セレブリティー写真はアートになりうるか?
テリー・オニール作品人気の秘密

世の中には各界のセレブリティ―を撮影したポートレート写真を取り扱うギャラリー、販売店が数多くある。そのなかには、いわゆるブロマイド的な被写体のみに価値が置かれた写真と、写真家の作家性と被写体の知名度がともに愛でられたアート作品として認知されている写真とが混在している。これは、ファッション写真と同様の構図で、そこにも単に洋服の情報を提供するだけのものと、撮影された時代性が反映されたアート性を持つ写真がある。

セレブリティ―を撮影したポートレート写真がアート作品になるかどうかは、被写体と写真家、エージェントと写真家との関係性により決まってくる。まず被写体と写真家が同等のポジションでないとアート作品になりうる優れた写真は撮影できない。多くの場合、撮影される機会が多い有名人は、どのようなアングルやポーズで撮ってもらうと見映えが良いかを熟知している。被写体がリードして、写真家に一般受けするありきたりの写真を撮らせることが多い。それらは被写体メインの写真といえるだろう。
しかし彼らがキャリアの転換点などで、いままでにない新しい写真を撮って欲しい時に世界的に知名度が高い有名写真家に依頼する。だいたい彼らは友人関係のことが多い。そのような時には、被写体は写真家とともに一種のアート作品を共に制作するような意図を持つ。それらは写真家の自己表現の作品であるとともに、被写体とのコラボ作品にもなり得るのだ。

いま東京で写真展を開催中の英国人写真家テリー・オニールを例にこの関係性を詳しく説明してみよう。
彼が、セレブリティ―たちと親しくなれたのはとても幸運だったからなのだ。時は1963年のロンドン。彼は新聞社の若手スタッフ写真家だった。若者に人気のあるバンドがアビーロード・スタジオでレコーディングしているので誰かが撮影することになった。彼はミュージシャンらと同年だったことから早々に現場に派遣される。
それが、1962年にシングル・デビューしたばかりのビートルズ。その時は1963年春に英国で発売されるファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の収録だったのだ。スタジオの裏庭で撮影された彼の写真はバンドの初公式写真となった。それらは一般紙に初めて紹介され、掲載紙は瞬く間に完売したという。

それがきっかけとなり、彼はまだ無名のザ・ローリング・ストーンズやデビット・ボウイを撮影することになる。彼らが親しくなったのには年齢が近いからだけではなかった。実はテリー・オニールは、写真家になる前はジャズ・ドラマーを目指していた。彼は当時のバンド・メンバーより、自分の方が技術は上だったと語っている。彼らはミュージシャンであるという共通項があったから瞬く間に親しい関係になったのだ。
周知の通りに、ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、デビット・ボウイはその後に世界的なスターに上り詰めていく。それに伴って、彼らを初期から撮影していたテリー・オニールのステイタスも上昇していく。音楽界だけにとどまらず、映画界、政界から撮影が殺到するようになる。その後、世界的な女優フェイ・ダナウェイと一時期結婚していたことで、彼自身がセレブリティ―写真家として広く認知されることになるのだ。
英国エリザベス女王、ライブ・エイドやFー1の集合写真、英国歴代首相、007シリーズなど、特別な舞台での撮影に彼は英国を代表する写真家として指名されるようになる。テリー・オニール作品の中には、ブリジット・バルドー、ロジャー・ムーア、ラクウェル・ウェルチ、フェイ・ダナウェイなどの被写体自身もサインをいれた作家とのダブル・サイン作品もある。彼がどれだけ親しい関係を継続しているかの証しだろう。

撮影を依頼するエージェントと写真家との関係性はどうだろうか。アート作品になるかどうかは、撮影時にどれだけ自由裁量が写真家に与えられるかによる。有名写真家になるほど、撮影スタイルが確立している。依頼主は完成する写真が想像できるので写真家の自由度が高くなる。テリー・オニールの活躍した60~70年代のファッション、ポートレート写真では比較的に自由に仕事ができたそうだ。編集者が力も持つグラフ雑誌のフォトエッセーよりははるかに自由度は高かったといえるだろう。
80年代から次第に撮影に制限が加えられるようになったという。ファッションや出版メディアがビック・ビジネスとなり、彼らが様々な事態を想定して自己規制を行うようになったのだ。健康被害を思い起こすタバコ、宗教的、人種差別、性差別などに事前に配慮したヴィジュアルが求められるようになるのだ。その後、自由な表現を追求したい写真家とエージェント、クライエントとの戦いが繰り返されることになる。多くの写真家は、この分野の自由な表現の可能性に見切りを捨て、業界を去ったりファインアートを目指すようになる。21世紀になりデジタル化が進行したことで、写真家に与えられる自由裁量はさらに狭まるのは多くが知るところだ。
最近ではクライエントやデザイナーの指示でカメラを操作するオペレーターのような存在になっている。このような不自由な状況では、かつてのようにポートレート写真から時代に残るようなアート作品が生まれ難くなってしまった。テリー・オニールがいま撮影をしない理由は、77歳という年齢だけではないのだ。最後の自分が納得のいった仕事はネルソン・マンデラの撮影だったという。

セレブリティ―写真がアートになるには、上記の前提とともに写真家のアート性も重要だ。テリー・オニールは世界的なセレブリティ―たちの自然な表情のポートレートを撮影することで定評がある。その一種のドキュメンタリ性を兼ね備えた作風が広くアート界でも認識されているのだ。
彼は自然な表情を撮影するための環境造りが重要で、あとは瞬間を切りとるだけだと語っていた。最も尊敬する写真家はユージン・スミス。彼も撮影環境作りを重視し、被写体が写真家を意識しなくなるまでカメラを取り出さなかったという。テリー・オニールも、同じアプローチを実践している。彼は時に被写体と行動を共にし、 また姿を隠したりしてシャッターチャンスを待ったという。

彼は写真家として成功する秘訣は、あまり目立たないことだといっている。その意味は最初は良くわからなかったが、いろいろ話してみて、被写体にとって写真家が自然の存在になることで良い写真が初めて可能になるという意味なのだと分かった。彼の写真は、セレブリティーが被写体のドキュメンタリーなのだ。そしてこれはアーヴィング・ペンが白バックで有名人のポートレートを近寄って撮ったことで知られるのだが、セレブリティ―の顔自体が時代性を反映しており、それらは広義のアートとしてのファッション写真であるとも解釈できるのだ。

アート作品と評価されるには、受け手となるオーディエンスが暮らしていた時代背景も重要になる。戦後から90年代前半までは、先進国の多くの人たちが、「明日はより経済的に豊かになれる」という共通の将来の夢が持てた時代だった。そのような気分が反映されていたのが、テリー・オニールの写真だった。いまは人々が持つ価値観は多様化してばらけてしまった。現代の写真家がそれを、世の中から拾い出して社会に提示することが極めて難しくなってしまった。それゆえ、多くの人が共通の夢が見れた時代に対する懐かしさを持つようになる。それらはビートルズなどの音楽や、60~80年代のファッション写真であり、テリー・オニールのポートレート写真なのだ。
21世紀の現代は、多くの人に共通に愛でられるアート作品になり得る、セレブリティー写真、ファッション写真が非常に生まれにくい時代になってしまった。
いまのテリー・オニールの世界的なブームはそのような状況で、過去の優れた写真家を再評価しようというアート界の流れから生まれているのだ。

一般の人にとって、セレブリティーが被写体の写真はみんな同じようにみえるかもしれない。しかし、将来的に資産価値を持つアート作品と、それ以外のブロマイド的作品とがあるのだ。コレクションを検討するときは写真の表層だけではなく、写真家のキャリアや作品が生まれた背景についても綿密に調べてみてほしい。

アート・ギャラリーの存在意義とは
都会のコミュニティになり得るか?

現在の日本社会、特に都会においては人と人とのつながりが希薄化し個人が孤立傾向を深めているといわれている。無縁社会といわれるように、人は数多くいるものの、隣人が誰か知らないような社会なのだ。更に悪いことに、戦後社会における日本人の共通価値観だった経済成長もいまや望めない状況だ。そのような状況で、多くの人はやむなくネット空間に自分の居場所を見つけようとしたりしている。
かつて「孤独な都市風景」という、グループ展を企画開催したことがあった。新人、中堅写真家中心の展示であったが、マスコミでの評判も良く非常に幅広い年齢層の人が来廊した。都会住民はみな孤独を抱えていて、それが反映された風景写真を見てみたいという気持ちにかられたのだろうと分析した。

アート・ギャラリーの社会での存在意義は、孤立した個人が住む都会でのコミュニケーションの場としてだろうと考えている。好きなアーティストや作品、被写体のことを語り合うことで他人同士がつながる可能性を持つ場所になり得るのではないか。まったくの他人どうしがギャラリー空間で初めて会い、いきなり作品について自由に語ることができる。

ただしそれには前提がある、来場者やギャラリー関係者がある程度の知識、情報量、作品理解力を持っていなければならない。いわゆるアート写真リテラシーを持つ人どうしの場所ということだ。このようなコミュニティとしての機能が働かないギャラリーは単にアート・テイストの商品を売るショップでしかないだろう。

また、いま存在する多くのギャラリーは、従来の共同体的コミュニティになっているとも感じている。写真展を見に行ったが、常連のような人が集っていて居心地が悪かった、ギャラリーの対応が冷淡だったという経験を持つ人も多いのではないか。アーティストやギャラリー関係者が中心になり、利害が同じであったり気の合う人たちだけで集い、外部に対して排他的な空間を作り上げているのだ。

ところで、現在ブリッツで開催中のギスバート・ハイネコート写真展「70’s ロック・フォトグラフィー」では、来場者との会話が弾むことが多い。彼らはハイネコートが撮影した60~80年代前半までの音楽を実体験しており、ミュージシャンに対する数々の思い入れがある。音楽を聞くだけでなく、ミュージシャンの楽曲制作の時代背景や互いの影響などの数々の情報を持ち、LPジャケットのグラフィック・デザインや写真を愛でている。
撮影年にその人がどのアルバムを発表して、どのような境遇だったかまでも知っているのだ。作品にはハイネコートによる英文のエピソードが添えられているが、多くの人がそれを読んで反応している。まさにロック音楽リテラシーが高い人たちが多いのだ。
店頭では写真集「ABBA to ZAPPA」を販売している。アーティストが日本では無名なのでそんなに売れないと見込んでいた。しかし、ロック音楽リテラシーが高い人たちは、ヴィジュアルを通してハイネコートがミュージシャンたちと高いコミュニケーションをとっており、音楽雑誌などで見るブロマイド的イメージを超える高レベルの写真を撮影していたことを理解してくれるのだ。ハイネコートは記録目的でロックシーンを撮影していたのではない。ミュージシャンのメッセージに共感して、彼らの生き方が好きだったから撮影していた。
それ故に80年代になりミュージシャンのメッセージ性が希薄になり、お金儲け優先になり、撮影の自由が制限されるようになるとロックシーンの写真撮影をきっぱりと止めているのだ。今回の来場者は、彼と同様のスタンスで当時の音楽に接していた人たちなのだろう。同類の匂いを感じるがゆえに彼の写真を愛でてくれてるのだと解釈している。なんと写真集の初期入荷分は直ぐに完売して慌てて追加分を取り寄せた。

アート写真リテラシーという言葉の意味は、このロック音楽リテラシーと同じようなことなのだ。写真展やフォトブックを継続してフォローする中で、自分がどんなテーマ、コンセプト、ヴィジュアルを持つアート写真に共感できるかを把握できるようになることなのだ。しだいにそれらが関連付けられて、好きなアーティストのリストが出来上がっていく。

ギャラリーは、何かが好きで、その情報を共有する人たちの、とてもゆるい繋がりの都会的なコミュニティになる可能性がある。誰しも自分の好きなことを、同じ趣向の人と話すのは好きだし、気持ち良いのだ。
ギャラリーがコミュニケーションの場になってもビジネス的にはどうだろうか。日本ではアートは鑑賞するものといわれているではないか、というツッコミもあるだろう。それは今後どれだけアート写真コレクションに興味を持つ人が増えてくるかによると考えている。ギャラリー店頭で日々多くの人と接しているが、アート写真リテラシーの高い人は確実に増加していると感じている。彼らは、単に商品として作品や写真集などを購入するのではない。知的遊戯としてのコレクションを楽しんでおり、ギャラリーという場と時間を消費しているのだ。
まずギャラリーが高いレベルの情報交換やコミュニケーションの場として機能しなくてはならない。ビジネスはその先に生まれてくるのではないだろうか。

2015年アート写真市場がスタート
最新オークション・レビュー

最近は、クリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手オークションハウス主導でアート写真がラグジュアリー・アート化してきた。そのような状況下、中小業者の市場での棲み分けと役割がかなり明確になってきた感がある。だいたい1万ドル(約120万円)以下の低価格帯中心の、伝統的な20世紀写真の取り扱いに特化する傾向が強くなってきたのだ。
それは大手が取り扱わない、価格帯、分野に専門性を発揮していくということ。大手は、優れた作品中心に出品作をかなり絞り込んでセレクションする。写真史や、カテゴリーも意識した上で出品作を調整してカタログを制作してくる。そして、過去に不落札になった作家の作品には冷たい。彼らは売却希望者の作品をすべて取り扱うのではないのだ。
中小はといえば、まったく逆の対応をする。市場性がない作品、落札予想価格の低い作品、無名な写真家の作品、作家のサインのない作品、作者不詳の作品、場合によってはプレスプリントまで取り扱ってくれる。一部のロットについては最低落札価格を設けない、いわゆる成り行きの入札が採用されるケースもある。
かつては大手が取り扱っていたフォトブックも中小が専門に取り扱うカテゴリーになりつつある。

中小業者にとってオークション開催時期も非常に重要になる。大手3社は、春と秋に大規模なオークションをニューヨークで開催する。それに続いて欧州のパリ、ロンドンなどで中規模のものを行うのが年間スケジュールとなる。中小業者はそれと重ならない時期を選んで開催する。それがちょうど今の時期にあたる。 2月にスワン・ギャラリー、3月にブルームスベリーでアート写真オークションが開催されたのでその結果のレビューをお届けしよう。

スワン(Swann Auction Galleries)ニューヨークは2月19日に”Fine Photographs”を開催。いよいよ2015年のアート写真オークション・シーズンが始まった。出品作品は173点で落札率は約72%、総売り上げは約93万ドル(約1.12億円)。昨年12月のオークションよりは数字は改善しているものの、驚きのない標準的なオークションだった。最高額はヘルムート・ニュートンの”Portrait of Karl Lagerfeld in Paris, 1976″。これは72.4x113cmサイズの大判作品。ほぼ落札予想価格下限の75,000ドル(約900万円)で落札。ラガーフェルドとニュートンという、大手が得意とする典型的アイコン&スタイル系の人気がここでも高かった。カタログの表紙だった、森山大道のシルクスクリーン作品”Kuchibiru  (Black)” は不落札だった。

ブルームスベリー(Dreweatts & Bloomsbury)ロンドンは、3月5日~6日にわたって、 単独コレクション・セールの”19th and 20th Century Photographs from a Private Collection”と、複数委託者による”Photo Opportunities”を開催した。
結果は、前者の出品作数は213点で落札率は約75%、総売り上げは約32.6万ポンド(約6136万円)。後者は、出品作数は245点で落札率は約56%、総売り上げは約13万ポンド(約2447万円)だった。

最高額は、単独コレクション・セールでのジュリア・マーガレット・キャメロンによる鶏卵紙プリント”The Dream, 1869″。1.86万ポンド(約350万円)で落札された。カタログ・カヴァーを飾る、エドワード・スタイケンのシルバー・プリント”Eva le Gallienne, 1923″は4000ポンド(約75万円)だった。同社の結果も、昨年11月より数字は改善しているものの話題の乏しいオークションだった。

少しばかり気になるのが、同社がオークションの一部で取り扱っているフォトブック分野の低迷だ。落札率は、昨年11月が約58%、今回はさらに悪化して約37%だった。フォトブックは低価格帯のアート写真作品のカテゴリーに含まれる。この分野の低調を象徴している存在で、明らかに一時期のフォトブック・コレクションに対する熱狂は冷めている。

世界経済は原油価格低下や長期金利低下により消費中心に改善傾向にある。特に富裕層は、世界的な金融緩和による資産価値上昇で潤っている。一方で、デジタル・テクノロジーの進歩と経済のグローバル化を背景に中間層の所得はいまだに低迷。今回の結果は、中低価格帯アート写真の主要コレクターである中間層からの需要低迷が反映されていると考える。
高額セクターの好調と、中低価格セクターの低調という、市場の二分化が相変わらず続いている。金融市場の世界的な長期金利低下とともに、この状況は景気循環というよりも何かもっと大きい構造的な変化ではないかと感じている。この点についてはもう少し情報を集めて分析を行いたい。

それでは2015年の高価格帯の写真市場ははどうだろうか?次回のオークションレビューでは、先月にロンドンで行われた現代アートオークションでの写真関連の結果を分析したい。

(為替レート:1ドル/120円、1ポンド/188円で換算)

ピーター・リックの7.8億円写真とアート・フェア用の抽象絵画
勢力拡大するする高額インテリア・アート

最近の欧米のアート・メディアで話題になっていて、私が注目しているのが「ゾンビ・フォーマリズム(Zombie Formalism)」とピーター・リック(Peter Lik)の高額写真作品だ。アート系情報を取り扱うウェブサイトでも頻繁に取り上げられるので、聞いたことがある人も多いだろう。絵画と写真でまったく異なる分野のアート作品の話題だが、報道される視点はかなり似通っている。欧米のアート界の現状を象徴している現象ともいえるので紹介しておこう。

「ゾンビ・フォーマリズム」は、アーティスト・批評家のウォルター・ロビンソン氏が指摘する最近のアート・トレンド。ゾンビは死体のまま蘇った人の総称。直訳するとゾンビのように蘇った、型式主義のフォーマリズムという意味になる。
それは、35歳以下の比較的若い男性アーティストが制作した、見やすく、内容が希薄な、マンネリ化した抽象作品のことをさしている。インテリア・コーディネートに向いていて、売ることを主目的に制作されている作品の総称ともいえる。それらが、アートフェアで良くみられることから、アートフェア・アートともいわれている。
また、これらは2010年代に急増したアートで投機を行う裕福なコレクターたちの対象になっている。彼らはオークションなどを通して短期間に売買を繰り返し、値段を何10倍に吊り上げたりする。有名アーティストと違い、当初の値段が安いので結果的に非常に高い利回りの投資となるのだ。まるで株式公開(IPO)投資と同じだと指摘されている。
これはまさにアート・バブルそのもので、ブームが去るとそのアーティストの相場は急激に縮小してしまう。それは店頭公開した企業が倒産するのと同じ現象だ。

ピーター・リック(1959-)はオーストラリア出身の風景写真家。アート界での知名度がほとんどないが、昨年”Phantom”という1点もの作品が6.5mioドル(約7億8000万円)でコレクターに売れたと自らがプレスリリースを発表して話題になった。

作品画像と英文のプレス・リリース

NYタイムズによると、彼は大量生産の絵画風プリント販売で知られるトーマス・キンケードの写真バージョンのような存在であるとのことだ。作品は彼が経営する約15のギャラリーで販売される。それらはハワイ、ビヴァリー・ヒルズ、キーウェスト、マイアミなどの観光地にあり、アートの知識がないお金持ち相手に商売している。限定エディションが995点、最初は4000ドルで販売を開始。売れるごとに、将来的な供給が減ることから値段をステップアップする方式をとっている。ギャラリーでの作品販売価格が上昇するので、買った人は所有作、の資産価値が上がったように感じる仕組みなのだ。エディション数が異常に多いものの、これはアート界では一般的に行われている手法だ。
しかしアート写真の資産価値を証明するオークション市場での取引実績はほとんどないことから、彼のやり方に対して業界内で議論を引き起こした。私も2013年のデータを調べてみたが、大手オークション業者の取引実績はなく、中小業者でわずか4件が出品されていた。最高額はわずか2500ドル(約30万円)だった。6.5mioドルの取引実績はセカンダリー市場の相場とかけ離れており、今回の発表は彼の作品の既存コレクターや、自身のギャラリーでの販売促進策だったのではないだろうか、という疑念がわいてくる。
まるで日本でもおなじみの、イベント会場で販売されるハッピー系のプリントと同じではないだろうか。

上記の2例は、アート・コレクション経験の浅い人たちや、単にアートを投機の対象とした人たちがターゲットになっている。シリアスなアートコレクションを行うためには、相当量の勉強と経験が必要になる。それは歴史を勉強して、美術館やギャラリーを回って多くのよい作品を見て、ディーラーやアーティストから情報を集めることだ。その積み重ねの上で自分なりのアートを見る視点が構築されていく。しかし、そんな面倒なことはしたくないが、壁に飾るアートが欲しい、短期間に値が上がるアートが欲しいという人もいる。彼らは、多くのギャラリーが一堂に集まるアートフェアや旅先のギャラリーに行き、自分のフィーリングにあったアートを買う。旧来のギャラリーが衰退して、アートフェアが活況を呈している背景には新しいタイプの裕福なコレクターの増加があるのだ。

このような事象が話題になるのは、欧米のアート界の根底にはお金儲けのためのインテリア系アートとオリジナリティーを追求するファイン・アートは別だという認識があるからだろう。アーティスト、ギャラリー、アートフェアでも明確な区別がある。市場が拡大するとどうしてもアート・リテラシーが低い富裕層が市場に参加してくる。 そうなると、マーケティングが行われて、彼ら好みの作品が大量に供給されるようになる。彼らを想定して商品開発されたのが「Zombie Formalism」の抽象絵画とピーター・リックの写真作品なのだ。やがてアートの歴史に足跡を残すよりも、お金儲けを優先する業界関係者の存在感が大きくなっていくのだ。
アート界では、これらのアート性があいまいな作品や作家の存在は、市場拡大時の必要悪としてある程度までは黙認されている印象もある。その存在感が一定のレベルを超えて目立ってくると、評論家・アート・ライターなどの専門家による区分けを明確にする行動が顕在化する。新しいコレクターは、ファイン・アートとインテリア・アートの区別がつかない。両者に違いがあることすら認識されていない。特に写真に関してはその傾向が強い。専門家は警告を発して、バブルを鎮静化させて、市場の健全化を図ろうとする。この辺が西欧アート界のシステムの良心であり、バランス感覚だと感心してしまうところだ。
翻って日本には、このようなアート界のお目付け役的なメディアの存在感が感じられない。特にアート写真に関しては、感想を述べる専門家はいるが、市場を俯瞰して問題提起したり批評する人は非常に少ない。

セレブリティ―の写真はアート作品になり得るのか? アート写真の新ジャンル誕生の予感

有名ミュージシャンや映画スターを撮影した写真作品はアートギャラリーとしては非常に扱いにくい。どうしても作家性ではなく、セレブリティ―である被写体で写真が評価されてしまうのだ。世界的に、それらが被写体のオリジナル・プリントが数多く販売されている。それらは、アート作品ではなく有名人のブロマイド写真のような扱いになっていることが多い。海外ギャラリーでの販売価格は、インテリア系写真とほぼ同じ相場になっている。だいたい1000~2000ドル(約12~24万円)くらいだ。日本から考えたら高価だが、海外ではインテリア系写真でも相場はそのぐらいするのだ。

かなり以前から、有名写真家が撮影したセレブリティ―の写真作品は存在していた。ホルスト、リチャード・アヴェドン、アービング・ペン、ジャンルー・シーフ、ハーブ・リッツ、ブルース・ウェバーらのフォトブックにはそれらがポートフォリオ作品の一部として収録されている。被写体が有名人でも特別扱いはなく、写真家の作品相場が販売価格の基準だった。いまでもそのように販売している人もいる。

ところが最近になって、有名写真家が撮影した一部アイコン的なセレブリティ―の作品を、特別に販売する新市場が生まれつつあるようだ。それらは、少数限定、大判サイズという、現代アートのマーケティングを利用して、従来よりもかなり高額の値段設定を行っている。
2015年、大手出版社のタッシェンが米国西海岸ビバリー・ヒルズにギャラリーを新規オープンさせ、ローリングストーズが被写体の複数写真家による写真作品の販売を開始した。昨年、彼らはローリング・ストーンズのメンバーのサインが入った豪華写真集を制作。 デビット・ベイリーのオリジナル・プリントが付いたアート・エディションは、限定75点、15,000ドル(約180万円)で販売している。今回、ギャラリーでは写真集に収録されている作品を販売。主目的な豪華写真集の広告プロモーションだと思われる。しかし巨大サイズ(一番大きいのは約139.7x 143.5cm)、エディション5~10と限定数を少なくすることで、販売価格は非常に高価になっている。デビット・ベイリーやアルバート・ワトソンが撮影した作品の中には1000万円近くするものもある。
サイズとエディションがこれまでとは違うので直接の比較はできないが、それらは写真家のギャラリー店頭での作品相場とかなり離れている印象だ。あるコレクターからの情報によると、被写体のミュージシャンに多額のコミッションを支払っていることが理由らしい。どうもこの新ギャラリーは、アート市場の従来のコレクターではなく、富裕層を顧客相手と想定した、時代のアイコンをテーマとした「ラグジュアリー・アート写真」というような、まったく新しいカテゴリーを意識しているようなのだ。
ギャラリーがアートの中心地ではないビバリー・ヒルズに設置されたのも納得する。つまり、富裕層は誰でもわかる時代のアイコン的な作品を好み、特に写真コレクターのように写真家の適性相場などを気にしない。銀塩写真に対するこだわりもないので、すべてインクジェットで制作されているのだと解釈できるだろう。

商業ギャラリーでも、有名写真家が撮影したアンコン的なセレブリティ―作品を、少数限定、大判サイズで販売する例が散見されるようになってきた。上記の写真家と重なるが、ピーター・リンドバーク、アニー・リーボビッツ、アルバート・ワトソン、デビット・ベイリー、ピーター・ベアードなどだ。
しかしミュージシャンに限ると、高額でも売れるのは、熱狂的なファンがいるザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズ、デビット・ボウイ、ボブ・ディランくらいになる。リンドバークがキース・リチャーズを撮影したシリーズは、エディション3、サイズ120X180cm、裏打ちされた銀塩写真で、1000万円以上するイメージもある。インクジェット作品でないのが商業ギャラリーのこだわりだと感じている。

英国を代表するファッション・ポートレート写真家のテリー・オニールは、本人と被写体のサインが入った、極め付きのセレブリティ―作品を制作して話題になっている。いままでに、フェイ・ダナウェイ、ブリジット・バルドーのダブル・サイン作品を発表している。(上記の掲載イメージ)こちらはエディション数が50点と比較的多く、サイズも50X60cm程度で、当初販売価格が80万円くらいからと、上記の例よりもはるかに買いやすく商品設計されている。少し前に在庫状況聞いたところ何とほぼ完売状態とのことだった。今度は、ロジャー・ムーアとのダブル・サイン作品がリリースされる予定らしい。
また、デビット・ボウイの代表作「アラジン・セイン」(1973年リリース)のLPカヴァーを撮影したブライアン・ダフィー(1933- 2010)の財団も興味深い作品制作を試みている。ダフィーは、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で行われたボウイの回顧展開催がきっかけで作家性が再評価された。写真家本人は亡くなっているものの、なんと被写体のデビット・ボウイがサインした約100㎝四方の大判作品を制作したのだ。エディションは25点なのだが、売り上げは好調のようで、現在の価格は300万円以上だという。
いずれにしても、このようなプロジェクトは、写真家と被写体とが相当に尊敬し合う関係性を構築してないと実現できない例だ。現代ではちょっと考えられないだろう。

私がいつも主張しているように、ファッション写真でも、単に洋服の情報提供だけでなく、撮影された時代の気分や雰囲気が作品に取り込まれていればアートになり得るのだ。現代アートが時代のコンセプトを提示するように、それらは時代が醸し出すフィーリングを表現しているのだ。セレブリティーは、その顔や存在自体がファッション同様に時代を反映しているといえる。優れた時代感覚を持った写真家が撮影したセレブリティ―写真のなかにも、アートになり得る作品が存在すると考える。

それでは、いわゆる「ラグジュアリー・アート写真」の高額な販売価格は正当化できるだろうか?見方を変えると、それらはアート写真としては高価なのだが、現代アートと比較すると決して高価とは言えない。いままで、アート写真の相場が現代アートと比べて安すぎたということもあるのだろう。

少数限定、大判サイズの現代アート的なアート写真作品が市場に登場してきたときにも値段の正当性についての議論がなされた。しかし、従来のアート写真コレクターが疑問符を投げかける中で、現代アート分野のコレクターにより作品は受け入れられてしまった。2012年の、ウィリアム・エグルストン初期作品を大判作品化で行われた単独オークションは大成功だった。
この流れは、難解なコンセプトを持ち、コレクターの高いアート理解力を求める現代アート作品に対するアンチテーゼでもあるだろう。時代のアイコンの写真作品は、誰にでもわかりやすく、受け入られやすいのだ。そして欧米では有名写真家自体がアーティストでセレブリティ―であることも忘れてはならない。有名写真家と時代のアイコンとのコラボレーション作品とも解釈できる。限定、大判サイズとともに、ダブルネームにより値段が高くなったといえないことはない。
上記の販売例をみるに、実際の市場では、現代アート・コレクターや富裕層がそれらの作品の価値を認めつつあるようだ。また投資的な視点を持つアート写真コレクターも買っているという。大きなくくりの現代アート市場が、従来のアート写真市場を飲み込んでしまった状況が改めて印象付けられる。その流れの中でセレブリティー写真が独自の進化を始めているようだ。

個人的には、現在のような一部セレブリティーがアイコン化する以前に撮影された70~80年代くらいの銀塩写真作品に注目している。それらは、サイズは小さめで、エディション数が多めなので、相場も比較的リーズナブルだ。現在のセレブリティ―写真の活況を見るに、優れた写真家によるそれらのファッション、ポートレート作品は明らかに過小評価されていると感じる。もしかしたら、単に現代アート・コレクターや富裕層がまだ気づいてないだけかもしれない。

2015年のマーケットを展望する アート写真の格差拡大が進行?

2014年に私が最も注目したのは7月のクリスティーズ・パリで開催された「Photographs Icon & Style(イコン&スタイル)」オークションだった。通常7月にはメジャーなアート写真オークションは開催されないが、パリコレ期間を意識してあえて夏休み前の時期に行われたようだ。売上総額約253.2万ユーロ(約3億5325万円)、落札率約74%とオフシーズンにしては極めて好調な結果だった。最高額はアーヴィング・ペンのダイトランスファー「Gingko Leaves, NY, 1990」。これは写真集「Passage」(Alfred A. Knopf 1991年刊)の表紙作品で、285,000ユーロ(@140、約3990万円)で落札された。

以前も指摘したが、ポートレート、ヌード、スティル・ライフを含む広義のファッション系分野が注目され相場が上昇した背景には現代アートが市場を席巻して従来の写真市場を飲み込んでしまったことが関係している。

つまり、現代アートでは時代の持つアイデア、コンセプトを重視するが、ファッション系では時代の持つ気分や雰囲気が作品に反映されている点を評価する。イコン&スタイル系作品は単にブランド写真家の代表作というだけではないのだ。またイコン的とファッション系の写真がそれぞれ売れているという意味でもないので、注意が必要だろう。この両方の要素を兼ね備えた作品が売れるのだ。クリスティーズはこの点を意識して、極めて綿密に出品作のセレクションと編集作業を行っていた。
12月にニューヨークのボンハムス(Bonhams)で開催された「The
Art of Fashion Photography(ジ・アート・オブ・ファッション・フォトグラフィー)」はこのイコン&スタイル系作品の意味を勘違いをした例だろう。一部には優れたアートとして通用するファッション系作品も見られたが、多くは単に洋服を撮影したモード写真、ファッションショーのドキュメント写真、有名人を撮影しただけのポートレート写真、現代アート風に大判サイズで制作されたインテリア系の写真だった。ただファッション、セレブリティ―風の写真を集めてきたという印象が強い。大手と中堅とのオークションハウスの実力の違いが強く感じられた。

イコンの意味の中には写真家自身のブランドも含まれる。知名度が低い写真家の作品にコレクターはあまり興味を示さないのだ。写真家が有名でないと、どうしても被写体が撮影の主導権を握る状況になる。撮る側の作家性や時代性が反映された作品にはなり難いのだ。また戦前のファッション写真も、知名度の高いホルストは苦戦していた。いままでに相場は大きく上昇しているので、明らかに最低落札価格が高すぎたのだと思う。
落札予想価格が一番高かったのがアーヴィング・ペンの”Women
in Wartime (Dorian Leigh and Evelyn Tripp), New York, 1950″(4~6万ドル)。有名作家の作品だが、有名イメージでないことから不落札。最終的な落札率は約32.6%、非常に厳しい結果だったといえよう。
しかし、イコン&スタイル系はアート写真の中でも富裕層が多い現代アートのコレクターが興味もつ分野である。優れた作品さえ提供できれば将来性が高いといえよう。来年も営業力のある大手オークション・ハウスは力を入れてくると思われる。この分野、いまや人気のカテゴリーとなり、かつてのような割安感は完全に無くなってしまった。コレクターにとっては、適性レベルの相場ならばドル資産を持つと考えて有名作品をコレクションするのは悪くない選択だと思う。今年は為替レートが大きく円安に動いた年だった。円は最も高かった時期と比べて約50%も価値が落ちている。日本人写真家の作品のドル建ての価値が減少し、外国人写真家の円貨の価値が上昇したということだ。あまりにも短期間の急激な変化なので、どうしても購入心理に影響を与えてしまう。
円高時には、外国人の若手・新人写真家が割安感から買われことがあったが、今後は多少高くても本当に資産的な価値のある作品の方が選ばれるようになるだろう。この傾向は洋書フォトブック市場にも出てくると思う。いまや主流購入先となったネット・ショップでは、常にその時点での為替レートが円価格に反映される。円高時のように、面白そうだからと気軽に新人・若手のフォトブックを買う人は間違いなく減少していくだろう。しかし、ずっと主張しているように写真集のなかのフォトブックはアート写真作品の一つの形態なのだ。多少輸入価格が上昇しても、作品として中身を吟味して優れたものはコレクションしていきたい。

いまフランス人経済学者トマ・ピケティの著書「21世紀の資本論」が日本でも話題になっている。彼は歴史的に労働者の収入の伸びよりも、資産が生む収益の伸びが大きい事実を膨大な資料分析から明らかにしている。最近の格差拡大は資本主義システムに内在する要因により引き起こされており、グルーバル資本主義の先に中間層のさらなる減少の可能性を示唆している。
最近のアート写真市場をみるに作品間の価値格差が広がっており、ピケティの主張とかなり重なっている印象がある。先週紹介した、極めて貴重なヴィンテージ作品が数多く出品された”175 MASTER WORKS TO CELEBRATE 175 YEARS OF PHOTOGRAPHY”は、総額の売り上げが2132万ドル(約25億5900万円))、落札率も90.3%。まさに驚異的な好結果だった。最近は、高額価格帯作品が出品されるオークションの落札率が高い一方で、低価格帯作品のものになると落札率が極端に低くなる傾向がある。これはオークションハウスの格差拡大とも重なってくる。大手のブランド・ハウスのササビーズ、クリスティーズ、フィリップスと比べて、それ以外の中小ハウスでのオークションは総売り上げが100万ドル(1.2億円)以下で、不落札率が高いのだ。そして中小ハウスでの低価格帯の出品作品数が増加傾向にある。中間層の没落がいわれているが、いままでアート写真をコレクションしていた中間層が高齢化して資金的な余裕がなくなり作品を手放しているのではないだろうか。

またギャラリーの店頭市場の規模はオークション市場の約1倍~2倍といわれている。上記状況は、店頭での低価格帯作品の売り上げ減少を示唆している。今後は、ギャラリー格差、アーティスト格差も拡大していく可能性が高いのではないか。現代アート分野ですでに始まっているギャラリー淘汰の波が写真分野にも訪れるかもしれない。新興のギャラリー、若手・新人の写真家には厳しい環境が続くだろう。

この環境では、コレクションの方向性が決まっていない人は作品購入の判断が難しいだろう。ただし何を買うかを明確に認識している人には掘り出し物を見つけるチャンスでもある。

2015年には、為替レートを見ながら、低価格帯の作品群の中から将来性のあるイコン&スタイル系作品を探していきたいと個人的には考えている。

アート写真コレクションのオークション世界最高売り上げ記録を達成!”175 MASTER WORKS TO CELEBRATE 175 YEARS OF PHOTOGRAPHY” ササビーズNYで開催

2014年12月11~12日にササビーズ・ニューヨークで市場が注目していた”175  MASTER WORKS TO CELEBRATE 175 YEARS OF PHOTOGRAPHY”開催された。

これはアート写真の振興のために活動をおこなっている”Joy of giving something foundation(JGS)”コレクションからのセール。元々はハワード・ステイン(Howard Stein)が80年代から行っていた世界的な写真コレクションがベースになっている。1998年のJGS創設に際して、主要なコレクションが寄贈されのだ。内容は、銀塩写真だけでなく、ダゲレオタイプ、ダイトランスファー、デジタル写真までを含む、19世紀中盤から現代までの写真史を包括的に網羅する多様なセレクションになっている。貴重な、アルフレッド・スティーグリッツ、ギュスターブ・ル・グレイ、ウージェーヌ・アジェ、エドワード・スタイケン、エドワード・ウェストン、ポール・ストランドなどの20世紀写真の珠玉のヴィンテージ・プリントが複数点出品。日本人では森山大道の作品が1点含まれていた。

ササビーズの写真部門チェアマンDenise Bethelは、自身の25年以上のオークションハウスのキャリアの中でも最高のコレクションと語っている。まるでフォトブックのような豪華なカタログが彼らのコレクションに対する高いリスペクトを感じられる。全368ページ、透明のダストジャケット付きで、ほとんどのロットが見開き2ページで紹介。ある専門家は、貴重なヴィンテージ作品が見られるオークション・プレビューはまるで美術館クラスの展示に匹敵すると指摘していた。
落札予想価格は、175点のうちなんと100点が5万ドル(約600万円)超という、アート写真オークションとしては異例の高額作品が中心。上限が50万ドル(約6000万円)を超える作品も多数ある。なぜこの時期に特別のアート写真オークションが開催されたのだろうか?
たぶん、春・秋の定例オークションやフォト・フェアのように中堅ディーラーやバーゲン狙いの個人コレクターを買い手とまったく想定していないのだ。美術館、潤沢な資金を持つ個人や企業コレクション、富裕層が多い現代アートコレクターを念頭に置いているのだろう。

注目度が高かったことから、オークションは近年まれに見るような活況を呈し、なんと総額の売り上げは2132万ドル(約25億5900万円)。落札予想価格の上限総額約2000万ドル(約24億円)を上回る驚異的な数字だった。ササビーズによると、写真単独コレクションのオークション世界最高売上とのことだ。
これは、2014年秋のNYオークション・シーズンでの主要ハウス3社とスワン・オークションの売上総合計を上回る。また2000年代前半の写真オークション年間総売り上げ額に匹敵する。落札率も90.3%と極めて高かった。

最高価格は、アルヴィン・ラングドン・コヴァーン(Alvin Langdon Coburn)のガム・プラチナ・プリントによる代表的なピクトリアリズムの抽象作”Shadows and Reflections,Venice,1905″。落札予想価格をはるかに超える96.5万ドル(約1億1580万円)で落札。もちろん作家のオークション最高落札記録となる。これは2004年のクリスティーズで約36.5万ドルで落札された作品。10年で約2.6倍の価値になっている。

2位はアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)の”Evening, New York from the Shelton、1931″。落札予想価格上限の3倍近い92.9万ドル(約1億1148万円)で落札。カタログ・カヴァー掲載作品だ。(上記カタログ画像の写真作品)

3位はラースロー・モホイ=ナジ(Laszlo Moholy-Nagy)の”Photogram with pinwheel and other shape,1929″と、ギュスターブ・ル・グレイ(Gustave Le Gray)の”The pont du carrousel seen from the pont royal, circa 1859″。ともに77.3万ドル(約9276万円)だった。

5位はアウグスト・ザンダー(August Sander) “Handlanger, Porteur de Briques(The Bricklayer),1927″で、74.9万ドル(約8998万円)。カタログの裏カヴァーにもなっているザンダーの代表作品で、作家のオークション最高落札記録となった。

6位は再びギュスターブ・ル・グレイ(Gustave Le Gray)。”The pont du carrousel seen from the pont des art, circa 1859″が72.5万ドル(約8700万円)。
7位はエドワード・ウェストン(Edward Weston)の”Charis, Santa Monica(Nude in Doorway),1936″で、65.3万ドル(約7836万円)。ウェストンの代表作で、息子コールが制作・サインしたエステート・プリントの相場は約1万ドルくらいだ。ヴィンテージプリントはその65倍もすることになる。
8位はウージェーヌ・アジェ(Eugene Atget)の”Corsets(Boulevard de Strasbourg),1912″。落札予想価格上限15万ドルの3倍以上の50.9万ドル(約6108万円)で落札。

なんと本オークションでは、8作品が節目となる50万ドル(6000万円)以上で落札されている。ちなみに2014年秋のNYオークション・シーズンの高額落札は、クリスティーズのエドワード・ウェストン”Nautilus Shell, 1927″が46.1,万ドル、ササビーズのマン・レイ”Lee Miller, c1930″が45.5,万ドルだった。今回のオークションにどれだけ驚くべき貴重な高額作品が複数点も出品されていたかがわかる。

現代アート系では、シンディー・シャーマン、ベッヒャー夫妻、、ジョン・バルデッサリ、トーマス・ルフ、トーマス・シュトュルート、フィリップ・ロルカ=ディコルシア、アダム・フス、ヴィック・ムニーズが出品され、全て落札されている。最高額はシンディー・シャーマンの”Untitled Film Still #2,1977″で、31.7万ドル(3804万円)だった。

不落札作品はわずか17点だった。その内訳を見てみよう。
知名度の低い写真家、またスティーグリッツ、ウェストン、フランクでも人気度の高くないイメージはヴィンテージ作品でも不落札となっている。一方で20世紀後半の現代写真や現代アート系はすべて落札されている。古いという骨董的な価値だけでは現代のコレクターは高額を支払わない傾向が読み取れる。落札予想価格が高額になってくると、作品のアイコン的な価値も必要になってくるのだろう。従来、貴重なヴィンテージ作品は中間層であるアート写真のコレクターが買っていた。 しかし最近の中間層の没落と相場上昇によって彼らは手が出せなくなってしまったのだ。

ちなみに12月11日には、スワン・オークションNYで”Vernacula Imagery, Photobooks, Fine Photographs”のオークションが開催された。これは、古写真、フォトブック、アート写真などの低価格帯の写真作品を取り扱う、ササビーズとは対極のオークションだ。結果は、トータルの落札率が約62%、アート写真243点の落札率が約55.9%と低迷していた。
12月の同時期に開催された二つのオークションは、ここ数年続いている高価格帯セクターの好調、低価格帯セクターの低迷のトレンドを改めて印象付けられる結果だったといえよう。

(為替レートは1ドル120円で換算)

TOKYO PHOTO 2014(東京フォト)アジア市場における独自フォトフェアの可能性

「写真に何ができるか」(2014年、窓社刊)に書いているが、日本のアート写真マーケットの規模は欧米に比べて極端に小さい。お金がまわらないから、優れたアーティストや関連の専門家が育たない、優秀な若い人材がこの業界に入ってこないという状況に陥っている。特に日本人写真家の市場はインテリア向けの低価格帯のもの以外は本当に小規模でしかない。一時期、現代アート風のデザイン・コンシャスで大きなサイズの作品が売れたことがあったが、いまは全くダメになってしまった。ただし欧米で資産性が認知された外国人写真家の市場は日本にも存在するが、これも最近のドル高による輸入価格上昇と消費増税で厳しい状況となっている。

今年の東京フォトはこのような状況が全般的に反映されたものだったといえるだろう。規模が小さくなったという意見が多くの参加者、来場者より聞かれた。海外からの参加者が減少したのは明らかに9月のフォト上海にギャラリーが流れたことによるだろう。海外勢は多額のコストをかけて参加する。やはり市場拡大の可能性がある場所を選びがちになる。今回は過去の販売実績があったベルリンのギャラリー・カメラ・ワークが唯一3回連続して参加していた。彼らは「イコン&スタイル」の作品に特化している。今回は、ピーター・リンドバーク、エレン・ヴォン・アンワース、アルバート・ワトソンなどを展示していた。彼らの取り扱い写真の市場は日本にも存在するのだ。

アジアで初めてのフォト・フェアは、2009年から韓国で開催されているソウル・フォトだ。ソウル・フォトは回を重ねるごとにイベント内容が変化していった。今回の東京フォトの展開がそれに似てきたような印象をもった。ソウルも最初のうちは、欧米的フォトフェアをアジアで開催することを目指していた。多くの国内外ギャラリーが参加して表層的にはそれなりの活気があった。しかし、参加ギャラリー数が回を重ねるごとにどんどん減少していき、代わりにアマチュア写真家の展示や、主催者企画による写真家の個展が展示ブースで開催されるようになっていった。ギャラリーでなく写真家がブースを持って出品するイメージだ。つまり観客はそれなりに来るもののほとんどが鑑賞目的。作品がほとんど売れないことから商業ギャラリーが参加しなくなり、欧米的な販売目的のフォトフェアとは全く違うイベントに変異していったのだ。2010年は日本からもかなりの数のギャラリーが参加していたが、2011年は震災の影響もあり2業者だけとなった。その後は日本からもアマチュア写真家のグループや出版社が参加するようになっていった。私どもも3回参加したものの、しだいに参加する意味があまり見いだせなくなったので今年は様子見とした。

今年の東京フォトも展示スペースの半分が、独自企画の写真展示になっていた。私は市場が未成長のアジアでは、フォトフェアは特に欧米的な販売目的である必要はないと考えている。この地域で行うべきなのは、まず写真がアート作品であることを多くの人に知ってもらうための様々な啓蒙活動や展示活動である。ソウルフォトも販売目的の商業ギャラリーには参加する意味が希薄化したが、その他のエマージング・アーティスト、アマチュア写真家、有名アーティストの作品展示を見たいオーディエンスには魅力的な場なのだ。毎年、ヤングポートフォリオを開催して参加者を世界中から募集している清里フォトミュージアム。彼らはここ数年ソウル・フォトに参加しているが、韓国からの応募者が大きく増加したといっている。
作品があまり売れなくても、プロ・アマチュア写真家が参加して、多くのオーディエンスが来場するような、アジア的フォトフェアというビジネスモデルは構築可能なのではないだろうか?
これはまさに写真文化振興の側面も持つ。ソウル・フォトも国からの間接的な支援があると聞いている。東京フォトも今年から文化庁の「優れた現代美術の海外発信促進事業」を意識した展示を行っている。主催者は今後の外務省の文化事業とのかかわりも示唆していた。100%コマーシャル・ベースでない場合は、どうしても事業継続に様々な公的機関や企業の支援が必要になってくる。今年の東京フォトは、過去の経験の蓄積から欧米とは違うアジア独自のフォトフェアのスタイルが必要だと感じ、新たな方向の模索をはじめたのだろう。
一方で欧米の主催者が取り仕切っているフォト上海は、いまのところ市場性がある作品を現地の富裕層に新たなラグジュアリー・グッズとして販売していくことをメインにしていくようだ。ここも、もし作品販売が低迷した場合は、ソウルや東京と同じ方向性を模索するようになるだろう。

 

来週の15日から六本木のアクシスギャラリーで第1回の「フォト・マルシェ」というカジュアルなフォト・フェアが約14ギャラリーが参加して開催される。低価格の写真作品を提供することで市場の裾野を広げていこうという戦略的企画だ。アクシスの支援により出展料が安くなっていることから、ギャラリーも3万円からという低価格の写真作品の展示販売が可能になっている。9月には広告写真大手のアマナが中心になって同じようなカジュアルなフォトフェア「ヒルサイド・テラス・フォト・フェア」が代官山で開催されている。このフェアはフォトブックに重点が置かれていたのも特徴だった。日本では写真は売れないがフォトブックはまだ売れている。ここにも新たなスタイルのフォトフェアのヒントがあるように感じた。日本でもやっと市場規模を現実的に捉えた身の丈にあったフォトフェアの模索が行われるようになってきたようだ。

「フォト上海(Photo Shanghai)」レビュー(2)アート写真ブランド化の試み

今回、上海をはじめて訪れた。中国の高度経済成長はもちろんマスコミ報道で知っていたが、現実は予想をはるかに超えていた。中心市街地は世界的なトップ・ブランドが店を構える巨大商業施設が複数乱立しており、シンガポールがより巨大化したような感じだった。日本の銀座さえもスケールでは凌駕するのではないだろうか。
そしてどの店もお客でにぎわっているのだ。収入が多くなくても将来に経済的に豊かになるという見通しがあれば人々は消費をするのだ。バブル期の日本を思い出した。

地元の人によると不動産価格はここ20年で約15倍になったそうだ。上昇率はあくまでも個人の感覚的による比較だと思うのだが、不動産上昇による資産効果が消費を刺激している面は間違いなくあるだろう。直近は成長率が低下したというが、それでもGDPは7%以上、日本の1%台と比べるとまだまだ高度成長だ。高齢化が進む日本と違い、中国には将来的に豊かになりたいと考える若い人の人口がまだまだ多い。このような国に活気があるのは当たり前だと実感した。

道路には普通に欧米の高級車が走っているし、街中の高級店の乱立とそれなりの活況を見るに中国人がブランド志向なのが直感的にわかった。そして次に来るのが究極のブランドであるアートなのだろう。

「フォト上海」にも写真を新しいブランドとして富裕層に紹介しようという意図が強く感じられた。会場が上海展覧センターである点も重要のようだ。上海中心部の高級ブランド店や欧米系ホテルが立ち並ぶ南京西路に位置するイコン的なランドマーク建築物なのだ。
フェアのメイン・ヴィジュアルに使用されていたのはハーブ・リッツの”Versace Dress, Back View,1990″とパトリック・デマシェリエのカラーのファッション写真だった。

そしてフェアのメイン展示は20世紀写真の巨匠ヘンリ・カルチェ=ブレッソンの展覧会という具合だ。外国からの参加者は明らかに「イコン&スタイル」を意識した資産価値のあるセカンダリー作品の展示が中心だった。一方で地元ギャラリーはコンテンポラリー系のプライマリー作家中心の展示が多い印象だった。

私はもっと地元写真家中心の展示なのかと思っていたが、国際的に認知された有名写真家のイコン的作品とファッション系が数多くみられたのは嬉しい誤算だった。ギャラリーのレベルや品格はその在庫のクオリティーによるといわれる。特に海外ギャラリーは自らの珠玉の在庫を上海に持ち込んだ印象が強かった。結果的に会場全体では写真史やファッション写真史を網羅する、鑑賞目的の人が楽しめる展示構成だったといえる。
東京、ソウル、タイペイのフォトフェアは地元のプライマリー・アーティストの展示が中心だ。どちらかというと、販売というよりも取り扱いアーティストを紹介する面が強く出ている。市場が小さいので販売よりもギャラリー自身や取り扱いアーティストの紹介が目的となっている。主催者も販売目的というよりも、アマチュア写真家や鑑賞目的の人を意識した運営を行っている。しかし、上海は明らかに欧米的な販売を意識したフォトフェアになっていた。

この分野の作品をメインに取り扱っているのは、ベルリンのCamer
WorkとロサンゼルスのFahey/Klein。両ギャラリーは、まるで競い合うがごとく非常にハイレベルのファッション系作品を展示していた。前者はピーター・リンドバーク、リチャード・アヴェドン、ジャンルー・シーフ、ブランアン・ダフィー、ミッシェル・コント、ロバート・ポリドリなど、後者はウィリアム・クライン、メルヴィン・ソコルスキー、エレン・ヴォン・アンワース、パトリック・デマシェリエなどだ。
また、サンタモニカのPeter Fettermanは、リリアン・バスマン、アンドレ・ケルテス、 セバスチャン・サルガドなど、パリのA.Galerieはアルバート・ワトソン、ピーター・リンドバークなど。また北京のSIPA CHINAはバート・スターンのマリリン・モンローを展示していた。

あまりにも市場で評価されている有名作品の展示が多かったので、まだ評価が未確定の地元ギャラリーの作品はどうしても印象が薄く感じられた。私が興味を感じたのは北京のTime Space galleryの展示。

ここではモノクロのアウグスト・ザンダーとカラーのJiang Jianの作品を対比して「August Sander & Jiang Jian」として見せていた。まるでインスタレーションのように壁面全体に同時展示していた。果たしでザンダーの写真がオリジナルプリントかどうかは不明だったが、興味深いアプローチの作品だった。
アート・フェアでは、会期終了後に取引が行われることが多い。果たして今回のフェアでは高価な海外の「イコン&スタイル」系か、比較的買いやすい地元のコンテンポラリー系か、どちらの系統が地元の富裕層により強くアピールしたのであろうか? 「フォト上海」は来年も2回目が開催されるとのこと。たぶん来年の参加者の変化と展示内容を見ると今年の結果が想像できると思う。結果次第では、ニューヨーク、パリに次ぐアート写真の中心市場に短期間で育っていく可能性があると感じた。しばらくは目が離せないフォトフェアになりそうだ。

「フォト上海(Photo Shanghai)」レビュー(1) アジアのアート写真中心地となるか?

9月5日から7日にかけて第1回「フォト上海」が上海展覧センターで開催された。
上海は中国中部の東海岸、長江の河口に位置する人口約2300万人の中国最大都市。経済成長を続ける中国を目の当たりにできる場所なので、フェア開催地としては最適だと思う。マネージメントは世界的にアートフェアーを手掛けるモンゴメリー(MONTGOMERY)が出資するWorld Photography Organisation (WPO)が担当。約40のアート写真を取り扱うギャラリーが世界中から参加している。約半分が上海をはじめ中国から。その他は、香港、東京、ロンドン、ベルリン、フロリダ、プラハ、ロサンゼルス、チューリヒ、サンタ・モニカ、コペンハーゲン、パリなどからだ。

Fahey/Klein、Peter Fetterman、Camera Workなどの業界大手ギャラリーも参加。日本からはアマナ・サルトが来ていた。初回でこれだけのギャラリーが世界中から集まったのは、実績のあるマネージメント会社への信頼と中国市場への大きな期待があるからだろう。

会場の上海展覧センターは、ソビエト連邦の経済技術支援を受けて「中ソ友好記念会館」として1955年に竣工したもの。先細りの塔が中央ホールの中心軸上にそそり立ったスケールの大きな歴史的な建造物。 

会場内部はアーチ型の高い天井と照明などの設えによりレトロな雰囲気を強く感じられる。ニューヨークのフォトグラフィー・ショーやパリ・フォトに近い趣がある。
ブースは2フロアーに分けて施工されており、1階のメイン展示場を囲むように2階展示場が設置されていた。会場の細部の作り込みには、一部雑な仕上げの箇所も散見された。メイン・スポンサーはソニーとイタリアの高級車マセラーティ。4K技術の実演や会場外の実車の展示などがあった。
特別展示は現代中国写真を展示する「Contemporary Photography in China, 2009-2014」と、Peter Fettermanコレクションからの見ごたえのあるヘンリ・カルチェ=ブレッソン展覧会だった。
私は土曜日の午後に訪れたのだが、会場の混雑ぶりには本当に驚かされた。一般入場料は50元(約850円)と地元感覚では決して安くはないとのことだったが、人気ブースの周りは本当に立錐の余地がない感じ。じっくりと作品を見る余裕はなかった。また来場者が人気作品をカメラで撮りまくっているのも特徴。記念撮影も当たり前だ。イコン的作品、ユニークなヴィジュアルの作品の人気が高いようだ。
職業柄どうしても作品売上をチェックするのだが、私の見た限り作品自体はそんなに売れている感じはなかった。東京、ソウル、タイペイなどのフォトフェアと同様に、鑑賞目的の観客か、カメラ好きのアマチュア写真家が数多く来場している印象が強かった。
しかし今回は中国での初フォトフェアであることから主催者も地元の観客の啓蒙を開催目的に掲げている。複数の参加者もそのように発言していた。会期中にわたり、写真コレクションに関するトークイベントなどが数多く企画されていた。
やはりギャラリーにとって、経済発展が続いている中国市場はとても魅力的であり、この地でギャラリーの知名度を富裕層たちにいち早くアピールしておきたいという心理が強いのだと思われる。街の持つエネルギッシュな雰囲気に実際に触れると、誰しも将来的にマーケットが育っていくような印象を抱いてしまう。 とにかく人口が多いので何が起きてもおかしくない。今回のフォトフェアがきっかけでもし実際にコレクターが生まれてくると、アジアにおけるアート写真の中心地は上海になる可能性も十分にあると感じた。
(以下はパート2につづく)