2011年春のNY写真オークション速報 根強い優良作品への需要!

 

さて、現在のアート写真を取り巻く環境はどのようになっているのだろうか。いまのところ米国の経済活動はリーマンショックから立ち直り改善傾向にあるようだ。 しかし、これは金融緩和策による資金の大量供給による効果だ。新たなバブルを起こして需要や雇用を喚起しているのではないか? 新興国の輸出依存、米国の消費拡大と海外の資本依存の構造は以前と変わっていない。金融市場は安定しているものの、問題は根本的に何も改善されていないように感じられる。もしかしたら新たなリスクをはらんでおり、いまの状況は嵐の前の静けさかもしれない。 実際に商品、海外不動産市場などには投機的な価格上昇が起きている。

次のリスクは中国発になるかもしれない。過剰流動性により不動産などの資産バブルが起き、物価も上昇しているのだ。リーマンショック後に行った金融緩和は経済の失速を救ったが再びバブルを発生させた。中国はこの半年で4回の利上げを行っている。明らかにバブル潰しに取りかかっている。 なぜか? それは中東で起きた市民革命の影響だ。貧富の格差拡大、高いインフレ率が革命の背景になっている。中国当局者にとって体制維持が最優先順位。これ以上一般市民の不満を高めることはできないのだ。

中国発バブルは世界のアート市場にも波及している。以前、中国の花瓶が歴史的な高額で落札されたことを紹介したが、いまや中国人コレクターが世界中の市場で圧倒的な存在感を示しているのだ。米国総合誌ザ・アトランティックのアソシエート・ライターのディレック・トンプソン氏は、オークション・ハウスのササビーズの株価上昇からアート・バブル崩壊のにおいを感じ取って記事を書いている。いま、ササビーズの株価がここ数年の高値圏で推移しているのだ。特に今年になってから急上昇している。過去20年間に3つのアートバブルがあった。 それらはササビーズの株価に反映されている。80年代後半の日本のバブル期、90年代後半のITバブル期、そして2006~2007年のリーマンショック前のグローバル経済期だ。いずれもバブルは崩壊して同社の株価も急落している。そして2011年の今が中国発バブル期というわけだ。金に糸目をつけない彼らの買い方はバブル期の日本人に似ていると感じる。しかし、上記の国際的な状況変化から中国主導のアートブームもさらに続くとは思えない。歴史が示すようにバブルは必ずはじける。かつての日本のようにそのただ中にいると分からないのだ。バブル崩壊がなくても、資金流通量が萎んでくるとアート熱は次第に沈静化していくだろう。

さて、春のニューヨーク・アート写真オークションだが、オークションハウスの出品作のエディティングが見事だったという印象だ。市場性の高い作品、貴重な作品を中心に絶妙に品揃いをしている。落札予想価格も市場実勢を的確に反映していた。クリスティーズは、いま売れにくいファッション系写真を単一コレクション形式の”The Feminine Ideal”としてうまくさばいている。この分野では珍しいヴィンテージ・プリントを含んだセールだったことも大きなアピールだった。通常オークションだと売れにくい作品も、知恵を絞ればコレクターを呼び込み、高く売ることが出来るのだ。
また開催時期のNYダウ株価は昨秋の11000ドル前後から約10%上昇。最近の高値近辺の12000ドル台だっことも市場にはフォローだった。結果的には、主要3社ともに落札総額、落札率が上昇している。特にフリップスは好調で、売り上げが45%以上伸び、落札率も94.5%と大幅にアップさせている。
一番高額落札は、クリスティーズに出品されたリチャード・アヴェドンの有名なマリリン・モンローのポートレート。これは、1980年にプリントされた102X76.6cmという巨大作品。予想落札価格上限を大きく上回る$482,500.(約4100万円)で落札されている。次は、ササビーズのカタログ表紙を飾るマン・レイのフォトモンタージュ作品。これも予想落札価格上限の2倍以上の$410,500.(約3489万円)だった。
春のオークションは順調だったものの、コレクターの興味が資産価値が高い優良作品からさらに広がるかは不透明だろう。上記のように先行きに様々な不安要因がある。市場の雰囲気は慎重ながらやや強気に傾きつつあるといった感じだろう。

「ロバート・フランクの”The Americans”」アートとしてのドキュメント写真とは?

 

アメリカ国旗をデザインしたカヴァーに魅了されてジョナサン・デイ著の「Robert FranK’s “The Americans”」(Intellect、2011年刊)を購入。これはロバート・フランクの米国版写真集「アメリカ人」を分析した本。実は参考写真もある程度は収録されていると思っていたのだがイメージはほとんどなしだった。2008年スタイドル社の「アメリカ人」刊行50周年版とともに読み進めるように書かれている。本書自体は写真集ではない。興味のある人も勘違いしないでほしい。ただし評論なのだが英語文章は比較的分かりやすい。割と早いペースで読み進むことができる。写真集はそれが生まれた時代背景と写真史との関連がわからないと正しく評価できない。 著者のデイ氏は、それらをうまく引用、解説しながらフランク論を展開していく。

写真集イメージの順番、セレクション、フォーマットの分析は興味深い。この当時は、ライフなどのグラフ誌が全盛だった。その特徴は、写真に解説文章がつけられていたこと。フランクはそれらに対して新たな方法を試みた。彼は優れた写真自体の持つ物語性を信じたのだ。写真集は見開きの右側に写真が置かれ、左側には短いキャプションがつけられている。 これはウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフス」を意識したとのこと。 解説文なしで写真を並べるのは当時としては画期的だった。
「アメリカ人」収録写真は、一見かなり適当にセレクションされたと感じる人もいるだろう。しかし彼はイメージ・セレクションに約1年も時間をかけているという。約27000点がコンタクトシートにプリントされ、それが1000点、100点へと絞られていったそうだ。写真の配列はジャズの即興演奏にたとえられている。「アメリカ人」では星条旗やクルマなど作品テーマが明確なイメージがある。これがジャズのイントロのような役割を果たしている。ページ展開の中でそのバリエーションが続き、テーマを掘り下げていく。ここがジャズの即興演奏のようだと分析されている。
それを意識してページを眺め直してみると、確かにイメージ展開の中にリズム感のようなものを感じる。これが意識されて行われたのは驚きだ。即興演奏は「いまという瞬間に生きる」意図がある。これこそは禅の奥儀に通じる考え方だ。フランクは旅の現場で経験したリアリティーをいままでにない方法で写真集にまとめて伝えようとした。ここの認識こそが「アメリカ人」をより深く理解するヒントになるのだろう。

それでは「アメリカ人」刊行時の50年代の時代の雰囲気はどうだったのか?当時はアメリカン・ドリームという幻想が社会に蔓延していた。新しい国アメリカに求められる新しい信念。それは、国旗であり、車であり、道の先にあると信じられていたフロンティアの存在だ。 フランクは、それらに隠れるリアリティーを暴いて見せたと著者は分析している。
このあたりの評価は特に目新しくないだろう。興味深かったのは、それに続くアートとしてのドキュメンタリー写真の考察だ。これは同書の主題でもある。フランク以前のドキュメントは、写真で社会を教育して変革させようというものだった。一方で、アート写真はエドワード・ウエストン、アンセル・アダムスなどの様に上品なものだった。彼のドキュメント風の写真には視点が明確にあり、それを見る側に伝えたいと考えていたのが特徴。それこそが、現代のアート写真で重要視される、写真家と見る側とのコミュニケーションなのだ。
アート写真のオリジナリティーは、写真史のつながりの中から新しいものを作り上げること。フランクはどことつながるのだろうか?著者は上記のウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフス」とビル・ブラントの「イングリッシュ・アット・ホーム」からの強い影響を受けていると分析している。アートとしてのドキュメント写真の歴史の流れは、エバンス、ブラント、フランクと受け継がれてきたのがよく分かる。
そして重要なのはフランクの写真に対する姿勢なのだろう。彼は「写真家は社会に無関心であってはならない。意見は時に批判的なものでもあるが、それは対象への愛から生まれている」と語っている。さらに「写真家に必要なのは博愛の気持ちで状況に対すること。そのように撮影されたのがリアリズムだ。しかしそれだけでは不十分で、視点を持つことが重要だ。この二つがあって優れた写真が生まれる」と続けている。
現代でも、写真家の姿勢はギャラリーが作品を評価するときの最重要ポイントになっている。本書は、なんでロバート・フランクが、写真集「アメリカ人」がすごいのかを、新しい視点から知らしめてくれる優れた著作だと思う。

掘り出し物のお宝が続出!幻のアンセル・アダムス(?)ネガの価値は?

 

中国人のアート熱の高まりはマスコミで多く報道されている通りで凄まじい。
特に清朝の陶器は昨年11月に56億もの高額で取引され話題になった。これは中国の美術品のオークション最高額とのこと。大きく報道された理由は、そのサイドストーリーによるところが大きい。実はこの陶器、価値を知らないある英国人の家で偶然発見された。ロンドン郊外の小さなオークションに出品され、高額落札されたのだ。もしこれが、大手のササビーズ、クリスティーズなどで取引されたものなら業界内での話題に終始しただろう。価値がないと思われていた陶器が思いがけない掘り出し物だったからマスコミで話題になった。「なんでも鑑定団」が長い人気を保っているのと同じような背景だ。アヘン戦争後中国の美術品は大量に英国に持ち出されたそうで上記の陶器はそれらの一部なのだろう。たぶんいま多くの英国の家庭が倉庫、納屋、屋根裏を調べていると思う。もしかしたら新たな掘り出し物が見つかるかもしれない。

 

今月になってこんどはササビーズのニューヨークで再び衝撃的な掘り出し物が見つかった。20世紀制作として、落札予想価格約10万円で出品されていた花瓶に約15億(!)というとんでもない値段がついた。複数の目利きが、陶器は実は清朝時代のものと判断したこと。7人による熾烈な競り合いになったようだ。

最近は、このような信じられないような掘り出し物のニュースが多い。まだ真偽のほどは確定していないが、英国ではノーザンプトンのガラクタ屋で僅か1万円ほどで購入された古い額についていた絵画がポール・セザンヌの初期作品ではないかといわれている。もし本物なら、6500万ドル(約55億円)の価値があるそうだ。

さて写真でこのような掘り出し物はあるだろうか?
実は昨年同じような出来事があったのだ。2010年7月に、カリフォルニアのガレージセールで約10年前に45ドルで買われたガラスプレート・ネガティブが1937年の火災で消失したと思われていたアンセル・アダムス作と認められたとの発表があった。専門家がその価値が2000万ドル(約170億円)と評価したのことだった。発見者リック・ノーシジアン(Rick Norsigian)はそれらを売却してビーチに家を買いたいと発言していた。彼は発見されたネガから制作されたプリントをアンセル・アダムスとしてウェブサイトで販売を開始する。これにアンセル・アダムス出版権財団が異議を申し立て裁判となる。
この一連の出来事にはドラマチックな紆余曲折がある。その後、鑑定した専門家の一人が、ネガはアンセル・アダムスではなくアマチュア写真家アール・ブルックス撮影であったと、間違いを認めるのだ。2011年の3月に裁判は結審。発見者は作品販売に関してアンセル・アダムスの名前を使わないことが合意された。
しかし、お互いに本物、偽物の主張を続けた上での和解ということのようだ。

この一連のマスコミの騒ぎにアート写真界はいたって冷静だった。なぜか?それは本当にアート作品として価値があるのは、作家が制作してサインをしたオリジナル・プリントだからだ。2000万ドル(約170億円)という評価の根拠はその発見物の価値ではない。もし本当にアンセル・アダムスのネガだった場合の、将来的な出版、ポスターやプリントの売り上げ予想から現在価値を導いたものなのだ。それゆえ、アンセル・アダムス作という表記が出来ないことはネガの現在価値に著しく影響を与えるだろう。
すなわち、仮にネガが本物であっても既に作家本人は亡くなっているから、それらから制作されたプリントはアート的価値はないのだ。ネガティブだけでは、インテリアのディスプレイ用の写真を制作するものとして役に立つだけ。実際アンセル・アダムス・ギャラリーはオリジナルのネガからプリントしたヨセミテ・エディションと呼ばれるエステートプリントをわずか約2万円で販売している。

アート写真の世界では、有名写真家のネガは資料的な価値しかない。価値があるのは本人が制作して、サインが入ったプリントなのだ。骨董店などで売っている古写真はどうかというと、写真家のブランドが確立していない人の撮影したプリントには古物としての価値しかない。海外でも無名写真家の19世紀や20世紀初頭の作品はわずか数百ドルだ。
また20世紀の中盤ころまでは写真は雑誌などの為に撮影されていた。たまに写真原稿が小規模オークションなどにでてくることがある。厳密にいえば、ヴィンテージ・プリントといえないことはない。しかし、それらの写真は注文仕事で撮影されたもの。つまり、アートで重要視される自己表現ではない場合が多い。だいたいサインも入っていない。それらは、写真集に収録されているなどの例外を除いて、有名写真家のプリントでも高額で取引されることは少ない。大手のオークションハウスは取り扱わない。

どうも写真では掘り出し物はあまり期待できないようだ。そういえば前記の「なんでも鑑定団」では、歴史的人物のポートレート以外の写真が鑑定に出されたことはないように記憶している。

アートとしてのファッション写真の原点 ブロドビッチの写真集「Ballet」

 

アレクセイ・ブロドビッチ(1898-1971)の写真集「Ballet」(1945年、J.J.Augustin刊)がブック・オン・ブック・シリーズの第11弾として発売された。現在、「Ballet」は写真表現を語る上での歴史的な写真集と評価されている。彼は、アレ・ブレ・ボケ・明暗の強調などを多用して動きのある写真を制作した最初の写真家だった。それを実践して写真集にまとめたのが「Ballet」なのだ。Kerry William Purcell氏の本の解説によると、ブロドビッチは、重複、フェードアウト、クロ-ズアップ、場面の急転など、映画のテクニックを写真に取り入れたとのことだ。

ブロドビッチがニューヨークのハーパース・バザー誌では働き始めたのは1934年。その直後の1935年から1939年にかけてバレエ・リュス・ド・モンテ・カルロなどのロシアバレー団ニューヨーク公演のリハーサル、パフォーマンス、バックステージを撮影している。動きのあるバレーの雰囲気を引き出すために様々な実験を行っている。35mmのコンタックス・カメラを使用し、スローシャッターで自らが動きながら撮影。また暗室でもネガを脱色したり、レンズの周りにセロファンを貼ったり、引き伸ばし機を傾けたり様々な工夫を行ったいるのだ。制作時の有名な逸話も残っている。プリント作業を行った、ハーマン・ランドショフが間違って、ネガを床に落として踏みつけた事件があったという。その時、ブロドビッチは怒ることなく、ネガを踏まれたそのままでプリントしろと指示したという。

時代背景を知らないとブロドビッチが何ですごいのか、わからないだろう。当時は西海岸発のストレート写真が大きな勢力だった。グループf64が設立されたのが1932年。創設メンバーは、アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモージン・カニンガムらが名を連ねる。細部まで鮮明に焦点があったモノクロ写真で対象のリアルさを追求し、絵画の代替物から、写真独自のアート性を追求していた。まさにブロドビッチとは対極の写真の価値観が主流だったのだ。
1920年代~1940年代の米国写真界は過渡期で、様々な写真の価値観が混在していた。シカゴには、ラスロー・モホイ=ナジの「ニュー・バウハウス」、ニューヨークには、ベレニス・アボット、シド・グロスマンらの、「ザ・フォト・リーグ」があった。当時の写真のもう一つの流れがグラフ・ジャーナリズム。フォーチュン誌が1930年、ライフ誌が1936年に創刊された。当時はまだ写真は真実を伝えるメディアと考えられていたのだ。

「Ballet」刊行後でも、ブロドビッチはアートディレクターとしては知られていたが、写真家、アーティストとしてはあまり認識されていなかった。いまでこそ戦後のすべての写真家は何らかの形で彼の影響を受けている、と称賛されているが、彼のキャリア後半はむしろかなり悲惨だった。2度の自宅火災で、「Ballet」のネガや写真集の在庫を失うという悲劇に合う。奥さんがなくなってからは、うつ状態とアルコール依存で入退院を繰り返していた。入院していた病院での写真撮影や自伝執筆にも挑戦するがうまくいかなかった。最後は親戚のいるフランスに戻って1971年に73歳で亡くなっている。

死後、1972年にフィラデルフィア美術大学で展覧会、1982年には、フランスのGrand-Palais,Parisで、回顧会が開催されている。しかし、当時でさえ彼の業績は写真史のなかでは決して高く評価されてはいなかった。実は、独自の歴史展開をしていた写真が、アートと本格的に認められるのは米国でも60年代になってからだ。その後に、記録性というよりも自己表現の手段としての可能性が認識され、ドキュメント、ファッション写真がアートの一形態と再評価されるのはもっと後になってからだ。ブロドビッチの評価はこの流れとともに徐々に高まっていった。
1985年に、ワシントンD.C.のココーラン美術ギャラリーでジェーン・リビングストンが「The New York School 1936-1963」という展覧会を企画。1992年には同名の写真集が出版された。彼女は、それまでの写真ルールを破り、フォトジャーナリストの手法で、小型カメラを駆使して、自然光で撮影するスタイルの写真家たちを包括的にセレクションした。彼らは、画家やグラフイック・デザインの背景を持つ人たちが多かったのが特徴だった。 当時流行していた抽象画家の影響を受けて撮影されたパーソナルワークをひとまとめに「The New York School」の写真家としたのだ。収録されているのは、ブロドビッチを始め、リチャード・アヴェドン、ダイアン・アーバス、ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、ブルース・ダビットソン、テッド・コナー、ヘレン・レビット、リゼット・モデルなどの錚々たる16人。その本には、ブロドビッチの「Ballet」の一部が複写され掲載されている。彼女の著作で、ブロドビッチの業績が歴史のなかで明確にポジショニングされ、写真集「Ballet」はニューヨーク・スクール写真家の原点として評価されるようになる。

私はこの本が戦後のファッション写真の可能性を広げたのではないかと考えている。戦前のファッション写真はスタジオでモデルが着た洋服を撮影するのが一般的だった。 つまり、それらは単なる記録や情報の一方的な伝達に過ぎず、見る側とのコミュニケーションは希薄だったのだ。それが、ファッションの背景にある時代の気分や雰囲気を表現して伝えるメディアにまでなったのはブロドビッチの存在が大きく影響している。
本書のオリジナル版の発行部数はわずか500部。多くが贈呈され書店にはほとんど流通しなかったと言われている。本書の掲載エッセーによると、写真家シド・グロスマンが2回目の火災後にブロドビッチを訪ねた時、彼の手元に「Ballet」はわずか3冊しかなかったとのことだ。たぶん多くが火災で焼失したのだろう。
私は、いつかはオリジナル版を買おうと古書相場をすっとフォローしている。しかし、相場は不況でもまったく下がらない。現在の、古書市場では5000ドル(約45万円)以上の値が付いている。ファッション写真に興味のある人は、ブック・オン・ブックの「Ballet」をぜひ手にとって見てほしい。

Art Photo Site では以下で紹介しています。
http://www.artphoto-site.com/b_652.html

2010年に売れた写真集 ロバート・フランクが3年連続1位獲得

 

アート・フォト・サイトはネットでの写真集売り上げをベースに写真集人気ランキングを毎年発表している。2010年の速報値が出たので概要を紹介しておきます。

一番売れたのは、ロバート・フランクの歴史的名著「アメリカ人」の刊行50周年記念エディション。なんと3年連続の1位獲得となった。フランク人気は根強い。その他の新刊本2冊もベスト20に入っていた。
アート・フォト・サイトでは、毎週、洋書写真集の新刊を幅広くチェックするとともに、お薦めの1冊を紹介している。昨年を振り返っての印象は、特に際立った注目本やベストセラーがなかったことだ。ランキングもそのような状況が見事に反映されていた。
上位は全て既刊本で、2010年刊行ではアーヴィング・ペンの「ポートレーツ」がやっと9位だった。全体の売り上げは前年比約20%減だった。しかし、為替レートが約15%円高になっているので減少幅は見かけほど大きくはなかったと言えるだろう。冊数ベースでは約12%減。全体的には、景気回復の遅れと、ベストセラー不在が相まり、リーマンショック後の市場規模縮小傾向に歯止めがかかっていないという感じか。

気になるのはランキング入りしている写真家の顔ぶれがとても保守的なこと。ロバート・フランク、スティーブン・ショアー、ウィリアム・エグルストンなど、ブランド作家の本や定番本が中心に売れているのだ。この背景にはやはり不況があると感じる。写真集はリスクの大きいビジネスだ。評価の定まっていない新人・中堅作家の出版には版元も慎重になるだろう。買う側もデフレ化の限られた予算の中での選択となる。ハズレのリスクを避けたいと考えるのが自然だ。
しかし、わたしはこの状況を決して悲観的には見ていない。アート系の写真集は心は豊かにしてくれるが、お腹は満たしてくれない。不要不急の代表的な商品である。それなのに、不況が続く中でもそこそこの売り上げがあるのは、衣食住の次の生活上の優先順位に知的好奇心や優れたヴィジュアルを追求する人が増えてきた証拠だと思う。売り上げ減の大きな要因は、不況は無視できないものの、買いたい写真集があまりなかったからだと、あえてポジティブに解釈したい。

ランキングの中には希望の光を感じる点もある。アート写真の解説本がランキングのベスト10入りしているのだ。なんと、「The Contact Sheet」が2位、「Photography After Frank」が6位なのだ。これは写真の表層だけを見るのではなく、作家の世界観、視点、歴史的背景を知りたいという人が増えている証拠。写真がやっとアートとして認められてきたのだと思う。名作や定番本が売れ、写真の見方の解説本が売れている。なにか、多くの人がアートとしての写真を学んでいる大きな流れのようなものを感じる。アート写真黎明期の日本では健全な傾向だと思う。
実はギャラリーの店頭でも、自分の知識、経験で写真を判断している人が増加している印象を持っている。いままでは、写真集は売れるものの、写真が売れないという状況が続いてきた。ここにきてやっと状況に変化の兆しが出てきたのだ。写真集コレクションをきっかけに、オリジナル・プリントへ興味を持つ人が確実に育っているのだと思う。

2010年ランキング速報
1.「The Americans」, Robert Frank
2.「The Contact Sheet」
3.「Uncommon Places: The Complete Works」, Stephen Shore
4.「Tim Walker Pictures」, Tim Walker
5.「William Eggleston’s Guide」, William Eggleston
6.「Photography After Frank」, Phillip Gefter
7.「400 Photographs」, Ansel Adams
8.「Topologies」, Edgar Matins
9.「Portraits」, Irving Penn
10.「New Topographics」

詳しい全体順位と解説は、近日中にアート・フォト・サイトで公開します。

2月はアート・フェアが花盛り 写真ファンにはフォト・フェアーも開催

2月には各種のアート・フェアが開催される。まずは今年2回目の”G-tokyo 2011″。15の現代アート・ギャラリーが集まり六本木の森アーツセンターで開催される。

新たなイベントとしては、”東京フロントライン”が、千代田区外神田の3331 Arts Chiyodaで開催される。主催者によると、「見本市型とは異なる開発型のアート・プラットフォームを目指すアート・フェア」とのこと。

そして、私も関係する広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで行われる、”ザ・JPADS・フォトグラフィー・ショー”だ。

その他、横浜でも2011年ヨコハマ・フォト・フェスティバルの関連イベントとしてヨコハマ・フォトマーケットが開催される。

日本のアート・フェアは美術館の展覧会のように、見るためのイベントになりがちだ。広告代理店が絡んだり、イベント屋さん主催が多く、来場者アップにより入場料で収入を上げる、宣伝効果を上げるというビジネスモデルなのだ。行政が開催に関わっている場合は、観客動員数を成功の基準として非常に気にする。集客目的のためにイベントのプロモーションが派手に行われる。またフェアの話題性を高めるために、様々な見どころが用意され、賞、イベント開催が企画されるのだ。しかし、メッセージの詰め込みすぎで中心テーマがあいまいになり、何のイベントなのかよくわからない場合も多い。もともと、アートとは非常に抽象的な広い概念を持っている。メインテーマが弱ければ、興味本位の観客は来るがコレクターの集客は見込めないだろう。参加ギャラリーは多額の参加料を支払い、主にギャラリーと作家の広告宣伝を行っている。得しているのは出品者ではなく、会場、デザイン会社、広告代理店、イベント設営会社、運送会社などの周辺業者ような気がしてならない。最近はアート・フェア自体の目新しさもなくなってきた。費用対効果が低いフェアは次第に淘汰されていくだろう。

さてザ・JPADS・フォトグラフィー・ショーの運営方針は他のイベントとはまったく違う。もともと、写真が売れないからでもあるのだが、できる限り低予算で行うことをモットーに運営している。プロモーションにはほとんど予算をかけていない。ハガキサイズのDMを配るくらいだ。企業やメディアの支援も当然ない。ギャラリーの参加料も破格に安く設定されている。売れない写真のイベントなので、継続するには当然だと思う。ヒントにしているのは、最近米国で増加している、シンプルを心がけたテーブル・トップ・フェア。リーマンショックを契機に、膨大なコストがかかるアート・フェアへの反省が行われるようになった。見栄より実を取るスタイルが増加してきたのだ。
JPADSはアート写真の販売業者の組織。開催の目的はシンプルに新規顧客開拓と販売だ。 最大のプロモーションは、フェアのコンテンツだと考えている。つまり、展示・販売される作家の知名度と作品の内容が重要ということ。そこだけを徹底的にアピールすることにしている。
参加業者は、フォト・ギャラリー・インターナショナル、フォトクラシック、ブリッツ・ギャラリー、MEM 、G/Pギャラリー、ピクチャー・フォト・スペース:Viewing Room。
現在までの参加予定作品は、アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモジン・カニンガム、ハリー・キャラハン、ウィリー・ロニス、ジャンルー・シーフ、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバス、ジョエル・ピーター・ウイトキン、ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツ、マイケル・デウィック、久保田博二、三好耕三、伊藤義彦、北野謙、澤田知子、椎原治、榮榮&映里、HASHIなど。珍しいダゲレオタイプ、貴重なヴィンテージ・プリントも出品される。

今年は、昨年話題になったG-Tokyo に刺激されて複数のアート・フェアが企画されたということだろう。冬場2月のアート・シーンは通常あまり盛り上がらない。これからアート月間として盛りあがれば素晴らしいと思う。

アート写真鑑賞方 感動との出会いを求めて

 

目黒のインテリア・ストリート近くに移転してきてから10年を超えた。最近はギャラリーの写真展に来る人が多様になってきた印象がある。以前は圧倒的に写真関係者が多かった。カメラマン、アシスタント、デザイナー、学生、カメラ趣味の人などだ。それが最近は、美術館などの展覧会に行くような一般の人がギャラリーにも来てくれるようになった。企画によっては、週末に50名超える来廊者がある。なかには写真を買ってみたいとお客様の方から声をかけてくれることもある。

ギャラリーにいるときは来廊者の動きを観察している。時間があれば鑑賞の手ほどきをするようにしているが、来客数が多いとなかなか対応しきれない。最近は定期的にフロア・レクチャーを開催している。
私たちは作品を売る商業ギャラリーなので、鑑賞目的の人は相手にしないと思われがちだ。しかし顧客が作品に心が動かされ、作家の視点を理解しない限り販売にはつながらない。来廊者が写真展に感動し楽しんでくれることは非常に重要なのだ。そのような人が将来のコレクターに育っていく。

作品を鑑賞する時、まず心で感じるべきか、頭で理解感すべきかは議論が別れるところだろう。脳科学では、人間は心、つまり感情で良い悪いの判断をしているという。これを写真に置き換えると、いくらコンセプトやイメージが優れていても感情が反応しない作品は良くないということだ。アート写真を鑑賞する時、まずは何も情報なしで見ることをすすめている。そして、自分の感情に何か訴えるものがあるなら、作家やキュレーターのメッセージを読んでみればよい。何かを感じた作品は、視点の明確化とともに更に気に入る可能性がある。しかし、何も感じない写真は文章を読んでもあまり興味は湧きあがらないだろう。
現代アート系の写真作品を制作する若手の中にはこの点を勘違いしている人が多い。自分が良いと考えるテーマが人の心をとらえると思い込んでしまうのだ。感動が希薄なアイデア中心の写真作品は壁紙と同じになってしまうリスクが伴う。同じように、写真イメージやプリント・クオリティーだけの作品も、ただきれいな高品位印刷のポスターと同じようになってしまうかもしれない。

さて以上を意識して能動的に写真展を鑑賞しても作品の評価軸が見えてこない場合があるかもしれない。特に最近は写真作品でもアイデアやコンセプト重視の現代アートの一部となっている。 見る側の考える力、ある程度の情報量も作品理解には必要なのだ。作品のオリジナリティーは写真史とのつながりで語られることも多い。歴史を勉強しないと、評価の前提の知識不足から作品が理解できないこともあるのだ。1冊の本の価値を知るためには、それ以前の知識の蓄積が不可欠なのと同じことだろう。

実はここがアート鑑賞の面白さでもある。つまりアート体験を重ね、知識を増やすほどにその価値が分かるようになるということ。最初は気付かなかった視点が発見でき、より広い考え方が出来るようになる。アート経験を通じて人間として成長できるのだ。それは自分なりの作品評価の基準が持てること。作品価格の正当性が判断できるようになるのだ。アート鑑賞は、一生をかけて楽しむことができる高度な知的遊戯なのだ。

写真をどこで売るか?多様化する販売チャンネル

 

プロ、アマチュアでも写真を売りたい人は多いと思う。しかし販売経験のない人は、どこでどのようにして売ればよいか分からないことが多いだろう。ワークショップや講演会ではこの手の質問を非常に多く受ける。今回はどのように販売チャンネルを見つけるか簡単にアドバイスをしてみたい。

まず思い浮かぶのは顧客に直接販売する方法だろう。現在はほとんどの人が簡単にウェブサイトを持つことが出来る。ネットを通じて直接顧客に販売できれば中間業者に手数料を払わなくてもよいことになる。一番効率的のように感じられるだろう。
しかし、ウェブサイトの大衆化は集客が難しいということでもある。かつての電話のようなものだ。電話帳に番号が記載されていてもビジネスにつながらないように、サイトがあるだけでは販売はおろか集客も難しいのが実情だ。
それゆえ多少費用がかかるが専門のオンライン・ギャラリーで作品を公開して販売するのが実際的だろう。しかし世界中にはオンラインギャラリーが数多くある。そのほとんどは、販売を謳っているものの、実は参加者を多く集めてその手数料で利益をあげる仕組みなのだ。本気で売りたいなら、腕試しだと思って審査があるサイトに挑戦してほしい。審査がないものは手数料依存のビジネスモデルのサイトの可能性が高い。実は作品審査には経費と時間がかかる。非常に労力の多い面倒な仕事なのだ。それをあえて行うところは真剣に顧客に良い写真を提供しようと考えている。

では作品販売を専門家に委ねる場合はどうだろう。販売業者は大きくはアートとして写真を扱う商業ギャラリーと、商品として扱うところに区別できるだろう。しかし、その違いはかなり分かり難い。インテリア・ショップやレンタル・ギャラリーでも時たま企画展を開催する。商業ギャラリーのなかにも、グラフィックやデザイン重視の作品をアートとして販売するところもある。企画ごとに展示趣旨が異なる場合も珍しくない。
だいたいの目安だが、インテリアやデザインとアートとの融合というようなことをキャッチコピーにしている業者は写真を取り扱い商品の一部として考えている。一方、継続的に一定レベルの企画展を開催しているギャラリーはアート系と考えて良いだろう。

どの種類の業者に自分の作品を委ねるかは写真家の制作スタンスによる。収入目的で販売を考えるのなら、商品として扱っている業者がよいだろう。それらのギャラリーやショップはデパート内、ショッピングモール内、都心一等地など立地の良いところにある場合が多い。ただし、イメージ中心で販売するので作品価格は安めになってしまう。また写真家の取り分が少ないことも多い。 ある程度の収入を得るためには巧みなマーケティングを行い薄利多売の実現が必要になる。また個別性が強いアートと違い、均一の商品として販売されるので品質の高さと一貫性が強く求められる。コレクターではなく一般消費者に販売されるということだ。写真家は商品の納品業者という弱い立場であることも特徴だ。最近は、欧米同様にインテリア向けの写真を集めたフェアも開催されるようになってきた。

もし、自分が写真を通して世の中に伝えたいメッセージがあるならば、アート系ギャラリーやディーラーを選んで欲しい。これらの業者は写真家のメッセージというソフトを写真を通じて伝えようとしている。作家のキャリア形成とともに長期的なブランド構築を目指している。ただし収入的にはかなり厳しい。最初は新人作家の低めの相場で販売することになるので、制作費で赤字になることも多い。しかし作家のブランド力向上とともに作品価格も上昇する。グローバルに認められる可能性もある。写真家だがアーティストととしてリスペクトされるようにもなる。ただし継続には強いパッションが必要不可欠だ。
またギャラリーの中には作品販売よりもプロモーションや展示自体を重視するところもある。ステータス・アップを求める写真家にはこの手の業者が向いているだろう。

昨年、JPADSというアート写真を扱うギャラリーのグループを設立させた。これには写真を売りたいと考える人の販売業者探しの指針になればという思いもある。欧米では、どこの組織の一員かによってギャラリーやディーラーのスタンスが明確なのだ。実はまだJPADSメンバー内でも考え方が様々だ。活動の継続を通じて日本の写真市場での販売業者の緩やかな棲み分けが出来ればよいと考えている。また商業ギャラリーに作品を持ち込む時は、大まかなプレゼンのスタンダードが決まっている。残念ながらまだ知らない新人写真家も多いようだ。今後はワークショップなどを通してこれらの啓蒙活動も行いたい。

リチャード・アヴェドンは何ですごいのか?パリの財団主催オークションで高値続出!

 

11月20日にクリスティーズ・パリで開催された、リチャード・アヴェドン財団のオークションは大成功に終わった。財団から出品された、最高の来歴の作品65点は見事に完売。1点物や非常に貴重な作品は熾烈な入札競争になり高値を呼んだ。売り上げ総額は、約546万ユーロ(約6億2800万円)と予想落札価格の上限を超えた。

オークションの最高価格は、アヴェドンのファッション写真の代表作”Dovima with elephants,1955″。1978年にメトロポリタン美術館で開催された個展で展示された作品だ。サイズは約216X166cmと同イメージでは最大級の大きさになる。予想落札価格上限の60万ユーロを大きく超えて、約84万ユーロ(約9600万円)で落札。 落札者は、なんとメゾン・クリスチャン・ディオール。作品のイーブニング・ドレスがイブ・サンローランのデザインによるディオール製であることから、価格に関係なく入手したかったのだろう。もちろんこれはアヴェドン作品のオークションの最高落札価格となる。欧州で落札された最高価格の写真作品だそうだ。ドル換算価格だとアヴェドン初の100万ドル超えの作品となった。

アヴェドンはファッションをどのように考えていたのか。オークション・カタログ収録の語録によると、”世界とファッションは分けられない。ファッションは私たちの生き方そのものだ。T.Sエリオットは、人の顔に会うために私たちは顔を作ると語っているが、それがまさにファッションだ。私が撮影している服や帽子の下に隠れている女性の真の精神性を和らげるために、デザイナーは布の感触、シェープ、パターンを貸し与えてくれるのだ。”と語っている。
アヴェドンのファッション写真が何で偉大なのか、アート作品として評価されるのか。それは、彼は洋服を撮影しているのではなく、女性の精神性と、それに影響を与えている時代性とをファッション写真で表現しようとしていたからなのだ。

カタログに序文として掲載されている、「ストレンジャー」という文章もアヴェドンのポートレートへの取り組み方が垣間見れて興味深い。モデルは、彼自身が関心を持って選んだ人だけだった。選ばれた人たちの共通項は、人間の精神力の限界を超えかかっている人たちだったという。面白いのは彼自身が有名写真家だと意識していたこと。モデルとなった有名人たちは、選ばれて招待されてスタジオに来たという感覚を持っていたというのだ。スタジオに入る時点で彼らは有名写真家に新たな自分を引き出してもらうという心構えを持っていた。撮影がモデルと写真家による共同作業であるという高い意識が両者に共有されていることが良く分かる。アヴェドンのポートレート写真は最初から特別だったのだ。撮影セッションのことをアヴェドンは全く覚えていないという。それが写真家とモデルとの濃密な真剣勝負のだったことがよくあらわれている。そして、撮影が終了すると再び「ストレンジャー」つまり他人に戻っていくという。

1957年に物憂げで孤独な表情のマリリン・モンローを撮影した有名なポートレートがある。今回のオークションの表紙にもなっている。有名なスターがこのような表情を撮らせるのは当時としては非常に珍しい。アヴェドンによると、マリリン・モンローというイコンは彼女が作りあげた創作物だという。それは小説家が登場人物を創作するのと同じだという。彼は創作物ではない素の彼女を撮りたいと考えたようだ。 スタジオでテンションを上げてマリリン・モンローを演じ続けた後に、彼女は隅に座り素顔に戻った。ファインダー越しに彼女はノーと言っていなかったことがわかったからその表情を撮影したという。名作にはよくできたストーリーがあるものだ。1960年にプリントされた本作品は落札予想価格上限を大きく上回る約16万ユーロ(約1943万円)で落札されている。

アヴェドンといえば白バック。それは彼の持つ人生哲学と関わっている。人生は実存主義的な感覚のものだと感じている、と彼は語っている。それは、いまここに生きている自分自身の存在を意味する「実存」に根差した思想のことだろう。
アヴェドンは、人は無の中に生きていて、過去にも未来にも存在していない。白バックは人生の無の象徴で、そこでは被写体の表情に本人の本質が象徴的に表れる、という。彼は白バックで被写体の人生を象徴的に表現しようとしていたのだ。
今回のオークションでも白バックのポートレートは高い人気だった。写真集”In the American West”に収録されている、”James Story, coal miner, Somerset, Colorado, 12-18-79″の、142X114cmという大判作品が落札予想価格上限を大きく上回る約12万ユーロ(約1391万円)で落札されている。

その他の高額落札作品も紹介しておこう。2番目の高値は”The Beatles Portofolio, London, England, 8-11-67″。カラーのダイトランスファー作品で、落札予想価格上限を大きく上回る約44万ユーロ(約5117万円)で落札されている。3番目は、アンディー・ウォーホールとファクトリーのグループを撮影した3枚組の大判作品。1点ものということで落札予想価格上限の2倍以上の約30万ユーロ(約3461万円)で落札されている。

最後にアヴェドンのアート観を以下に引用しておく。”アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそがアートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない”と語っている。
ここの解釈には注意が必要だ。これは、彼の先生のアレキセイ・ブロドビッチが語っていた、”私を驚かせる写真を見せろ”と同じ意味だと思う。しかしそれは、決して奇をてらうことではないのだ。アヴェドンは、”ポジティブな意味で”と語っているが、意図するのは”より洗練された方法で”、ということなのだ。ブロドビッチの影響を感じさせる、非常に高レベルのアート観だと思う。

今回のクリスティーズ・パリのオークションはアヴェドンの偉大さを改めて多くの人に再認識させたと評価できるだろう。全作完売と、高い売り上げ数字がそれを証明している。彼の世界観や、写真へのアプローチを伝えてくれるカタログの編集も見事だったと思う。
アヴェドン財団はアヴェドンの存命時に設立されている。彼は財団に自身の作品を所有して、運営の為に売却益を使うように遺言を残しているとのことだ。それに従い今回の全収益は財団の行う写真教育の慈善事業支援の寄付に使われるとのことだ。天国のアヴェドンも心から喜んでいることだろう。

高級車の残骸からのメッセージ ラファエル・ワルドナー写真集”Car Crash Studies”

 

スイス出身の写真家ラファエル・ワルドナー(1972-)は2005年にスイスのエリゼ美術館が開催した”ReGeneration’ 50 photographers of tomorrow”に選ばれた若手の一人だ。これは、世界中のアート写真系大学が推薦した写真家50人によるイベント。同展のカタログは、”写真のドキュメント性とアート性に魅了され、日常生活に横たわる多義性の表現に挑戦している。ワルドナーは日常的な場所やモノが本来の機能をはたさない状況を観察する写真家だ。”と彼の作品を解説している。
本書”Car Crash Studies 2001-2010″(Jrp/Ringier、2010年刊)、は上記本にも収録されていた Car Crash Studies シリーズがついに1冊にまとめられたもの。彼は過去10年に渡り、カー・クラッシュつまり自動車事故の探求を体系的に行ってきた。クルマという工業製品が一瞬のうちに想像できないように変形してしまうことに注目。 いままでに約300もの事故車を写し続けてきた。背景を黒くするために撮影はすべて夜間に行われている。
抽象的で絵画的でもあるクルマ・ボディーのダメージのクローズアップ、衝突のインパクトの大きかった部分の詳細、ひびの入ったウィンドシールド、エアバックが作動しているインテリア、車体から飛び出したエンジン部分などをセクションごとにまとめている。それらは残骸のタイポロジー(類型学)でもあるだろう。

ワルドナーが撮影しているのは、ポルシェ、ランボルギーニ、アストンマーチン、フェラーリ、BMW,メルセデスなどの高級スポーツ・カーやラグジュアリー・カーだけ。巻末には車の検索リストまでが収録されている。カー・クラッシュで富の象徴の高級なステータス・シンボルが一瞬にして無価値になる。無残な一種の静物は、資本主義の高度消費社会で人間が取りつかれている、テクノロジー、移動、富、見栄、セクシーアピール、などのはかなさに気付かせてくれる。

また本作は、未来に何が起こるか分からない人生の不条理さも伝えてくれる。欧州では交通事故で毎年約5万人が死亡し、10万人が怪我をするという。欧州では自動車産業は重要な基幹産業だ。そして多くの人の生活の一部にすらなっている。人々の意識は低いものの、実は自動車により得られる利便性は常に怪我や死と隣り合わせなのだ。彼の写真は徹底的に客観的。事故の被害者などは一切写っていない。エアバックが作動している事故車のインテリアや、ひびが入ったウィンドシールドに血の跡も見当たらない。ドライバーが事故でどのような怪我を負ったかの記載もない。しかし、見る側の心はどうしても死を感じてしまう。

最近、死を意識させるもう1冊の写真集を入手した。ロニ・ホーン(1955-)という米国人アーティストの”Another Water”(Scalo、2000年刊)だ。全編にわたってテムズ河の川面の写真約47点が収録されている。脚注には細かい文字によるショート・ストーリや詩が収録。様々な表情を見せる川の見開き写真を約10ページくらいめくるごとに、警察から発表されたテムズ河で上がった死体の所見レポートのテキストに遭遇する。自殺した人、殺された人などの、名前、年齢、性別、眼の色、職業、髪型、服装、所有物、死体発見場所、事前の行動、死にいたる前の生活環境などがシンプルな文章で詳細に記載されている。死体レポートからの情報が与えられると川の印象が大きく変わり、メランコリックで複雑な気持ちになってしまう。
たまに病院に行くと、健康のありがたさを実感するだろう。誰もが普通に生活している都市にも普通に死が存在することを改めて気付かせてくれる。 マスコミなどで報道されない人の死は私たちの周りに数多くあるのだ。本作はロンドンのテムズ河だが、たぶん東京の多摩川でも隅田川でも同じような状況があるのだろう。

“Car Crash Studies”、”Another Water”ともに、ラテン語で「自分が死ぬことを忘れるな」という意味のメメント・モリがテーマになっている優れた作品なのだ。これらの作品をどのように解釈するかは見る側の意識によるだろう。どうせ人は死ぬのだからと、諦めや、開き直りの気持ちになる人もいるかもしれない。 しかし社会でサバイバルしなければならない現在の状況ではそれは空虚な響きしか持たない。私は、以前に”Imperfect Vision”展でテーマとして取り上げたように、ネガティブをポジティブに置きかえる考え方を取ってほしいと願う。人生が有限であるからこそ今という時間を精一杯生きるとうことだ。