2016年の前半のアート・オークションの決算が発表されはじめている。クリスティーズは、前期の売り上げは約30億ドルで、前年同月比で約33%減少。特にコンテンポラリー・アート部門の売り上げが約45%も減少しているという。ライバルのササビーズの売り上げも同様に減少している。これらの要因として指摘されているのが、市場の不安定要因から委託者が希少作品の出品を見合わせている状況だ。欧米での売り上げが低下している中で、中国関連のみの売り上げが上昇している。Artpriceによるとこの地域は約18%の上昇とのこと。色々な分析が行われているが、これは中国景気が他地域よりも良いという訳ではないらしい。どうも長期的な景気低迷と為替下落傾向を予想して、富裕層の資産が香港などを通してアートなどのオフショアの実物資産に移されているからだそうだ。
カテゴリー: アート写真最前線
アート写真市場レビュー
2000年代の洋書写真集ブームを振り返る
なぜコレクションは定着しなかったのか?
2000年代の日本では、洋書写真集のコレクションがミニ・ブームだった。
いま思い返すに、このブームのきっかけはネット普及によりアマゾンで洋書がかなり割安で購入できるようになったからだと分析している。90年代、洋書店で売られていた写真集は高額の高級品だった。よく雑誌のインテリア特集のページ内でお洒落な小物として使用されていた。私は約30年くらい洋書を買っているが、かつてのニューヨーク出張ではスーツケースの持ち手が破損するくらい膨大な数の重い写真集を持ち帰ったものだ。
ブームが過ぎ去ったもう一つの理由は、写真集コレクションの本質が多くの人に理解されなかったからだろう。自分の感覚にあったビジュアルが収録されているお洒落な商品として本を買う傾向が強かったのだ。欧米では、アート写真コレクションの一分野として写真集の一分野のフォトブックが存在している。写真集とフォトブックとの違いは色々なところで解説しているので今回は触れない。さてコレクションとは高度な知的遊戯として一面を持つのだ。フォトブックはアーティストがメッセージを発信して、読者とコミュニケーションを図ろうとするもの。そのメッセージを理解するためには、読者も経験を積みアートの歴史を勉強して理解力を高めることが必要になる。ただ単に写真を見て、好き嫌いを表明することではないのだ。そしてアーティストの写真作品が評価されるのとまったく同じ構図で、フォトブックで表現されているオリジナリティーは写真史やアート史との比較、デザイン性や印刷のクオリティーなどが加味されて総合的に判断されていく。読者は、いわゆるアート写真リテラシーが高まることで、いままで見えなかったアーティストの訴えようとする時代の価値観が理解できるようになる。それを通じて自分自身をより良く理解できるようになる行為なのだ。知的好奇心を満たし、かつ自分を高めてくれる手段として取り組むことができれば、フォトブックのコレクションはライフワークとなる。
よく考えてみれば、日本では写真自体もあまりアート作品として理解されていない。デザイン感覚で評価する、アマチュアが趣味で撮影する、家族や友人間でコミュニケーションを図るツールとして認識されている。写真集の一種のフォトブックは、編集者やデザイナーが関わるので、アート作品とはより理解されにくい事情もあったのだろう。
現状分析をしてみよう。一時のブームは過ぎ去り、洋書店の数は激減し、様々な規模のオンライン・ブックショップが販売の中心になった。継続している洋書店や独立系オンライ・ブックショップは、価格でアマゾンに勝てないことからマニアックな写真集の取り扱いが中心になってしまった。それらは経験豊富な読者向けだ、一般の人にはかなり難解だろう。一方で、アマゾンで売られる洋書フォトブックは、明らかに情報過多の状況に陥っている。情報の整理整頓が全く行われていないのだ。私どもがアート・フォト・サイトで心がけているのは、そのようなマス・スケールで売られているフォトブックの宇宙の中からのお薦めのタイトルをセレクションしてテーマ性を解説することだ。フォトブック・コレクションには、本当に幅広い分野やカテゴリーが存在する。初心者のために、興味のある分野を見つけ出すきっかけ作りを目指しているのだ。
変貌する目黒インテリア・ストリート
ライフスタイル系消費とアート写真
ギャラリーの商売も、資産価値のある作品へのコレクターからの需要が中心。若手・新人は安いのでそこそこ売れるが、それ以外の中途半端な価格帯の作品の動きは非常に鈍い。
グローバル経済進展やIT革命による中間層の減少で、もはや先進国では消費ブームは期待できないという経済専門家の指摘もよく聞かれる。その大きなうねりがついに日本にも訪れつつある。ライフスタイル系消費とも本質が重なるのだが、いま人々がものをあまり買わない生活に向かっているといわれる。かつてはシンプルライフがあったが、最近は更に過激化して最小限のもので生活する断捨離やミニマリストも増加しているという。
2015年の日本マーケットを振り返る
市場の二極化が進行する
昨年は、日本で写真をアート作品として売ることの難しさを改めて実感させられた1年だったといえよう。アート写真市場の本格的立ち上がりを前提に行われてきた様々な試みが修正を迫られた。
まず2014年まで6回連続して行われていた東京フォト。私の知る限り、2015年は開催されなかった。日本は世界でも有数の経済大国で、写真市場が存在するはずと海外の関係者は考えていた。日本で開催される各種のアート関連のイベントは、そのような幻想から海外からの参加業者を集めてきた。しかし、海外勢は最低限の経費が回収できないと二度と参加しない。 東京フォトは2012年あたりをピークに海外参加者が激減した。2014年はわずか数社だけだった。
実は韓国で開催していたソウル・フォトも同じような経緯を辿っており、初回から運営を行っていた会社が2015年までで撤退するという。ともに来場者はあるものの、写真が思いのほか売れないことで商業ギャラリーの参加が減少傾向をたどってきた。
主催者は写真家の作品を展示して集客する、フォト・フェスティバル的(以下フォト・フェス)な要素を強めて生き残りを図った。しかし文化振興を目的としたイベント事業の開催は、民間ベースでは限界があったのだろう。東京とソウルの一連の流れは、2014年から経済の勢いが違う中国で上海フォトが始まったことも影響しているだろう。
しかし東京フォトの場合、主催者は強い実行力と豊かな人的ネットワークを持っている。海外から有力ギャラリーを招聘し、国際的なフォト・フェアを運営してきた実績は評価に値するだろう。日本独自のフォト・フェアの形を模索して、ぜひ再挑戦してほしい。
このように、コレクター向けの写真販売を目的とするフォト・フェアは、写真愛好家向けの写真展示、ワークショップ、レクチャーなどを行うフェト・フェス化してきた。フォト・フェスのほうがアマチュア写真家も参加しやすく、企業スポンサーも付きやすいのだと想像できる。その典型例が、写真での町興しを目的とする京都の「KYOTOGRAPHIE」だろう。
アマナが中心になって開催した「代官山フォトフェア」も、ギャラリーの販売目的から写真展示と各種イベント開催が中心のフォト・フェスへと軸足を移していた。写真雑誌PHaT
PHOTOも、大田区城南島で写真愛好家向けに「東京国際写真祭」というフォト・フェスを開催している。
写真があまり売れない以上、写真関係のイベントは企業が支援する形式にならざる得ない。写真はデジタル化し、スマートフォン普及などで、急激に民主化し、いまや誰でも写真撮影する時代になった。写真はアートとしてコレクションするものというよりも、自らが撮って楽しみ、また多くの人とコミュニケーションする手段として広がっていったのだ。
今後も、愛好家が集い、互いにコミュニケーションをはかるフォト・フェス的なものが中心に開催されるだろう。
アート写真に鳴り物入りで参入してきた商業写真大手のアマナも経営方針の見直しを行っている。蔦屋と共同でインテリア写真の世界的大手のイエロー・コーナーと合弁会社を設立させた。国内ではイエロー・コーナーでの商品開発や直営店での販売、小売店への卸を通して低価格帯の写真販売に力を入れるという。商業写真で培ったアマナのノウハウが生かせそうだ。
一方でアート系は、有名作家作品をプラチナ・プリントで制作するアマナ・サルトでの海外販売を中心にするそうだ。いままでの実体験を通して得られた市場の状況認識を反映させた現実的な対応だろう。
私も香港の「イエロー・コーナー・パリ」のショップを訪れたことがある。非常に綿密にマーケティングが行われたと思われるヴィジュアル、多岐にわたる取り扱い分野の品揃え、スタッフも親しみがあった。とてもカジュアルな雰囲気で、まさに入りにくいアート・ギャラリーとは対極の場所だった。
この分野の写真販売は一般商品の小売業と同じなので、利便性のよい家賃が高い場所への出店などが求められる。また在庫を揃えた上での薄利多売のビジネスモデルなので、どうしても資本力が必要になる。まさに企業に適した写真関連ビジネスといえるだろう。全くの新市場というよりも既存の版画市場と重なるので、ある程度の市場規模は見込まれる。市場規模が拡大すれば、欧米のように商業写真家やアマチュア写真家が、写真販売で収入を得る新たな道が開けるだろう。
このような状況下でも、欧米市場で資産価値が認められている外国人写真家のプライマリー市場での取り扱い作品はそれなりに売れていた。有名写真家のセカンダリー市場での作品がかなり高価になったので、日本でも中長期的な視点での次世代の有力写真家の物色が始まっているのではないだろうか。欧米のプライマリー市場では様々なキャリアも持つ資産価値構築過程の人たちにより厚い層が形成されている。この中での熾烈な競争から将来のブランド作家が生まれるのだ。
残念ながら、そのように継続して作家活動を行い実績を上げている日本人写真家は非常に少ない。つまりこのカテゴリーへの作品供給がなく、買う側にとっては日本人写真家はなかなかコレクション対象にならないのだ。
一方で、日本人写真家による低価格帯の写真作品、欧米の有名写真家のフォトブックはそれなりに売れていた。資産価値のある作品と低価格帯作品が売れるという市場の二極化傾向は2016年も続くと予想する。
セレブリティー写真はアートになりうるか?
テリー・オニール作品人気の秘密
世の中には各界のセレブリティ―を撮影したポートレート写真を取り扱うギャラリー、販売店が数多くある。そのなかには、いわゆるブロマイド的な被写体のみに価値が置かれた写真と、写真家の作家性と被写体の知名度がともに愛でられたアート作品として認知されている写真とが混在している。これは、ファッション写真と同様の構図で、そこにも単に洋服の情報を提供するだけのものと、撮影された時代性が反映されたアート性を持つ写真がある。
セレブリティ―を撮影したポートレート写真がアート作品になるかどうかは、被写体と写真家、エージェントと写真家との関係性により決まってくる。まず被写体と写真家が同等のポジションでないとアート作品になりうる優れた写真は撮影できない。多くの場合、撮影される機会が多い有名人は、どのようなアングルやポーズで撮ってもらうと見映えが良いかを熟知している。被写体がリードして、写真家に一般受けするありきたりの写真を撮らせることが多い。それらは被写体メインの写真といえるだろう。
しかし彼らがキャリアの転換点などで、いままでにない新しい写真を撮って欲しい時に世界的に知名度が高い有名写真家に依頼する。だいたい彼らは友人関係のことが多い。そのような時には、被写体は写真家とともに一種のアート作品を共に制作するような意図を持つ。それらは写真家の自己表現の作品であるとともに、被写体とのコラボ作品にもなり得るのだ。
いま東京で写真展を開催中の英国人写真家テリー・オニールを例にこの関係性を詳しく説明してみよう。
彼が、セレブリティ―たちと親しくなれたのはとても幸運だったからなのだ。時は1963年のロンドン。彼は新聞社の若手スタッフ写真家だった。若者に人気のあるバンドがアビーロード・スタジオでレコーディングしているので誰かが撮影することになった。彼はミュージシャンらと同年だったことから早々に現場に派遣される。
それが、1962年にシングル・デビューしたばかりのビートルズ。その時は1963年春に英国で発売されるファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の収録だったのだ。スタジオの裏庭で撮影された彼の写真はバンドの初公式写真となった。それらは一般紙に初めて紹介され、掲載紙は瞬く間に完売したという。
それがきっかけとなり、彼はまだ無名のザ・ローリング・ストーンズやデビット・ボウイを撮影することになる。彼らが親しくなったのには年齢が近いからだけではなかった。実はテリー・オニールは、写真家になる前はジャズ・ドラマーを目指していた。彼は当時のバンド・メンバーより、自分の方が技術は上だったと語っている。彼らはミュージシャンであるという共通項があったから瞬く間に親しい関係になったのだ。
周知の通りに、ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、デビット・ボウイはその後に世界的なスターに上り詰めていく。それに伴って、彼らを初期から撮影していたテリー・オニールのステイタスも上昇していく。音楽界だけにとどまらず、映画界、政界から撮影が殺到するようになる。その後、世界的な女優フェイ・ダナウェイと一時期結婚していたことで、彼自身がセレブリティ―写真家として広く認知されることになるのだ。
英国エリザベス女王、ライブ・エイドやFー1の集合写真、英国歴代首相、007シリーズなど、特別な舞台での撮影に彼は英国を代表する写真家として指名されるようになる。テリー・オニール作品の中には、ブリジット・バルドー、ロジャー・ムーア、ラクウェル・ウェルチ、フェイ・ダナウェイなどの被写体自身もサインをいれた作家とのダブル・サイン作品もある。彼がどれだけ親しい関係を継続しているかの証しだろう。
撮影を依頼するエージェントと写真家との関係性はどうだろうか。アート作品になるかどうかは、撮影時にどれだけ自由裁量が写真家に与えられるかによる。有名写真家になるほど、撮影スタイルが確立している。依頼主は完成する写真が想像できるので写真家の自由度が高くなる。テリー・オニールの活躍した60~70年代のファッション、ポートレート写真では比較的に自由に仕事ができたそうだ。編集者が力も持つグラフ雑誌のフォトエッセーよりははるかに自由度は高かったといえるだろう。
80年代から次第に撮影に制限が加えられるようになったという。ファッションや出版メディアがビック・ビジネスとなり、彼らが様々な事態を想定して自己規制を行うようになったのだ。健康被害を思い起こすタバコ、宗教的、人種差別、性差別などに事前に配慮したヴィジュアルが求められるようになるのだ。その後、自由な表現を追求したい写真家とエージェント、クライエントとの戦いが繰り返されることになる。多くの写真家は、この分野の自由な表現の可能性に見切りを捨て、業界を去ったりファインアートを目指すようになる。21世紀になりデジタル化が進行したことで、写真家に与えられる自由裁量はさらに狭まるのは多くが知るところだ。
最近ではクライエントやデザイナーの指示でカメラを操作するオペレーターのような存在になっている。このような不自由な状況では、かつてのようにポートレート写真から時代に残るようなアート作品が生まれ難くなってしまった。テリー・オニールがいま撮影をしない理由は、77歳という年齢だけではないのだ。最後の自分が納得のいった仕事はネルソン・マンデラの撮影だったという。
セレブリティ―写真がアートになるには、上記の前提とともに写真家のアート性も重要だ。テリー・オニールは世界的なセレブリティ―たちの自然な表情のポートレートを撮影することで定評がある。その一種のドキュメンタリ性を兼ね備えた作風が広くアート界でも認識されているのだ。
彼は自然な表情を撮影するための環境造りが重要で、あとは瞬間を切りとるだけだと語っていた。最も尊敬する写真家はユージン・スミス。彼も撮影環境作りを重視し、被写体が写真家を意識しなくなるまでカメラを取り出さなかったという。テリー・オニールも、同じアプローチを実践している。彼は時に被写体と行動を共にし、 また姿を隠したりしてシャッターチャンスを待ったという。
彼は写真家として成功する秘訣は、あまり目立たないことだといっている。その意味は最初は良くわからなかったが、いろいろ話してみて、被写体にとって写真家が自然の存在になることで良い写真が初めて可能になるという意味なのだと分かった。彼の写真は、セレブリティーが被写体のドキュメンタリーなのだ。そしてこれはアーヴィング・ペンが白バックで有名人のポートレートを近寄って撮ったことで知られるのだが、セレブリティ―の顔自体が時代性を反映しており、それらは広義のアートとしてのファッション写真であるとも解釈できるのだ。
アート作品と評価されるには、受け手となるオーディエンスが暮らしていた時代背景も重要になる。戦後から90年代前半までは、先進国の多くの人たちが、「明日はより経済的に豊かになれる」という共通の将来の夢が持てた時代だった。そのような気分が反映されていたのが、テリー・オニールの写真だった。いまは人々が持つ価値観は多様化してばらけてしまった。現代の写真家がそれを、世の中から拾い出して社会に提示することが極めて難しくなってしまった。それゆえ、多くの人が共通の夢が見れた時代に対する懐かしさを持つようになる。それらはビートルズなどの音楽や、60~80年代のファッション写真であり、テリー・オニールのポートレート写真なのだ。
21世紀の現代は、多くの人に共通に愛でられるアート作品になり得る、セレブリティー写真、ファッション写真が非常に生まれにくい時代になってしまった。
いまのテリー・オニールの世界的なブームはそのような状況で、過去の優れた写真家を再評価しようというアート界の流れから生まれているのだ。
一般の人にとって、セレブリティーが被写体の写真はみんな同じようにみえるかもしれない。しかし、将来的に資産価値を持つアート作品と、それ以外のブロマイド的作品とがあるのだ。コレクションを検討するときは写真の表層だけではなく、写真家のキャリアや作品が生まれた背景についても綿密に調べてみてほしい。
アート・ギャラリーの存在意義とは
都会のコミュニティになり得るか?
現在の日本社会、特に都会においては人と人とのつながりが希薄化し個人が孤立傾向を深めているといわれている。無縁社会といわれるように、人は数多くいるものの、隣人が誰か知らないような社会なのだ。更に悪いことに、戦後社会における日本人の共通価値観だった経済成長もいまや望めない状況だ。そのような状況で、多くの人はやむなくネット空間に自分の居場所を見つけようとしたりしている。
かつて「孤独な都市風景」という、グループ展を企画開催したことがあった。新人、中堅写真家中心の展示であったが、マスコミでの評判も良く非常に幅広い年齢層の人が来廊した。都会住民はみな孤独を抱えていて、それが反映された風景写真を見てみたいという気持ちにかられたのだろうと分析した。
アート・ギャラリーの社会での存在意義は、孤立した個人が住む都会でのコミュニケーションの場としてだろうと考えている。好きなアーティストや作品、被写体のことを語り合うことで他人同士がつながる可能性を持つ場所になり得るのではないか。まったくの他人どうしがギャラリー空間で初めて会い、いきなり作品について自由に語ることができる。
また、いま存在する多くのギャラリーは、従来の共同体的コミュニティになっているとも感じている。写真展を見に行ったが、常連のような人が集っていて居心地が悪かった、ギャラリーの対応が冷淡だったという経験を持つ人も多いのではないか。アーティストやギャラリー関係者が中心になり、利害が同じであったり気の合う人たちだけで集い、外部に対して排他的な空間を作り上げているのだ。
撮影年にその人がどのアルバムを発表して、どのような境遇だったかまでも知っているのだ。作品にはハイネコートによる英文のエピソードが添えられているが、多くの人がそれを読んで反応している。まさにロック音楽リテラシーが高い人たちが多いのだ。
店頭では写真集「ABBA to ZAPPA」を販売している。アーティストが日本では無名なのでそんなに売れないと見込んでいた。しかし、ロック音楽リテラシーが高い人たちは、ヴィジュアルを通してハイネコートがミュージシャンたちと高いコミュニケーションをとっており、音楽雑誌などで見るブロマイド的イメージを超える高レベルの写真を撮影していたことを理解してくれるのだ。ハイネコートは記録目的でロックシーンを撮影していたのではない。ミュージシャンのメッセージに共感して、彼らの生き方が好きだったから撮影していた。
それ故に80年代になりミュージシャンのメッセージ性が希薄になり、お金儲け優先になり、撮影の自由が制限されるようになるとロックシーンの写真撮影をきっぱりと止めているのだ。今回の来場者は、彼と同様のスタンスで当時の音楽に接していた人たちなのだろう。同類の匂いを感じるがゆえに彼の写真を愛でてくれてるのだと解釈している。なんと写真集の初期入荷分は直ぐに完売して慌てて追加分を取り寄せた。
アート写真リテラシーという言葉の意味は、このロック音楽リテラシーと同じようなことなのだ。写真展やフォトブックを継続してフォローする中で、自分がどんなテーマ、コンセプト、ヴィジュアルを持つアート写真に共感できるかを把握できるようになることなのだ。しだいにそれらが関連付けられて、好きなアーティストのリストが出来上がっていく。
ギャラリーは、何かが好きで、その情報を共有する人たちの、とてもゆるい繋がりの都会的なコミュニティになる可能性がある。誰しも自分の好きなことを、同じ趣向の人と話すのは好きだし、気持ち良いのだ。
ギャラリーがコミュニケーションの場になってもビジネス的にはどうだろうか。日本ではアートは鑑賞するものといわれているではないか、というツッコミもあるだろう。それは今後どれだけアート写真コレクションに興味を持つ人が増えてくるかによると考えている。ギャラリー店頭で日々多くの人と接しているが、アート写真リテラシーの高い人は確実に増加していると感じている。彼らは、単に商品として作品や写真集などを購入するのではない。知的遊戯としてのコレクションを楽しんでおり、ギャラリーという場と時間を消費しているのだ。
まずギャラリーが高いレベルの情報交換やコミュニケーションの場として機能しなくてはならない。ビジネスはその先に生まれてくるのではないだろうか。
2015年アート写真市場がスタート
最新オークション・レビュー
最近は、クリスティーズ、ササビーズ、フィリップスの大手オークションハウス主導でアート写真がラグジュアリー・アート化してきた。そのような状況下、中小業者の市場での棲み分けと役割がかなり明確になってきた感がある。だいたい1万ドル(約120万円)以下の低価格帯中心の、伝統的な20世紀写真の取り扱いに特化する傾向が強くなってきたのだ。
それは大手が取り扱わない、価格帯、分野に専門性を発揮していくということ。大手は、優れた作品中心に出品作をかなり絞り込んでセレクションする。写真史や、カテゴリーも意識した上で出品作を調整してカタログを制作してくる。そして、過去に不落札になった作家の作品には冷たい。彼らは売却希望者の作品をすべて取り扱うのではないのだ。
中小はといえば、まったく逆の対応をする。市場性がない作品、落札予想価格の低い作品、無名な写真家の作品、作家のサインのない作品、作者不詳の作品、場合によってはプレスプリントまで取り扱ってくれる。一部のロットについては最低落札価格を設けない、いわゆる成り行きの入札が採用されるケースもある。
かつては大手が取り扱っていたフォトブックも中小が専門に取り扱うカテゴリーになりつつある。
中小業者にとってオークション開催時期も非常に重要になる。大手3社は、春と秋に大規模なオークションをニューヨークで開催する。それに続いて欧州のパリ、ロンドンなどで中規模のものを行うのが年間スケジュールとなる。中小業者はそれと重ならない時期を選んで開催する。それがちょうど今の時期にあたる。 2月にスワン・ギャラリー、3月にブルームスベリーでアート写真オークションが開催されたのでその結果のレビューをお届けしよう。
スワン(Swann Auction Galleries)ニューヨークは2月19日に”Fine Photographs”を開催。いよいよ2015年のアート写真オークション・シーズンが始まった。出品作品は173点で落札率は約72%、総売り上げは約93万ドル(約1.12億円)。昨年12月のオークションよりは数字は改善しているものの、驚きのない標準的なオークションだった。最高額はヘルムート・ニュートンの”Portrait of Karl Lagerfeld in Paris, 1976″。これは72.4x113cmサイズの大判作品。ほぼ落札予想価格下限の75,000ドル(約900万円)で落札。ラガーフェルドとニュートンという、大手が得意とする典型的アイコン&スタイル系の人気がここでも高かった。カタログの表紙だった、森山大道のシルクスクリーン作品”Kuchibiru (Black)” は不落札だった。
結果は、前者の出品作数は213点で落札率は約75%、総売り上げは約32.6万ポンド(約6136万円)。後者は、出品作数は245点で落札率は約56%、総売り上げは約13万ポンド(約2447万円)だった。
最高額は、単独コレクション・セールでのジュリア・マーガレット・キャメロンによる鶏卵紙プリント”The Dream, 1869″。1.86万ポンド(約350万円)で落札された。カタログ・カヴァーを飾る、エドワード・スタイケンのシルバー・プリント”Eva le Gallienne, 1923″は4000ポンド(約75万円)だった。同社の結果も、昨年11月より数字は改善しているものの話題の乏しいオークションだった。
世界経済は原油価格低下や長期金利低下により消費中心に改善傾向にある。特に富裕層は、世界的な金融緩和による資産価値上昇で潤っている。一方で、デジタル・テクノロジーの進歩と経済のグローバル化を背景に中間層の所得はいまだに低迷。今回の結果は、中低価格帯アート写真の主要コレクターである中間層からの需要低迷が反映されていると考える。
高額セクターの好調と、中低価格セクターの低調という、市場の二分化が相変わらず続いている。金融市場の世界的な長期金利低下とともに、この状況は景気循環というよりも何かもっと大きい構造的な変化ではないかと感じている。この点についてはもう少し情報を集めて分析を行いたい。
それでは2015年の高価格帯の写真市場ははどうだろうか?次回のオークションレビューでは、先月にロンドンで行われた現代アートオークションでの写真関連の結果を分析したい。
ピーター・リックの7.8億円写真とアート・フェア用の抽象絵画
勢力拡大するする高額インテリア・アート
最近の欧米のアート・メディアで話題になっていて、私が注目しているのが「ゾンビ・フォーマリズム(Zombie Formalism)」とピーター・リック(Peter Lik)の高額写真作品だ。アート系情報を取り扱うウェブサイトでも頻繁に取り上げられるので、聞いたことがある人も多いだろう。絵画と写真でまったく異なる分野のアート作品の話題だが、報道される視点はかなり似通っている。欧米のアート界の現状を象徴している現象ともいえるので紹介しておこう。
「ゾンビ・フォーマリズム」は、アーティスト・批評家のウォルター・ロビンソン氏が指摘する最近のアート・トレンド。ゾンビは死体のまま蘇った人の総称。直訳するとゾンビのように蘇った、型式主義のフォーマリズムという意味になる。
それは、35歳以下の比較的若い男性アーティストが制作した、見やすく、内容が希薄な、マンネリ化した抽象作品のことをさしている。インテリア・コーディネートに向いていて、売ることを主目的に制作されている作品の総称ともいえる。それらが、アートフェアで良くみられることから、アートフェア・アートともいわれている。
また、これらは2010年代に急増したアートで投機を行う裕福なコレクターたちの対象になっている。彼らはオークションなどを通して短期間に売買を繰り返し、値段を何10倍に吊り上げたりする。有名アーティストと違い、当初の値段が安いので結果的に非常に高い利回りの投資となるのだ。まるで株式公開(IPO)投資と同じだと指摘されている。
これはまさにアート・バブルそのもので、ブームが去るとそのアーティストの相場は急激に縮小してしまう。それは店頭公開した企業が倒産するのと同じ現象だ。
ピーター・リック(1959-)はオーストラリア出身の風景写真家。アート界での知名度がほとんどないが、昨年”Phantom”という1点もの作品が6.5mioドル(約7億8000万円)でコレクターに売れたと自らがプレスリリースを発表して話題になった。
NYタイムズによると、彼は大量生産の絵画風プリント販売で知られるトーマス・キンケードの写真バージョンのような存在であるとのことだ。作品は彼が経営する約15のギャラリーで販売される。それらはハワイ、ビヴァリー・ヒルズ、キーウェスト、マイアミなどの観光地にあり、アートの知識がないお金持ち相手に商売している。限定エディションが995点、最初は4000ドルで販売を開始。売れるごとに、将来的な供給が減ることから値段をステップアップする方式をとっている。ギャラリーでの作品販売価格が上昇するので、買った人は所有作、の資産価値が上がったように感じる仕組みなのだ。エディション数が異常に多いものの、これはアート界では一般的に行われている手法だ。
しかしアート写真の資産価値を証明するオークション市場での取引実績はほとんどないことから、彼のやり方に対して業界内で議論を引き起こした。私も2013年のデータを調べてみたが、大手オークション業者の取引実績はなく、中小業者でわずか4件が出品されていた。最高額はわずか2500ドル(約30万円)だった。6.5mioドルの取引実績はセカンダリー市場の相場とかけ離れており、今回の発表は彼の作品の既存コレクターや、自身のギャラリーでの販売促進策だったのではないだろうか、という疑念がわいてくる。
まるで日本でもおなじみの、イベント会場で販売されるハッピー系のプリントと同じではないだろうか。
上記の2例は、アート・コレクション経験の浅い人たちや、単にアートを投機の対象とした人たちがターゲットになっている。シリアスなアートコレクションを行うためには、相当量の勉強と経験が必要になる。それは歴史を勉強して、美術館やギャラリーを回って多くのよい作品を見て、ディーラーやアーティストから情報を集めることだ。その積み重ねの上で自分なりのアートを見る視点が構築されていく。しかし、そんな面倒なことはしたくないが、壁に飾るアートが欲しい、短期間に値が上がるアートが欲しいという人もいる。彼らは、多くのギャラリーが一堂に集まるアートフェアや旅先のギャラリーに行き、自分のフィーリングにあったアートを買う。旧来のギャラリーが衰退して、アートフェアが活況を呈している背景には新しいタイプの裕福なコレクターの増加があるのだ。
このような事象が話題になるのは、欧米のアート界の根底にはお金儲けのためのインテリア系アートとオリジナリティーを追求するファイン・アートは別だという認識があるからだろう。アーティスト、ギャラリー、アートフェアでも明確な区別がある。市場が拡大するとどうしてもアート・リテラシーが低い富裕層が市場に参加してくる。 そうなると、マーケティングが行われて、彼ら好みの作品が大量に供給されるようになる。彼らを想定して商品開発されたのが「Zombie Formalism」の抽象絵画とピーター・リックの写真作品なのだ。やがてアートの歴史に足跡を残すよりも、お金儲けを優先する業界関係者の存在感が大きくなっていくのだ。
アート界では、これらのアート性があいまいな作品や作家の存在は、市場拡大時の必要悪としてある程度までは黙認されている印象もある。その存在感が一定のレベルを超えて目立ってくると、評論家・アート・ライターなどの専門家による区分けを明確にする行動が顕在化する。新しいコレクターは、ファイン・アートとインテリア・アートの区別がつかない。両者に違いがあることすら認識されていない。特に写真に関してはその傾向が強い。専門家は警告を発して、バブルを鎮静化させて、市場の健全化を図ろうとする。この辺が西欧アート界のシステムの良心であり、バランス感覚だと感心してしまうところだ。
翻って日本には、このようなアート界のお目付け役的なメディアの存在感が感じられない。特にアート写真に関しては、感想を述べる専門家はいるが、市場を俯瞰して問題提起したり批評する人は非常に少ない。
セレブリティ―の写真はアート作品になり得るのか? アート写真の新ジャンル誕生の予感
有名ミュージシャンや映画スターを撮影した写真作品はアートギャラリーとしては非常に扱いにくい。どうしても作家性ではなく、セレブリティ―である被写体で写真が評価されてしまうのだ。世界的に、それらが被写体のオリジナル・プリントが数多く販売されている。それらは、アート作品ではなく有名人のブロマイド写真のような扱いになっていることが多い。海外ギャラリーでの販売価格は、インテリア系写真とほぼ同じ相場になっている。だいたい1000~2000ドル(約12~24万円)くらいだ。日本から考えたら高価だが、海外ではインテリア系写真でも相場はそのぐらいするのだ。
かなり以前から、有名写真家が撮影したセレブリティ―の写真作品は存在していた。ホルスト、リチャード・アヴェドン、アービング・ペン、ジャンルー・シーフ、ハーブ・リッツ、ブルース・ウェバーらのフォトブックにはそれらがポートフォリオ作品の一部として収録されている。被写体が有名人でも特別扱いはなく、写真家の作品相場が販売価格の基準だった。いまでもそのように販売している人もいる。
ところが最近になって、有名写真家が撮影した一部アイコン的なセレブリティ―の作品を、特別に販売する新市場が生まれつつあるようだ。それらは、少数限定、大判サイズという、現代アートのマーケティングを利用して、従来よりもかなり高額の値段設定を行っている。
2015年、大手出版社のタッシェンが米国西海岸ビバリー・ヒルズにギャラリーを新規オープンさせ、ローリングストーズが被写体の複数写真家による写真作品の販売を開始した。昨年、彼らはローリング・ストーンズのメンバーのサインが入った豪華写真集を制作。 デビット・ベイリーのオリジナル・プリントが付いたアート・エディションは、限定75点、15,000ドル(約180万円)で販売している。今回、ギャラリーでは写真集に収録されている作品を販売。主目的な豪華写真集の広告プロモーションだと思われる。しかし巨大サイズ(一番大きいのは約139.7x 143.5cm)、エディション5~10と限定数を少なくすることで、販売価格は非常に高価になっている。デビット・ベイリーやアルバート・ワトソンが撮影した作品の中には1000万円近くするものもある。
サイズとエディションがこれまでとは違うので直接の比較はできないが、それらは写真家のギャラリー店頭での作品相場とかなり離れている印象だ。あるコレクターからの情報によると、被写体のミュージシャンに多額のコミッションを支払っていることが理由らしい。どうもこの新ギャラリーは、アート市場の従来のコレクターではなく、富裕層を顧客相手と想定した、時代のアイコンをテーマとした「ラグジュアリー・アート写真」というような、まったく新しいカテゴリーを意識しているようなのだ。
ギャラリーがアートの中心地ではないビバリー・ヒルズに設置されたのも納得する。つまり、富裕層は誰でもわかる時代のアイコン的な作品を好み、特に写真コレクターのように写真家の適性相場などを気にしない。銀塩写真に対するこだわりもないので、すべてインクジェットで制作されているのだと解釈できるだろう。
商業ギャラリーでも、有名写真家が撮影したアンコン的なセレブリティ―作品を、少数限定、大判サイズで販売する例が散見されるようになってきた。上記の写真家と重なるが、ピーター・リンドバーク、アニー・リーボビッツ、アルバート・ワトソン、デビット・ベイリー、ピーター・ベアードなどだ。
しかしミュージシャンに限ると、高額でも売れるのは、熱狂的なファンがいるザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズ、デビット・ボウイ、ボブ・ディランくらいになる。リンドバークがキース・リチャーズを撮影したシリーズは、エディション3、サイズ120X180cm、裏打ちされた銀塩写真で、1000万円以上するイメージもある。インクジェット作品でないのが商業ギャラリーのこだわりだと感じている。
英国を代表するファッション・ポートレート写真家のテリー・オニールは、本人と被写体のサインが入った、極め付きのセレブリティ―作品を制作して話題になっている。いままでに、フェイ・ダナウェイ、ブリジット・バルドーのダブル・サイン作品を発表している。(上記の掲載イメージ)こちらはエディション数が50点と比較的多く、サイズも50X60cm程度で、当初販売価格が80万円くらいからと、上記の例よりもはるかに買いやすく商品設計されている。少し前に在庫状況聞いたところ何とほぼ完売状態とのことだった。今度は、ロジャー・ムーアとのダブル・サイン作品がリリースされる予定らしい。
また、デビット・ボウイの代表作「アラジン・セイン」(1973年リリース)のLPカヴァーを撮影したブライアン・ダフィー(1933- 2010)の財団も興味深い作品制作を試みている。ダフィーは、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で行われたボウイの回顧展開催がきっかけで作家性が再評価された。写真家本人は亡くなっているものの、なんと被写体のデビット・ボウイがサインした約100㎝四方の大判作品を制作したのだ。エディションは25点なのだが、売り上げは好調のようで、現在の価格は300万円以上だという。
いずれにしても、このようなプロジェクトは、写真家と被写体とが相当に尊敬し合う関係性を構築してないと実現できない例だ。現代ではちょっと考えられないだろう。
私がいつも主張しているように、ファッション写真でも、単に洋服の情報提供だけでなく、撮影された時代の気分や雰囲気が作品に取り込まれていればアートになり得るのだ。現代アートが時代のコンセプトを提示するように、それらは時代が醸し出すフィーリングを表現しているのだ。セレブリティーは、その顔や存在自体がファッション同様に時代を反映しているといえる。優れた時代感覚を持った写真家が撮影したセレブリティ―写真のなかにも、アートになり得る作品が存在すると考える。
少数限定、大判サイズの現代アート的なアート写真作品が市場に登場してきたときにも値段の正当性についての議論がなされた。しかし、従来のアート写真コレクターが疑問符を投げかける中で、現代アート分野のコレクターにより作品は受け入れられてしまった。2012年の、ウィリアム・エグルストン初期作品を大判作品化で行われた単独オークションは大成功だった。
この流れは、難解なコンセプトを持ち、コレクターの高いアート理解力を求める現代アート作品に対するアンチテーゼでもあるだろう。時代のアイコンの写真作品は、誰にでもわかりやすく、受け入られやすいのだ。そして欧米では有名写真家自体がアーティストでセレブリティ―であることも忘れてはならない。有名写真家と時代のアイコンとのコラボレーション作品とも解釈できる。限定、大判サイズとともに、ダブルネームにより値段が高くなったといえないことはない。
上記の販売例をみるに、実際の市場では、現代アート・コレクターや富裕層がそれらの作品の価値を認めつつあるようだ。また投資的な視点を持つアート写真コレクターも買っているという。大きなくくりの現代アート市場が、従来のアート写真市場を飲み込んでしまった状況が改めて印象付けられる。その流れの中でセレブリティー写真が独自の進化を始めているようだ。
個人的には、現在のような一部セレブリティーがアイコン化する以前に撮影された70~80年代くらいの銀塩写真作品に注目している。それらは、サイズは小さめで、エディション数が多めなので、相場も比較的リーズナブルだ。現在のセレブリティ―写真の活況を見るに、優れた写真家によるそれらのファッション、ポートレート作品は明らかに過小評価されていると感じる。もしかしたら、単に現代アート・コレクターや富裕層がまだ気づいてないだけかもしれない。
2015年のマーケットを展望する アート写真の格差拡大が進行?
2014年に私が最も注目したのは7月のクリスティーズ・パリで開催された「Photographs Icon & Style(イコン&スタイル)」オークションだった。通常7月にはメジャーなアート写真オークションは開催されないが、パリコレ期間を意識してあえて夏休み前の時期に行われたようだ。売上総額約253.2万ユーロ(約3億5325万円)、落札率約74%とオフシーズンにしては極めて好調な結果だった。最高額はアーヴィング・ペンのダイトランスファー「Gingko Leaves, NY, 1990」。これは写真集「Passage」(Alfred A. Knopf 1991年刊)の表紙作品で、285,000ユーロ(@140、約3990万円)で落札された。
つまり、現代アートでは時代の持つアイデア、コンセプトを重視するが、ファッション系では時代の持つ気分や雰囲気が作品に反映されている点を評価する。イコン&スタイル系作品は単にブランド写真家の代表作というだけではないのだ。またイコン的とファッション系の写真がそれぞれ売れているという意味でもないので、注意が必要だろう。この両方の要素を兼ね備えた作品が売れるのだ。クリスティーズはこの点を意識して、極めて綿密に出品作のセレクションと編集作業を行っていた。
12月にニューヨークのボンハムス(Bonhams)で開催された「The
Art of Fashion Photography(ジ・アート・オブ・ファッション・フォトグラフィー)」はこのイコン&スタイル系作品の意味を勘違いをした例だろう。一部には優れたアートとして通用するファッション系作品も見られたが、多くは単に洋服を撮影したモード写真、ファッションショーのドキュメント写真、有名人を撮影しただけのポートレート写真、現代アート風に大判サイズで制作されたインテリア系の写真だった。ただファッション、セレブリティ―風の写真を集めてきたという印象が強い。大手と中堅とのオークションハウスの実力の違いが強く感じられた。
in Wartime (Dorian Leigh and Evelyn Tripp), New York, 1950″(4~6万ドル)。有名作家の作品だが、有名イメージでないことから不落札。最終的な落札率は約32.6%、非常に厳しい結果だったといえよう。
しかし、イコン&スタイル系はアート写真の中でも富裕層が多い現代アートのコレクターが興味もつ分野である。優れた作品さえ提供できれば将来性が高いといえよう。来年も営業力のある大手オークション・ハウスは力を入れてくると思われる。この分野、いまや人気のカテゴリーとなり、かつてのような割安感は完全に無くなってしまった。コレクターにとっては、適性レベルの相場ならばドル資産を持つと考えて有名作品をコレクションするのは悪くない選択だと思う。今年は為替レートが大きく円安に動いた年だった。円は最も高かった時期と比べて約50%も価値が落ちている。日本人写真家の作品のドル建ての価値が減少し、外国人写真家の円貨の価値が上昇したということだ。あまりにも短期間の急激な変化なので、どうしても購入心理に影響を与えてしまう。
円高時には、外国人の若手・新人写真家が割安感から買われことがあったが、今後は多少高くても本当に資産的な価値のある作品の方が選ばれるようになるだろう。この傾向は洋書フォトブック市場にも出てくると思う。いまや主流購入先となったネット・ショップでは、常にその時点での為替レートが円価格に反映される。円高時のように、面白そうだからと気軽に新人・若手のフォトブックを買う人は間違いなく減少していくだろう。しかし、ずっと主張しているように写真集のなかのフォトブックはアート写真作品の一つの形態なのだ。多少輸入価格が上昇しても、作品として中身を吟味して優れたものはコレクションしていきたい。
いまフランス人経済学者トマ・ピケティの著書「21世紀の資本論」が日本でも話題になっている。彼は歴史的に労働者の収入の伸びよりも、資産が生む収益の伸びが大きい事実を膨大な資料分析から明らかにしている。最近の格差拡大は資本主義システムに内在する要因により引き起こされており、グルーバル資本主義の先に中間層のさらなる減少の可能性を示唆している。
最近のアート写真市場をみるに作品間の価値格差が広がっており、ピケティの主張とかなり重なっている印象がある。先週紹介した、極めて貴重なヴィンテージ作品が数多く出品された”175 MASTER WORKS TO CELEBRATE 175 YEARS OF PHOTOGRAPHY”は、総額の売り上げが2132万ドル(約25億5900万円))、落札率も90.3%。まさに驚異的な好結果だった。最近は、高額価格帯作品が出品されるオークションの落札率が高い一方で、低価格帯作品のものになると落札率が極端に低くなる傾向がある。これはオークションハウスの格差拡大とも重なってくる。大手のブランド・ハウスのササビーズ、クリスティーズ、フィリップスと比べて、それ以外の中小ハウスでのオークションは総売り上げが100万ドル(1.2億円)以下で、不落札率が高いのだ。そして中小ハウスでの低価格帯の出品作品数が増加傾向にある。中間層の没落がいわれているが、いままでアート写真をコレクションしていた中間層が高齢化して資金的な余裕がなくなり作品を手放しているのではないだろうか。
またギャラリーの店頭市場の規模はオークション市場の約1倍~2倍といわれている。上記状況は、店頭での低価格帯作品の売り上げ減少を示唆している。今後は、ギャラリー格差、アーティスト格差も拡大していく可能性が高いのではないか。現代アート分野ですでに始まっているギャラリー淘汰の波が写真分野にも訪れるかもしれない。新興のギャラリー、若手・新人の写真家には厳しい環境が続くだろう。
2015年には、為替レートを見ながら、低価格帯の作品群の中から将来性のあるイコン&スタイル系作品を探していきたいと個人的には考えている。
