最近のマスコミ報道は、老後の不安を煽るものが多いような気がする。
2014年9月のNHKスペシャル「老人漂流社会”老後破産”の現実」は見た人も多いと思う。かなり衝撃的な内容の特集番組だった。「人生の最期を悲惨な状態で迎える人がいま急増している。なぜ、どのようにして人は破産してしまうのか。厳しい老後破産の現実はあなたも無関係ではない」これは週刊現代に紹介されている記事のキャッチコピーだ。
老後にいくらの資金が必要かは、ネット検索すると様々なシュミレーションが提示されている。自営業の人の場合、ゆとりのある老後のためには8000万円以上の貯蓄が必要というような例もあった。自分に照らし合わせてみて、この数字には本当に驚愕した。
このような情報が氾濫している状況では、終身雇用を勝ち逃げた団塊世代の人たちでさえ無駄な消費は控えようと考えるだろう。また昨今の終身雇用や年功序列の見直しは、正規雇用者でも無駄使いはしないという気持ちにさせる。この種のニュースは人間の本能の飢えの恐怖に関わってくる。私たちはどうしても自然に反応してしまうのだ。
さてこんな時代に富裕層でない人がアート写真など買ってよいのだろうか?質素倹約に努めた方が賢明でははないか、と考えてしまうだろう。しかし、もし好きで買った作品の資産価値が上昇するのなら投資的な意味が出てくる。アート写真の購入を正当化できるのだ。
ここでは、80年代後半から90年代前半に購入したアート写真コレクションがはたして投資価値があったか検証してみたい。ちょうどこの時期はバブル時代で写真もアートと認識され始めていた。またコレクションの一般的な所有期間の約15~25年間を経過しているので調べてみるには適当な時期だろう。
それではドル建ての作品価値があまり変わっていない状況をどのように理解すれば良いのだろうか。まず考慮すべきは、1988年にはアンセル・アダムスは亡くなっており、すでに本作はその当時の最も相場の高い写真作品だったこと。「Photographs:A Collector’s Guide」(Richard Blodgett、1979年刊)によると。1975年末まで本作の値段は800ドル(@305円、約24万円)だったという。その後新たな作品オーダー受付が中止されると、需給関係から市場価値が1500ドルになり、さらに6000ドルまで上昇したという。アンセル・アダムスは1984年になくなっているので、1988年の「オリジナルプリント作品即売会」での販売価格はすでに800ドルから約2万2千ドルに大きく上昇した後のものだったのだ。そして売却年に仮定した2013年はリーマンショックによる大きな相場下落から回復過程の時期だったこともある。実は最近の相場ピークの2007年には上記条件と同じ作品が3万4千ドルをつけている。当時の為替は1ドル115円くらいなので換算すると約391万円となる。その時に売っていれば十分に売却益を上げることができたことになる。ただ長期にコレクションを保有するだけでなく、売買のタイミングも重要なことを示唆してくれる。本シュミレーションで売却損が発生した理由は、既に十分に高く評価されていた物故作家の高い相場作品をドル高の時点で購入したこと、売却のタイミングが適切でなかったことによるのだ。
このアンセル・アダムスの購入・売却シュミレーションはアート写真をコレクションする上での参考例とすべきだろう。有名写真家の代表作を買うことは正解だった。しかし、本人が亡くなって既に評価が上昇したあとの作品だったのが問題だったのだ。これはロバート・メイプルソープの例にも当てはまる。彼がエイズとわかった段階で相場は大きく上昇してしまい、亡くなった後は相場はあまり変わらなかったのだ。これらの例を参考にすると現存写真家の人気作品を狙うことが重要になる。ただしあまりにも高齢になると相場は亡くなることを織り込んでいる可能性が高いの注意が必要だ。現在のロバート・フランクの相場などだ。
理想としてはその時点ではあまり評価されていない分野の代表写真家の作品を選ぶこと。ファッション系写真はその好例だ。上記1988年の段階ではまだファッション写真のアート性は全く認められていなかった。 当時有名だったアンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、ハリー・キャラハン、ポール・ストランドなどと比べてアーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、ジャンルー・シーフなどの相場は非常に低かった。1991年4月付けの手元資料によると、ニュートンが2500ドル~(約33.7万円)、アヴェドンが6000ドル~(約81万円)、ペンが5000ドル~(約67万円)、ホルストが1000ドル~(約13.5万円)、シーフが850ドル(約11.47万円)だった。円貨は1ドル135円で換算。その後、90年代以降にファッション写真の再評価が美術館や評論家により行われ、いまではアート写真のカテゴリーとして広く認識されている。また昨今の資産価値を重視する「イコン&スタイル」系作品のブームと相まって一部作品の相場は更に上昇しているのだ。
そして23年が経過して、いまや上記写真家はすべて亡くなっている。ドル価の作品相場は作品イメージや状態によって異なるが、だいたい代表作は約8倍以上、写真集掲載の人気作は約4倍以上、特にエディション付き作品は非常に高くなっている。
もし1988年にアンセル・アダムスではなくファッション系をコレクションしていれば初期投資額も小さくて済んだし、多少の為替差損はあるものの十分に売買益を享受できていたはずなのだ。
しかし、80年代には作り物の広告写真として低く評価されていたファッション写真をコレクションするのは勇気がいることだった。マーケットが注目していない分野に将来の宝物が眠っているのだが、市場の人気トレンドに流されることなく自分の眼で作品を評価することが求められるのだ。だが自分独自の価値基準構築には長い時間の経験蓄積が必要となる。自分の好みだけで買うのならよいのだが、投資的な視点をコレクションに取り入れる場合はぜひ専門家のアドバイスを積極的に取り入れてほしい。欧米の主要なプライベート・コレクション構築には必ず専門家が関わっているのだ。
さて、上記のアンセル・アダムス「Moonrise, Hernandez,New Mexico, 1941」だが、しばらくは弱めの相場が続くと思われる。この作品はなんと1000枚近いプリントが制作されたという。そしてちょうど70年代にコレクションした人が高齢になり、また中間層の経済状況が悪化していることから、これから市場での売却が増加すると予想されるからだ。
しかし、逆にいうとこれだけ流通量があるモダンプリント作品がいまだに高額なのは驚くべきことだともいえるだろう。また最近の傾向として現代アートの視点からもアンセル・アダムスは再評価されている。これが重要で、アート性が再認識されない作家の作品は単に骨董品的な価値しか認められないことになってしまう。個人的にはもし相場がもう少し下がってきたら購入を検討してみても良いと考えている。
アートは好きで買うのが基本だ。そこに長期投資の視点を取り入れてみると、評価基準が多様になりコレクションがより興味深くなる。次第に自分の好きが変化していくという面白味もある。自らが経験を積み、豊富な情報を集め、専門家のアドバイスを参考にしたうえで好きな作品のコレクションを構築することができれば、それが優良資産になる可能性がある。老後の蓄えの一部にもなり得るのだ。
このトピックに関してはこれからも取り上げていきたい。