ニューヨーク春のアート写真情報(2)
クリスティーズがオンライン・オークションを開催!

ニューヨークの株価は3月中旬の大きな急落から持ち直している。米連邦準備理事会(FRB)が大規模金融支援の発表し、企業の資金繰り不安が収まったことによる。新型コロナウィルスの感染拡大のピークは過ぎたとして、全米で経済活動が再開しつつある。しかし、このところ非常に厳しい経済指標の発表が続いている。4月の鉱工業生産指数は前月比11.2%低下、これは過去100年で最大の落ち込みとのこと。小売売上高も前月比16.4%も減少。5月に入り、百貨店大手JCペニー、ニーマン・マーカス、衣料品チェーンのJクルーが相次いで経営破綻している。経済活動再開で、7~9月期の経済成長はプラスに転じそうだが、新型コロナ感染第2波のリスクもあり、当初言われていたよなV字回復は難しそうだ。

アート写真市場で、今回のコロナウィルスが従来の景気悪化と違う点は、美術館、ギャラリーなどが長期にわたり閉鎖されていること。美術館は閉鎖期間の入場料収入が蒸発する、ギャラリーは売り上げが減少する。ともに経営が非常に厳しくなる。一部では従業員のレイオフが始まっているという。従来、美術館はオークション市場を通してアート史での重要作品を購入し、コレクション充実を図っていた。ギャラリーは、在庫の仕入れ元だった。このような状況だと、彼らの新規購入は難しく、今後は逆に運転資金確保のためのコレクション、在庫の売却に動く可能性もあると考える。

さて参考のために2008年の金融危機後の市場動向を振り返ってみよう。
2008年にはニューヨークの大手3社の年間売り上げは約1.22億ドルだった。明らかにバブルの様相を呈していた。それが2009年には1980万ドルと、約83%も減少。その後、2013年には約4782万ドルまで回復したが再度低迷する。2019年の売り上げは約3528万ドルと、ピークだった2008年の28%にとどまっている。
売り上げが回復しないのは、写真表現においても現代アート系作品の存在感が増してきたことが背景にあると考える。つまり、現代写真は“Photographs”ではなく、他のアート作品と共に“Contemporary Art”系カテゴリーでの取り扱いになる場合が多くなっている。

さて既にレポートしたように、通常は3月下旬から4月上旬にかけて行われる大手業者によるニューヨークの公開アート写真オークションは全て中止となった。各社、開催時期の変更やオンライン・オークション開催で、コロナウィルス感染時の市場動向を探っている状況だ。
大手3社の対応方法は全く違う。既報のようにササビーズは3月24日から4月3日までの期間に、ほぼ公開オークションと同じ内容で“Photographs”を開催。結果は122点が入札されて落札率は約61.3%、総売り上げは約299万ドル(約3.29億円)を達成している。
クリスティーズは、メインの“Photographs”をオンライン・オンリーに変更して、5月19日~6月3日にかけて238点のオークションを行う。フィリップスは、開催時期を変更して“Photographs”236点の公開オークションを7月13日に開催、同様にスワン・オークション・ギャラリーも、6月11日に324点の“Fine Photographs”の開催を予定している。公開オークションでも、入札の中心はオンラインや電話になると予想される。

一方、クリスティーズは4月末から5月にかけて取扱い分野を19~20世紀写真に絞った二つのオンライン・オークションを行った。4月21日~29日にかけて、“Walker Evans: An American Master”、4月30日~5月13日にかけてピクトリアリズムからモダニズム関連のモノクロ写真を集めた“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”を開催。作品の詳細をみるに、両方ともほとんどがニューヨーク近代美術館収蔵という最高の来歴の作品。たぶん海外でよくある、新規コレクション購入のための重複コレクションの売却なのだろう。
両オークションともに全作品が落札されたものの、その詳細は驚くべきものだった。どうも今回は最低落札価格が設定されていないか、極端に低い金額に決められていたようだった。“Walker Evans: An American Master”では、落札39点のうち落札予想価格下限以下での落札が36点に達した。総売上げは9.1875万ドル(約1010万円)。1000ドル以下も4点あった。

Christie’s NY, Edward Steichen “Heavy Roses, Voulangis, France, 1914”

“From Pictorialism into Modernism: 80 Years of Photography”では、89点中78点が落札予想価格下限以下の落札。総売り上げは約30.5375万ドル(約3359万円)。出品写真家は、エドワード・スタイケン、アルフレッド・スティーグリッツ、イモージン・カニンガム、イルゼ・ビング、ベレニス・アボット、ドロシア・ラング、アンリ・カルチェ=ブレッソンなど一流どころ21名。ただし、写真家の代表的作品は非常に少なかった。スタイケンやカルチェ=ブレッソンのような有名写真家の多くの作品も、最低落札予想価格下限の数分の一という、通常なら不落札の信じられない低い金額で落札されていた。1000ドル以下は26件だった。
最高額は、エドワード・スタイケンの“Heavy Roses, Voulangis, France, 1914”。落札予想価格4~6万ドルのところ2.75万ドル(約302万円)で落札。アンリ・カルチェ=ブレッソン“Madrid, 1933”も、落札予想価格3~5万ドルのところ、同額の2.75万ドル(約302万円)で落札された。

Christie’s NY, Henri Cartier-Bresson “Madrid, 1933”

もともと新世代のコレクターにあまり人気がなかった19~20世紀写真。有名写真家の代表作以外は動きが極端に鈍くなっていた。写真表現でも現代アート系作品が市場の中心になる中で、もし19~20世紀写真にアート的価値を見出すのなら今回のオークションでの買い物はバーゲン価格だっただろう。しかし、それらに古い骨董品や伝統工芸の写真版の価値しかないと認識する人には適正価格ということではないか。今回は、大手オークション会社の、有名写真家の、最高の来歴の作品だったから低価格でも落札されたと考える。それ以外の作品の評価は本オークション結果が既成事実となり、かなり厳しくなると予想できる。この分野の在庫を抱えるディーラーは肝を冷やしているのではないだろうか。
いま市場では、アート性がある人気アーティストとそれ以外、重要作と不人気作、という二つの2極化が同時進行している。今春のいままでのオークションではこの傾向が強まった印象だ。しかしそれらは世界的な緊急事態下という極めて特殊な時期に開催された。多くの参加者は、健康を第一義と考え、決して冷静に作品を総合評価していなかったと思う。
これからのコロナウィルスとともに生きる新しい時代、はたしてこの流れが続いていくのだろうか?初夏に予定されている、各社の“Photographs”オークションの動向に注目したい。

(1ドル/110円で換算)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(11)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-3/ブックリスト)

アレクセイ・ブロドヴィッチ(1898-1971)本人が撮影して制作されたフォトブックは、「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)だけとなる。

実は知る人ぞ知るもう一つのプロジェクトがあった。1960年代、ブロドヴィッチは抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返していた。彼は、入院中に超小型のミノックス・カメラを使用して数百枚の写真を撮影していたという。空のタバコ・ケースに入れて入院患者を密かに撮影したり、野外で島の工業施設などをスナップしていた。「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)には、そのコンタクトシートが見開きページで「In Focus : Ward’s Island」として、「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、1961年のコンタクトシートとドローイングが「Ward’s Island」として紹介されている。それらは、「Ballet」の雰囲気を持つ、アレ・ブレ・ボケが取り入れられたモノクロ写真。本人が意図しているかどうかはわからないが、撮影者と被写体の患者との存在が一体化されているのが特徴だ。しかしながらネガの所在が不明で、残念ながらいままでにフォトブック化されていない。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)に収録されているWard islandでの作品のコンタクトシート

彼のもう一つの重要な仕事は、グラフィックアートの季刊誌「Portofolio」(Zebra Press刊)のアート・ディレクションとアート編集だ。エディターは、George S. Rosenthalと Frank Zachary。広告収入で成り立つファッション誌「ハ―パース・バザー」では、様々なデザイン上の制約があった。「Portofolio」は、編集とデザインの自由度を優先するために、広告掲載を行わず定期購読での予算確保を目指した。この雑誌でブロドヴィッチは、アートの高級、大衆的かにこだわらず、すべてのヴィジュアルを民主的に取り扱っている。彼の真の能力がいかんなく発揮された、キャリアのピーク時の仕事といえるだろう。しかし制作コストがかさんだことから、1949年から1950年にかけて僅か3冊だけの刊行となった。いまでも伝説のグラフィック・デザイン雑誌として知られている。

「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)には、「Portofolio」の多くの主要ページが再現されている。古書市場での相場は、非常に古い雑誌なので状態によりかなりばらつきがある。状態の良いものは500ドル以上している。

〇 アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本リスト

(1)「Ballet」(J. Augustin Publisher, New York, 1945年刊)

ブロドヴィッチは1935~1937年にかけて、バレエ・リュス・ド・モンテ・カルロ・ニューヨーク公演のリハーサル、本公演、バックステージのシーンを35mmコンタックス・カメラでストロボなしでスロー・シャッターで撮影。当時の主流はシャープなストレート写真だった。彼はタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと、演技が盛り上がる雰囲気を見事に表現する。ブロドヴィッチは本書で写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えたと言われている。グラビア印刷による104点がパフォーマンスごとに11パートで紹介。しかし収録写真のほとんどのネガはブロドヴィッチの自宅の2度の火災で焼失している。オリジナル版の発行部数は500部、多くが贈呈され書店にはほとんど流通しなかったと言われている。
本書はかつて幻のフォトブックと言われ極めて入手が困難だった。しかし、いまネットで検索してみたところ約10冊がヒットした。価格は2500ドルから1万ドルくらいまで。約75年も前の本なので個別状態により価格は大きく影響されるが、ネットの一般普及の以前と比べて相場はかなり下がっている。90年代は、状態の悪い本でも希少性によりかなり高価だった。レアな写真集を本ごと完全に複写して販売する「Books on Books No.11」として再現されたのも多少影響しているかもしれない。本書は、松浦弥太郎氏が責任編集のユニクロ「Life Wear Story 100」の中でも取り上げられている。

(2)Alexey Brodovitch and His Influence
(George R. Bunker, Philadelphia College of Art, Philadelphia,1972年刊)

本書はブロドヴィッチの生前に企画され、没後の1972年にフィラデルフィア美術大学で開催された回顧展「Alexey Brodovitch And His Influence」に際し刊行されたカタログ。

(3)「Alexey Brodovitch」(Ministere de la Culture, Paris,1982年刊)

1982年10月27日~11月29日にかけてパリのグラン・パレ(Grand Palais)で開催された回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」展のカタログ。

(4)「Master of American Design / BRODOVITCH」
(Andy Grunberg/Harry N.Abrams,1989年刊)

その前の2冊のカタログと違い、カラー印刷で彼の多くの仕事を紹介しているのが特徴。新しい世代の写真家、デザイナーにブロドヴィッチの存在を紹介した功績が大きいだろう。

(5)「Alexey Brodovitch」(Gabriel Bauret, Assouline,1998年刊)

ヨーロッパ写真美術館パリで、1998年2月18日~5月17日までに開催された展覧会のカタログ。企画はフランスの著名なキュレーター、評論家、写真史家のガブリエル・バウレット。

(6)「Alexey Brodovitch」(Kerry William Purcell, Phaidon, 2002年刊)

ブロドヴィッチのキャリアと仕事を総合的に回顧。著者は、英国の作家、フリーの写真エディターのケリー・ウィリアム・パースル。豊富なヴィジュアル、関わりのあった広い分野の人物とのインタビュー、未発表を含むデザインワークの紹介でブロドヴィッチの再評価と分析を試みている。 全272ページ、275のカラー、75のモノクロ・イメージを収録。絶版になったレアな写真集類の参考資料も多数掲載されており、ブロドヴィッチの現代に与え続けている影響を知るには格好の1冊。カヴァーは、1957年3月号のハ―パース・バザーに掲載されたリリアン・バスマンの写真。

(つづく)

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(10)
アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介(Part-2/伝説はどのように生まれたのか )

ブロドヴィッチのキャリア末期は不運続きだった。2度にわたる自宅の焼失、また夫人との死別によるショックで抑うつとアルコール中毒に苦しみ、入退院を繰り返す。ワークショップの「デザイン・ラボラトリー」を再開することもあったが、心臓発作を起こしたことから中断。1966年、最終的に親戚のいるフランスに戻る決断を下す。
アーヴィング・ペンはブロドヴィッチがフランスへ向かう直前にグリニッジ・ヴィレッジでランチを共にしたという。その時のエピソードが「Alexey Brodovitch and His Influence」に書かれている。
「私たちは、ともにもう二度と会うことがないことを知っていたと思う。彼は私が取り組んでいる作品プロジェクトについて尋ねた。彼は注意深く私の話を聞いていた。しかし、彼の理解力はすでに衰えていた。そして、私はあなたの言っている意味が理解できない。しかし、ペン、私はあなたのやってることを信じるよ」と語ったという。
ブロドヴィッチは、1971年4月15日、アビニオン近くのル・トールにおいて73歳で亡くなっている。

「Alexey Brodovitch and His Influence」より

実は生前に、フィラデルフィア・カレッジ・オブ・アートでブロドヴィッチの回顧展が企画されていた。死の約1年後の1972年に「Alexey Brodovitch And His Influence」展が開催されている。その後、1982年10月~11月にかけてパリのGrand Palaisで回顧展「Hommage a Alexey Brodovitch」が開催。二つの展覧会では、ともにペーパー版のカタログが製作されている。

ブロドヴィッチの存在は、彼の死後かなり長いあいだ忘れ去られていた。本格的な再評価は、80年代後半以降になってからとなる。彼が追求していた「時代の気分や雰囲気を写したファッション写真」のアート性が新たに見いだされるのを待たないといけない。
彼は生前「写真はアートではないが、良い写真家はアーティストだ」と語っている。彼が活躍していた時代は、写真自体はともかく、作り物のファッション写真はアートではないと考えられていた。それゆえに、生前は彼の才能と実績は、アートの視点からは全く評価されなかった。
1989年に、彼の仕事を本格的に回顧する写真集「Master of American Design / BRODOVITCH」(Andy Grunberg/Harry N.Abrams刊)が刊行される。しかし、80年代後半におけるブロドヴィッチの評価はタイトル一部の「Master of American Design」が示すようにデザイン分野の視点からだった。

「Appearances」、「The New York School」

ブロドヴィッチがアート写真界にとって偉大な存在であった事実を本格的に再評価し紹介したのは、この連載で以前に紹介した1991年にロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された、戦後のファッション写真のアート性を提示した「Appearances: Fashion Photography Since 1945」だった。同展キュレーターの写真史家マーティン・ハリソンは、1991年刊の同展のカタログで、「戦後に欧州から米国に移住して建築や絵画を教えたジョゼフ・アルバース、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウス、ラースロー・モホリ=ナジと比べて、つい最近までブロドヴィッチの存在はほとんど知られていなかった」と書いている。90年前半、まだブロドヴィッチは知る人ぞ知る存在だったのだ。その理由は、前回に書いたように、ブロドヴィッチが当時の人たちが認識していなかった「ファッション写真におけるアート性」を教えようとしていたからだ。多くの人がその価値を理解する知識と経験を持たなかった。90年代以降にやっと時代がブロドヴィッチに追いついてきたのだ。同展サブタイトルは、「1945年以来のファッション写真」だが、1945年はブロドヴィッチの写真集「Ballet」が刊行された年。ハリソンは同カタログで「Ballet」にも触れており、ブレを利用してバレーの動きの本質の表現、動きや偶然性を駆使し、感情的な部分を優先させた作品は、ファッション写真に多大な影響を与えた。その長期的影響を予想するのは難しいが、その遺産は現在にも受け継がれている、と書いている。彼の認識しているアート系ファッション写真の歴史は1945年の「Ballet」から始まっているということだろう。

90年代に訪れたブロドヴィッチ再評価には、フランス出身のアート・ディレクター、編集者のファビアン・バロン(1959-)も貢献している。彼はスティーブン・マイゼルが撮影して話題になった、マドンナの写真集「Madonna’s Sex」(1992年刊)のデザインを手掛けたことでも知られている。1992年、ハ―パース・バザー誌のアート・ディレクターに就任。マリオ・ソレンティ、デビット・シムなどの若手写真家を積極的に起用する。かつてのブロドヴィッチを彷彿させる、余白を生かした、シンプル、クラシック、エレガントな要素を持つ大胆なデザインで雑誌リニューアルを成功させるのだ。同じく欧州出身であることなどから、ブロドヴィッチの再来などとも言われていた。
当時の日本にも、ブロドヴィッチを崇拝する編集者の林文浩(1964-2011)がいた。彼が創刊した、独立系のハイ・ファッション誌「リッツ」、「デューン」では、白バックを利用したファッション、ポートレート写真を積極的に取り入れていた。

「Harper’s Bazaar, February 1997」,「dune 1993 No.2 AUTUMN」

90年代を通しブロドヴィッチの再評価の流れは続いていく。キュレーター・ジェーン・リビングストンが編集企画した「The New York School : Photographs, 1936-1963」(Stewart Tabori & Chang, 1992年刊)では、1930年代から1960年代にかけてニューヨーク市に住み、活動していた写真家16人「ニューヨーク・スクール・フォトグラファー」と大まかに定義。ブロドヴィッチもその一人に選ばれ、「Ballet」の写真が紹介されている。ほとんどのネガが消失しているので、写真集から作品を複写している。その他に、リゼット・モデル、ロバート・フランク、ルイス・ファー、ウィリアム・クライン、ウィージー、ブルース・デビットソン、ダイアン・アーバス、リチャード・アヴェドン、ソール・ライターなどが含まれる。ブロドヴィッチが主宰していた伝説のワークショップに参加していた写真家が多く含まれている。ニューヨーク・スクール・フォトグラファーは、雑誌の仕事を行う一方で、ストリートで撮影したパーソナル・ワークでこの分野の表現の境界線を広げてきた。なかには、ソール・ライターやルイス・ファーのように、ストリート写真の伝統を取り入れているものの、さらにその背景にある社会の思いやフィーリングまでを探求していると評価されている写真家も含まれる。彼らの評価は、上記のマーティン・ハリソンの著作が語るアート系ファッション写真の評価と重なってくる。

以下は次回「Part-3/ブロドヴィッチ関連本の紹介」に続く

(連載)アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド
(9)アレクセイ・ブロドヴィッチ関連本の紹介
(Part-1/デザイン・ラボラトリー)

連載の9回目からは、ロシア出身のアート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、写真家、教育者で、20世紀グラフィック・デザインの元祖として伝説化されているアレキセイ・ブロドビッチ(1898-1971)のキャリアと関連本を数回に分けて紹介する。

彼を取り上げる理由は、アート系ファッション写真の歴史の原点は、1945年刊行のブロドビッチのフォトブック「Ballet」にあると考えるととともに、彼の主宰したワークショップ「デザイン・ラボラトリー」が、同分野で活躍する写真家たちに多大な影響を与えたからだ。

「Ballet」(Augustin Publisher、1945年刊)

ブロドビッチは1934年から1958年まで米国ハーパース・バザー誌のアート・ディレクターとして活躍。フォトブックでは、アンドレ・ケルテスの「Day of Paris」(1945年)、リチャード・アベドンの「Observations」(1959年)のデザインを手掛けている。

写真家としては、写真集「Ballet」が1945年に刊行されている。
当時は写真撮影のタブーだった、明暗、ブレ、ダブり、ボケなどを多用することで、バレーの動きと盛り上がる雰囲気を表現。写真表現の可能性を大きく広げ、その後のデザイン、写真界に大きな影響を与えている。彼の写真はデジタル化が進行した現在では目新しさはないかもしれない。しかし、ブロドビッチの時代のアート系写真は、ストレート写真の「f/64」グループと、FSA (米国農業安定局)プロジェクト関連のドキュメンタリー写真だった。
アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について「すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ」と指摘、リチャード・アヴェドンは「彼は天才だった、そして、彼は気難しかった。いまや、彼は自らが人生を通して蔑んでいた栄誉ある存在として扱われるだろう。彼は、私の生涯でただ一人の先生だった。私は、彼の苛立ち、彼の傲慢、彼の不満から多くを学んだ」と語っている。

Richard Avedon “Observations”(1959年刊)

ブロドビッチの重大な功績には、「デザイン・ラボラトリー」と呼ばれるワークショップで、若手写真家やデザイナーを育てたことだ。1936年にフィラデルフィアで、その後は1941年から約20年間に渡りニューヨークで、写真、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションなどの指導を行っている。ブロドビッチは、その場をクリエーターが表現方法の実験を行う場所と位置付けていた。彼はかなり厳しい指導者だった事実は多くの資料に書かれている。その教育理念の背景には20世紀初頭の欧州の規律を重んじる考え方があったからだと言われている。カジュアルな米国文化の中では多くの反発があったであろうことは容易に想像できる。彼の評判には、多くの才能を発掘した一方で、多くの才能を潰したという厳しいものもある。

「Ballet」の掲載写真

彼の指導法は欧州バウハウスの教育学に影響を受けていた。特徴は、教えない、判断しない、育てない、提案しない、教義もないというスタイル。彼はアートの教育には懐疑的で、生徒は先生に教わることでそれを真似するようになり、先入観を持つようになると考えていた。ここの部分はかなり分かり難いので、私の解釈を追加しておこう。

彼が生徒に何を学んでほしかったかを正しく把握しないといけない。ここの部分の認識と理解によって彼の評価は大きく変わる。多くの人は、生徒はいわゆる「良い写真、上手な写真」を撮影する方法を学ぼうと考える。しかし、ブロドビッチの考えは違う。彼は生徒には自らが生きている時代をどのように認識、解釈して写真で提示するかを学んでほしいのだ。言い方を変えると、生徒に写真の撮影スタイルを教えるのではなく、時代に能動的に接して、自分の才覚でそこに横たわる言葉にできない時代性を探し、写真で表現する方法を教えようとしていた。「過去の創作に囚われることなく、イマジネーションを最大限に生かして新しい独立したものを見つけなければならない」という主張もこれを意味するのだ。生徒に対して「私が今までに見たことのある写真を見せるな」と言ったという。また「surprise quality」という言葉を引用。見る側に「驚き」、「ショック」を与えろと言った。しかしそれらは生徒に誤解されることが多かったようだ。このように言われると写真家は奇をてらった写真を撮影したり、暗室作業で新しい方法論を追求しがちになる。そして、それが目的化してしまうのだ。
アヴェドンの解釈によると「“少しばかりに驚きの快感を与える写真”は、非常にシンプルで手が加えられていない写真」とのこと。それはより洗練された作品を意味し、まさに方法論が目的化した写真と真逆なのだ。さらに「“驚き”と“ショック”は、探求をさらに進めろ、見えないものを可視化しろという意味だ」と語っている。
これこそは、過去の思い込みにとらわれない姿勢を心がけて、イノベーションを呼び起こせという、現代のアートのテーマ探しにつながるだろう。現代アートでは時代に横たわるテーマを言語化してコンセプトとして提示すること。ブロドビッチは、時代に感じられる気分や雰囲気を心で感じてヴィジュアルで表現しろということなのだ。両者は、頭で思考するのと、心で感じるのとの違いだけなのだ。いま、この考え方は私が写真を評価するときの一つの規準になっている。
しかし実際にその意味がなんとなく分かるようになるには10年以上もかかった。たぶんこの部分に初めて触れた人は、禅問答を聞いているよう印象を持つのではないだろうか。

デザイン・ラボラトリーの様子。”Alexey Brodovitch”(Phaidon, 2002年刊)より

ワークショップ参加者が互いを知るようになると課題がだされるようになる。それは、「人間とその感情」、「ハロウィーン」、「ブロードウェイ」、「新聞スタンド」、「青春」、「カフェテリア」、「デキシーカップ」などだったそうだ。課題研究では写真表現について生徒間の激しい作品批評が行われた。
参加者は、リチャード・アベドン、アービング・ペン、ロバート・フランク、リリアン・バスマン、 アーノルド・ニューマン、ブルース・ダビッソン、ダイアン・アーバス、ヒロ、バート・スターン、ルイス・ファー などの錚々たる写真家のほか、デザイナー、アート・ディレクター、モデルらが参加している。
もう1点重要な点は、このワークショップはあくまでも「アート系ファッション写真」の方向性を持っていたことだ。当時ファッション写真はアートではないというのが一般的な認識。そのようなカテゴリーの存在は生徒には認識されてなったと想像できる。したがって、作品制作の方向性が違う、アーバスやフランクなどはやがてこの場を離れていくことになる。また上記のような、当時としては極めて難解だったと思われる彼の指導目的を理解した参加者は少なかったと思われる。実際のところ、写真クラスの初回には60名以上が参加したが、厳しいブロドビッチの指導で参加はどんどん減少していき、最後のセッションのころに残ったのは多くて8名くらいだったそうだ。
「デザイン・ラボラトリー」は、厳しい海兵隊の訓練のようだったという意見もあるぐらいだ。

次回「Part-2/伝説はどのように生まれたか」に続く

ニューヨーク春のアート写真情報(1)
ササビーズがオンライン・オークションを実施!

この時期は定例の春のニューヨーク・アート写真オークションが開催される。通常ならば結果を分析して提供しているはず。しかし、今期はコロナウイルスの影響で状況が様変わり。大手3社や、スワン・ギャラリー・オークションも公開オークションを延期。その中でササビーズ・ニューヨークのみがオンライン・オークションを開催した。

入札は3月24日から4月3日までの期間で開催。当初は227点の出品が予定されていたものの、市場環境の急変から全体の約12%にあたる28点が出品取り下げ、総出品点数は199点のオークションとなった。結果は122点が入札されて落札率は約61.3%、総売り上げは約299万ドル(約3.29億円)だった。
ちなみに昨年同期のササビーズの結果は、189点が出品され131点が落札、落札率は約69.31%、総売り上げは約403万ドル(約4.44億円)だった。

今回の中身を分析するに、手数料込での落札予想価格下限以下の落札が34件も見られた。それらが果たしてバーゲンの買い物だったかどうかは今後の相場動向次第だろう。
総出品点数の約48%が不落札か落札予想価格下限以下の落札となる。平時ならば厳しい内容だが、このような環境下であることを考慮すると、比較的順調だったと評価できるのではないか。なんとしても市場を支えようとする、アート写真コレクターたち関係者の強い意志を感じた。たぶん他の市場関係者にもその心意気は伝わったのではないだろうか。

Lazlo Moholy-Nagy, Photogram cover for the magazine Broom, Sotheby’s NY

最高額は、ラズロ・モホリ=ナギの「Photogram cover for the magazine Broom, 1922」。落札予想価格40~50万ドルのところ52.4万ドル(約5764万円)で落札された。

Christian Marclay, MEMENTO (UB40),2008, Sotheby’s NY

続いたのは、クリスチャン・マークレー(Christian Marclay、1955- )の、青いサイアノタイプの1点もの、約139X260cmの巨大作品「MEMENTO (UB40),2008」。落札予想価格5~7万ドルのところ16.25万ドル(約1787万円)で落札。

アルフレッド・スティーグリッツの「The hand on the man,1902」は、落札予想価格8~12万ドルのところ11.25万ドル(約1237万円)で落札された。
本作は2013年4月にフィリップス・ニューヨークで10.45万ドルで落札された作品。手数料などのコストを考慮すると約7年のリターンはマイナス。売却時期が悪かったといえるだろう。

私が注目しているアーヴィング・ペンは9点が出品。人気は相変わらずで7点が落札されている。しかし落札予想価格下限近辺のものが多かった。今後は相場が下方修正されると思われる。

コロナウイルスの影響はどれだけ続くかだれも予想できない。当分の間は、プライマリー市場はオンライン・ヴューイング・ルーム、セカンダリー市場はオンライン・オークションという流れが続くと思われる。

(為替レート/1ドル/110円で換算)

新型コロナウイルスのアート界への影響
ニューヨーク市場は機能停止状態

3月末から4月はじめはニューヨークで定例のアート写真オークションが開催される時期だ。それに合わせて、アート写真のアート・フェアや、美術館やギャラリーでの展覧会が開催される。
今年は新型コロナウイルスの影響で状況は様変わり。ニューヨーク近代美術館などの大規模美術館は閉館、早くも一部の美術館では従業員のレイオフが始まっているという。メトロポリタン美術館は従業員が感染したことから7月まで閉鎖される可能性があり、約1億ドルの損失が発生する見通しとのこと。
アートフェアでは、多くのアート写真関係者が待望していた「Paris Photo」の最初のニューヨーク市開催が延期。オークションハウスも定例のアート写真オークションの開催の延期を発表。ササビーズはオンラインのみの開催に変更している。

メトロポリタン美術館ニューヨーク

アートフェアは、コレクター、ディーラー、アーティストなどが、閉鎖空間ではないものの同じ場所でかなり混雑した中で対面で交渉や接客を行う。新型コロナウイルスの感染リスクはかなり高いと思われる。オークションは、すでに電話やオンラインでの参加がかなり一般的になっているので、システム強化の手当てができればかなり通常通りの運営は可能だと思う。また、高額作品については不特定多数の人との接触が少ないプライベート・セールにより力を入れていくと思われる。

大手オークション会社クリスティーズ・ニューヨーク

新型コロナウイルスの蔓延は、オークション市場に多大な影響を与えるだろう。株価が短期間で大きく下落している状況では相場はどのあたりに落ち着くのかは見極め難い。たぶん新しい経済環境での新レベルの相場を模索する動きがしばらく続くだろう。貴重作品を持つコレクターは、相場が安定するまで出品を見直すと思われる。高額落札作品が少なくなるので市場規模は縮小していくと予想される。ちなみに2008年のリーマンショックの後の、2009年春に開催されたニューヨーク・アート写真オークションでは、大手オークション会社3社の総売り上げが前年同期比約85%減の約582万ドルまで落ち込んでいる。

プライマリー市場では、いまニューヨークやロンドンのギャラリーは軒並み閉まっている。多くのギャラリーはオンライン・ヴューイング・ルームなどを行っている。これらはアート情報の発信にはなるが取引につながるかは不明だ。オンライン販売は資産価値のある作品の売買とは相性が良い。しかし知名度がない若手新人は、やはりコレクターが現物をみて彼らからのメッセージが伝わらないと売買は成立しないだろう。ブランド力の劣る作家や、若手新人の作品には厳しい状況が続くと思われる。
また欧米大都市の家賃は高額なので、閉鎖が長引くと中小のギャラリーの資金繰りにも影響が出てくることが懸念される。どのくらいディーラー/ギャラリーへの政府支援が行き渡るかが注目されている。

私が経済ニュースの中で気にしているのが債務返済のための資産売却の動きだ。安全資産で株価下落の時は買われるはずの長期米国債の利回りが一時上昇し、安全資産の金価格も下落している。米国債や金のドルの現金化の動きが影響しているという。米連邦準備制度理事会(FRB)の量的緩和によるドル供給でセンチメントはやや改善したものの不安定な状況は続いている。アート作品は流動性があまり高くない資産だと考えられている。状況が長引いて本当に厳しくなると、運転資金確保のためのディーラーによる在庫処分の売りが市場に出てくるかもしれない。ブルムバーグによると、株価が急落した3月の第2週目などは、アートコレクションを持つ資産家に、緊急の流動性を求めるコレクターからの大幅な割引による「パニックオッファー」が散見されたという。今後しばらくの間は、相場水準の調整とともに、流動性が低くなり、人気作家と不人気作家、そして人気作品と不人気作品の2極化はさらに進む可能性があると考える。
しかし、見方を変えると人気作家の人気作品が以前より市場で安く買えるチャンスがあるかもしれない。不安定な相場を買い場探しだと考えると違う世界が見えてくるのではないか。悩ましいのは人気作家の不人気作品だろう。個人的にはいくら安くなっても、本当に自分がその作品が好きでない限り買わない方が良いと思う。このような時は、悩んだらぜひ経験豊富な専門家に相談してほしい。

新型コロナウイルスの影響は日本のアート界にも及んでいる。大規模な美術館などの公共施設は閉館が続いていたが、いままでは小規模ギャラリーやアートスペースは営業を続けていた。しかし、感染拡大防止にむけた東京都等による先週末の外出自粛要請を受けて、ついにブリッツを含む多くのギャラリーも3月28日(土)3月29日(日)を臨時休廊とした。テリ・ワイフェンバックが参加する大宮の「さいたま国際芸術祭2020」も会期が再延期となってしまった。ここにきて、会期途中での休廊や中止のギャラリーや展示スペースも出てきた。ブリッツも今週以降の状況を総合的に見て営業方針を判断したいと思う。

日本人が普段から清潔好きな国民なので、コロナウイルスの蔓延が欧米やアジア諸国と比べて少ないことを心より願っている。

ノースウッズ─生命を与える大地─ 大竹 英洋
ネイチャー・フォトのアート性とは?

ファインアート・フォトグラファー講座を北海道で開催するときには、ネイチャー系の写真がアートになるかと聞かれることが多い。自然豊かな北海道では、この分野で作品制作している人が多いのだ。
ファイン・アート系分野の写真家は、自然やワイルドライフ自体を撮影することはない。だが自然が作品テーマに関わるとき、作家の感動を表現する過程でそれらが撮影される場合はある。アフリカのワイルド・ライフを作品に取り込んだピーター・ベアードなどだ。
しかし、私はこの分野でもアート性を持つ写真作品が存在すると考える。
ちなみに2019年には、東京都写真美術館が企画展としてネイチャー系写真の展覧会「嶋田 忠 野生の瞬間 華麗なる鳥の世界」を開催している。同展のレビューでは、私は以下のように書いている。

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写真には価値基準が異なる様々な分野が存在している。
どの分野の写真でも、その最先端の仕事を行っている人は、アプローチは違えども、非常に高い強度を持って、また覚悟を持って被写体に接している。その姿勢には、アートの基本である何らかの感動を見る側に伝えるという作家性が意識的/無意識的に滲み出ている。
ファイン・アート系には、それを評価する基本的な方法論が存在する。従来、その範疇だと考えられていなかった分野で活躍する写真家の作品でも、誰かがその作家性を見立てて、アート系の方法論の中での存在意義が語られれば、アート作品だと認知されるようになる。
かつてはアート性が低くみられたドキュメント、ファッション、ポートレート。いまやその中にも優れたファイン・アート系作品が含まれることは広く認知されている。それは、自然写真の最前線で40年以上に渡り活躍している嶋田忠にも当てはまり、東京都写真美術館は展覧会を開催することでその作家性を見立てたと解釈している。

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この認識は、今回取り上げる大竹 英洋の作品「ノースウッズ─生命を与える大地─」にも当てはまると考える。
ノースウッズは、アメリカとカナダの国境付近から北極圏にかけて、北緯45度から60度にかけて広がる森林地域のこと。カナダ初の世界複合遺産「ピマチオウィン・アキ」も含まれる。世界最大の原生林としても知られており、カリブー、オオカミ、アメリカクロクマ、ホッキョクグマなどの、様々な野生動物が生息している。
大竹英洋(1975-)は、1999年より日本では絶滅した野生のオオカミを探しに北米を訪れノースウッズに出会っている。それ以後、約20 年に渡り、森の奥に分け入り、カナディアン・カヌーを駆使して、カナダの原野を精力的に取材/撮影。2015年秋から約1年半はオンタリオ州のレッド・レイクの町で暮らしている。また、写真家のジム・ブランデンバーグ、カヌーイストのウェイン・ルイス、フクロウ研究者のジム・ダンカン博士、この地で狩猟採集の暮らしを営んできた先住民のアニシナベなど、様々な人たちとの出会いがこの写真集化された大きなプロジェクトを可能にしている。写真集のあとがきのタイトルは、まさに「出会いが開いてくれた道」となっている。
彼の作品テーマは、アニシナベの生き方/哲学に凝縮されている。彼らは自分たちをとりまく自然を「ピマチオウィン・アキ=生命を与える大地」と呼ぶ。それは、動物も、草木も、人間も、さらには、岩や水、火や風や雪といった、あらゆる存在がこの地球から命を与えられ、生かされているという考え方だ。彼は写真集に寄せたメッセージで「この写真集が、私たち人間にもう一度そのことを思い出させ、より良い未来について考えるきっかけとなることを願っています」と語っている。

本書によると、大竹は3週間も誰とも出会わない広大なフィールドをカヌーで目的地なく漕ぎ続けたりするという。これなどは、まさに死と隣り合わせの旅だといえるだろう。非常に強い目的意識、精神力、体力がないと実践できない、ネイチャー系写真分野の最先端の仕事だ。多くの人はその行為自体に驚き、感動してしまうだろう。
アート系の視点を持つ人は、ネイチャー系写真は自然を対象とした全く異なる分野の表現だと先入観を持つ場合が多い。それは上記の例として紹介したファッション写真も同じで、単に服を撮影している写真が多い中で時代性が反映されているアート系も存在する。
ポートレート写真でも、ブロマイド的な写真が多数存在する中で、被写体とのコラボレーションから生まれた時代を象徴するようなアート系もあるのだ。ネイチャー系も全く同じで、その評価は見立てる側がニュートラルに写真家の言語化できていないシャッターを押したときの感動に、時代との接点を読み取れるかによると考える。

本書は、特に表紙などを見ると典型的なネイチャー系の写真集に見える。しかし、写真でメッセージを見る側に伝えることを意図したフォト・ブック的要素がかなり含まれている。写真のシークエンスもその要素を持ち、とても好感が持てる。遠近の自然風景、動物、森林、植物、花、キャンプ・シーン、様々な静物などのクローズアップなどが巧みに配置されていて、ヴィジュアルによるリズムが伝わってくる。
アメリカクロクマ、ホッキョクグマなどの写真は、写真家の彼らへの愛情が伝わってくる。自然動物のドキュメントというよりも、撮影者のまなざしを感じるポートレートに近いと感じる。

現在は地球温暖化が進み世界中で異常気象が発生して人類の大きな脅威となっている。地球の環境保護を訴える動きが湧き上がっている。アーティストにとってこの大きなテーマを取り上げるのはかなり難題となる。多くの人は、ただ自然風景をきれいに撮影したり、逆に被害の現場や壊れかけている地球の最前線を撮影したりしている。もちろん写真家は、その場に立ち心動かされてシャッターを押したのだろう。しかし、それを写真のフォーマットで訴求するのは極めて難しい。見る側は、非常に大きなテーマの提示に感嘆することがあっても感動はしないのだ。写真家の独りよがりになりがちで、作品と見る側とのコミニィケーションが生まれ難いのだ。

本書のような、地球の果てにある人間の手があまり入っていない場所での、20年にも及ぶ継続的な自然風景とワイルドライフの撮影は一つのアート表現になりえると考える。そこには私たちの頭の中で理想化されたステレオタイプの自然像が提示されている。実際には、もはや地球上にそのようなシーンはなかなか残されていないだろう。到達するのでさえ困難だと思われる、地球の果てのノースウッドでも、探してみればどこかに環境破壊や地球温暖化の影響は見られるのではないか。あえてそのようなシーンを写さないのも写真家の解釈であり、また自然を理想化して見せるのは立派な自己表現だと思う。私たちはそれらのヴィジュアルを見るに、こんな美しい地球の風景や精一杯生きている動物たちを大切にしないといけないと、頭ではなく心で直感的に理解できるのではないか。

上記の嶋田忠は約40年間に渡り活動することで美術館に見立てられた。大竹のこれまでの活動は20年だ。かれは、あとがきで、本書掲載の地図を前にすると「いまだに足を踏み入れていない場所、訪れたことないコミュニティーの、なんと多いことか」と語っている。間違いなく今後も活動を継続していくだろう。本書の刊行がきっかけで、彼の作品のアート性の評価は今後も積み重なっていくと思う。将来的に、美術館での個展開催も十分に可能性があるだろう。

「ノースウッズ─生命を与える大地─ 」
大竹 英洋 (著)
単行本(ソフトカバー): 216ページ
出版社: クレヴィス (2020/2/22刊)
¥2,750(税込)

コロナウイルスの影響がアート写真界を襲う ギャラリーは慎重に営業継続の方針

コロナウイルスの影響が、集客が多い写真関連の様々な分野で広がっている。
東京都写真美術館は、3月15日までのあいだ、展覧会などの主催事業をすべて休止している。「森村泰昌:エゴオブスクラ東京 2020 さまよえるニッポンの私」を開催中だった原美術館も3月13日まで休館。東急文化村ミュージアムで開催されていた「永遠のソール・ライター」展も3月8日までの開催予定が、2月27日で中止になってしまった。
キャノンギャラリー(品川)、ニコンサロン(銀座・大阪)、ソニーイメージングギャラリー銀座、フジフイルムアンテナスクエア、エプサイトギャラリーなどの企業系ギャラリーもだいたい3月15日前後まで休館となっている。
3月6日から開催予定だった「塩竈フォトフェスティバル2020」 は開催延期。4月18日から開催予定だった「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2020」も9月に開催延期。「さいたま国際芸術祭2020」は3月14日からの会期を2週間延期して28日からの開催となった。招待作家のテリ・ワイフェンバックの来日も中止となった。このようは幅広い分野での活動の一斉中止は、まさに前代未聞の事態だといえるだろう。
3月中旬以降もコロナウイルスの状況が急激に改善するとは思われない。開催しても来場者を集中させない工夫などが必要だとも思われる。今後の各館の対応が注目される。

しかし、多くの商業ギャラリーは通常通りの営業を行っており、また写真展開催を予定している。ブリッツも3月14日から、テリ・ワイフェンバック写真展「Certain Places」を開催する方針だ。ただし、多くの人が集まって会話を交わす機会が多いオープニング・レセプションは中止とした。
私どもが写真展を開催するのは、商業ギャラリーが多数の人を集客して入場料や物品販売で稼ぐイベント的なビジネス・モデルではないからだ。だいたいが交通の便の悪い場所にある。入場は無料だし、コレクターやその予備軍、アーティスト、美術系学生など、かなり限られた人の来場を想定している。従って、平常時でもギャラリー内は人で混雑しない。特に平日などは、来場者が合計数人ということも当たり前。
傾向として、来廊者は週末が多く平日は少なめ。また午後の早い時間が多く、遅い時間は少ない。ただし、ギャラリーに来るまでは公共交通機関を利用することになる。移動時には感染リスクはあるので、来廊を検討している人はどうか気を付けて来てほしい。ブリッツの周りには駐車場も比較的多くあるので、クルマ、バイク、スクーター、自転車での来場をおすすめしたい。また、本展は5月24日まで長期間にわたって開催する。コロナウイルスの将来の影響は不透明だが、どうか状況を見極めて来廊を検討してほしい。

テリ・ワイフェンバック写真展「Certain Places」の内容を簡単に紹介しておこう。


Saitama Notes #7859, 2019 ⓒ Terri Weifenbach

ワイフェンバックは、2020年3月28日から開催予定の「さいたま国際芸術祭2020」(5月17日まで)、三島のヴァンジ彫刻庭園美術館で3月20日から開催されるグループ展「The Sense of Wonder」展(8月31日まで)に参加を予定だ。

ブリッツの写真展は、埼玉県、静岡県で行われる作品展示に合わせて開催する。展示内容はコンパクトに彼女の約20年以上のキャリアを回顧する内容となる。「In your dreams」(1997年)、「Hunter Green」(2000年)、「Lana」(2002年)から、20X24″サイズ作品が各1点、「Hidden Sites」(2005年)から3点、「Between Maple and Chestnut」(2012年)から4点、「Another Summer」から9点。以上は貴重なアナログのタイプCプリントとなる。

デジタル・アーカイヴァル・プリント作品では、「Centers of Gravity」 (2017年)から小作品6点、「Des Oiseaux」 (2019年)から9点、「The May Sun」(2017年)から3点、そして2019年春に埼玉県で撮影された新シリーズから未発表5点を展示する。

アーティストがどのように自己表現を行ってきたか、その軌跡をコンパクトに俯瞰できる展示内容になっている。会場では昨年発売になった「Des Oiseaux」(Éditions Xavier Barral/2019年)や過去にブリッツが制作したカタログ類を販売する予定。一部にサイン本も含まれる予定。

「Certain Places」Terri Weifenbach
テリ・ワイフェンバック 写真展
2020年 3月14日(土)~ 5月24日(日)
1:00PM~6:00PM/ 休廊 月・火曜日 / 入場無料

Blitz Gallery

アート写真の成功方程式とは?
直感を疑う勇気

アート・フォト・サイトで行っている講座では、よくアート写真の世界で成功する方法を教えてくれと質問される。私は、成功自体を求めないことだ、などと禅問答のようなアドバイスとを返すことが多い。

成功とは何か。たぶん多くの人は、写真作品が世の中で評価され知名度が上がり、個展開催、写真集出版、そしてオリジナルプリントが高額で売れたりするようなイメージを持っているのだろう。しかし、現実的にはそのような成功イメージが短い期間で実現する可能性は極めて低いといえるだろう。最初は自分の能力と可能性を信じて、作品制作に時間と費用をかける。しかし、評価がないどころか無視されるのが当たり前、まして販売に結び付くことなどはない。つまり、成功イメージを持っていると失望してしまい作家活動を辞めてしまう可能性が極めて高い。だから逆説的に短期的成功を求めないことが継続の基本になる。継続する限り成功する可能性がある、というのが上記の禅問答の意味なのだ。

世の中には、成功者のキャリアを分析して、同じように心構えを持って行動すれば成功するというビジネス書が溢れている。上記のような質問をしてくる人は、アート写真における同様の成功哲学を知りたいという意図なのだろう。若い時は、ある程度の能力があり、積極的に努力して頑張ればビジネスの世界で成功すると信じているもの。しかし、年齢を重ねていくと、実は社会での成功の大部分は運により決まるという認識が、長く苦い実体験を通して培われるようになる。先日に亡くなった野村克也氏の座右の銘に、江戸時代の大名松浦清の発言として知られる、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がある。人生での成功は運によるとしても、その確率を高めるには、できる限り失敗を避ける準備を怠らないことにあるような意味だと解釈している。それはアート写真の作家活動では何に当てはまるのか?作家活動の成功確率を高めるために、絶対に踏んではいけない地雷、つまり避けなければならないことを考えてみよう。

アートの世界で一流と言われる写真家/アーティストが、私は自分の直感を信じて作品制作を心がけている、というような発言をしているのを聞いたことがあるだろう。しかし、私はあえて若手新人は直感に頼りすぎないことを心がけてほしいとアドバイスしたい。
ややわかり難いかもしれないが、既に評価されている経験豊富な一流アーティストと、経験が浅い人との「直感」の本質は全く違うという意味だ。一流写真家は、いままでに様々な作品制作を行い、膨大な過去の作品に対峙して思考している。また人生経験も豊富で、結果として幅広いスキルを持っている。彼らは、それらを通して世界を見ているともいえる。過去の先人たちの偉大な仕事の流れと、深いところで繋がっているのだ。入ってくる無数の情報は、積み重ねられたフィルターを通り、無意識の深いところで重なり合い、突然変異や新たな組み合わせがおき、結果として直感が生まれてくる。
若手新人は、当然のこととしてスキルがまったくない。かれらに自然浮かんでくる直感はどこから生まれかというと多くの場合、単に思い出しやすい、想像しやすい情報から本能的にもたらせるのだ。この二つの直感の区別は極めて難しい。また直感を信じている人は何かを学ぶ必要性を感じない。趣味のアマチュア写真家なら全く問題がない。しかしアーティストを目指す若手新人は、一流と言われるまで、様々なことを学び経験してスキルを獲得していかなければならない。

直感に頼りすぎると、次第に思い込みに囚われて柔軟な姿勢がなくなる点も指摘しておこう。非常に多くの若手新人が、自分がいったんまとめたポートフォリオに囚われてしまうのだ。そして、ひたすらそれを認めてくれる人を探しにポートフォリオ・レビューを回ったりする。またデジタル印刷普及により写真集制作の敷居が非常に低くなった。写真集というモノが出来上がると、自作への思いはさらに強化されてしまうのだ。
作品は長い時間をかけて、世の中に触れることで常にアップデートを続けなければならない。自分のメッセージが伝わらないと判断したら、作品制作を断念して、新たなテーマを世の中で再び探す勇気も必要なのだ。多くの人を感動させるようなメッセージを持った作品は簡単には制作できない。一般的な人間は、自然と湧いてきた直感とそこから持たされる思い込みに囚われやすいという心理的特徴を持つ。やや抽象的だが、突き詰めるとアーティストは、そのような一般人に新たな視点を作品で提示して、彼らが自らを客観視するきっかけを提供する人なのだ。だから創作する人は、それを意識したうえで常に自らを客観視する姿勢を持たなければならない。自分が違和感を持つことを無視せずに、あえて対峙する勇気を持つのだ。直感を信じ思い込みに囚われてしまうと、若い時点で進歩が完全に停滞してしまう。
そのような、根拠なき自信に満ちあふれた若手新人でも、中には何らかのきっかけで思い込みに気付く人がいる。誰かが、嫌われることを覚悟して、彼らがフレームの中で凝り固まった見方をしている事実を指摘しなければならないと考える。私がいつも繰り返し言っているように、「アーティストとは、社会と能動的に接する一つの生き方」だと気付いてほしい。

ギャラリー今後の写真展開催予定
テリ・ワイフェンバック「Certain Places」を開催!

ブリッツの今後の展示予定をお知らせしよう。

Munitions Workshop Building, Wendover Air Base, Utah, 2004 (C)William Wylie

現在開催中のウィリアム・ワイリー写真展はいよいよ最終週。今回は天皇誕生日の振り替え休日となる2月24日(月・祝日)まで開催する。
最先端のモノクロ・インクジェット・プリントによる、イタリアのポンペイ遺跡から米国ユタ州西部のウェンドーバーまで、世界中の建築を撮影した写真作品の展示となる。彼の作品は美術館にも収蔵されており、私は「21世紀写真」のスタンダードだと考えている。アーティストを目指す人、コレクターは、その銀塩写真とは違うプリント・クオリティーをぜひ見てほしい。

次回展は、米国人写真家テリ・ワイフェンバック(Terri Weifenbach)の写真展「Certain Places」。会期は3月14日~5月24日まで。
彼女は、日常にある何気ない自然風景のカラー作品で知られる写真家。ピンボケ画面の中にシャープにピントがあった部分が存在する写真が特徴。夢の中にいるような、瞑想感が漂う光り輝く作品には根強い人気がある。また彼女の作品は、いま世界的に広がっている自然環境保護につながるメッセージを投げかけていることでも知られている。
今回の展示は、彼女の約20年以上にわたる写真家キャリアを振り返る内容となる。2019年春に埼玉県で撮影された新シリーズからの未発表作5点を含む、タイトル名が示すように世界各地で撮影された作品約30点がセレクションされる。今や貴重なタイプCプリントとデジタル・アーカイヴァル・プリントの展示になる。

ART Signtama / さいたま国際芸術祭2020

ワイフェンバックは、2020年3月14から開催される「さいたま国際芸術祭2020」に参加。2019年春に来日し、同芸術祭のテーマ「花 / Flower」を念頭に置いて作品を撮影している。芸術祭では、それらの新作がメイン会場の旧大宮区役所で展示される。彼女はいまパリ在住、スカイプで連絡を取りながら作品の色校正などが急ピッチで進行中だ。
また彼女は、三島のヴァンジ彫刻庭園美術館で3月20日から開催されるグループ展「The Sense of Wonder」展にも参加予定。
ブリッツの写真展は、埼玉県、静岡県で行われる展示に合わせての開催となる。

ただし、「さいたま国際芸術祭2020」には、多数の人が世界中から集まる。市中感染が疑われるコロナウイルスの影響が心配される。

・ブリッツのプレスリリースは以下でご覧いただけます。

http://www.artphoto-site.com/inf_press_86.pdf

・プレス用プリントは以下でご覧いただけます。

http://www.artphoto-site.com/inf_press_86image.pdf