後の早い時間が多く、遅い時間は少ない。ただし、ギャラリーに来るまでは公共交通機関を利用することになる。移動時には感染リスクはあるので、来廊を検討している人はどうか気を付けて来てほしい。ブリッツの周りには駐車場も比較的多くあるので、クルマ、バイク、スクーター、自転車での来場をおすすめしたい。また、本展は5月24日まで長期間にわたって開催する。コロナウイルスの将来の影響は不透明だが、どうか状況を見極めて来廊を検討してほしい。

テリ・ワイフェンバック写真展「Certain Places」の内容を簡単に紹介しておこう。


Saitama Notes #7859, 2019 ⓒ Terri Weifenbach

ワイフェンバックは、2020年3月28日から開催予定の「さいたま国際芸術祭2020」(5月17日まで)、三島のヴァンジ彫刻庭園美術館で3月20日から開催されるグループ展「The Sense of Wonder」展(8月31日まで)に参加を予定だ。

ブリッツの写真展は、埼玉県、静岡県で行われる作品展示に合わせて開催する。展示内容はコンパクトに彼女の約20年以上のキャリアを回顧する内容となる。「In your dreams」(1997年)、「Hunter Green」(2000年)、「Lana」(2002年)から、20X24″サイズ作品が各1点、「Hidden Sites」(2005年)から3点、「Between Maple and Chestnut」(2012年)から4点、「Another Summer」から9点。以上は貴重なアナログのタイプCプリントとなる。

デジタル・アーカイヴァル・プリント作品では、「Centers of Gravity」 (2017年)から小作品6点、「Des Oiseaux」 (2019年)から9点、「The May Sun」(2017年)から3点、そして2019年春に埼玉県で撮影された新シリーズから未発表5点を展示する。

アーティストがどのように自己表現を行ってきたか、その軌跡をコンパクトに俯瞰できる展示内容になっている。会場では昨年発売になった「Des Oiseaux」(Éditions Xavier Barral/2019年)や過去にブリッツが制作したカタログ類を販売する予定。一部にサイン本も含まれる予定。

「Certain Places」Terri Weifenbach
テリ・ワイフェンバック 写真展
2020年 3月14日(土)~ 5月24日(日)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 月・火曜日 / 入場無料

Blitz Gallery

アート写真の成功方程式とは?
直感を疑う勇気

アート・フォト・サイトで行っている講座では、よくアート写真の世界で成功する方法を教えてくれと質問される。私は、成功自体を求めないことだ、などと禅問答のようなアドバイスとを返すことが多い。

成功とは何か。たぶん多くの人は、写真作品が世の中で評価され知名度が上がり、個展開催、写真集出版、そしてオリジナルプリントが高額で売れたりするようなイメージを持っているのだろう。しかし、現実的にはそのような成功イメージが短い期間で実現する可能性は極めて低いといえるだろう。最初は自分の能力と可能性を信じて、作品制作に時間と費用をかける。しかし、評価がないどころか無視されるのが当たり前、まして販売に結び付くことなどはない。つまり、成功イメージを持っていると失望してしまい作家活動を辞めてしまう可能性が極めて高い。だから逆説的に短期的成功を求めないことが継続の基本になる。継続する限り成功する可能性がある、というのが上記の禅問答の意味なのだ。

世の中には、成功者のキャリアを分析して、同じように心構えを持って行動すれば成功するというビジネス書が溢れている。上記のような質問をしてくる人は、アート写真における同様の成功哲学を知りたいという意図なのだろう。若い時は、ある程度の能力があり、積極的に努力して頑張ればビジネスの世界で成功すると信じているもの。しかし、年齢を重ねていくと、実は社会での成功の大部分は運により決まるという認識が、長く苦い実体験を通して培われるようになる。先日に亡くなった野村克也氏の座右の銘に、江戸時代の大名松浦清の発言として知られる、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がある。人生での成功は運によるとしても、その確率を高めるには、できる限り失敗を避ける準備を怠らないことにあるような意味だと解釈している。それはアート写真の作家活動では何に当てはまるのか?作家活動の成功確率を高めるために、絶対に踏んではいけない地雷、つまり避けなければならないことを考えてみよう。

アートの世界で一流と言われる写真家/アーティストが、私は自分の直感を信じて作品制作を心がけている、というような発言をしているのを聞いたことがあるだろう。しかし、私はあえて若手新人は直感に頼りすぎないことを心がけてほしいとアドバイスしたい。
ややわかり難いかもしれないが、既に評価されている経験豊富な一流アーティストと、経験が浅い人との「直感」の本質は全く違うという意味だ。一流写真家は、いままでに様々な作品制作を行い、膨大な過去の作品に対峙して思考している。また人生経験も豊富で、結果として幅広いスキルを持っている。彼らは、それらを通して世界を見ているともいえる。過去の先人たちの偉大な仕事の流れと、深いところで繋がっているのだ。入ってくる無数の情報は、積み重ねられたフィルターを通り、無意識の深いところで重なり合い、突然変異や新たな組み合わせがおき、結果として直感が生まれてくる。
若手新人は、当然のこととしてスキルがまったくない。かれらに自然浮かんでくる直感はどこから生まれかというと多くの場合、単に思い出しやすい、想像しやすい情報から本能的にもたらせるのだ。この二つの直感の区別は極めて難しい。また直感を信じている人は何かを学ぶ必要性を感じない。趣味のアマチュア写真家なら全く問題がない。しかしアーティストを目指す若手新人は、一流と言われるまで、様々なことを学び経験してスキルを獲得していかなければならない。

直感に頼りすぎると、次第に思い込みに囚われて柔軟な姿勢がなくなる点も指摘しておこう。非常に多くの若手新人が、自分がいったんまとめたポートフォリオに囚われてしまうのだ。そして、ひたすらそれを認めてくれる人を探しにポートフォリオ・レビューを回ったりする。またデジタル印刷普及により写真集制作の敷居が非常に低くなった。写真集というモノが出来上がると、自作への思いはさらに強化されてしまうのだ。
作品は長い時間をかけて、世の中に触れることで常にアップデートを続けなければならない。自分のメッセージが伝わらないと判断したら、作品制作を断念して、新たなテーマを世の中で再び探す勇気も必要なのだ。多くの人を感動させるようなメッセージを持った作品は簡単には制作できない。一般的な人間は、自然と湧いてきた直感とそこから持たされる思い込みに囚われやすいという心理的特徴を持つ。やや抽象的だが、突き詰めるとアーティストは、そのような一般人に新たな視点を作品で提示して、彼らが自らを客観視するきっかけを提供する人なのだ。だから創作する人は、それを意識したうえで常に自らを客観視する姿勢を持たなければならない。自分が違和感を持つことを無視せずに、あえて対峙する勇気を持つのだ。直感を信じ思い込みに囚われてしまうと、若い時点で進歩が完全に停滞してしまう。
そのような、根拠なき自信に満ちあふれた若手新人でも、中には何らかのきっかけで思い込みに気付く人がいる。誰かが、嫌われることを覚悟して、彼らがフレームの中で凝り固まった見方をしている事実を指摘しなければならないと考える。私がいつも繰り返し言っているように、「アーティストとは、社会と能動的に接する一つの生き方」だと気付いてほしい。