ソウル・フォト2011(Seoul Photo 2011)アジアのアート写真最前線 Part-1

 

先週末に開催されたソウル・フォト2011(Seoul Photo)に参加してきた。とりあえず速報をお伝えしよう。
このイベントは今回で4回目になるアジア最大級のフォト・フェアだ。昨年の来場者は約47,000人だったとのことだが、今年もかなり混雑していた。展示者は昨年の22から31に大きく増加、新たに経済発展が続いている中国のギャラリーが多く参加している。日本からの参加ギャラリーはブリッツのみだった。(ブックショップ部門には小宮山書店さんが参加している)主催者によると東日本大震災の心理的影響による参加キャンセルがかなりあったようだ。
会場では本当に多くの参加者、入場者から日本への見舞いの言葉をもらった。今年は大震災復興支援のために、「Japan Again」というチャリティー販売の特別ブースが設置されていた。個人的には、もっと多くの日本のギャラリーが元気な姿を見せてほしかった。ソウル・フォトはアジアのアート写真市場で韓国のハブ化を目指して開催しているという。アジア地域での、日本の経済、政治面の存在感低下がいわれて久しい。アート写真分野においても同じような状況になりつつあるようだ。

今回は中国の存在感を強く感じた。中国からギャラリーとともにコレクターも数多く来ていた。彼らは韓国の現代アート的な大判作品よりも、モノクロの小さな銀塩写真に興味を示していた。少なくとも、彼らは韓国人コレクターよりは欧米的な感覚を持っているようだ。
中国を代表するアーティストの王慶松(ワン・チンソン)は、大判作品4点が専用ブースに展示されていた。本人も来場していたことから多くの来場者の注目を浴びていた。何と1点3億ウォン(約2200万円)の作品2点が売れたとのことだ。そのせいか、ご本人はずっと上機嫌で気軽に記念撮影に応じていた。
昨年は、全般的に作品が売れている印象はなかった。今年は一転して地元作家中心にかなりの数が売れていた感じだった。3日目終了時点まで、約60点以上に赤丸シールが付いていた。

大陸のテイストは、繊細な感覚を持つ日本人の好みとはかなり違う。カラフルで大きな作品が好まれるようだ。中国や韓国には欧米や日本のように銀塩写真の歴史がない。絵画や現代アート分野の作家が写真を表現方法に取り入れて市場が展開していったそうだ。今年もコレクターの好みを意識した現代アート風の大判作品が数多く展示されていた。多くが、欧米ではあまり見られなくなったアクリル版への直接貼りだった。しかし、現代アートの要である作品コンセプトや時代性はやや弱いと感じた。この点が、現代中国の変化をテーマにする王慶松とは決定的に違う。
私は市場特性を意識した作品展示の必要はないと考えている。今年も、11×14″から20X24″位のサイズの作品を展示。マイケル・デウィック、トミオ・セイケなど、大震災チャリティー関係で横木安良夫、下元直樹だった。コンセプトが明快な写真作品は、サイズが小さくても、メッセージがあいまいな現代アート作品より優れていると思う。面白かったのは、多くの人がブリッツを日本のギャラリーだと気付かなかったこと。ステレオタイプの日本的写真を紹介していなかったからだろう。
アート写真の歴史と伝統は国ごとに違うし、独自に発展している。あえてその違いを地元に見せることもフォト・フェアに参加する外国ギャラリーの役割だと思う。
なお韓国写真事情と市場の分析は近日中にお届けします。

2011年春のNY写真オークション速報 根強い優良作品への需要!

 

さて、現在のアート写真を取り巻く環境はどのようになっているのだろうか。いまのところ米国の経済活動はリーマンショックから立ち直り改善傾向にあるようだ。 しかし、これは金融緩和策による資金の大量供給による効果だ。新たなバブルを起こして需要や雇用を喚起しているのではないか? 新興国の輸出依存、米国の消費拡大と海外の資本依存の構造は以前と変わっていない。金融市場は安定しているものの、問題は根本的に何も改善されていないように感じられる。もしかしたら新たなリスクをはらんでおり、いまの状況は嵐の前の静けさかもしれない。 実際に商品、海外不動産市場などには投機的な価格上昇が起きている。

次のリスクは中国発になるかもしれない。過剰流動性により不動産などの資産バブルが起き、物価も上昇しているのだ。リーマンショック後に行った金融緩和は経済の失速を救ったが再びバブルを発生させた。中国はこの半年で4回の利上げを行っている。明らかにバブル潰しに取りかかっている。 なぜか? それは中東で起きた市民革命の影響だ。貧富の格差拡大、高いインフレ率が革命の背景になっている。中国当局者にとって体制維持が最優先順位。これ以上一般市民の不満を高めることはできないのだ。

中国発バブルは世界のアート市場にも波及している。以前、中国の花瓶が歴史的な高額で落札されたことを紹介したが、いまや中国人コレクターが世界中の市場で圧倒的な存在感を示しているのだ。米国総合誌ザ・アトランティックのアソシエート・ライターのディレック・トンプソン氏は、オークション・ハウスのササビーズの株価上昇からアート・バブル崩壊のにおいを感じ取って記事を書いている。いま、ササビーズの株価がここ数年の高値圏で推移しているのだ。特に今年になってから急上昇している。過去20年間に3つのアートバブルがあった。 それらはササビーズの株価に反映されている。80年代後半の日本のバブル期、90年代後半のITバブル期、そして2006~2007年のリーマンショック前のグローバル経済期だ。いずれもバブルは崩壊して同社の株価も急落している。そして2011年の今が中国発バブル期というわけだ。金に糸目をつけない彼らの買い方はバブル期の日本人に似ていると感じる。しかし、上記の国際的な状況変化から中国主導のアートブームもさらに続くとは思えない。歴史が示すようにバブルは必ずはじける。かつての日本のようにそのただ中にいると分からないのだ。バブル崩壊がなくても、資金流通量が萎んでくるとアート熱は次第に沈静化していくだろう。

さて、春のニューヨーク・アート写真オークションだが、オークションハウスの出品作のエディティングが見事だったという印象だ。市場性の高い作品、貴重な作品を中心に絶妙に品揃いをしている。落札予想価格も市場実勢を的確に反映していた。クリスティーズは、いま売れにくいファッション系写真を単一コレクション形式の”The Feminine Ideal”としてうまくさばいている。この分野では珍しいヴィンテージ・プリントを含んだセールだったことも大きなアピールだった。通常オークションだと売れにくい作品も、知恵を絞ればコレクターを呼び込み、高く売ることが出来るのだ。
また開催時期のNYダウ株価は昨秋の11000ドル前後から約10%上昇。最近の高値近辺の12000ドル台だっことも市場にはフォローだった。結果的には、主要3社ともに落札総額、落札率が上昇している。特にフリップスは好調で、売り上げが45%以上伸び、落札率も94.5%と大幅にアップさせている。
一番高額落札は、クリスティーズに出品されたリチャード・アヴェドンの有名なマリリン・モンローのポートレート。これは、1980年にプリントされた102X76.6cmという巨大作品。予想落札価格上限を大きく上回る$482,500.(約4100万円)で落札されている。次は、ササビーズのカタログ表紙を飾るマン・レイのフォトモンタージュ作品。これも予想落札価格上限の2倍以上の$410,500.(約3489万円)だった。
春のオークションは順調だったものの、コレクターの興味が資産価値が高い優良作品からさらに広がるかは不透明だろう。上記のように先行きに様々な不安要因がある。市場の雰囲気は慎重ながらやや強気に傾きつつあるといった感じだろう。

掘り出し物のお宝が続出!幻のアンセル・アダムス(?)ネガの価値は?

 

中国人のアート熱の高まりはマスコミで多く報道されている通りで凄まじい。
特に清朝の陶器は昨年11月に56億もの高額で取引され話題になった。これは中国の美術品のオークション最高額とのこと。大きく報道された理由は、そのサイドストーリーによるところが大きい。実はこの陶器、価値を知らないある英国人の家で偶然発見された。ロンドン郊外の小さなオークションに出品され、高額落札されたのだ。もしこれが、大手のササビーズ、クリスティーズなどで取引されたものなら業界内での話題に終始しただろう。価値がないと思われていた陶器が思いがけない掘り出し物だったからマスコミで話題になった。「なんでも鑑定団」が長い人気を保っているのと同じような背景だ。アヘン戦争後中国の美術品は大量に英国に持ち出されたそうで上記の陶器はそれらの一部なのだろう。たぶんいま多くの英国の家庭が倉庫、納屋、屋根裏を調べていると思う。もしかしたら新たな掘り出し物が見つかるかもしれない。

 

今月になってこんどはササビーズのニューヨークで再び衝撃的な掘り出し物が見つかった。20世紀制作として、落札予想価格約10万円で出品されていた花瓶に約15億(!)というとんでもない値段がついた。複数の目利きが、陶器は実は清朝時代のものと判断したこと。7人による熾烈な競り合いになったようだ。

最近は、このような信じられないような掘り出し物のニュースが多い。まだ真偽のほどは確定していないが、英国ではノーザンプトンのガラクタ屋で僅か1万円ほどで購入された古い額についていた絵画がポール・セザンヌの初期作品ではないかといわれている。もし本物なら、6500万ドル(約55億円)の価値があるそうだ。

さて写真でこのような掘り出し物はあるだろうか?
実は昨年同じような出来事があったのだ。2010年7月に、カリフォルニアのガレージセールで約10年前に45ドルで買われたガラスプレート・ネガティブが1937年の火災で消失したと思われていたアンセル・アダムス作と認められたとの発表があった。専門家がその価値が2000万ドル(約170億円)と評価したのことだった。発見者リック・ノーシジアン(Rick Norsigian)はそれらを売却してビーチに家を買いたいと発言していた。彼は発見されたネガから制作されたプリントをアンセル・アダムスとしてウェブサイトで販売を開始する。これにアンセル・アダムス出版権財団が異議を申し立て裁判となる。
この一連の出来事にはドラマチックな紆余曲折がある。その後、鑑定した専門家の一人が、ネガはアンセル・アダムスではなくアマチュア写真家アール・ブルックス撮影であったと、間違いを認めるのだ。2011年の3月に裁判は結審。発見者は作品販売に関してアンセル・アダムスの名前を使わないことが合意された。
しかし、お互いに本物、偽物の主張を続けた上での和解ということのようだ。

この一連のマスコミの騒ぎにアート写真界はいたって冷静だった。なぜか?それは本当にアート作品として価値があるのは、作家が制作してサインをしたオリジナル・プリントだからだ。2000万ドル(約170億円)という評価の根拠はその発見物の価値ではない。もし本当にアンセル・アダムスのネガだった場合の、将来的な出版、ポスターやプリントの売り上げ予想から現在価値を導いたものなのだ。それゆえ、アンセル・アダムス作という表記が出来ないことはネガの現在価値に著しく影響を与えるだろう。
すなわち、仮にネガが本物であっても既に作家本人は亡くなっているから、それらから制作されたプリントはアート的価値はないのだ。ネガティブだけでは、インテリアのディスプレイ用の写真を制作するものとして役に立つだけ。実際アンセル・アダムス・ギャラリーはオリジナルのネガからプリントしたヨセミテ・エディションと呼ばれるエステートプリントをわずか約2万円で販売している。

アート写真の世界では、有名写真家のネガは資料的な価値しかない。価値があるのは本人が制作して、サインが入ったプリントなのだ。骨董店などで売っている古写真はどうかというと、写真家のブランドが確立していない人の撮影したプリントには古物としての価値しかない。海外でも無名写真家の19世紀や20世紀初頭の作品はわずか数百ドルだ。
また20世紀の中盤ころまでは写真は雑誌などの為に撮影されていた。たまに写真原稿が小規模オークションなどにでてくることがある。厳密にいえば、ヴィンテージ・プリントといえないことはない。しかし、それらの写真は注文仕事で撮影されたもの。つまり、アートで重要視される自己表現ではない場合が多い。だいたいサインも入っていない。それらは、写真集に収録されているなどの例外を除いて、有名写真家のプリントでも高額で取引されることは少ない。大手のオークションハウスは取り扱わない。

どうも写真では掘り出し物はあまり期待できないようだ。そういえば前記の「なんでも鑑定団」では、歴史的人物のポートレート以外の写真が鑑定に出されたことはないように記憶している。

2月はアート・フェアが花盛り 写真ファンにはフォト・フェアーも開催

2月には各種のアート・フェアが開催される。まずは今年2回目の”G-tokyo 2011″。15の現代アート・ギャラリーが集まり六本木の森アーツセンターで開催される。

新たなイベントとしては、”東京フロントライン”が、千代田区外神田の3331 Arts Chiyodaで開催される。主催者によると、「見本市型とは異なる開発型のアート・プラットフォームを目指すアート・フェア」とのこと。

そして、私も関係する広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで行われる、”ザ・JPADS・フォトグラフィー・ショー”だ。

その他、横浜でも2011年ヨコハマ・フォト・フェスティバルの関連イベントとしてヨコハマ・フォトマーケットが開催される。

日本のアート・フェアは美術館の展覧会のように、見るためのイベントになりがちだ。広告代理店が絡んだり、イベント屋さん主催が多く、来場者アップにより入場料で収入を上げる、宣伝効果を上げるというビジネスモデルなのだ。行政が開催に関わっている場合は、観客動員数を成功の基準として非常に気にする。集客目的のためにイベントのプロモーションが派手に行われる。またフェアの話題性を高めるために、様々な見どころが用意され、賞、イベント開催が企画されるのだ。しかし、メッセージの詰め込みすぎで中心テーマがあいまいになり、何のイベントなのかよくわからない場合も多い。もともと、アートとは非常に抽象的な広い概念を持っている。メインテーマが弱ければ、興味本位の観客は来るがコレクターの集客は見込めないだろう。参加ギャラリーは多額の参加料を支払い、主にギャラリーと作家の広告宣伝を行っている。得しているのは出品者ではなく、会場、デザイン会社、広告代理店、イベント設営会社、運送会社などの周辺業者ような気がしてならない。最近はアート・フェア自体の目新しさもなくなってきた。費用対効果が低いフェアは次第に淘汰されていくだろう。

さてザ・JPADS・フォトグラフィー・ショーの運営方針は他のイベントとはまったく違う。もともと、写真が売れないからでもあるのだが、できる限り低予算で行うことをモットーに運営している。プロモーションにはほとんど予算をかけていない。ハガキサイズのDMを配るくらいだ。企業やメディアの支援も当然ない。ギャラリーの参加料も破格に安く設定されている。売れない写真のイベントなので、継続するには当然だと思う。ヒントにしているのは、最近米国で増加している、シンプルを心がけたテーブル・トップ・フェア。リーマンショックを契機に、膨大なコストがかかるアート・フェアへの反省が行われるようになった。見栄より実を取るスタイルが増加してきたのだ。
JPADSはアート写真の販売業者の組織。開催の目的はシンプルに新規顧客開拓と販売だ。 最大のプロモーションは、フェアのコンテンツだと考えている。つまり、展示・販売される作家の知名度と作品の内容が重要ということ。そこだけを徹底的にアピールすることにしている。
参加業者は、フォト・ギャラリー・インターナショナル、フォトクラシック、ブリッツ・ギャラリー、MEM 、G/Pギャラリー、ピクチャー・フォト・スペース:Viewing Room。
現在までの参加予定作品は、アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモジン・カニンガム、ハリー・キャラハン、ウィリー・ロニス、ジャンルー・シーフ、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバス、ジョエル・ピーター・ウイトキン、ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツ、マイケル・デウィック、久保田博二、三好耕三、伊藤義彦、北野謙、澤田知子、椎原治、榮榮&映里、HASHIなど。珍しいダゲレオタイプ、貴重なヴィンテージ・プリントも出品される。

今年は、昨年話題になったG-Tokyo に刺激されて複数のアート・フェアが企画されたということだろう。冬場2月のアート・シーンは通常あまり盛り上がらない。これからアート月間として盛りあがれば素晴らしいと思う。

リチャード・アヴェドンは何ですごいのか?パリの財団主催オークションで高値続出!

 

11月20日にクリスティーズ・パリで開催された、リチャード・アヴェドン財団のオークションは大成功に終わった。財団から出品された、最高の来歴の作品65点は見事に完売。1点物や非常に貴重な作品は熾烈な入札競争になり高値を呼んだ。売り上げ総額は、約546万ユーロ(約6億2800万円)と予想落札価格の上限を超えた。

オークションの最高価格は、アヴェドンのファッション写真の代表作”Dovima with elephants,1955″。1978年にメトロポリタン美術館で開催された個展で展示された作品だ。サイズは約216X166cmと同イメージでは最大級の大きさになる。予想落札価格上限の60万ユーロを大きく超えて、約84万ユーロ(約9600万円)で落札。 落札者は、なんとメゾン・クリスチャン・ディオール。作品のイーブニング・ドレスがイブ・サンローランのデザインによるディオール製であることから、価格に関係なく入手したかったのだろう。もちろんこれはアヴェドン作品のオークションの最高落札価格となる。欧州で落札された最高価格の写真作品だそうだ。ドル換算価格だとアヴェドン初の100万ドル超えの作品となった。

アヴェドンはファッションをどのように考えていたのか。オークション・カタログ収録の語録によると、”世界とファッションは分けられない。ファッションは私たちの生き方そのものだ。T.Sエリオットは、人の顔に会うために私たちは顔を作ると語っているが、それがまさにファッションだ。私が撮影している服や帽子の下に隠れている女性の真の精神性を和らげるために、デザイナーは布の感触、シェープ、パターンを貸し与えてくれるのだ。”と語っている。
アヴェドンのファッション写真が何で偉大なのか、アート作品として評価されるのか。それは、彼は洋服を撮影しているのではなく、女性の精神性と、それに影響を与えている時代性とをファッション写真で表現しようとしていたからなのだ。

カタログに序文として掲載されている、「ストレンジャー」という文章もアヴェドンのポートレートへの取り組み方が垣間見れて興味深い。モデルは、彼自身が関心を持って選んだ人だけだった。選ばれた人たちの共通項は、人間の精神力の限界を超えかかっている人たちだったという。面白いのは彼自身が有名写真家だと意識していたこと。モデルとなった有名人たちは、選ばれて招待されてスタジオに来たという感覚を持っていたというのだ。スタジオに入る時点で彼らは有名写真家に新たな自分を引き出してもらうという心構えを持っていた。撮影がモデルと写真家による共同作業であるという高い意識が両者に共有されていることが良く分かる。アヴェドンのポートレート写真は最初から特別だったのだ。撮影セッションのことをアヴェドンは全く覚えていないという。それが写真家とモデルとの濃密な真剣勝負のだったことがよくあらわれている。そして、撮影が終了すると再び「ストレンジャー」つまり他人に戻っていくという。

1957年に物憂げで孤独な表情のマリリン・モンローを撮影した有名なポートレートがある。今回のオークションの表紙にもなっている。有名なスターがこのような表情を撮らせるのは当時としては非常に珍しい。アヴェドンによると、マリリン・モンローというイコンは彼女が作りあげた創作物だという。それは小説家が登場人物を創作するのと同じだという。彼は創作物ではない素の彼女を撮りたいと考えたようだ。 スタジオでテンションを上げてマリリン・モンローを演じ続けた後に、彼女は隅に座り素顔に戻った。ファインダー越しに彼女はノーと言っていなかったことがわかったからその表情を撮影したという。名作にはよくできたストーリーがあるものだ。1960年にプリントされた本作品は落札予想価格上限を大きく上回る約16万ユーロ(約1943万円)で落札されている。

アヴェドンといえば白バック。それは彼の持つ人生哲学と関わっている。人生は実存主義的な感覚のものだと感じている、と彼は語っている。それは、いまここに生きている自分自身の存在を意味する「実存」に根差した思想のことだろう。
アヴェドンは、人は無の中に生きていて、過去にも未来にも存在していない。白バックは人生の無の象徴で、そこでは被写体の表情に本人の本質が象徴的に表れる、という。彼は白バックで被写体の人生を象徴的に表現しようとしていたのだ。
今回のオークションでも白バックのポートレートは高い人気だった。写真集”In the American West”に収録されている、”James Story, coal miner, Somerset, Colorado, 12-18-79″の、142X114cmという大判作品が落札予想価格上限を大きく上回る約12万ユーロ(約1391万円)で落札されている。

その他の高額落札作品も紹介しておこう。2番目の高値は”The Beatles Portofolio, London, England, 8-11-67″。カラーのダイトランスファー作品で、落札予想価格上限を大きく上回る約44万ユーロ(約5117万円)で落札されている。3番目は、アンディー・ウォーホールとファクトリーのグループを撮影した3枚組の大判作品。1点ものということで落札予想価格上限の2倍以上の約30万ユーロ(約3461万円)で落札されている。

最後にアヴェドンのアート観を以下に引用しておく。”アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそがアートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない”と語っている。
ここの解釈には注意が必要だ。これは、彼の先生のアレキセイ・ブロドビッチが語っていた、”私を驚かせる写真を見せろ”と同じ意味だと思う。しかしそれは、決して奇をてらうことではないのだ。アヴェドンは、”ポジティブな意味で”と語っているが、意図するのは”より洗練された方法で”、ということなのだ。ブロドビッチの影響を感じさせる、非常に高レベルのアート観だと思う。

今回のクリスティーズ・パリのオークションはアヴェドンの偉大さを改めて多くの人に再認識させたと評価できるだろう。全作完売と、高い売り上げ数字がそれを証明している。彼の世界観や、写真へのアプローチを伝えてくれるカタログの編集も見事だったと思う。
アヴェドン財団はアヴェドンの存命時に設立されている。彼は財団に自身の作品を所有して、運営の為に売却益を使うように遺言を残しているとのことだ。それに従い今回の全収益は財団の行う写真教育の慈善事業支援の寄付に使われるとのことだ。天国のアヴェドンも心から喜んでいることだろう。

アート・コレクションという趣味 現代日本写真は宝の山か?

最近、マスコミでアート・コレクションや市民コレクターを話題にした記事をよく見る。
米国のコレクター夫婦をテーマにしたドキュメンタリー映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”は大きな話題になっている。日本経済新聞の”アートを支える人々”という特集記事では、未評価の現代作家をコレクションして公開したり、美術館に寄贈する個人コレクターの例が紹介されている。

前回も触れたが、最近はギャラリー店頭でもアート・コレクションに興味を持つ人が増えている印象だ。写真を買ってみたいと来廊者の方から声をかけてくれることも珍しくなくなった。古美術は買ったことがある、時計は集めているなど写真趣味以外の人も興味を示している。映画のハーブ&ドロシーを試写会で見て、壁をアートで埋め尽くす生活に魅了された、というようなコレクターもいる。
長い間写真コレクションの楽しみをギャラリー側から話しかけ続けていたので、最近の変化はとても感慨深い。

比較的低予算でもアートが買えることが知られてきて、コレクションにリアリティーを持つ人が増加したのだと思う。映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”の宣伝コピー、”お金がなくても、情熱があれば夢はかなう!”はその象徴。サラリーマン・コレクターというような呼び名も同様の印象を与えている。

しかしこれは単純に低価格作品を買い集めることではない。厳密にいうと、アートの分野を絞り込むことで、低予算でも優れたコレクション構築が可能という意味だ。
私たちはコレクターと言うと富裕層を思い浮かべるが、彼らは既に成熟した市場で作品を買っている人たち。歴史がある成熟分野の市場では、ブランドが確立したセカンダリー市場の作家はもちろん、プライマリー市場の作品でさえ価格が比較的高いのだ。この分野でのコレクション継続にはある程度の資金が必要となる。
しかし実際のアート市場は非常に広いカテゴリーのマーケットの集合体であり、それぞれが別個な要因で動いている。発展途上や過小評価された分野も数多く存在するのだ。それらの一部は全体の相場が低いので一般の人でも十分に低予算でコレクションの醍醐味を満喫できるのだ。
ハーブ&ドロシーのコレクションもはまだ市場性がなかった60年代の米国現代アート市場だから可能だった。サラリーマン・コレクターとして注目される人たちもブーム到来以前の日本の現代アート市場でコレクションを始めている。実はアート写真市場もかつては過小評価されていた分野だった。市場黎明期の80年代からヴィンテージ作品を買っていた人たちのコレクションはいまや高い資産価値を持つようになっている。
それでは、アート市場のフロンティアはすでに消滅したかというとそうではない。市場が成熟した米国、西欧以外の国々の市場はまだ成長の可能性が高いと思う。景気の良い時は欧米のディーラー、コレクターがそれらの市場を物色した。不況の今、やはりそれぞれの国のディーラー、コレクターがその役割を果たしていくべきだろう。またある程度の経済力を持った国であることも市場拡大の必要条件だろう。その意味で、多少セールス・トークになってしまうが、日本の現代写真、ファッション系写真は市場自体が未発達で狙い目だと思う。
上記のような新しいコレクター予備軍が出てきたことで、市場が本格的に立ち上がっていく可能性は十分にあると思う。もしかしたら現在の市場の中には将来の有望作家や過小評価の作家が数多くいるかもしれないのだ。
10年後に、彼らが宝になり輝くか石ころで終わるかは、作家、コレクター、ギャラリー、ディーラー、評論家、美術館キュレーターらの関係者の情熱にかかっている。一般の人たちのアート写真・コレクションへの関心をミニブームで終わらせることなく、 大きな動きにつなげていきたい。

2010年秋アート写真オークション速報 不況でも根強い希少作品への需要

 

春と比べて景気の先行きにはやや雲がかかってきたという状況だろうか?
2008年のリーマン・ショックで大きな痛手を被った世界経済は各国政府による財政出動で徐々に回復し始めてきた。しかし、景気刺激策が終了するに従いその勢いが止まってしまった。内需が回復しないので日米欧は異例の金融緩和を続け、通貨安戦争へと発展した。輸出により自国経済を立ち直らせようということだ。もしかしたら先進国の景気低迷はまだしばらく続くかもしれないと多くの人が考え始めてきた。

今秋のニューヨークのアート写真オークション。主要3社の総売り上げは1,739万ドルだった。春は約1,777万ドルだったのでほぼ横ばいという結果。
しかし今年は6月に、ササビーズでポラロイド・コレクション485点のオークションが開催されている。総売り上げは約1,246万ドル、落札率約89%と好調だった。これを無事に消化した上での今秋のオークションだったので、結果は上出来だったと評価できると思う。質の高い作品を集めて、編集したオークションハウスの専門家たちの努力の結果だろう。

市場状況は、ササビーズのクリストファー・マホニィー氏のコメントに集約されている。彼は、”市場に初めて出てくる、真に貴重な作品に対して、市場は非常に強い関心を持っていることが証明された”と語っている。逆にいうと、凡庸なモダンプリントに対する需要はまだ回復途上ということだ。

高額落札は、クリスティーズに出品されたアンセル・アダムスの裏打ちされた雄大な”Grand Tetons and the Snake River, Grand Teton National Park, Wyoming,  1942″。
60年代にプリントされた約77X115cmの巨大作品。現存するのはわずか6点とのことで、338,500ドル(@85.約2877万円)で落札されている。
ちなみに、上記ポラロイド・コレクションのオークションでは、アダムスの同様の巨大作品”Clearing Winter Storm,Yosemite national Park, 1938″が作家のオークション最高価格の$722,500.(@85.約6141万円)落札されている。
ササビーズのトップは、ロバート・フランクの”U.S.90, En Route Del Rio, Texas,1955″。266,500ドル(@85.約2265万円)で落札されている。
全体の印象としては、クラシックなモノクロ作品が増えて、ファッション系と現代アート系の出品が目立って減少していること。現代アート系の作品がカタログ表紙を飾ることが多いフィリップス(Phillips de Pury & Company)だが、今回はアンドレ・ケルテスだった。ササビース、クリスティーズのカタログは90年代を思い起こさせてくれるような内容だった。ファッション系のニュートンやペンは慎重にセレクトされていたものの、絵柄によっては不落札なものが散見された。

個人的に嬉しかったのは、丸山晋一の作品Kusho#1がフィリップス(Phillips de Pury & Company)に出品され、$18,750.で落札されたこと。同イメージは10枚のエディションが既に完売している。現代アート系でも人気のある作品には需要があるようだ。ちなみに、Kusho#1の大判銀塩写真版は現在東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催中の”Imperfect Vision”で展示中です。

私が気になるのは、以前も触れたが米国で起きている株価の上昇予想の変化だ。いままでの写真オークションでの落札額の推移はほぼニューヨーク・ダウ株価と連動していた。株価上昇の背景には中長期的に価格が上昇するという一種の共同幻想があったと言われている。写真も同様に、有名作家の優れた作品を買っておけば値段はあがると信じられていた。実際に過去20年くらいの相場はその通りに動いていたのだ。
ここにきて専門家が指摘しているのは、長引く不況の影響で投資家の運用姿勢が慎重になり、株価の上昇神話が揺らいできたという事実だ。中長期的な株価上昇期待の減少はアート写真市場にも影響してくると思う。投資的見地で買っていた人は慎重になり、本当にアート写真を愛するコレクターが適正相場で買う市場になるだろうということだ。大幅な価格上昇見通しがないので、貴重な作品以外は高値での競り合いもなくなるだろう。
相場の上昇期待で買われるのは決して好ましいことではない。しかし、それが市場規模を拡大させ、新人や若手までもが注目されたのも事実だ。ブランド未確立の作家は苦戦する時代になる気がする。
今後のコレクターの志向は、多文化主義から自国主義、新人から中堅作家へ、サイズは大から中小へ、数から質へ、アバンギャルドからクラシックへと、いままでの揺り戻しがしばらく進む感じだ。

詳しいオークション結果については後日、アート写真の総合情報サイトのアート・フォト・サイトの海外オークション情報欄で紹介します。

バランス感覚を取り戻せ
トミオ・セイケ写真展が語るもの

現在開催中のトミオ・セイケ写真展「Untitled」では、デジタル・カメラによるアート作品制作の可能性を示唆している。それが作品コンセプトとどのようにつながるかを考えてみたい。

セイケが今回撮影したのは、プラハ、アムステルダム、ブライトンなどのシティー・スケープ。彼は単純に欧州に残る古い街の外観を愛でているのではない。欧州人は古いものを大事にする一方で、優れた新技術を受け入れる柔軟性も持っている。古い外見の建物の中に暮らす人々は、薄型テレビ、インターネット、携帯電話、携帯型デジタル音楽プレイヤーも利用しているのだ。西洋文化には古いものと新しいもの意識的に組み合わせる知恵がある。その精神性こそが欧州都市の魅力の源泉なのだ。

なんで、セイケの撮影した欧州のシティースケープに私たちは惹かれるのだろう。それは、日本の現在の都市環境に本能的に違和感を感じるようになったからに他ならない。いままでは、こんな状況を成長、進歩の最前線として、まるで映画ブレード・ランナーの世界だなどと肯定的に解釈してきた。しかし、その前提が崩れた現在、革新的だったはずの未来都市がただエゴに満ちたなカオスの集積に見えてくる。実は、日英を往復しているセイケによる日本都市の認識はずっと一貫していた。欧州でしか作品制作を行わないのはそのためだったのだ。
戦後日本人の進歩と成長のみを妄信する一元的な価値観がいま大きく揺らいでいる。今回、セイケが長い歴史を持つ欧州都市を日本製最新デジタル・カメラで撮影したのは、西欧のようなバランス感覚を意識したらという、迷える私たちへのメッセージではないだろうか。

彼は欧米市場を中心に活躍している作家だ。当然、今回の試みは彼らへのメッセージも含んでいる。欧米市場はいまだに銀塩写真が中心。デジタルプリントはかなり普及しているが、カメラはまだフィルム式だ。しかし技術進歩により、伝統的な写真に見えても、実はデジタル写真だったという状況も、もはやおかしくないのではないか。ただし、作品クオリティーは絶対条件。銀塩写真の歴史が長い欧米写真界でも、最新デジタル写真のクオリティーを見れば考えが変わるかもしれない、という期待が感じられる。実際にセイケの話を聞いたロンドンの老舗写真ギャラリー、ハミルトンズのディレクターは、初めてのデジタル写真により写真展開催を意識したとのこと。
来年には、何とデジタル・カラー作品によりセイケの個展が開催されるかもしれないのだ。
セイケのデジタル作品は本家本元のアート写真の歴史を変えるきっかけになるかもしれない。

コンデジでアート作品が出来るのか?衝撃のトミオ・セイケ写真展が始まる

 

あるお客様がギャラリーでの展示作品を一通り見終わると、どの作品がデジタル・カメラの撮影ですかと聞いてきた。全ての作品です、と伝えると眼を丸くして驚いていた。
ライカ・マスター、銀塩写真の魔術師と呼ばれるトミオ・セイケ。彼の新作は、なんとデジタル・カメラ、インクジェット・プリンターによるものだ。アナログでしか作品制作していなかった作家がにわかにDP-2に興味を持ったり、その衝撃はいまでも続いている。

一般の人が普通によい写真を撮影するのに、もはやライカなどの機材にこだわる必要はなくなったのではないか。これが本展のセイケのメッセージの一つだろう。
ライカやノクチルクス・レンズは簡単には買えないが、シグマのDP2Sを買える人は多いだろう。それゆえ、本展ではカメラ、レンズの先入観なしに純粋にセイケの作家性を愛でている人が多いという感じだ。そして見れば見るほど、同じカメラでも自分はセイケの”Untitled”シリーズのような作品を作り出せないことを思い知るのだ。これこそが作家のオリジナリティーを知ることだ。それに気付いた人たちはセイケの写真の価値が真にわかり、作品が欲しくなるのだと思う。

9月18日にトミオ・セイケと、本作で使用したDP-2,SD-14を制作したシグマ社広報の桑山輝明氏とのトークイベントが開催された。純粋のセイケ・ファンはもちろん、DP2に興味ある参加者も多かった印象だった。狭いギャラリーでのトーク・イベント。キャパシティーの問題で先着順の受付となった。希望者全員参加とはならずにたいへん申し訳ありませんでした。お二人のトークをここに簡単に再現します。参考になさってください。
(敬称略)

パート1:SIGMA広報の桑山氏とセイケ氏とのトーク

桑山
(まずは、カメラDP2について)
写りとしては、良い。コンパクトカメラで中のセンサーは一眼レフと同じものが入っている。センサーが大きいと、小さいところまで写るが、デジタルカメラとしての細かい機能は備えていない。ゆっくり動くので使いにくい。じっくりと作品を撮りたい方向け。

セイケさんは何故このカメラを選んだのか。

セイケ
DP1も使ったが、あまりに使いにくく返品の代わりにオリンパスのデジカメに交換してもらったくらいだった。その後、アート・ディレクターの福井さんが手掛けられたキャンペーンに強い印象を受けて、日本からDP2を買ってきてもらった。イギリスでの使用中は夢中になることはなかったが、東京に戻ってA3でモノクロのプリントアウトをしたときに、その出来をライカのスキャンのプリントアウト、R—D1などと比べてみたが、DP2のプリントが一番良かった。それであれば一度作品を展示してみようと思った。

桑山
DPのカメラは撮影に7秒かかり最初はとまどう。使用後1週間の壁があり、これを超えないとヤフーオークションに出してしまう。1週間我慢して使って、1ヶ月くらいたつとカメラのことがわかってくる。そのうち使う人の方がカメラに慣れて合わせるようになる。
このカメラは、現場ではドキドキするが、その後パソコン(モニター)で開いたときに別物に変わることでワクワクする。プリントするとまた違う。是非そこまで使って欲しい。
ところで、何故今回はカラーでも制作されたのか。

セイケ
デジタルカメラはカラーが本筋だと思っている。フィルムだけを使っているときは、カラーには全く興味がなかった。カラーで自分が欲しいと思う作品に出会ったことがなく、モノとしての魅力がないと思っていた。カラーは印刷でよいと思っていた。
だが、デジタルならカラーのプリントが可能となる時代になったのではないかと思った。そのきっかけを与えてくれたのがDP-2だった。いずれデジタルで欲しいと思うカラーの作品が出てくるのではないかと思いSD14を買ってみた。それがすぐに欲しいと思うカラー作品に直結するかどうかはわからないが。

桑山     楽しみにしています。

パート2 : 参加者との質疑応答

Q1         デジタル写真のアートとしての価値、フィルムとの違いは何か

セイケ
それは誰にもわからない。確かに一部ギャラリー等には拒否反応があるし、同等ではない。撮る方とギャラリーではギャップがある。様々な解釈基準があるのだ。だが、いまの革命的なデジタル時代において、2-3年後はだれも予測できない。デジタルとフィルムは全くの別物と考えたほうが良い。

Q2         カラーでとってモノクロに変換するときの注意は?

セイケ
感覚的に言えば、シグマさんのセンサーのカメラは、撮った後に撮りっぱなしでモノクロに変換すればよい。どこのメーカーでもすべての調子を出さなければならないということにこだわりすぎ。全てが表現されるのは写真的でないこともある。デジタルからそのまま出したプリントでも階調は出る。

Q3         フィルムでも、デジタルでも、写真を撮ってからプリントが出来上がるまでの調子はどの時点でどのように決めるのか。

セイケ
例えば、写真を撮るときは、当然色のついた被写体を見ているわけだが、既に私の頭の中ではモノクロの仕上がりを考えている。その頭の中の感覚を実際にプリントするときに実現化する。

桑山       逆に、撮影時とモニターに向かうときと変わることはあるのか

セイケ    それはない。

桑山       データには手を入れるのか。

セイケ
手順を言えば、撮る→現像する=SPP(Sigma Photo Prp)で操作する(=画面を見ながらレバーをスライドして操作する)→パソコンにおとしてフォトショップで若干さわるだけ。モノクロのときはさわならい。今回20X24インチのフレームで展示している3点は何もしないでそのまま出力している。(ギャラリー右奥に展示)その表現力は驚きだ。

Q4         ブライトンの魅力について、何故ブライトンで撮るのか

セイケ
80年代の終わりから住んでいるが、当時はブライトンではあまり撮らなかった。最近は、若いころと比べて行動範囲が狭くなり、身近なものを撮るようになってきたので、ブライトンで撮るようになっている。もともとブライトンはBright が語源らしい。光が美しく画家も多く住んでいる。だが、イギリスの中でとりたてて魅力がある街ではない。自分としては木が少ないのが残念でさみしく思っている。

Q5         フィルムの暗室作業と、インクジェットのプリンターを扱うのと違いがあるか

セイケ
全く別の感じだ。銀塩は自分の心と直接つながっている。プリントする前日からは、余計な電話に出ないなどして、集中して気持ちを高めている。インクジェットは電源を入れればできる。制作するときの気持ちは全く違う。

Q7         撮るときの気持ちはどうか。

セイケ
これは、同じだ。カメラによって気持ちが分かれるというのは良くない。写真を撮るときは、撮りたいものに、全身でぶつかってシャッターを押している。
そういう意味では、DP2は時間がかかるので「よーく見る」ことになる。これは大事だ。作品制作の時は、必ずしも機能的なカメラが良いわけではない。

Q8         使用しているプリンタと紙は

セイケ
プリンタはエプソンPX5002
本展では紙は三種類使っている。紙については、これが決定的というものはない。かつての印画紙のように安定的に供給される紙がでてくるのかどうかも不安に思っている。

以上。

何でライアン・マッギンレーはすごいのか?「Photography After Frank」から読み解く

 

ライアン・マッギンレー(1977-)が米国では絶賛されていることは知っていた。わずか24歳で、ホイットニー美術館で個展、翌年にはMoMA P.S.1で新作展示するなどまさに写真界の若きスーパースターだ。日本でも、雑誌などで海外の若き人気写真家として紹介されている。
マッギンレーを絶賛する数人の広告写真家に、どこが良いのかと聞いたことがある。旅行しながら撮影しているところがよい感じ、というような抽象的な返事しか返ってこなかった。日本人は農耕民族なので、移動への憧れがDNAに刷り込まれている。彼のそんな撮影スタイルが日本人の感覚に訴えかけているのかという印象も持った。
しかし、アメリカでは、「いい感じ」のイメージだけでなく、見る人を引き付ける写真家の視点が明確に提示されなければ評価されない。何でマッギンレーが評価されているのか?この点がずっとわからなかった。

その疑問が写真解説書「Photography After Frank」(Aperture、2009年刊)に収録されていた、彼に関するエッセー、「A Young Man With an Eye, and Friends Up a Tree」を読んで氷解した。著者のPhilip Gefter氏は米国人の写真評論家、ニューヨークタイムズで約15年間勤めて写真エディターとして活躍した人。2003年から写真関係のエッセーを同紙に書いていた。同書は彼がニューヨークタイムズやアパチャーなどに寄稿したエッセーを1冊にまとめたものだ。
米国では、写真を含むアートを見る視点がこのように一般紙で普通に紹介されているのだ。最近は写真もコンセプト重視の現代アートの一分野のようになっている。作品を読み解くナビゲーターとしての評論家が重要な役割を果たすのだ。新進作家が出てくれば、その評価軸を専門家が解説し、オーディエンスはギャラリーや美術館で作品を体験する。評論家はアート写真でのシステムの一部のようなもの。日本で一番遅れている分野でもある。

本書掲載のインタビューでマッギンレーは自分の基本的なスタンスを以下のように語っている。
「私はこの仕事に全てを捧げている。他人の期待など関係ない、すべて自分のための作品を作っている。自分が見たい写真を撮影している。私はいままでにない写真を制作している」
まず、同書に書かれている内容を基に彼のキャリアを簡単に要約しておこう。
マッギンレーはパーソンズ・スクールオブ・デザインでグラフィック・デザインを学んでいる時から写真撮影に魅了される。グリニッジ・ヴィレッジに友人と同居していた1998年から2003年には、 全ての訪問者をポラロイドで撮影。被写体の名前、日時を記載したポラロイドで部屋中を埋め尽くしたらしい。
初期のマッギンレーはマンハッタン下町に住む友人たちライフスタイルの写真で知られている。生き急ぐかのように、常に動き回っているスケートボーダー、ミュージシャン、グラフィティー・アーティスト、ゲイなどの若者が彼の被写体。昼間は、走り回り、スケートボードに興じ、夜はパーティー、ドラッグに明け暮れる彼らの日々をドキュメントしている。それらの動きのあるヴィジュアルが彼の写真の特徴なのだ。当時は、写真のためにパーティーに出かけていたそうだ。
2000年、まだ学生だったマッキンレイは、「The kids Are All Right」という手作りの写真展を建築中のビルの空きスペースで行う。そして、学んでいたグラフィック・デザインの才能を生かして自費出版の写真集を制作。 50冊を20ドルで販売するとともに、50冊を尊敬する写真家、編集者に送っている。自分のことをまだ誰も知らないから、本を送ったとのことだ。
ここからマッギンレーの嘘のようなサクセス・ストーリーが始まる。インデックス・マガジンが興味をしめし、ポートレートの写真を彼に依頼。そして「The kids Are All Right」はホイットニー美術館のウォルフ氏の目に留まることになる。2002年には、写真集「Ryan McGinley」をインデックスから出版。そして2003年にホイットニー美術館での個展となる。

ホイットニー美術館はマッギンレーの何を評価したのだろうか?同館元キュレーターのシルヴィア・ウォルフ氏は以下のように彼を語っている。「(マッギンレーの作品では)被写体が写真を撮られるという意味を知っている。彼らは、カメラの前で演じており、それを通して自らの存在を探求しようとしている。彼らはヴィジュアル文化の意味を心得ていて、それらを通してコミュニケーションが生まれるとともに、アイデンティティーが作られることを自覚している。つまり写真家と被写体がコラボしている。」
どうもキュレーターはテクノロジーに精通した若者世代を代表する作品だと見抜いたようだ。またグラフィック・デザインのバックグランドがマッギンレーと他の作家との明確な違いだったという。
彼の作品は、ユーチューブのように、多くの人が見てくれることを意識した個人的なヴィジュアル・ダイアリーの登場を予感させる。のぞき見的、告白的なイメージは彼の世代を代表する表現だとも評価。
あまたある、個人のブログや写真日記との違いは、彼の厳格な、作家としての作品と向上心という。アメリカの美術館キュレーターは常に社会の流れを意識していて、時代を代表する才能を探し求めている。21世紀のアート、特に写真表現は同時代に生きる人がリアリティーを感じることが求められる。その代表者としてマッギンレーを評価したのだ。しかし、キュレーターの目利きは必ずしもオーディエンスの持つリアリティーとは重ならない。まして、上記のウォルフ氏の見立ては一般レベルにはやや難解だ。

それではマッギンレーの何が多くの人々を魅了したのだろうか?
初期作品が美術館キュレーターの目にとまってデビューを果たしたのだが、私はマッギンレーのその後の作品展開が多くの人に受け入れられたのだと思う。実は、彼の作品はホイットニー後に大きく変化しているのだ。このあたりの状況も、「Photography After Frank」にエピソードが紹介されている。彼は、2003年に郊外のヴァーモントに家を借り、ニューヨークからクラブなどで知り合った仲間たちを招待して日々をともにしている。彼らをモデルにして、様々な状況で撮影を行っている。最初は従来と同じドキュメンタリーだったが、次第にシャッターチャンスが来るのを待てなくなり、映画のように自分で撮影をディレクトするようになるのだ。その後、彼は8人の友人たちと大陸横断のドライブ旅行に出る。これはアシスタントも2名同行する撮影旅行なのだ。事前に撮影に適したセッティングを調査し、モデルにも資料を見せて自分の望む動作をイメージさせている。一日に20~30本のフィルム分を撮影しアシスタントがその過程を記録していったそうだ。
撮影するモデルグループは頻繁に入れ替えられ、マッギンレーは、全てのモデルに、ギャラ、食費、交通費を支払ったそうだ。3か月の撮影旅行で何と約10万ドルの経費がかかったらしい。何か自由裁量を与えられた上でブルース・ウェーバーが行うファッション写真の撮影のような感じだ。

それでは、このプロジェクトで彼は何を伝えようとしているのだろうか?マッギンレーの以下の発言がPhilip Gefter氏のエッセーのまとめになっている。
「私の写真は人生を謳歌するもので、その喜びで、美しさだ。しかし実際の世界にはそれらは存在しない。私が生きていたいと思う、本当に自由で、ルールがない、つまりファンタジーの世界なのだ。」
彼が初期インタビューで語っていた、「いままでにない写真」とはこのことだったのだ。

アメリカは自由で夢と希望の国と言われていた。しかし、「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤 未果著、岩波新書2008年刊)を読むとわかるように、最近は中流の人たちでさえ没落し社会の二極化が進行しているという。マッギンレーは、自分が非常にアメリカンな環境に育ったと語っている。彼はニュージャージー出身。その幼少時代、都市部で暮らす中間層にはまだ古き良きアメリカの伝統的なライフスタイルが存在したのだと思う。彼が大人になるにつれて郊外から都市部も巻き込んで深刻な社会問題が起きていく。マッギンレーの一連の作品はかつてのアメリカンライフへの憧れが詰め込まれているが、いまのアメリカにはそのような世界は存在しない。だからこそ、いま自信を失いがちで昔を懐かしむアメリカ人の心をつかんだのだ。アメリカの夢と希望の挫折を彼は逆説的に表現しているとも言えるだろう。同じアメリカ人作家のマイケル・デウィックがロングアイランドで取り組んだ、「The End: Montauk」と重なる部分があると思う。ムラ社会のメンタリティーが残る日本社会にとっても、自由のアメリカン・イメージはあこがれの対象だ。特に中高年が好む雰囲気を持った写真だと思う。

感覚重視で写真を撮影しているような印象が強いマッギンレーだが、実は明快な作品コンセプトを持った作家なのだ。また彼はやや意外だが写真史も明確に意識している。2005年のスタジオ・ヴォイス誌には、彼が2000冊以上のレアな写真集をコレクションしていることが紹介されている。オリジナルであることのベースは過去の写真家たちの仕事(写真集)の延長上にあることを理解しているのだ。掲載インタビューでは、写真を撮っていく上で、何を目指しているかの質問に対して、「写真の歴史に少しでも貢献できればと思っている」と答えている。若き写真界の成功者はただのラッキー・ボーイではないようだ。確固な考えを持った写真史の流れを受け継ぐ正統派ともいえる写真家なのだ。

今回ご紹介した”Photography After Frank”は、以下で詳しく紹介しています。

http://www.artphoto-site.com/b_568.html