定型ファインアート写真の可能性
Zen Space Photographyの提案 第6回
「決定的瞬間」を定型ファインアート写真から考える

定型ファインアート写真は様々に定義する可能性があると考えている。たとえば、カルチェ=ブレッソンの写真撮影スタイルの「決定的瞬間」。それはストリートでのスナップ写真において、構図の中で絶妙なバランスと調和がとれた一瞬をカメラで切り取り残す行為。その行為追求が撮影の目的であると解釈される場合が多いが、撮影者が無心の状態で世界と対峙して、ストリートシーンの中に絶妙な「決定的瞬間」を発見した時にフレーミングしてシャッターを押した場合もあるだろう。そのような調和を切り取った写真は定型ファインアート写真の「Zen Space Photography」と同様な意味合いを持つと考える。

Henri Cartier-Bresson: The Decisive Moment

定型ファインアート写真「Zen Space Photography」の基本を今一度確認しておこう。
そこで提案しているのは、決まり事として撮影者が思考(思い込み)にとらわれていない精神状態、つまり無心で自然や世界と対峙することが前提となる。ワークショップでは、頭ではなく心で世界と接するというように説明している。
そして調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見した時に撮影した写真。
そのようなシーンは頻繁には出現しない。次々と自然と湧いてくる思考にとらわれないように、心を無の状態にして行動している時にふと現れるのだ。普段の忙しい日常生活から離れた旅行の際はそのような精神状態を維持しやすい。だから、普段に持ち歩くスマホやコンパクトデジカメが撮影に向いている。

自然と湧いてくる思考を消し去り無の精神状態になることで、私たちは日常の思い込みから解放される。社会生活を送っていると悩み事は多いのでこれは容易ではない。しかし写真撮影がそのきっかけになるかもしれない。
その行為の実践自体が「Zen Space Photography」の作品コンセプトになる。「決定的瞬間」に戻ると、それゆえに最初から頭でそのようなシーンを撮ることを目的としたもの、また人や背景の動きを予想して意図的に撮影されたものとは意味合いが違うと考える。自然風景の中に、モノクロームの抽象美、グラフィカル、デザイン・コンシャス、色彩、詩的な印象の美を意識的に発見しようとする、いわゆるインテリア用写真制作と同様の行為となる。それは人の思考により生み出された別の種類の写真となる。
写真史的にも、カルチェ=ブレッソンが無心で切り取った、すぐれた「決定的瞬間」の作品は、完璧な構図や抽象性、プリントの質を追求した伝統工芸の職人技とは一線を画している。それらは定型ファインアート写真の意味合いを持った作品であると再解釈可能なのではないか。20世紀写真市場での彼の代表作の高い評価はこのような背景があると理解している。「決定的瞬間」をとらえた写真には、撮影者の姿勢の違いにより、この2種類が混在しているのだ。

さらに私は「決定的瞬間」は、人間が最も気づきにくい思い込みを意識化するきっかけを作ってくれるかもしれないと期待している。それは私たちが普段接している世界のデフォルト状態は混沌であり、 「決定的瞬間」はその中から全く偶然に生まれた秩序だという気づきだ。心理学によると、人間の脳はパターン認識を得意として、混沌を嫌い予測可能な状況を好む傾向があるという。私たちは太古の時代から、環境の変化を予想できた方が生き残りの確率が高かった。それゆえに現代の社会や文化は共同体安定のために規則や秩序を強調されるようになっている。私たちは無意識のうちのその強い影響を受け、世界に横たわる混沌を無意識化する傾向がある。それが人間の作り出した文明の本質なのだ。

人間は社会に出ると自分の力で生活していかなければならない。多くの人はビジネスの世界で生きるうちに、世の中は原因と結果といった線形の単純な関係性で回っていると信じるようになる。つまり人は社会が作り上げた秩序を受け入れて、それが客観的に存在していると妄信するわけだ。確かにその方が安心して暮らせるだろう。
しかし、実際の世界は不思議だらけであり、カオスとランダムネスが支配している、自分の信じる秩序通りにまわることなどない。社会人なら、人生や社会は予想不可能なことだらけである事実を十分に経験しているはず。しかし私たちは、本能的にそれを無意識化しているのだ。私はこれこそが社会で長く生きている人間が最も気づきにくい思い込みなのだと考えている。

村上春樹の「風の歌を聴け」など初期作品の魅力は、社会に出る前の若いときには当たり前だった不思議だらけで混沌としているシュールな世界の情景を表現しているからだと個人的に思っている。実は秩序だった世界の方がシュールなのだ。大人になり社会のシステムに組み込まれても、若いときの感覚は潜在意識に残っている。そのような文章は読者の心に刺さるのだ。

「Zen Space Photography」は、写真撮影を通して無の精神状態になることを目指す。そして「決定的瞬間」を意識することで、世の中の通常状態が決して秩序ではなく混沌なのだと気付かせてくれる。これらがきっかけで、自分の思い込みに気付き、世の中を違う視点から認識できるようになれば全く異なる世界観が描けるようになる。間違いなく、私たちの生き方に影響を与えると思われる。世の中は混沌と偶然性が支配する。その中で、生き難いのは誰にとっても当たり前なのだ。それに気付けば開き直ることができ、少しは楽な気持になるのではないか。

いままでの定型ファインアート写真は説明がやや抽象的だったといえるだろう。しかし、「決定的瞬間」をキーワードに加えると、世界を別の視点からとらえることができて理解しやすくなるのでないか。
いま存在している宇宙や自然界、また都市のストリートのどこかで、誰も気付かない、見たことがないような、心が揺さぶられるシーンが人知れず全く偶然に生まれては消えているという認識。混沌の中のそのような調和して美しく整っている瞬間の訪れを発見して写真で表現する風景写真/ストリート写真のひとつ。キーワードの「禅/Zen」は、写真を撮ること自体が瞑想や座禅のように、「今という瞬間に生きる」禅の奥義につながる。それとともに、「決定的瞬間」と同じような意味合いになる。

今回も小難しい内容になってしまった。しかし読んでくれた人が、当たり前だと思い、疑うことすらしない考えに、少しばかり「?」を持ってほしいと期待したい。全く別に存在すると考えがちの「混沌」と「決定的瞬間」が実は共存していると意識するきっかけになればうれしく思う。自由なアーティスト的な生き方を求めている人は、必ず反応してくれると考えている。