まずアート市場を取り巻く、今の経済環境を見てみよう。
米国ではインフレの高止まりから、昨年から米国連邦準備理事会(FRB)の急速の利上げが続いていた。ついにその影響が顕在化し、3月には米国地銀のシリコンバレーバンクなど2行が財務悪化で預金が流出して経営破綻した。さらに信用不安は経営悪化が取りざたされていたスイスの大手銀行クレディ・スイスに飛び火し、同行はスイス当局の介入でUBSに買収されることになった。インフレと利上げ継続、そして金融不安による信用収縮は間違いなく実体経済にマイナスの影響をあたえるだろう。早くも不動産市況悪化の兆しも見られるようで、景気悪化が心配されている状況だ。
NYダウは2023年1月3日に33,136.37ドルだった。3月の金融不安の広がりでいったんは下落したものの、当局が適切に対応して事態はすぐに鎮静化した。また景気悪化による年後半の利下げ観測から、オークションが行われる4月上旬には34,000ドル台まで持ち直している。
金融市場での先行きの不確実の高まりは、アート・オークション参加者に心理的な影響を与えると言われている。いまのアート市場を取り巻く状況はかなり厳しいといえるだろう。
2023年春の大手業者によるニューヨーク定例アート写真オークション、今回は4月上旬から4月中旬にかけて、複数委託者、単独コレクションによる合計4件が開催された。
フィリップスは、4月4日に複数委託者による“Photographs”(311点)と、昨秋に続いて“Drothea Lannge : The Family collection, Part Two (Online)”(50点)、サザビーズは、4月5日に、複数委託者による“Photographs (Online)”(87点)、クリスティーズは、4月13日に複数委託者による”Photographs (Online)”(107点)を開催した。サザビーズの出品数が少ないのは、5月1日~2日に単独コレクションセールの“Pier 24 Photography from the Pilara Family Foundation Sold to Benefit Charitable Organizations Sale”(合計188点)が予定されているからだと思われる。
さてオークション結果だが、3社合計で555点が出品され、432点が落札。全体の落札率は約77.8%に改善している。ちなみに2022年秋は出品683点で落札率64.4%、2022年春は702点で落札率70.4%だった。総売り上げは約962万ドル(約12.7億円)、昨秋の約1050万ドルより減少、ほぼコロナ禍の昨春の約978万ドル並みだった。落札作品1点の平均金額は約22,273ドルで、昨秋の約23,876ドルより微減、昨春の約19,810ドルよりは上昇している。
過去10回のオークションの落札額平均と比較した以下のグラフを見ても、減少傾向が継続、またマイナス幅が若干拡大がした。今秋と比べると経済の不透明さが影響して出品数が大きく減少する中、落札率が改善して、総売り上げは微減だったといえる。中低価格帯の落札率はそれぞれ77.8%、79.7%と好調だったものの、5万ドル以上の高額価格帯は64.3%と低調だった。
業者別では、売り上げ1位は昨秋と同じく約654万ドルのフィリップス(落札率83%)、2位は約204万ドルでクリスティーズ(落札率79%)、3位は102万ドルでサザビース(落札率56%)だった。これは昨秋、昨春と同じ順位で、売り上げと落札率でサザビーズが苦戦している。
今シーズンの最高額は、フィリップス“Photographs”に出品されたアンセル・アダムスの「Moonrise, Hernandez, New Mexico, 1941」だった。落札予想価格15万~25万ドルのところ38.1万ドル(約5029万円)で落札されている。
フィリップスの資料によると、本作はニューヨーク近代美術館やプリンストン大学などで約35年のキャリアを積み、写真表現をプロ写真家の間の関心から、厳密な学問分野へと変貌させたことで知られる、キュレーター、写真史家ピーター・C・バンネル(Peter C. Bunnell、1937-2021)のコレクションの一部とのこと。彼が、1959年にアンセル・アダムスから直接に入手した極めて貴重な初期の大判サイズ作品となる。
この「Moonrise, Hernandez, New Mexico」は、1941年秋に夕陽に照らされるニューメキシコの小さな村を撮影した、彼のキャリアの中で最も有名な写真で、20世紀写真を代表する1枚ともいわれている。しかし、ネガの扱いが非常に難しく、彼の高い基準を満たすプリント制作にはきわめて複雑な工程の繰り返しが必要で、アダムスはプリント依頼をほとんど断っていた。しかし制作依頼注文はやむことがなかった。1948年、彼はネガを再処理して階調を強め、完璧なプリント作りを目指すという大胆な行動を決断する。再処理は見事に成功し、彼は非常にゆっくりとプリント注文に応じるようになるのだ。しかし、いま市場に流通するプリントの大半は1970年以降に作られたもの。今回のバンネルのコレクションは、由緒正しき来歴はもちろんのこと、アダムスがこのイメージの後期の解釈を確立する前の1950年代に制作された、81.3 x 95.3 cmという大判サイズのきわめて希少な作品となる。オークションでは、作品にまつわるサイドストーリーが多いほど高額落札されるのだ。
高額落札2位も、フィリップス“Photographs”に出品されたアーヴィング・ペン「Harlequin Dress (Lisa Fonssagrives-Penn), 1950/1979」、ロバート・メイプルソープ「Man in Polyester Suit, 1980」、シンディー・シャーマン「Untitled #546,2010」で、3作が同額の355,600ドル(約4693万円)で並んだ。
経済の先行きの不透明感から、特に高額価格帯作品ではコレクターはいまだに売買への慎重姿勢を崩していないようだ。日本のコレクターも動きにくい状況が続いている。為替相場は、昨秋の150円よりは円高になったものの、130円台はまだ昨春よりはドル高水準だ。対ユーロ、対ポンドでも円安水準が続いている。作品の輸送コストも高止まりしている。しかし、米国のインフレ期待の沈静化と金利低下が視野に入ると、円高に振れる可能性が高いと思われる。もしかしたら今秋のオークションには、外貨資産を持つ意味での良品コレクション購入チャンスが訪れるかもしれない。
(1ドル/132円で換算)