21世紀のいま、ネット普及により海外アート情報は現地に行かなくても低コストで手に入るようになった。一方で展覧会やフォトブックの情報は膨大になりすぎて、人々の関心が一気に希薄化している。
私はこの分野を専門にしているのだが、すべての展示や新刊フォトブックの中身を確認するなど不可能だ。質の良い情報の理解と評価にはある程度時間を使っての内容の吟味が必要になる。超多忙な現代人は溢れる情報に対して瞬間的な感情による反応だけになりがちだ。特にSNSではその傾向が顕著になっている。情報の良し悪しの時間をかけての判断がますます行われ難くなっている。
私たちはどうしても、知名度のあるアーティスト、有名美術館、ブランド・ギャラリー、人の目を引くビジュアルに関連する情報に偏って反応しがちになる。新興ギャラリーや出版社が斬新な視点を持った若手アーティストを写真展やフォトブックで紹介しても、その情報が多くが人の目に留まらないで消えていく状況なのだ。
そして一方では多くの業界関係者は、最近は良い作品や優れた新人がいない、文化が停滞していると嘆いている。いま多くの情報の受送信を担う商業的なインターネット環境では、主流でないアートの内容が注目されにくい構造になっているのだ。
また作品の海外での市場価格も誰でも簡単に入手可能になった。20世紀は売り手と買い手の持つ情報が非対称性だった。つまりアート作品やフォトブックについて、両者が持つ情報に大きな格差があり、国内コレクターが海外の作品相場を簡単に知るすべはほとんどなかったのだ。
いまや個人でも海外からの直接購入が可能になったので、輸入業者の利益率は大きく下がった。輸入作品の国内販売価格は、いまでは現地価格に送料を上乗せするくらいになっている。かつては、現地価格に20~50%程度のマージンを上乗せして国内価格が決められていた。インターネット普及による情報の民主化により利益率は一貫して下がり続けた。独自の専門分野を持たない、小売り流通企業経営による高コスト商業ギャラリーは2000年代にはすべてが撤退していった。
企業系ギャラリーは、アートで自身の差別化を目的に運営されるラグジュアリー・ブランド系のみになっている。
また写真メディアのアナログからデジタル化への移行にともない、作品種類も多様化した。現代アート系、ファインアート系、コレクタブル系、インテリア系が生まれた。また低価格の写真関連商品を取り扱うショップ/専門店も現れては消えていく状況繰り返されている。20世紀の海外都市のハイストリートによくあったポスター/フレーム販売業者の新形態だといえるだろう。
特に市場が未整理の日本の業界では、いま作品がランダムに局地的に存在する傾向が顕著だ。それぞれの業者がエゴを抑えて、業界全体を発展させようという機運が盛り上がった時期もあった。しかし伝統的なハイコンテクスト的社会であることと、最近のリベラルな考えが相まって、様々な組織、写真家、業者がバラバラに混在/乱立する状況になっている。グローバルな共通の価値評価基準である、作品制作の背景にあるアイデア/コンセプトの共通理解と、その延長線上の市場確立は成功しなかった。残念ながら90年代の混とん状態に戻ってしまった。
いま作品の情報量が増大し、選択肢が膨大になった。このような状況では、コレクターの将来に残るコレクション構築を手伝うファインアート系ギャラリーの役割は極めて重要になっていると思う。今まで以上に専門性を明確にする必要性に迫られている。そしていまの社会の価値観を見極め、作品への高い目利き力が求められるようになったと感じている。予算額が決まっている美術館は運営自体が目的化する傾向があり、次第に魅力がなくなっていくことがある。最近は、ギャラリーでも同じような状況に陥ることがあり、非常に危険だと考えている。継続を目的化して、運営趣旨を逸脱して取り扱い作品を選ぶようになる事態はぜひ避けたいものだ。情熱を持って語れる取り扱い作品がなくなった時がギャラリスト引退の時だと思う。