コンデジでアート作品が出来るのか?衝撃のトミオ・セイケ写真展が始まる

 

あるお客様がギャラリーでの展示作品を一通り見終わると、どの作品がデジタル・カメラの撮影ですかと聞いてきた。全ての作品です、と伝えると眼を丸くして驚いていた。
ライカ・マスター、銀塩写真の魔術師と呼ばれるトミオ・セイケ。彼の新作は、なんとデジタル・カメラ、インクジェット・プリンターによるものだ。アナログでしか作品制作していなかった作家がにわかにDP-2に興味を持ったり、その衝撃はいまでも続いている。

一般の人が普通によい写真を撮影するのに、もはやライカなどの機材にこだわる必要はなくなったのではないか。これが本展のセイケのメッセージの一つだろう。
ライカやノクチルクス・レンズは簡単には買えないが、シグマのDP2Sを買える人は多いだろう。それゆえ、本展ではカメラ、レンズの先入観なしに純粋にセイケの作家性を愛でている人が多いという感じだ。そして見れば見るほど、同じカメラでも自分はセイケの”Untitled”シリーズのような作品を作り出せないことを思い知るのだ。これこそが作家のオリジナリティーを知ることだ。それに気付いた人たちはセイケの写真の価値が真にわかり、作品が欲しくなるのだと思う。

9月18日にトミオ・セイケと、本作で使用したDP-2,SD-14を制作したシグマ社広報の桑山輝明氏とのトークイベントが開催された。純粋のセイケ・ファンはもちろん、DP2に興味ある参加者も多かった印象だった。狭いギャラリーでのトーク・イベント。キャパシティーの問題で先着順の受付となった。希望者全員参加とはならずにたいへん申し訳ありませんでした。お二人のトークをここに簡単に再現します。参考になさってください。
(敬称略)

パート1:SIGMA広報の桑山氏とセイケ氏とのトーク

桑山
(まずは、カメラDP2について)
写りとしては、良い。コンパクトカメラで中のセンサーは一眼レフと同じものが入っている。センサーが大きいと、小さいところまで写るが、デジタルカメラとしての細かい機能は備えていない。ゆっくり動くので使いにくい。じっくりと作品を撮りたい方向け。

セイケさんは何故このカメラを選んだのか。

セイケ
DP1も使ったが、あまりに使いにくく返品の代わりにオリンパスのデジカメに交換してもらったくらいだった。その後、アート・ディレクターの福井さんが手掛けられたキャンペーンに強い印象を受けて、日本からDP2を買ってきてもらった。イギリスでの使用中は夢中になることはなかったが、東京に戻ってA3でモノクロのプリントアウトをしたときに、その出来をライカのスキャンのプリントアウト、R—D1などと比べてみたが、DP2のプリントが一番良かった。それであれば一度作品を展示してみようと思った。

桑山
DPのカメラは撮影に7秒かかり最初はとまどう。使用後1週間の壁があり、これを超えないとヤフーオークションに出してしまう。1週間我慢して使って、1ヶ月くらいたつとカメラのことがわかってくる。そのうち使う人の方がカメラに慣れて合わせるようになる。
このカメラは、現場ではドキドキするが、その後パソコン(モニター)で開いたときに別物に変わることでワクワクする。プリントするとまた違う。是非そこまで使って欲しい。
ところで、何故今回はカラーでも制作されたのか。

セイケ
デジタルカメラはカラーが本筋だと思っている。フィルムだけを使っているときは、カラーには全く興味がなかった。カラーで自分が欲しいと思う作品に出会ったことがなく、モノとしての魅力がないと思っていた。カラーは印刷でよいと思っていた。
だが、デジタルならカラーのプリントが可能となる時代になったのではないかと思った。そのきっかけを与えてくれたのがDP-2だった。いずれデジタルで欲しいと思うカラーの作品が出てくるのではないかと思いSD14を買ってみた。それがすぐに欲しいと思うカラー作品に直結するかどうかはわからないが。

桑山     楽しみにしています。

パート2 : 参加者との質疑応答

Q1         デジタル写真のアートとしての価値、フィルムとの違いは何か

セイケ
それは誰にもわからない。確かに一部ギャラリー等には拒否反応があるし、同等ではない。撮る方とギャラリーではギャップがある。様々な解釈基準があるのだ。だが、いまの革命的なデジタル時代において、2-3年後はだれも予測できない。デジタルとフィルムは全くの別物と考えたほうが良い。

Q2         カラーでとってモノクロに変換するときの注意は?

セイケ
感覚的に言えば、シグマさんのセンサーのカメラは、撮った後に撮りっぱなしでモノクロに変換すればよい。どこのメーカーでもすべての調子を出さなければならないということにこだわりすぎ。全てが表現されるのは写真的でないこともある。デジタルからそのまま出したプリントでも階調は出る。

Q3         フィルムでも、デジタルでも、写真を撮ってからプリントが出来上がるまでの調子はどの時点でどのように決めるのか。

セイケ
例えば、写真を撮るときは、当然色のついた被写体を見ているわけだが、既に私の頭の中ではモノクロの仕上がりを考えている。その頭の中の感覚を実際にプリントするときに実現化する。

桑山       逆に、撮影時とモニターに向かうときと変わることはあるのか

セイケ    それはない。

桑山       データには手を入れるのか。

セイケ
手順を言えば、撮る→現像する=SPP(Sigma Photo Prp)で操作する(=画面を見ながらレバーをスライドして操作する)→パソコンにおとしてフォトショップで若干さわるだけ。モノクロのときはさわならい。今回20X24インチのフレームで展示している3点は何もしないでそのまま出力している。(ギャラリー右奥に展示)その表現力は驚きだ。

Q4         ブライトンの魅力について、何故ブライトンで撮るのか

セイケ
80年代の終わりから住んでいるが、当時はブライトンではあまり撮らなかった。最近は、若いころと比べて行動範囲が狭くなり、身近なものを撮るようになってきたので、ブライトンで撮るようになっている。もともとブライトンはBright が語源らしい。光が美しく画家も多く住んでいる。だが、イギリスの中でとりたてて魅力がある街ではない。自分としては木が少ないのが残念でさみしく思っている。

Q5         フィルムの暗室作業と、インクジェットのプリンターを扱うのと違いがあるか

セイケ
全く別の感じだ。銀塩は自分の心と直接つながっている。プリントする前日からは、余計な電話に出ないなどして、集中して気持ちを高めている。インクジェットは電源を入れればできる。制作するときの気持ちは全く違う。

Q7         撮るときの気持ちはどうか。

セイケ
これは、同じだ。カメラによって気持ちが分かれるというのは良くない。写真を撮るときは、撮りたいものに、全身でぶつかってシャッターを押している。
そういう意味では、DP2は時間がかかるので「よーく見る」ことになる。これは大事だ。作品制作の時は、必ずしも機能的なカメラが良いわけではない。

Q8         使用しているプリンタと紙は

セイケ
プリンタはエプソンPX5002
本展では紙は三種類使っている。紙については、これが決定的というものはない。かつての印画紙のように安定的に供給される紙がでてくるのかどうかも不安に思っている。

以上。

何でライアン・マッギンレーはすごいのか?「Photography After Frank」から読み解く

 

ライアン・マッギンレー(1977-)が米国では絶賛されていることは知っていた。わずか24歳で、ホイットニー美術館で個展、翌年にはMoMA P.S.1で新作展示するなどまさに写真界の若きスーパースターだ。日本でも、雑誌などで海外の若き人気写真家として紹介されている。
マッギンレーを絶賛する数人の広告写真家に、どこが良いのかと聞いたことがある。旅行しながら撮影しているところがよい感じ、というような抽象的な返事しか返ってこなかった。日本人は農耕民族なので、移動への憧れがDNAに刷り込まれている。彼のそんな撮影スタイルが日本人の感覚に訴えかけているのかという印象も持った。
しかし、アメリカでは、「いい感じ」のイメージだけでなく、見る人を引き付ける写真家の視点が明確に提示されなければ評価されない。何でマッギンレーが評価されているのか?この点がずっとわからなかった。

その疑問が写真解説書「Photography After Frank」(Aperture、2009年刊)に収録されていた、彼に関するエッセー、「A Young Man With an Eye, and Friends Up a Tree」を読んで氷解した。著者のPhilip Gefter氏は米国人の写真評論家、ニューヨークタイムズで約15年間勤めて写真エディターとして活躍した人。2003年から写真関係のエッセーを同紙に書いていた。同書は彼がニューヨークタイムズやアパチャーなどに寄稿したエッセーを1冊にまとめたものだ。
米国では、写真を含むアートを見る視点がこのように一般紙で普通に紹介されているのだ。最近は写真もコンセプト重視の現代アートの一分野のようになっている。作品を読み解くナビゲーターとしての評論家が重要な役割を果たすのだ。新進作家が出てくれば、その評価軸を専門家が解説し、オーディエンスはギャラリーや美術館で作品を体験する。評論家はアート写真でのシステムの一部のようなもの。日本で一番遅れている分野でもある。

本書掲載のインタビューでマッギンレーは自分の基本的なスタンスを以下のように語っている。
「私はこの仕事に全てを捧げている。他人の期待など関係ない、すべて自分のための作品を作っている。自分が見たい写真を撮影している。私はいままでにない写真を制作している」
まず、同書に書かれている内容を基に彼のキャリアを簡単に要約しておこう。
マッギンレーはパーソンズ・スクールオブ・デザインでグラフィック・デザインを学んでいる時から写真撮影に魅了される。グリニッジ・ヴィレッジに友人と同居していた1998年から2003年には、 全ての訪問者をポラロイドで撮影。被写体の名前、日時を記載したポラロイドで部屋中を埋め尽くしたらしい。
初期のマッギンレーはマンハッタン下町に住む友人たちライフスタイルの写真で知られている。生き急ぐかのように、常に動き回っているスケートボーダー、ミュージシャン、グラフィティー・アーティスト、ゲイなどの若者が彼の被写体。昼間は、走り回り、スケートボードに興じ、夜はパーティー、ドラッグに明け暮れる彼らの日々をドキュメントしている。それらの動きのあるヴィジュアルが彼の写真の特徴なのだ。当時は、写真のためにパーティーに出かけていたそうだ。
2000年、まだ学生だったマッキンレイは、「The kids Are All Right」という手作りの写真展を建築中のビルの空きスペースで行う。そして、学んでいたグラフィック・デザインの才能を生かして自費出版の写真集を制作。 50冊を20ドルで販売するとともに、50冊を尊敬する写真家、編集者に送っている。自分のことをまだ誰も知らないから、本を送ったとのことだ。
ここからマッギンレーの嘘のようなサクセス・ストーリーが始まる。インデックス・マガジンが興味をしめし、ポートレートの写真を彼に依頼。そして「The kids Are All Right」はホイットニー美術館のウォルフ氏の目に留まることになる。2002年には、写真集「Ryan McGinley」をインデックスから出版。そして2003年にホイットニー美術館での個展となる。

ホイットニー美術館はマッギンレーの何を評価したのだろうか?同館元キュレーターのシルヴィア・ウォルフ氏は以下のように彼を語っている。「(マッギンレーの作品では)被写体が写真を撮られるという意味を知っている。彼らは、カメラの前で演じており、それを通して自らの存在を探求しようとしている。彼らはヴィジュアル文化の意味を心得ていて、それらを通してコミュニケーションが生まれるとともに、アイデンティティーが作られることを自覚している。つまり写真家と被写体がコラボしている。」
どうもキュレーターはテクノロジーに精通した若者世代を代表する作品だと見抜いたようだ。またグラフィック・デザインのバックグランドがマッギンレーと他の作家との明確な違いだったという。
彼の作品は、ユーチューブのように、多くの人が見てくれることを意識した個人的なヴィジュアル・ダイアリーの登場を予感させる。のぞき見的、告白的なイメージは彼の世代を代表する表現だとも評価。
あまたある、個人のブログや写真日記との違いは、彼の厳格な、作家としての作品と向上心という。アメリカの美術館キュレーターは常に社会の流れを意識していて、時代を代表する才能を探し求めている。21世紀のアート、特に写真表現は同時代に生きる人がリアリティーを感じることが求められる。その代表者としてマッギンレーを評価したのだ。しかし、キュレーターの目利きは必ずしもオーディエンスの持つリアリティーとは重ならない。まして、上記のウォルフ氏の見立ては一般レベルにはやや難解だ。

それではマッギンレーの何が多くの人々を魅了したのだろうか?
初期作品が美術館キュレーターの目にとまってデビューを果たしたのだが、私はマッギンレーのその後の作品展開が多くの人に受け入れられたのだと思う。実は、彼の作品はホイットニー後に大きく変化しているのだ。このあたりの状況も、「Photography After Frank」にエピソードが紹介されている。彼は、2003年に郊外のヴァーモントに家を借り、ニューヨークからクラブなどで知り合った仲間たちを招待して日々をともにしている。彼らをモデルにして、様々な状況で撮影を行っている。最初は従来と同じドキュメンタリーだったが、次第にシャッターチャンスが来るのを待てなくなり、映画のように自分で撮影をディレクトするようになるのだ。その後、彼は8人の友人たちと大陸横断のドライブ旅行に出る。これはアシスタントも2名同行する撮影旅行なのだ。事前に撮影に適したセッティングを調査し、モデルにも資料を見せて自分の望む動作をイメージさせている。一日に20~30本のフィルム分を撮影しアシスタントがその過程を記録していったそうだ。
撮影するモデルグループは頻繁に入れ替えられ、マッギンレーは、全てのモデルに、ギャラ、食費、交通費を支払ったそうだ。3か月の撮影旅行で何と約10万ドルの経費がかかったらしい。何か自由裁量を与えられた上でブルース・ウェーバーが行うファッション写真の撮影のような感じだ。

それでは、このプロジェクトで彼は何を伝えようとしているのだろうか?マッギンレーの以下の発言がPhilip Gefter氏のエッセーのまとめになっている。
「私の写真は人生を謳歌するもので、その喜びで、美しさだ。しかし実際の世界にはそれらは存在しない。私が生きていたいと思う、本当に自由で、ルールがない、つまりファンタジーの世界なのだ。」
彼が初期インタビューで語っていた、「いままでにない写真」とはこのことだったのだ。

アメリカは自由で夢と希望の国と言われていた。しかし、「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤 未果著、岩波新書2008年刊)を読むとわかるように、最近は中流の人たちでさえ没落し社会の二極化が進行しているという。マッギンレーは、自分が非常にアメリカンな環境に育ったと語っている。彼はニュージャージー出身。その幼少時代、都市部で暮らす中間層にはまだ古き良きアメリカの伝統的なライフスタイルが存在したのだと思う。彼が大人になるにつれて郊外から都市部も巻き込んで深刻な社会問題が起きていく。マッギンレーの一連の作品はかつてのアメリカンライフへの憧れが詰め込まれているが、いまのアメリカにはそのような世界は存在しない。だからこそ、いま自信を失いがちで昔を懐かしむアメリカ人の心をつかんだのだ。アメリカの夢と希望の挫折を彼は逆説的に表現しているとも言えるだろう。同じアメリカ人作家のマイケル・デウィックがロングアイランドで取り組んだ、「The End: Montauk」と重なる部分があると思う。ムラ社会のメンタリティーが残る日本社会にとっても、自由のアメリカン・イメージはあこがれの対象だ。特に中高年が好む雰囲気を持った写真だと思う。

感覚重視で写真を撮影しているような印象が強いマッギンレーだが、実は明快な作品コンセプトを持った作家なのだ。また彼はやや意外だが写真史も明確に意識している。2005年のスタジオ・ヴォイス誌には、彼が2000冊以上のレアな写真集をコレクションしていることが紹介されている。オリジナルであることのベースは過去の写真家たちの仕事(写真集)の延長上にあることを理解しているのだ。掲載インタビューでは、写真を撮っていく上で、何を目指しているかの質問に対して、「写真の歴史に少しでも貢献できればと思っている」と答えている。若き写真界の成功者はただのラッキー・ボーイではないようだ。確固な考えを持った写真史の流れを受け継ぐ正統派ともいえる写真家なのだ。

今回ご紹介した”Photography After Frank”は、以下で詳しく紹介しています。

http://www.artphoto-site.com/b_568.html

約583万円の写真集 ロバート・フランク「The Americans」

5月21日にロンドンのクリスティーズで毎年恒例の「Photobook」オークションが開催された(上の写真がオークションカタログ表紙)。今年の話題をさらったのが、ロバート・フランクの古典写真集「The Americans」が当日のオークション最高値の43,250ポンド(約583万円) で落札されたこと。落札予想価格の上限は15,000ポンド(約202万円)。もちろん、この本の史上最高値段でもある。プレスリリースによると、戦後に正規に流通した普及版写真集での最高価格とのことだ。
これ以上の値段をつけている写真集もあるが、オリジナルプリントがついていたり、1点物の実物大見本などだ。つまり今回は印刷され流通した写真集のオークション新記録ということだ。

「The Americans」は数多くの版があることは広く知られている。オリジナルは1958年の5月15日にフランスのRobert Delpire社から”Les Americains”。今回落札されたのは、1959年の米国Grove press刊行による、米国版の初版だ。最近では、米国版と欧州版は、出版社が違うだけで内容は全く同じ場合が一般的。しかし、上記の2冊は収録写真数は同じだが編集がかなり違い、別物と解釈されている。90年代くらいは、フランス版の方が最初に出たということで市場での価値が高かった。 しかし、フォトブック自体が再評価されるようになってからは、作家性がより反映されているということで米国Grove press版の評価が上昇した。状態にもよるが、現在では2冊は同じくらいの値段がつくこともある。

さて今回オークションで落札されたのは、1959年のGrove press刊行による米国版だ。何でこれほどの高評価を得たかというと、ロバート・フランクの直筆サインが、「For Leo Stahin. Dec. 1959 Robert Frank」と書かれているからだ。この1959年12月という記述が非常に重要。この本は1959年刊となっているが実際に店頭に並んだのが1960年1月だという。つまり、これは写真集「The Americans」のまさに刊行時のサインということ、アート写真でいうと、ヴィンテージ・プリントという意味になるのだ。クリスティーズによると、過去30年間で同時期にサインされた写真集はオークション市場には登場していないとのこと。
彼のオリジナルプリントは、サイン入りモダンプリントなら1万ドル(約92万円)以下でも購入可能だ。今回の高額落札は、もはや写真集はコレクターの資料という位置付けにとどまらず、それ自体が写真表現のカテゴリーの一つであることを明らかにしたことになる。
写真集「The Americans」はいままでに多くの出版社から数多くの再版が世界中で刊行されている。表紙デザインやサイズも様々だ。2008年にスタイドル社から刊行50周年記念版が刊行された(下の写真)。これは、原点回帰で本のサイズが再び1959年米国Grove press版に戻されている。現在、アマゾンや洋書店で売られているのは、約583万円で落札された写真集とほぼ同じたたずまいなのだ。興味ある人はぜひ手に取って本の雰囲気を確かめてほしい。

フォトブックス市場の動向にも少し触れておこう。他のアート市場と同様に世界的な景気後退の影響を受けて市場は弱含んでいる。ロンドンで開催のオークションを比較すると、景気の底は2009年だったようだ。総売り上げ285,562ポンド(約4000万円)、落札率約62%と低迷した。2010年は出品作を厳選したこともあり、総売り上げは353,438ポンド、落札率は約72%に回復している。ちなみに最高売り上げは2006年の643,832ポンド、落札率は約86%。ちょうどリーマンショック前の2008年春には市場の大きなニューヨークでもフォトブックス・オークションが開催され、その時はなんと約260万ドル(約2億6千万円)の総売り上げだった。 落札状況をフォローしてみると、アート写真市場の動きと全く同じだ。現在は、本当に資産価値があり、状態が良い写真集なら需要はある。しかし、いつでも買えるような流通量が比較的多い中級品の動きは鈍いといことだろう。 ヴィンテージは売れて、モダンプリントが苦戦するという構図だ。その状況が象徴的だったのが、今年5月19日ブルームズベリー・ニューヨークでアート写真の一部で開催されたフォトブックのオークション。際立った目玉がない中級品中心だったこともあり、約50点の出品で落札率はわずか30%だった。
従ってピークと比べて個別写真集の相場も下落気味。特定の欲しい写真集があったが手が出なかった人、特に高額本の場合は好機到来かもしれない。しかし、フォトブックには、アート・ギャラリーだけではなく膨大な数の古書店ディーラーが関わっている。10万円以下の本の場合、相場の下限ではこれらディーラーが仕入れの買いを入れる。参加者が少ない現代アートのように値段が急落することはない。以前より多少安く買えるくらいに考えてほしい。

細江英公氏が語る日本人写真家のヴィンテージ・プリント

先週、日本写真家ユニオン主催の講演会があり、細江英公氏(1933-)のお話を聞くことができた。
以前、日本人写真家の60~70年代の写真集が海外で非常に人気が高いことを紹介した。 フォト・ブックの歴史検証作業が行われ、日本人写真家はオリジナルプリントではなく写真集を重要視すると理解されるようになったのがきっかけだ。いまや日本人写真家のヴィンテージ・プリントに当たるのが初版写真集という解釈なのだ。
細江氏はまさにその時代に、「おとこと女」(1961年刊)、「薔薇刑」(1963年刊)、KAMAITACHI」(1969年刊)などの、いまや貴重なコレクターズ・アイテムになった写真集を発表した中心人物なのだ。今回の講演は、当時の日本におけるオリジナル・プリントや写真集についてのお考えが聞けるもので、非常に面白かった。

やはり、当時の写真家はプリントとしての写真作品に価値を置いていなかったらしい。 この時代は印刷されて初めて原稿料がもらえたので、雑誌などに印刷されることの方が重要だと考えられていたのだ。その究極の形が写真集化されることだったのだろう。プリントと写真集は全く別物と考えていたと細江氏は断言された。お金にならないプリントよりも、明らかに写真集を重要視していたことがよくわかる。プリントはネガがあればいつでも安価で制作できるという発想だったのだ。
なんと木村伊兵衛氏は邪魔になるということで、自らのヴィンテージプリントを燃やしてしまったとのこと。もし、それらが残っていたらビルが3つ位建っただろうと細江氏は残念がっていた。
実は収納スペースの問題もプリント軽視の風潮にかなり影響していたという印象だ。つまり、当時の日本の住宅はスペースが狭く、多くの写真家はプリントで作品を収蔵するより、ネガを整理して保存する方法を選んだようなのだ。桑原甲子雄氏は家業が質屋で倉があったからプリント作品が残っているそうだ。細江氏もガウディー作品保存のため、自宅ガレージから車をだしてスペースを確保したとのことだ。

彼がオリジナル・プリントの重要性に気付いたのは、ワシントンD.C.のスミソニアン協会で開催された写真展がきっかけだった。現地キュレーターが写真集「おとこと女」を見て企画されたものらしい。会期終了後、一部作品がコレクションとして購入されることになった。購入用の作品にはサインを入れる必要がある。彼は万年筆でサインをして作品を送ったところ、鉛筆で書き直すようにと指摘されたのだ。これがきっかけで、細江氏はプリント自体に価値を見出す欧米の価値観を知るようになるのだ。
その後の細江氏の啓蒙活動がなかったら、日本にはヴィンテージプリントなどほとんど残っていなかったかもしれない。写大ギャラリーの持つ土門拳コレクションなどは彼の尽力なしでは存在しなかったのだ。

講演の参加者の多くはオリジナル・プリント販売を目指す写真家だった。「いま写真を取り扱うギャラリーが増加しており、日本のアート写真市場もやっと動き出す気配を強く感じる。」写真界の重鎮による彼らへの激励の言葉に私も勇気付けられた。

ジョエル・マイロウィッツ
70歳にして変化を恐れない伝説の写真家

 

新作展のオープニングで来日したジョエル・マイロウィッツ氏(1938-)にエッセーの取材インタビューをすることができた。
彼は最近入手したというライカM8を持って現われた。長旅と時差、タイトなスケジュールでたいへんお疲れだったと思う。しかし非常に紳士的な態度で、また丁寧に言葉を選んで私の質問に答えてくれた。インタビューは近日中にアートフォトサイトで紹介します。

ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウで展示されている「The Elements:Air/Water Part1」で、彼は従来の3次元の写真表現に挑戦し、フラット感の中に新たな可能性を捜し求めている。また古代の四大元素である空気・火・土・水の表現をテーマにしたコンセプト優先の巨大作品は完全に現代アートだ。

彼は美術を学び、最初は抽象画家だった。生活のためにデザインの仕事を行うようになる。ロバート・フランクの撮影現場をみたことで衝撃を受けて写真家に転身する。最初はフランクの真似をしてストリートでモノクロ写真を撮影していた。この当時の写真はシャーカフスキーの名著「Looking at photographs」に収録されている。
シャーカフスキーの助言がきっかけで、こんどは写真のファーマットとカラーで世の中を描写しつくそうと考える。それを突き詰めた結果が8X10カメラだったのだ。
カラーを選んだときから彼は現代アートの方向性を持っていたのだと思う。しかし彼は早くからアナログ写真での表現に限界を感じていた。自分が感動したようにイメージを作りあげたかったがその性格上、どうしても妥協の連続が続いた。ダイトランスファーではかなり近いものが制作できたが、非常に高価だったので表現の追求はできなかったようだ。
それでも70~80年代にかけて、”Cape Light”、”Wild Flowers”などの優れたシリーズを次々と発表している。90年代には、フランクのように先入観をも持たないことを心がけながら、様々なアメリカンシーンを求めて旅をしている。この時期は作家として次のステップへの助走期間になっている。
やがてデジタル技術との出会いが彼のアーティストの可能性を押し広げることになる。多くの写真家はデジタルにより手軽に派手でコントラストの強いカラー写真ができることに魅了されがち。彼はヴューカメラで撮影されたネガの持つ微妙な色合いの表現を追求したことが特徴。かなりの初期段階から独学でフォトショップの探求を行い、数多くのプリンターをテストしたとのこと。
そして、HP Desogmket 130とHPプレミアム・サテン紙と出会い、初めて納得がいくデジタルプリントが制作可能になる。現在では顔料ベースのインクを使用するHP Designjet Z3100を使用して全ての作品を制作しているという。デジタルにより、サイズの限界から開放されたことも彼の創作意欲を掻き立てたのだろう。最新作の最大作品はなんと約1.5X1.8メートルもある。過去の作品も大きくして新たにエディション化している。たぶん最初から大判サイズで制作したかったのだろう。

多くの人は写真集”Cape Light”,”Summer days”などのルミナスな風景、シティースケープなどを彼のイメージとして持つだろう。だから、グランドゼロを撮影した、”Aftermath”や最新作では意外な印象を持ったはずだ。しかし、そのキャリアを振り返ると、極めて当たり前の展開であることが見えてくる。
彼も、”Cape Light”のような作品は作家としての自分のひとつのベクトルに過ぎないと語っている。話を聞いて感じたのは、彼が意識的に変化しようと試行錯誤していることだ。テーマやスタイルを変えることは危険なことだ。失敗したら自分の評価を落とすことになるかもしれない。特に優れた作品を残した作家ほど過去と比較されるのでそのリスクが大きくなる。しかし、アート史に残る偉大な作家はそのリスクを積極的に引き受けて変化してきた。 “Aftermath”で評価を高めたマイロウィッツ氏は、立ち止まることなく新たな方向のチャレンジを開始したのだ。

3月6日はマイロウィッツ氏の70歳の誕生日だったとのこと。すごいバイタリティーだ。最後に、いいインタビューだったとねぎらいの言葉までかけてくれた。写真史に残るような写真家は人間的にも魅力的なのだ。

*協力:ギャラリー・ホワイト・ルーム・トウキョウ