写真展レビュー
“ちいさいながらもたしかなこと”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館の、新人若手写真家の写真を展示する15回目の企画展。多くの人が気になるのは、膨大な数の写真家の中から彼らが選出された基準だろう。それについては、プレスリリースやカタログには明確な説明や記載がない。
それでは本展タイトル“ちいさいながらもたしかなこと”からヒントを探してみよう。担当のキュレーター伊藤貴弘氏は、カタログ・エッセイの「おわりに」に、“彼らに共通するのは、自らの感性や考え方、アイデンティティーやリアリティーをてがかりに、社会とのかかわりを意識しながら個人的な視点で作品を制作していることだ。その姿勢は、今を生きるアーティストであれば誰しも少なからず持っていて、目新しいものではないかもしれない”と述べている。カタログの「ごあいさつ」にも同様の開催趣旨が書かれている。個人的には確かであるものでも、決して普遍的ではない点を開催者は認識しているのだ。伊藤氏は、タイトルはそのようなやや逆説的なニュアンスもあるとも語っていた。
どうも今回の新人若手写真家展は、美術館が2018年現在の時代性を最も表した写真家を審査の上で選出したというよりも、責任キュレーターのパーソナルな視点により企画されているようだ。まずこの点を知った上で鑑賞することが必要だろう。

しかしたぶんこれは美術館により確信犯で行われていると私は考えている。抽象的な言い方になるのだが、現在は価値観が多様化した時代だといわれている。いくら多様な価値観の展示を試みても、それらは取り上げるキュレーター、評論家、ギャラリスト、写真家らにとっては個人的に意味を持つが、決して多くの人が共感するような一般的なものにはなりえないのだ。そうなると、新人選出の方法論は複数の専門家による価値基準の調整を行った上で行うか、個人の専門家の視点を生かしたキュレーションかになるだろう。前者がキャノンの写真新世紀や朝日新聞出版の木村伊兵衛賞、後者が本展のような美術館展となる。個人による判断には偏りがでるという批判もあるかもしれないが、同館のようにほぼ毎年継続して行うのであれば問題ないと考える。単体としてではなく、複数の連続した企画として見ると、結果的な多様化した現代の状況が浮かび上がってくると思う。本展だけを単体で見ると視点が分かり難いと感じる観客もいるかもしれない。

選出されたのは30から40歳代の、森栄喜(1976-)、ミヤギフトシ(1981-)、細倉真弓(1979-)、石野郁和(1984-)、河合智子(1977-)。
それでは、写真家が自分なりに小さいながら確かだと認識してテーマとして取り上げて撮影しているのは何だろうか。それらは、感覚、家族、人間関係、ジェンダー、アイデンティティー、時事的な出来事、文化的差異、歴史、水の循環、視覚、方法論(撮影、プリント、展示)などだと思われる。
ちょうど、先月に「写真新世紀」の展示を同館で見た。これは世界中の人を対象とした複数の選出者による公募展。私は、外国人の作品が社会的問題点をテーマとして掘り下げて追求するのと比べて、日本人の関心が自分のことや内面に向かいがちだと感じた。大賞は、シンガポールの環境問題「煙霧」(ヘイズ)を表現したソン・ニアン・アン氏だった。同じような傾向は今回の展覧会でも見られる。それぞれの関心や興味は多種多様だが、多くの写真家の関心の前に“自分の”と付けると一貫性が出てくるのだ。社会的な事柄も、自分が個人的に関心を持つものなのだ。自分以外の人が、作品に興味を持ってもらう仕掛けへの工夫がやや物足りないと感じた。

本展の特徴は多くの人が写真以外に映像を流していた点だ。自分の感覚の流れや移ろいを表現するのには、スティールよりも映像の方が適しているからだろう。これは展示多様化の流れと、内向き表現の表れだと解釈できる。
また本展の参加者は、細倉真弓以外の4名はすべて最終学歴が海外の教育機関出身だった。しかし、作品が提示するタイトル・テーマなどの方法論は海外のファインアート系を意識しているのは分かるが、本質は自分で深く考え掘り下げるよりも、感性を重視した表現になっている。日本で教育を受けたアート系の若手の作品とあまり変わらないのが興味深かった。

いまや写真は誰でも撮影する真に民主化したメディアになった。特に日本はその最先端をいっており、写真は現代社会に生きる個々人の意識や集団無意識を反映させた表現になっていると感じる。そこには、歴史や伝統が背景のファインアートと応用芸術との違いなどない。プロ・アマの違いも存在しないのだ。このような認識に立てば、本展は写真表現に特化した美術館のキュレーターによる、現代日本の若い世代のセンチメントをサンプリングし掬い上げた非常に意欲的な試みだと解釈できるだろう。

小さいながらもたしかなこと
日本の新進作家 vol. 15
東京都写真美術館(恵比寿)

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3098.html

トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介(2)
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツでは、トミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s (ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催中。今回は先週に続き、個別作品の見どころを紹介しよう。

一連のセッションで撮影された若い女性の写真が2枚展示されている。

デジタル・アーカイヴァル作品(左側)と、もう1枚は銀塩のヴィンテージ・プリント(右側)による。セイケによると、最初の写真では、女の子はストリートで異邦人の日本人に声をかけられての撮影だったので緊張気味だったという。2枚目の写真では、撮影場所をストリートではなく、白ペンキで塗られた住居の玄関ドア前に移している。女性の表情からは明らかに緊張感が薄れ、リラックスした様子に代わっている。その瞬間をセイケのカメラがとらえている。セイケによると、ストリートでこのような自然の表情を撮影できるのは奇跡的なことだという。
また2枚を比べると、20世紀のアナログ銀塩写真が黒と白の解釈であり、その中での抽象美の追求であるのがよくわかる。細部までの精緻な再現力では、デジタル・アーカイヴァル作品の方が優れている。銀塩写真は、部分的に黒はつぶれて、白はとんでいるのだ。銀塩と比べるとデジタルは中間トーンの再現力が優先されている印象だ。興味深いのは、長年にわたり写真に親しんできた年配の人は銀塩写真を好み、若い人はデジタル・アーカイヴァル作品の方が好きだという傾向があることだ。つまり、二つの写真表現を比べて優劣を語るのは全く意味がないということ。人の好みは、普段自分が見慣れた方に無意識のうちに親近感を持って形成されるのだろう。
かつてデジタル・アーカイヴァル作品で、銀塩写真っぽさを出そうとした写真家が多かった。しかしそれは意味のないことで、それぞれが全く別の表現だと考えるべきなのだ。セイケが2種類の写真を同時に展示しているのはそのような考えに至ったからだと思う。

若い男女のポートレートも人気の1枚だ。

二人の服装は男性が白系のセーターで女性がダーク系のコート、洋服のコントラストでモノクロームの抽象美を見事に強調した作品になっている。セイケは長年の習慣でファインダーをのぞくと、そこに見えるシーンが頭の中で自然にモノクロームになるという。たぶん、普通に街を歩いていても、そのようなシーンに無意識的に反応するのだろう。そしてフレーミングの絵作りで、黒と白の部分の調整をしているのだと思う。
セイケによると二人はかつてはお付き合いしていたが、ちょうど別れ話を終えたばかりの時に撮影されたとのことだ。そういわれると二人の表情に微妙な違いが見て取れる。男性は別れたことに未練を感じている風、一方で女性は妙にすっきりとした表情で既に新しい未来にわくわくしている感じに見えてくる。モノクロームの美しさと共にサイドストーリーを聞くとさらに味わいがある作品に感じてくる。

当時のファッションで最もアバンギャルドなのが、この若者の写真だろう。

アンティーク風のソフトハットをかぶり、ダブルのテーラード・ジャケットを羽織り、その下にはジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイがプリントされたT-シャツ、ボトムスにはサッカーなどの競技用と思われるややオーバーサイズのショート・パンツを合わせている。服のスタイル、デザイン、素材に統一感が全くないのだが、この若いハンサムな男性は自信に満ち溢れた堂々とした表情なのだ。伝統的なファッションは、数々の決まりごとがあり、そのルールの中でコーディネートを考えるが洗練されたセンスだと思われている。この写真のファッションはまさにその真逆なのだ。70年代後半に一世を風靡した、やりたいことをやれば良いというパンクの精神が色濃く反映されていると感じさせる。たぶんこのファッション・コーディネートの外し方は意図的で非常に高度な技なのだと思わされてしまう。

本展では、写真自体の洗練された美しさと共に、重層的なテーマ性、銀塩とデジタル・アーカイヴァル写真の対比、個別作品のストーリー性など、様々な見どころが発見できる。見る側は写真の表層だけを鑑賞するのではなく、ぜひ写真家のメッセージを意識的に読み解く努力を行ってほしい。コレクター、アート愛好家、アマチュア写真家が十分に楽しめる写真展だと思う。写真で行うアート表現のお手本だと言えるだろう。

トミオ・セイケ 写真展「Street Portraits : London Early 80s」は、12月16日まで開催。本展は日曜日もオープンしている。営業時間は午後1時~6時、月、火曜が休廊。

トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (1)
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツでは、トミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s (ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催中。本展では、従来のファッションのルールを無視して、流行りの服、スポーツ・ウェアー、古着、安物アクセサリー、小物などを自由にコーディネートして楽しんでいる、80年代初めのロンドンの若者たちのポートレートを展示している。

前回その中の洗練されていない3名の若者たちの作品に触れた。MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ローファー、ジーンズ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。セイケがロンドンの若ものたちのファッションがカッコいいと感じたのは、当時の日本の若者のカジュアル・ファッションと比べてのことなのだと思う。
80年代初めの日本、多くの若者は自分で何が良いセンスなのか判断する基準を持っていなかったのではないか。したがって雑誌などが紹介するブランドの服を選びがちだった。大ブームになったボートハウスやデザイナー・ブランドのロゴやデザインがプリントされたスウェット・シャツ、ロゴマークがワンポイントで刺しゅうされた海外有名ブランドのポロシャツが、他人へのアピールの象徴だった。もちろん、当時の英国の若者はすべてお洒落で洗練されていたわけではなかった。日本人と同じようにブランド志向の人もいたわけだ。まさに本作の3人のファッションなのだ。私は、セイケが上記写真を展示作品にセレクションしたのには意図があると疑っている。

さて80年代初頭のロンドンの若者ファッションは、かなり今の日本の若者のファッションに近くなっていると感じるのは私だけだろうか。もしかしたら、本展のファッションを見た現代日本の若者は、それが当たり前すぎて自然に感じるかもしれない。日本人のファッションセンスが多様化、洗練化され、ロンドンのレベルに追いついたということだ。

いままでの約35年間に何が起きたかを見てみよう。80年代、ブランド志向の日本の若者は、学校を卒業すると企業に就職して、終身雇用、年功序列の、管理社会システムにがんじがらめになっていった。しかし彼らはロンドンの若者よりも自由はなかったが金銭的には安定していた。社会の大きなシステムから、消費の選択肢を与えられて、そのわずかな差異の追求が個性だと思い込まされて、企業のために働かされてきた。その典型例が、ブランド・ファッションとポップ・ミュージックなどだった。
そして21世紀の日本の若者はどのようになったのか。その後の経緯をあえて簡単なキーワードだけで語ると、バブル経済が崩壊して終身雇用は消失。グローバル化、新自由主義の浸透により、経済格差が拡大した。そしていま自国第一主義回帰の流れが世界的に起き、社会の未来像が極めて描きにくくなっている。80年代後半にかけて、一人当たりの名目GDP(米国ドル)は日本の方が大きかった。いまでは信じられないが、2000年は世界2位だったのだ。それが2017年は25位となり、24位の英国以下に順位を落としている。80年代と比べて拠り所だった経済の凋落は明らかで、多くの人は未来への大きな不安を抱えて日々暮らすようになった。まさに80年代のロンドンの若者が置かれたのと同じような状況になってきたと言えるだろう。

セイケは、80年代のロンドンの写真を21世紀の東京で見せることで、現代の日本社会についても語っているのだと思う。今や日本社会には、かつてのような安定した生き方はなくなってしまった。しかし、経済的に保証されるが管理社会の中で自分を殺して生きていくよりも、不安定でも、多少自由があり、ある程度自分で意識的にコントロールしていく人生も悪くはないというメッセージだと理解したい。

本作のロンドンの若者たちは、厳しい経済状況に関わらず決して悲観的ではなく、ポジティブな表情の人たちが多い。「Liverpool 1981(リヴァプール 1981)」展、「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展でセイケが一貫して提示してきたロンドンの若者たちの姿と同じだ。現代の日本では、80年代と違い人生の選択肢は生きている人の数だけ存在するようになった。そこには一つの正解はない。社会に共通の価値基準がなくなったいま、私たちは自分で考えて行動してその答えを探さなければならない。
本作は、そのようなことを考えるきっかけになるのではないだろうか。

“トミオ・セイケ 写真展 見どころを紹介 (2)”に続く

◎トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
2018年 12月16日(日)まで開催、
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日 / 入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com

 

写真展レビュー
“写真 X 建築 ここのみに在る光”
@東京都写真美術館

東京都写真美術館は、膨大な数の写真コレクションをどのような切口で紹介するか常に試行錯誤を行っている。本年5月には、写真を“たのしむ、学ぶ”をキーワードに展覧会を企画している。
今回は“建築”の写真によるキュレーションに果敢に挑戦。しかし、雑誌カーサ・ブルータスを愛読しているような建築写真好きな人を想定しての企画ではない。あくまでも、写真ファンやカメラ愛好家を想定した、非常にオーソドックスな写真展だ。19世紀から現在まで続いている、拡大解釈された建築物を被写体として撮影された写真の歴史を網羅する構成になっている。
ちなみにカーサ・ブルータスは、2005年7月号で“見る、撮る、買う! 建築写真の愉しみ。”という特集号を出している。そのなかで、巻頭でトーマス・ルフ、ベッヒャー夫妻、カンディーダ・ヘーファを紹介。さらに“建築を記憶する傑出した10人。”として、ルネ・ブリ、エズラ・ストーラー、石元泰博、ジュリアス・シュルマン、ハイナー・シリング、アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトルート、ホンマタカシ、畠山直哉、ルイザ・ランブリをピックアップ。ギャラリー小柳の紹介ページでは杉本博司の「建築」シリーズを取り上げている。こちらは明らかにいま流行りの現代アート系作家の作品紹介を中心としていた。
本展と重なる写真家は、ベッヒャー夫妻、石元泰博だけ。同じ建築の写真だが切口が全く異なっている。

今回の展示で、現代アート系写真の重鎮であるベッヒャー夫妻の作品“9つの戦後の家”が含まれているのは非常に意味があるといえるだろう。これにより本展は、従来の写真表現自体でのアート性の追求から、現在の現代アート系写真につながる、写真がより幅広いアート表現の一形態となっていく未来像を示唆するものとなっている。以上から、この建築写真の企画は、現代アート系をフォーカスした第2部に展開する可能性を感じさせられる。もしかしたらその舞台は、現代アート系をカヴァーする東京都現代美術館かも知れない。

作品展示は2部で構成されている。写真の専門美術館らしく、ダゲレオタイプ、カロタイプ、アンブロタイプ、鶏卵氏、ゼラチン・シルバー・プリント、タイプCプリントなどのアナログ写真から、最新のデジタル技術で制作されたインクジェット作品までを含む、写真表現の歴史を提示する展覧会にもなっている。

第1章では同館が収蔵する貴重な作品群が展示されている。建築の写真なのだが、まるで19世紀から20世紀の写真史の教科書を見るようだ。一番古い写真はジャン=バティスト・ルイ・グロの“ボゴタ寺院の眺め”。これは1842年制作の1点物のダゲレオタイプ。世界初の写真集“自然の鉛筆”で知られるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットのオックスフォードのクイーンズ・カレッジ、横浜に写真館を開き、日本全国を撮影したイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトの“愛宕山から見た江戸のパノラマ”、ウジェーヌ・アジェの19世紀末のパリ、ベレニス・アボットの30年代の変わりゆくニューヨーク、ウォーカー・エバンスの米国南部の街並み、前記のベッヒャー夫妻によるタイポロジー作品も必見だろう。アート写真ファン、コレクター、写真やアートを学ぶ学生ならば、第1章の29作品を見るだけでも十分に本展を訪れる価値がある。

第2章では、渡辺義雄、石元泰博、原直久、奈良原一高、宮本隆司、北井一夫、細江英公、柴田敏雄、二川幸夫、村井修、瀧本幹也の日本人写真家11人のポートフォリオをミニ個展形式で紹介。こちらの方が展示数も多く、はるかに広いスペースが割り当てられている。
日本人の写真家の作品も、建築やインテリア自体が撮影されている写真と、広く建築写真と定義することは可能だが、写真家の表現が第一義になっている作品も混在している。写真家の代表作の一部といえる、石元の“桂”、宮本の香港にあった“九龍城壁”、細江の“ガウディの宇宙”、渡辺の“伊勢神宮”、奈良原の“緑なき島-軍艦島”、原の“イタリア山岳丘上都市”(展覧会チラシの写真)、北井の長きにわたり忘れ去られていた“ドイツ表現派1920年に旅”などのオリジナル作品を鑑賞することができる。多くは貴重なヴィンテージ作品だと思われる。最後の展示スペースでは瀧本が2017~2018年に撮影したという、“Le Corbusier”を展示。現在の広告分野の写真家が考える、建築に触発された作品が、抽象的でデザイン感覚重視の大判サイスの現代アート風であることを象徴的に紹介している。

本展カタログの解説で、キュレーターの藤村里美氏は、“渡辺、石元、二川は明らかに記録としての要素が強い”、“奈良原と細江は「パーソナル・ドキュメント」であり、あくまで個人に視点を強調している”、“原、北井、宮本の作品は(中略)個人の意識を抑制したフォト・ドキュメントである”、“柴田、瀧本は、全体像を追うのではなく、独自の視点から細部を強調し、対象の本質に迫ろうとしている”と展示作品を分析している。
専門家の視点からは様々な見方があるが、一般の観客はもっとシンプルに見ればよいだろう。本展の提示作品の中で、19世紀写真は表現というよりも記録目的だった。しかし、20世紀以降の写真になると建築自体を表現しようと撮影された写真と、写真家の自己表現の中に建築が写っている写真が混在している。私はこの大きな二つの方向性の違いを意識して作品に接することを提案したい。本展は建築がメインテーマなので、個別作品の生まれた詳しい解説はあまり紹介されていない。しかし見る側が作品と能動的に接したときに、写真家が何かを語りかけてくるのか、それとも建築物が主張しているかで違いが判断できるのではないだろうか。

“建築 x 写真 ここのみに在る光”
東京都写真美術館(恵比寿)
開催中 2019年1月27日まで
詳しい開催情報は以下を参照ください。

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3108.html

2018年秋・英国/欧州アート写真オークション・レビュー
景気先行き不安が落札結果に反映

いままで、ユーロ圏経済は緩やかな回復傾向が続いてきた。昨年は2008年の経済危機後のもっとも高い2.4%成長を達成した。しかしマスコミ報道によると、ここにきて主要な輸出相手国である中国経済の減速、イタリアの財政リスク、米国との貿易摩擦、英国のEU離脱などで、先行きは不透明感が漂ってきたようだ。経済指標も景況感指数などで弱めの数字が出始めてきた。欧州委員会は2019年のユーロ圏の実質成長率を1.9%に下方修正している。
さて先週にかけて、ロンドンとパリでアート写真オークションの欧州ラウンドが行われた。昨年は、クリスティーズ・パリの“Stripped Bare: Photographs from the Collection of Thomas Koerfer”で、マン・レイの“Noire et Blanche, 1926”が268.8万ユーロ(3.57憶円)の高額で落札されたり、全般的に好調な結果だった結果だった。しかし今年は経済の先行き不安が多少なりとも反映されたやや弱含みの結果となった。

11月1日にフィリップスはロンドンで、8日から9日にかけてササビーズとクリスティーズがフォト・フェアーに合わせてパリで、合計5つのアート写真セールを開催した。

PHILLIPS London “Photographs”

フィリップス・ロンドンの出品数は108点、落札率は約73.1%、総売り上げは約127万ポンド(約1.9億円)だった。ちなみに昨年は出品数97点、落札率は77.32%、総売り上げは約154万ポンド(約2.32億円)。売り上げは約17.5%減、落札率も若干低下した。売り上げ減少は、注目されていた10万ポンド以上の落札予想価格が付いていたシャルル・ネグレ(Charles Negre)などを含む19世紀フランス写真からなるハイマン・コレクションの12点が出品取りやめとなったのが影響したと思われる。

パリの大手2社の4つのセールは、出品数218点、落札率約56.88%、総売り上げ約348万ユーロ(約4.53億円)だった。昨年は、出品数は389点、落札率は約61.18%、総売り上げは約758万ユーロ(約10.23億円)。パリの結果は昨年と比較すると、落札率が悪化、総売り上げも、出品数と高額落札の減少が影響して約54%減だった。

高額落札が期待されていたササビーズの“Photographs”に出品されたリチャード・アヴェドンの代表作“Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque D’hiver, Paris, 1955”。124.5 x 100cmの大判作品で、落札予想価格は60~90万ユーロ(約7620~1.14億円)だったが不落札だった。
またササビーズ“Modernism: Photographs from a Distinguished Private Collection”に出品されたポール・ストランドの“FERN, EARLY MORNING DEW, GEORGETOWN, MAINE, 1927”も、落札予想価格は20~30万ユーロ(約2600~3900万円)だったがこちらも不落札。2016年に低迷した市場は、2017年は秋にかけて回復傾向を示していた。しかし、ここにきて再び息切れしてきたようだ。

高額落札は、クリスティーズで開催された杉本博司の28点単独オークション“Hiroshi Sugimoto Photographs: The Fossilization of Time”に出品された“Sea of Japan, Rebun Island, 1996” 。

Christies Paris “Hiroshi Sugimoto Photographs: The Fossilization of Time”

極めて人気の高い海景シリーズからの、119.2  x 148.5 cm、エディション5の作品。落札予想価格は20~30万ユーロ(約2600~3900万円)だったが、30.75万ユーロ(約3997万円)で落札。同じシリーズの、“Bass Strait, Table Cape, 1997”も、27.15万ユーロ(約3529万円)で落札。しかし単独オークション全体の落札率は約53.5%、総売り上げは約120万ユーロ(約1.57億円)と低調だった。

先日にニューヨークのスワン・ギャラリーに出品されたコンスタンティン・ブランクーシ(1876- 1957)の“Vu d’atelier, c1928”。落札予想価格を大きく上回る12.5万ドル(約1400万円)で落札され話題になった。今回ササビーズ・パリの“Photographies”にもブランクーシが自身の彫刻をスタジオを撮影した“VUE D’ATELIER, C. 1923”が出品された。落札予想価格は3万~5万ユーロ(約390~650万円)だったが、前記スワンとほぼ同じ10.625万ユーロ(約1381万円)で落札されている。

これで年内の大手によるアート写真オークションは終了。これから年末にかけては、中堅のヴェストリヒト(WestLicht)・ウィーンの”18th Photo Auction”が11月23日、レンペルツ(Lempertz)・ケルンの“Photography”が11月30日、ドイル(Doyle)・ニューヨークの“Photographs”が12月13日が行われる予定。

(1ユーロ/130円、1ポンド/150円))

 

アート系ファッション写真のフォトブック・ガイド(連載) (7)
“Appearances : Fashion Photography Since 1945”の紹介

前回に続きロンドンのケンジントンにあるヴィクトリア&アルバート美術館で1991年に開催された、1945年以降のファッション写真に焦点を合わせた展覧会カタログを紹介する。

戦後のファッション写真のアート性を定義したのはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。歴史学者のエマニュエル・トッドは“問題は英国ではない、EUなのだ”(文春文庫)で、絶対核家族のアングロサクソン文化の不安定性、柔軟性を指摘し、イギリスを断絶文化と呼んでいる。イギリス文化を遡ると突然の変化にぶつかるとし、とても振幅の激しい文化だからこそ、ビートルズやデヴィッド・ボウイがでてくると書いている。いままで無視されていたファッション写真をアートの文脈で評価する柔軟性を英国の美術館は持っていたのだと思う。
そういえば、ロックスターのデヴィッド・ボウイのアート性に注目して、展覧会“David Bowie is”を企画したのもヴィクトリア&アルバート美術館なのだ。

本展は“SHOTS OF STYLE”も手掛けたマーティン・ハリソンがキュレーションを担当。前回の展示でファッション写真のアート性に確信を持ち、さらに調査を進めて自らの価値基準を展開していったと思われる。
カタログとなる本書は、ファッション写真を扱うディーラーにとっての教科書。私も何度も読み返し、多大な影響を受けている。ちなみに、1991年に開催された実際の展覧会をロンドンで見てギャラリーの方向性を決めた。

ハリソンは、本書巻頭でスーザン・ソンダクの”偉大なファッション写真は、ファッションを撮影した写真以上のものだ”という発言を引用。洋服の情報を正確に伝えるファッション写真が存在している一方で、最先端の写真家による洋服販売目的にあまりとらわれないファッション写真が存在するとしている。

彼はいままで美術館やギャラリーで紹介されることがなかったリリアン・バスマン、ギイ・ブルダン、ソ-ル・ライターなどのファッション写真家を初めて本格的に取り上げている。本書がきかっけで、90年代後半にファッション写真家の再評価が行われ、ギャラリーでの写真展開催や写真集刊行につながっている。
またハリソンは、リチャード・アヴェドン、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートンなどのようにファッション分野中心に活躍していた人以外の、ドキュメント系のウォーカー・エバンス、ブルース・ダビットソン、ロバート・フランク、ルイス・ファー、映画監督として知られるジェリー・シャッツバーグ、現代アート系のナン・ゴールディン、シンディー・シャーマン・ロバート・メイプルソープらのファッション写真にも注目している。

表紙に採用された動きのある美しいファッション写真は、ニューヨークのストリート写真で知られるルイス・ファーの“French Vogue、March 1973”(fashion:Gres)。(上記画像を参照)

アレクセイ・ブロドビッチの“Ballet”の画像

本書は、過小評価されていたハーパース・バザー誌アート・ディレクターだったアレクセイ・ブロドビッチも積極的に取り上げている。彼はファッション写真、に動きのフィーリングの取入れを求め、ドキュメンタリー写真の方法の採用を写真家にアドバイスしている。それは、動きのブレ、カジュアルなフレーミング、力強いクローズアップで、ヴィジュアルの力強さをページ内で最大限に生かすことだった。ブロドビッチはその信条を、自らの写真集“Ballet”(1945年刊)で提示し、それはハーマン・ランドショフ、そしてリチャード・アヴェドンに受け継がれていく。彼は1941年から約20年間に渡り、いわゆる“デザイン・ラボラトリー”で、グラフィック・ジャーナリズム、広告、デザイン、ファッションの指導を行っている。アーヴィング・ペンは、彼の戦後ファッション写真への長きにわたる影響について指摘。“すべての写真家は、その人が知っていようがいまいが、すべてがブロドビッチの生徒だ”と語っている。

本書では、1980年代に登場したブルース・ウェバーも高く評価している。彼は新鮮味がないプロのモデルを採用しないことで知られるが、自分のテイストを追求した写真をファッションでも追及し、ファッション写真をブルース・ウェバー写真にしたとハリソンは指摘している。ウェバーは自身のファッション写真観を、“人がライフスタイルを表現し、とてもパーソナルな着こなしをしているとき、それらを撮影した写真は私たちの人生に何かをもたらす”と語っている。ウェバーは、ロバート・メイプルソープとともに、男性がモデルのファッション写真を作り上げた点も重要だろう。
1980年には、ヴォーグ英国版、イタリア版がブルース・ウェバー、パオロ・ロベルシ、ピーター・リンドバークなどに多くの自由裁量を与えた点にも注目している。この時代にファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから大きく変化していくのだ。いわゆるアート系のファッション写真は、洋服を撮影した写真だけではなく、時代の気分や雰囲気が反映された写真であることを多くのヴィジュアルを通して提示している。それらは、洋服の情報をうまく美しく伝えることを意識するのではなく、ファッションが存在する時代に対する明確な認識があり、鋭い嗅覚でその時代の持つフィーリングを写真で見る側に伝えようとしている写真家による作品を意味するのだ。

ハリソンは、本書を通して戦後ファッション写真が洋服の情報を提供するメディアから写真家の自己表現の一部のメディアに進化していく過程を紹介している。最後に、彼はそれを“ファッション写真の終わり”と表現している。その象徴として最終ヴィジュアルに、リチャード・アヴェドンが1989年に雑誌エゴイストのために女優イザベル・アジャーニを起用して撮影した作品を紹介している。(上記画像を参照)何かにとりつかれたかのようにやや不気味な表情のアジャーニを墓地で撮影したアレ・ボケ写真を、アヴェドンは“ファッション写真の終わり”と関わると説明しているという。彼女は、撮影用に用意されたハイ・ファッションの洋服ではなく、アヴェドンが所有する古いボロボロのコートを着て、自己が無視され虚構の中に生きるセレブリティーの苦悩を表現。文字通りこの写真こそはファッションの墓場で笑っているモデルということなのだろう。

ハリソンは、90年代に入り洋服の情報を提供するファッション写真は残るが、今やそれを超えた新しい種類の、人のスタイルや意思表示を語るファッション写真が存在するとしてまとめている。これは、現代アート表現の一部として、価値観が多様化した現代社会における時代性が反映されたシーンを切り取った写真表現として存在すると解釈したい。それ以降のアート系ファッション写真の論理的な背景は本書により明確に示されたのだと思う。
また彼の考え方はアート系のポートレート写真にも同様に適応されると考えてよいだろう。

“Appearances : Fashion Photography Since 1945”
(Martin Harrison著、1991年刊), 310 x 290 mm, 312 p

本書には、英国版(Jonathan Cape)、米国版(Rizzoli)、フランス版、またハード版、ペーパー版がある。ハード版は重くて分厚いので状態が悪いものが多い。古書市場の流通量は豊富。相場はハード版の普通状態で5000円~、良い状態だと1万円~。海外から取り寄せる場合は重い本なので送料が高くなるので要注意。
ファッション写真に興味ある人には、まず本書を買って自分好みの写真家を探すようにアドバイスをしている。

以下が収録写真家リスト。
Anthony Armstrong-Jones
Diane Arbus
Richard Avedon
David Bailey
Gian Paolo Barbieri
Lillian Bassman
Cecil Beaton
Guy Bourdin
Bill Brandt
Alexey Brodovitch
Erwin Blumenfeld
Alfa Castaldi
Cliford   Coffin
Ted Croner
Stephen Colhoun
Baron Adlf de Meyer
Louise Dahl-Wolfe
Bruce Davidson
Terrence Donovan
Richard Dormer
Arthur Elgort
Walker Evans
George Hoyningen-Huene
Robert Frank
Louis Faurer
Nan Goldin
Jean-Louis Gregoire
Leslie Gill
Ernst Haas
Bill Helburn
Hiro
Paul Himmel
Frank Horvat
Horst P.Horst
Constantin Joffe
Art Kane
William Klein
Genevieve Naylor
Norman Parkinson
Irving Penn
Harman Landshoff
Saul Leiter
Gerge Platt Lynes
Richard Litwin
Peter Lindbergh
Frances MacLaughlin-Gill
Robert Mapplethorpe
Kurt Markus
James Moore
Jean Moral
Sarah Moon
David Montgomery
Duane Michals
Martin Munkacsi
Helmut Newton
Gosta Peterson
Harri Peccinotti
John Rawlings
Paolo Roversi
Bob Richardson
Francesco Scavullo
Jerry Schatzberg
Jeanloup Sieff
Bill Silano
Melvin Sokolsky
Edward Steichen
Bert Stern
Cindy Sherman
Ronald Traeger
Deborah Turbeville
Chris-von Wangenheim
Bruce Weber
以上

2018年秋の欧米アート写真市場
NY中堅業者のオークション・レビュー

10月のニューヨークでは、大手3社のほかに中堅のBonhams(ボナムス)、Heritage Auctions(ヘリテージ)、Swann auction galleries(スワン)のオークションが開催された。

Swann auction galleries 2018 Cataloge

こちらは、高額作品の出品は少なく、ほとんどが大手で取り扱わない低価格帯や知名度の低い写真家の作品が中心のオークションとなる。大手は出品作品を価格帯や写真史などを考慮して綿密な編集作業を行い、カタログを制作する。一方で中堅はあまりこだわらないのが特徴。それゆえ出品作品数が多くなる傾向がある。

今秋の3社の出品数合計は1000点で落札率は約65.5%、総売り上げ約297万ドル(約3.32億円)。昨年の同時期は、落札率65.08%、総売り上げ290万ドル、今年もほぼ変わらない結果だった。

既述のように大手3社の1万ドル以下の低価格帯の落札率は約59%だった。ここ数年中堅業者によるオークションの落札率は低位安定しているが、今秋は大手が扱う低価格帯作品の落札率も低調だったのはやや気になる。市場参加者の中心がミレニアム世代に移りかわり、単に好きな作品を買うのではなく、ヴァリューも求めるという、彼らのテイストが表れてきた可能性があるだろう。いわゆる、最近よく言われるアート写真作品の人気、不人気の2極化が徐々に進行しているということだ。

高額落札が期待されたのは、スワン・ギャラリーに出品されたエドワード・カーティスの“The North American Indian, Volumes 1-20 and Folios 1-20,1907-1930”。貴重な20巻完全セットで画像はカタログ・カヴァーにも収録作が採用されている。落札予想価格は100~150万ドルだったが不落札だった。

今秋の中堅業者オークションの最高額は、同じくスワン・ギャラリーに出品されたコンスタンティン・ブランクーシ(1876- 1957)の作品“Vu d’atelier, c1928”(掲載画像参照)。

Swann Auction Galleries, Artists & Amateurs: Photographs & Photobooks, lot 71, Constantin Brancusi “Vu d’atelier, c1928”

彼は20世紀を代表する彫刻家だが、ファインアート写真家でもあった。本作は彼の代表的な抽象彫刻4点をスタジオで撮影したもの。落札予想価格は3~4.5万ドルだったが資料的価値が高く評価され12.5万ドル(約1400万円)で落札された。
一方で、ボナムスで高額落札が期待されたリチャード・アヴェドンの有名作“Charlie Chaplin, Leaving America, September 13, 1952, 1952”。落札予想価格は8~12万ドルだったが不落札だった。

引き続く欧州で開催される主なアート写真オークションの日程は以下のようになっている。

11月1日、フィリップス・ロンドン“Photographs”
11月8日、クリスティーズ・パリ“Photographies”
11月8日、クリスティーズ・パリ“Hiroshi Sugimoto Photographs: The Fossilization of Time”
11月9日、ササビーズ・パリ“Modernism: Photographs from a Distinguished Private Collection”
11月9日、ササビーズ・パリ“Photographies”

ササビースの“Photographs”オークションで注目されているのは、リチャード・アヴェドンの代表作“Dovima with Elephants, Evening Dress by Dior, Cirque D’hiver, Paris, 1955”。本作は1962年のプリント作品。リタッチされる以前のオリジナルのネガから制作されている。スミソニアン美術館で開催されたアヴェドン最初の美術館展用に制作された2点のうち1点。もう1点はスミソニアン美術館に収蔵とのこと。124.5X100cmの大判作品の落札予想価格は60~90万ユーロ(約7620~1.14億円)。2010年11月のクリスティーズ・パリでは、216.8X166.7cmサイズの同作が84.1万ユーロ(@112円/約9419万円)で落札された。今回、市場がどのような評価を下すかを関係者は注目している。

クリスティーズは杉本博司の28点の単独オークション“The Fossilization of Time”を開催。海景シリーズからの“Sea of Japan, Rebun Island, 1996”と“Bass Strait, Table Cape, 1997”はともに119.2 x 148.5 cmの大作。落札予想価格は2作品ともに20~30万ユーロ(約2540~3810万円)。“Bass Strait, Table Cape, 1997”は2005年秋のフィリップス・ニューヨークで24万ドルで落札された作品。

フィリップス・ロンドンでは19世紀の初期の写真家シャルル・ネグレ(Charles Negre)の1850年ごろに制作された“Model reclining in the artist’s studio”が出品される。極めて希少性が高いプリントで落札予想価格は、10~15万ポンド(1480~2220万円)。

(1ユーロ/127円、1ポンド/148円))

2018年秋のニューヨーク・アート写真シーン
最新オークション・レビュー

米国経済は、景気拡大サイクルの後半に関わらずトランプ政権による景気刺激策によって堅調を維持してきた。しかし、10月に入ると貿易戦争の懸念や中国株の下落で世界景気の先行きに不透明感が広がってきた。また長期金利上昇と財政赤字拡大により、一部投資家には米国の景気拡大シナリオの終焉が意識され始めたという。
秋のニューヨーク定例アート写真オークションの結果も、一部に顕在化し始めたそのような将来への不透明さが反映された結果だった。

今秋のクリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手3業者の出品数は872点だった。(今春はトータルで772点、昨年秋は874点)合計6つのオークションの平均落札率は62.3%。今春の73.5%、2017年秋の69.9%、2017年春の73.8%から大きく低下した。業界では不落札率が35%を超えると市況はよくないと言われている。しかし総売り上げは約1648万ドル(約18.1億円)と、春の約1535.5万ドルから約7%増加。ただし、2017年秋の約1912万ドルよりは約14%減少している。
内訳をみると、1万ドル以下の低価格帯の落札率だけが、春の79%から59%に大きく減少している。一方で中高価格帯の落札率にはあまり変化がない。出品数が春より増加した中、低価格帯が大きく苦戦したのが今秋の特徴だったといえるだろう。

過去10回の売り上げ平均額と比較すると、リーマンショック後の低迷から2013年春~2014年春にかけて一時回復するものの、再び2016年まで低迷が続いた。2017年春、秋はやっと回復傾向を見せてきたが、今春に再び下回ってしまった。過去10年の年間総売り上げ額平均と比較してみると、2018年は平均値に近い水準に収斂してきた。また、今秋の実績は過去10シーズン(過去5年)の売り上げ平均ともほとんど同じレベルとなった。極めてニュートラルな売り上げ規模になってきたと判断できるだろう。

今シーズンの高額落札を見ておこう。
1位はクリスティーズ“Photographs”のダイアン・アーバスによる双子の女の子を撮影した代表作“Identical Twins, Roselle, NJ, 1966/1966-1969”。

Christie’s NY “Photographs Lot242 ”Diane Arbus “Identical Twins, Roselle, NJ, 1966/1966-1969”

本作は16X20″の印画紙にプリントされた作家生前制作の貴重な大判作品。このサイズの現存作はほとんどが主要美術館の収蔵品になっている。落札予想価格50万~70万ドルのところ約73.25万ドル(約8204万円)で落札。

2位はササビーズ“Photographs”の、アレクサンドル・ロトチェンコによる有名作“GIRL WITH A LEICA (DEVUSHKA S LEIKOI)”。予想落札価格30~50万ドル(3300~5500万円)が、51.9万ドル(約5812万円)で落札されている。

Sotheby’s NY Photographs Lot131 Aleksandr Rodchenko “Girl with a Leica, 1932-1934”

3位もササビーズ“Photographs”の、ラースロー・モホリ=ナジの、“Untitled (Photogram with circular shapes and diagonal line), c1923-1925”。予想落札価格12~18万ドルが、44.7万ドル(約5006万円)で落札されている。

今回注目されていたのが、クリスティーズの“An American Journey: The Diann G. and Thomas A. Mann Collection of Photographic Masterworks”だ。第1次大戦前から第2次大戦後の作品までの、写真史上の代表作を幅広く含む教科書的な184点の単独コレクションからのセールだ。残念ながら結果は、落札率51.9%と極めて不調に終わった。最高額は、アルフレッド・スティーグリッツの代表作“The Terminal, New York, 1893/c1910”で、22.5万ドル(約2520万円)で落札。しかし同じく有名作だった“The Steerage, 1907”は不落札だった。特にモダニズム系など20世紀写真の不調が目立った。
一方で比率は少なかったファッション系は好調で、ノーマン・パーキンソン、ホルスト、アーヴィング・ペン、ロバート・メイプルソープ、ハーブ・リッツ、サラ・ムーンなどは確実に落札されていた。その他では、エドワード・ウェストン、ルース・ベルナード、ロバート・メイプルソープなどのヌード系も人気があった。

最近は、市場に相場の先高観がなくなってきている。景気サイクル後半に差し掛かる経済状況とともに、20世紀の第1世代のコレクターが高齢になり、処分売りによる供給が増える一方で、次世代を担うアート写真コレクターが育っていないことが複合的に影響していると考えられる。
いくら貴重作でもプリント流通量が多い作品の場合、買い手は慎重で、落札予想価格が高いと不落札になる場合が多い。
写真史で有名な写真家で来歴が良い作品でも、有名でない絵柄の人気が低迷している。いわゆる人気、不人気作品の2極化が進んでいるという意味だ。

今回のオークション結果、特に“An American Journey”は、まさにこのような市場傾向と合致すると思われる。
また欧米のディーラーは、資金を調達して在庫を仕入れる場合がある。最近の金利上昇によるコスト上昇も落札率低下の一因だと思われる。

さてクリスティーズ、ササビーズ、フィリップスは、10月下旬から11月にかけて、ロンドンとパリで複数のアート写真のオ―クションを予定している。ニューヨークでのオークション後に、世界の経済状況はさらに不透明感が増している。市場の関心は、今春は好調だった英国、欧州市場の動向に移っている。

(1ドル/112円で換算)

写真展レビュー
“愛について アジアン・コンテンポラリー”
@東京都写真美術館

本展はアジアン・コンテンポラリーとして高い評価をえているという、アジア出身の女性アーティストのグループ展。企画立案は、4月まで東京都写真美術館でキュレーターを務め、社会における女性の地位やジェンダーのあり方にこだわった展覧会を行ってきた笠原美智子氏による。

キム・インスク(在日コリアン3世)の、“ハイエソ:はざまから”は、在日家族史を収めた映像と日常のポートレートによる作品。
キム・オクソン(韓国)の“ハッピー・トゥゲザー”、“ノー・ディレクション・ホーム”は、グローバル化、多文化がテーマ。国際結婚している女性や国外居住者、外来植物を撮影。
ホウ・ルル・シュウズ(台湾)は、“A Trilogy on Kaohsiung Military Dependents’ Villages”で、戦後の新しい移民集落が姿を消す前の最後の姿を”二重視線”の手法で作品化している。
チェン・ズ(中国)は、自傷行為をテーマに作品を制作、内省的なドキュメンタリーの“我慢できる”と、被写体と交わした各種コミュニケーションを写真作品化した“蜜蜂”を展示。
ジェラルディン・カン(シンガポール)は、自らの家族や親戚にまつわる写真や記憶をもとに、祖母、家族兄弟らと架空のファミリー・ポートレートを撮影した“ありのまま”を展示。
須藤絢乃(日本)は、性別にとらわれない理想の姿に変装した自分自身や友人を撮影した“メタモルフォーゼ”、実在する行方不明の女の子に扮して撮影したセルフポートレート“幻影”などを展示している。

複数文化の中での様々な葛藤と調和、生きるための自傷行為、パーソナルなセルフポートレート、作られた家族写真、忘れられつつある歴史の提示などがテーマの展示は、カタログの“ごあいさつ”で書かれているように、家族、セクシュアルティー、ジェンダーの在り方など、女性が関心を持ちやすいテーマが取り上げられている。
それぞれの作品の制作年を見てみると、かなりばらつきがある。古い作品は、キム・オクソンの2002年制作の作品から、須藤絢乃の2018年制作の作品までが含まれる。“アジアン・コンテンポラリー・フォトグラフィー”ということだが、その意味は現在中心ではないようだ。21世紀最初の18年間における、時代ごとの価値観に影響を受け翻弄されたアジアの女性作家たちの多種多様な作品を展示する意味合いが強いと思う。この期間に世界は、グローバリゼーションと新自由主義の考えが一世を風靡した後に、リーマン危機などを経て一般市民層の経済格差が拡大した。結果的に米国のトランプ政権誕生や英国のEU脱退などに見られるように旧来なナショナルな方向への大きな揺れ戻しが起こっている。それぞれの展示作は、アーティストの出身国独自の問題点や、パーソナルな関心をテーマに、時代ごとの社会の価値観に影響を受けながら制作されているという印象を持った。

コンテンポラリーの日本をテーマにした展覧会のキュレーションは極めて難しいだろう。20世紀後半の一時期のように、多くの人が同じような価値基準や将来の夢を持つような状況ではないからだ。どうしても、狭い範囲内の局地的な視点を掘り下げて提示するものになる。それは、現代アートの世界での問題点やテーマの提示と何ら変わらなくなる。女性やフェミニストやジェンダーのテーマ自体もかなり多様化している。アーティストは、表層的で抽象的な問題にとらわれると自己満足してしまい、思考停止状態に陥ることが多い。21世紀のアーティストは、大きなテーマの中でそれぞれがより内面深く思索を行い、問題点を掘り起こし個別に興味あるテーマを提示しなければならない状況にある。
今回の展示を見て感じたのは、アジアや女性作家を切り口にしても、このような基本的な状況は変わらないことだ。その中で何らかの傾向を提示するのが極めて難しくなってきたのだと感じた。この辺のところはキュレーターの笠原氏の理解も同じで、カタログ巻頭で“このグローバル化し価値観が多様化した情報社会において、国や地域でアーティストを区切り、一つの傾向を示すのは不可能になっているのではないか”と記している。
しかし、美術館の展覧会では何らかの方向性を提示しないわけにはいかないだろう。海外で開催されている若手のグループ展でも、例えばICP(国際写真センターニューヨーク)の“A Different Kind of Order”のように抽象的なキーワードを採用したり、撮影者の世代でグルーピングするものが多くなっている。
本展でも、女性が持つ感性に注目して“愛について”とタイトルを付けたと解釈したい。

しかしながら、各アーティストの国内(ナショナル)に根付いた事柄への関心の高さは、いまグローバル化が転換点を迎えていることが無意識か意識的かわからないが反映されている印象を持った。たぶん10~15年前であったら、グローバルな視点による共通の作品テーマが各国のアーティストから提示され、それらを傾向としてキュレーションすることが可能だっただろう。本展からは、現在のアジアの女性の国内を向きがちなパーソナルな関心を感じ取ることができる。数多いアジアの女性アーティストの中から、彼女たちが選出された理由もそこにあると解釈できるだろう。世界の趨勢とは違い、日本ではまだ反グローバル的な動きは強まっていない。また、フェミニズムに対しても、個人の主観だととらえるような風潮が見られるという意見も聞く。日本から選出された須藤の作品は、自分の内面を掘り下げ、類まれな想像力を駆使して生み出されたセルフポートレートだ。それらは、見事に現在の日本の状況が反映されている。

本展は、かつてのように女性のジェンダー的なこだわりを中心に提示するのではなく、タイトルが示すように、日本を含む現在のアジアの、まとまりのない、ばらけた状況を提示する展示になっている。笠原氏のいままでの仕事の区切りとなる展覧会ともいえるだろう。

愛について
アジアン・コンテンポラリー
東京都写真美術館

http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3096.html

見どころ満載!トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」

ブリッツは、10月12日からトミオ・セイケの「Street Portraits: London Early 80s(ストリート・ポートレーツ:ロンドン・アーリー・80s)」展を開催する。

ここ数年、ブリッツはセイケが1980年代初めに英国で制作した初期作品を集中的に紹介している。2016年にリヴァプールの若者グループを撮影した「Liverpool 1981(リヴァプール1981)」展、2017年には、ロンドン在住の若きストリート・パフォーマーの生き方をテーマにした「Julie – Street Performer(ジュリー – ストリート・パフォーマー)」展を行っている。
本作は、若かりしセイケが前2作に続いて1983~1984年にロンドンで取り組んだプロジェクトとなる。ちょうど代表作「ザ・ポートレート・オブ・ゾイ」に取り組み始めた時期とも重なってくる。

実は本シリーズの一点は、2007年秋に上海アート・ミュージアムで行われた「Japan Caught by Camera :Works from the Photographic Art in Japan」に展示されていた。私は同展カタログでセイケ作品を発見。本人に確認したところ、1984年にツァイト・フォトサロンで発表されたシリーズの一部であることが判明した。ツァイト・フォトサロンのコレクションが同展で展示されたのだと思われる。今回の写真展はなんと約34年ぶりの日本での本格的な公開となる。

80年代の初頭、セイケはロンドンのストリートでファッションを通して自らのアイデンティティー探しを始めた若者たちに興味を持つ。戦後から70年代後半くらいにかけて、英国を含む西洋先進国の個人は、かつての因習やタブー、家族や他人の期待から自由になる。戦前までファッションは常に階級と深く関連していた。この時代は一般大衆向けの実用的な様々なストリート・ファッションが普及して状況が激変していくのだ。しかし本作が撮影された80年代前半ごろは、大きなファッション・トレンドが存在するというよりも、まだ複数の価値基準が混在している状況だった。多くの人は何を着て、どのように暮らせばよいかの拠り所がなく、自らのスタイルを探し求めていた。このころからファッション写真も雑誌などを通して一般大衆のスタイル構築に重要な役割を果たすようになる。セイケは、このような状況下でファッションでの自己表現に目覚めたロンドンの若者たちの姿を的確にドキュメントしている。

彼らは、いままでのファッションのルールを無視して、いま流行りの服、古着、安物アクセサリー、小物などをごっちゃに取り入れていた。いろいろな時代のファッションを組み合わせ、独自のコーディネートに挑戦しているのだ。セイケは、当時の日本の若者の型にはまったカジュアル・ファッションとのセンスの違いに驚かされたという。ロンドンの若者たちの洗練されたファッション・センスは現在でも十分に通用するだろうと語っている。

注目してほしいのは、洗練されていない感じの若者たちのポートレートが展示作の中に1枚あることだ。前記した上海の展覧会のカタログ掲載作品だ。その写真には、MA-1っぽいフライトジャケットとロンデスデールのスウェット、フレッドペリーのポロシャツ、ジージャンを着た3人の若者が写っている。自分たちのセンスを表現しているのではなく、当時のブランドものファッションを着ている。私はこれこそは、80年代の日本の若者のファッションを象徴的に表している作品ではないかと疑っている。3人の若者の背格好も、白人というよりも、アジア系に近い感じだ。セイケらしい、非常に高度なウィットとユーモアを密かに仕組んだ作品ではないかと思う。80年代の日本のファッションを知っている世代の人は、ぜひ当時を思い出しながら見比べてほしい。

本シリーズは、被写体のファッションと、その背景のストリートシーンを通して、80年代初めのロンドンの気分や雰囲気を私たちに伝えてくれる。そして日本で撮影された写真はないが、日本のファッション・シーンについても語っている。これらは、時代性が反映された優れたドキュメントであるとともに、アート作品になりうる広義のファッション写真ともいえるだろう。

セイケといえば、 ライカ・カメラを使用していることで知られている。しかし、本作では、6X6cmのスクエア・フォーマットの2眼レフカメラ、ローライフレックスを使用している。70年代後半から80年代にかけては、フリークスのドキュメントのダイアン・ アーバスや有名人ポートレートのリチャード・アヴェドンのように、ローライフレックスでの作品制作がブームだった。キャリア初期のセイケも、様々なフォーマットのカメラを使用して、自らの作品スタイル構築を模索するとともに、様々な創作の可能性を探求していたのだろう。

本展では、セイケの初期作約22枚が展示される。ほとんどが、貴重な撮影当時に制作されたヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリントとなる。印画紙の銀の含有量が多いためか、非常に濃厚で芳醇な印象の美しいモノクロ・プリントだ。アート写真ファンには必見の作品だろう。
毎回好評ですぐに売り切れるフレーム付きミニ・プリント。今回も4セット、各15作品のみの限定販売で用意している。非常にレアなトミオ・セイケ写真集「Paris」のサイン入りデッドストックの入札式オークションも企画している。
「Street Portraits : London Early 80s」は、見どころ満載の写真展だ。アート写真ファンはもちろん、ファッションに興味ある人もぜひ見に来てほしい。なお本展は日曜日もオープンする。

トミオ・セイケ 写真展
「Street Portraits : London Early 80s」
(ストリート・ポートレーツ : ロンドン・アーリー80s)

2018年 10月12日(金)~ 12月16日(日)
1:00PM~6:00PM
休廊 月・火曜日入場無料

ブリッツ・ギャラリー
http://www.blitz-gallery.com