アート写真の評価軸とは?フォトフェアでつかめる価格の相場観

今回の”ザJpadsフォトグラフィーショー”は、なかなか内容の充実したフォトフェアだったと思う。価値が未確定な現代アート系がほとんどなく、主にセカンダリー市場で売買されているものを中心に非常にバリエーション豊富な作品を各参加者が持ち寄った。
制作技法では、現代アートで中心のデジタル加工されたインクジェットが少なく、銀塩作品がほとんどだった。

20世紀写真では、制作年と制作者がどのように作品価値を決めるかについて明確な基準がある。これを伝説のディーラー、ハリー・ラン氏(1933-98)の意見として”Photographs:A Collector’s Guide”(Ballantine Books 1979年刊)が引用しているので紹介したい。 評価は満点100点として、以下のように序列が示されている。もちろん絵柄によっても価値は大きく変わるのでだいたいの目安と考えていただきたい。

100点   撮影年から数年以内に本人によりプリントされた、作家サイン入りのもの:ヴィンテージ・プリント

80点  撮影年から時間が経過した後に本人によりプリントされた、作家サイン入りのもの:モダン・プリント

40点  撮影年から時間が経過した後に作家管理下で、アシスタント等なおがプリント:これもモダン・プリントと呼ばれる

20点  作家の死後に彼に指導されたアシスタントなどによりプリントされたもの:ネガの管理団体によりエステート・プリント、トラスト・プリントなどと呼ばれる

5点  作家の死後に彼と仕事上の関係が薄いプリンターによりプリントされたもの

経験が少ない人は写真市場での相場観を得ることは非常に難しい。今回のフォト・フェアでは上記の様々な種類の写真作品が同時に展示されていたので、 価格が違う理由をとても説明しやすかった。
前回は、フォトクラシックからエドワード・ウェストンのヴィンテージ・プリントが出ていたが、今回は”ときの忘れもの”から植田正治のヴィンテージがでていた。鑑賞できるだけでありがたいプリントだ。
モダンプリントの出品は、ホルスト、エリオット・アーウイット、アンドレ・ケルテス、ウィリー・ロニス、ブルース・ダビットソンなどと非常に多かった。これだけ選択肢が多彩なことはあまりないだろう。
エドワード・ウェストンの死後に息子コールによりプリントされたいわゆるコール・プリントも出品されていた。上記リストでは得点は低いものの、コールも亡くなり、また市場拡大でヴィンテージが高騰したことで、こちらも決して安くない価格になっている。
ダイアン・アーバスのニール・セルカーク(Neil Selkirk)によるプリントも出品されていた。こちらも作家死後のプリントだがヴィンテージ高騰により値が上昇している。
アウグスト・ザンダーの孫によるプリント作品は同イメージが東京都写真美術館の”ストリート・ライフ”展に展示されていることなどから関心を集めていた。こちらも死後のプリントだが決して安くはない。
多くの人から聞かれたのが、アンセル・アダムスのヨセミテ・エディションだ。巨匠の写真が何と3万円代なのだ。これも上記序列をみると安い理由が明確だ。しかし私は個人的にはこれらはお買い得だと考えている。

上記リストはいまから約30年前に書かれた基準。現在はどのようになっているだろうか。特にヴィンテージ・プリントの価値急上昇が相場全体に影響を与えている。モダン・プリントでも、エステート・プリントでも特に古いものの価値は大きく上昇しているのだ。ただし注意が必要なのは、上記評価はまだアート写真市場が確立する以前に撮影された写真作品に当てはまる基準であること。20世紀後半以降のコンテンポラリー作品は最初からアート作品として制作されている。またエディションが導入されており、限定枚数の多さによって価格が左右される。
例えばマイケル・デウィックの場合、一番人気のあるのは”The End Montauk”なのだが、このシリーズはエディションが20~30点。その後のシリーズはエディションが10点になった。結果として人気のある初期作の方が、後期作よりも安いような状況もあった。実はこれこそがお買い得ということなのだ。

上記のような価値の序列はワークショップではよく話す。今回は現物が実際に展示されていたのでより説得力を持っていたと思う。アート写真には様々な値段がついている。しかし、それには明確な基準が存在するのだ。今回のフォトフェアは展示作品を通してそんな仕組みがあることを一般オーディエンスに少しばかり提示できたのではないかと思っている。相場観がつかめるようになると、コンテンポラリー作家につく値段が適正かどうかを判断できるようになる。今回の参加ディーラーは上記のセカンダリー作品を基準にしてコンテンポラリー作家も値付けしているのだ。

寒波の中、本当に多くの人が来場してくれました。ありがとうございました。

まず写真集からは始めよう!
アート写真コレクションへの誘い

 

先週末に、I.P.C.のサマーレクチャーで写真集コレクションについて話をした。猛暑の中、10名余の熱心な人が来てくれた。参加者の皆さん本当にありがとうございました。
実は、写真集関係のレクチャーはずっと温めていた企画だ。アート写真と同様に、写真集を買ってみたいがその入り口が分からないという声が多くずっと気になっていた。 しかし、レクチャーの新プログラム構築にはとてつもない時間がかかるのでなかなか実現できなかった。

写真集といっても実は様々な種類がある。その中で作家の視点が明確に構築されており、それを見る側に伝えるために制作された本がフォトブックとして区別されている。
つまり大きく分けると、写真集は作家の自己表現としてのフォトブックと、作家のキャリアを参照する資料的な本がともに存在するのだ。集めるのはもちろん前者のフォト・ブック。最初は両者の区別は難しいかもしれない。最近は写真集のガイドブック本”The Photobook: A History Volume 1 & 2″(Phaidon刊)などが刊行されている。ここに収録されているのがフォトブックと考えればほぼまちがいがない。

フォトブックはどこが違うのだろうか。以前も紹介したが、フォトブックの代表作といわれる「The Americans」の著者ロバート・フランクの言葉がよく説明している。少し長いが引用してみる。「写真家は社会に無関心ではだめだ。意見は時に批判的でもあるが、それは対象への愛から生まれている。写真家に必要なのは博愛の気持ちで状況に対すること。そのように撮影されたのがリアリズムだ。しかしそれだけでは不十分で、視点を持つことが重要だ。この二つがあって優れた写真が生まれる」
視点の原点となる感情は様々あるだろう。その一つは、個人が持つ違和感だと思う。欧州のスイスから繁栄している戦後のアメリカに来たフランクは、その文化を目の当たりにしてなんかこの国はおかしいと感じたのだろう。その原因を探るべく情報収集を行って考えを深めたのが、グッゲンハイムの奨学金で行った全米の旅だった。彼は撮影後、1年間かけて作品セレクションを行っている。問題点を総合化して視点を明確にして発表したのが「The Americans」なのだ。「決定的な瞬間」から解放されたフランクの撮影アプローチだけが注目されがちだが、重要なのは彼が写真で探求した違和感を見る側に伝えようとした姿勢や精神なのだ。

写真集コレクションに興味ある人は、作家の視点を共有したいと考える人たちだと思う。たぶん作家と同じ問題意識を持って世界を眺めているのだ。生きていて自分のいだいた強い感情に対する答えを写真集の中に探しているのだろう。さて、フランクの精神を受け継いでいるのはどのような写真家だろうか。現代人は、「The Americans」の歴史的評価は理解できるが、時代が違うのでリアリティーを感じることはできないだろう。個人的な好みでいうと、ジェフ・ブロウス(Jeff Brouws)、エドガー・マーティンス(Edgar Martins)、アレック・ソス(Alec Soth)などは、カラー撮影だがフランクの流れを引き継いでいると思う。このあたりは様々な意見があると思う。今後、何らかの機会を設けて興味のある人と意見交換をしてみたい。

現在は、市場環境的にも写真集コレクションを始めるのに絶好のチャンスだ。長引く不況で、相場自体がかなり安くなっている。特に、数年前まで人気が高く高額だった和書はかなり安くなっている。円高と不況で外人コレクターが買わなくなったのが大きな要因と言われている。欲しかったが手が出なかった写真集でも入手できる可能性が高まっている。しかし、売る側も高値を見ているので、安くは売りたがらない。しばらくは取引が大きく減少する時期が続くのだ。時間が経過すると、必ずいまの相場でも売りたい人が出てくるもの。欲しい人にとって、これが買い場だと思う。また洋書も、80円近くの円高でかなり割安になっている。欲しかったが高くて諦めていた写真集があったなら、いま一度現在の相場を調べてみるとよいだろう。

アート写真鑑賞方 感動との出会いを求めて

 

目黒のインテリア・ストリート近くに移転してきてから10年を超えた。最近はギャラリーの写真展に来る人が多様になってきた印象がある。以前は圧倒的に写真関係者が多かった。カメラマン、アシスタント、デザイナー、学生、カメラ趣味の人などだ。それが最近は、美術館などの展覧会に行くような一般の人がギャラリーにも来てくれるようになった。企画によっては、週末に50名超える来廊者がある。なかには写真を買ってみたいとお客様の方から声をかけてくれることもある。

ギャラリーにいるときは来廊者の動きを観察している。時間があれば鑑賞の手ほどきをするようにしているが、来客数が多いとなかなか対応しきれない。最近は定期的にフロア・レクチャーを開催している。
私たちは作品を売る商業ギャラリーなので、鑑賞目的の人は相手にしないと思われがちだ。しかし顧客が作品に心が動かされ、作家の視点を理解しない限り販売にはつながらない。来廊者が写真展に感動し楽しんでくれることは非常に重要なのだ。そのような人が将来のコレクターに育っていく。

作品を鑑賞する時、まず心で感じるべきか、頭で理解感すべきかは議論が別れるところだろう。脳科学では、人間は心、つまり感情で良い悪いの判断をしているという。これを写真に置き換えると、いくらコンセプトやイメージが優れていても感情が反応しない作品は良くないということだ。アート写真を鑑賞する時、まずは何も情報なしで見ることをすすめている。そして、自分の感情に何か訴えるものがあるなら、作家やキュレーターのメッセージを読んでみればよい。何かを感じた作品は、視点の明確化とともに更に気に入る可能性がある。しかし、何も感じない写真は文章を読んでもあまり興味は湧きあがらないだろう。
現代アート系の写真作品を制作する若手の中にはこの点を勘違いしている人が多い。自分が良いと考えるテーマが人の心をとらえると思い込んでしまうのだ。感動が希薄なアイデア中心の写真作品は壁紙と同じになってしまうリスクが伴う。同じように、写真イメージやプリント・クオリティーだけの作品も、ただきれいな高品位印刷のポスターと同じようになってしまうかもしれない。

さて以上を意識して能動的に写真展を鑑賞しても作品の評価軸が見えてこない場合があるかもしれない。特に最近は写真作品でもアイデアやコンセプト重視の現代アートの一部となっている。 見る側の考える力、ある程度の情報量も作品理解には必要なのだ。作品のオリジナリティーは写真史とのつながりで語られることも多い。歴史を勉強しないと、評価の前提の知識不足から作品が理解できないこともあるのだ。1冊の本の価値を知るためには、それ以前の知識の蓄積が不可欠なのと同じことだろう。

実はここがアート鑑賞の面白さでもある。つまりアート体験を重ね、知識を増やすほどにその価値が分かるようになるということ。最初は気付かなかった視点が発見でき、より広い考え方が出来るようになる。アート経験を通じて人間として成長できるのだ。それは自分なりの作品評価の基準が持てること。作品価格の正当性が判断できるようになるのだ。アート鑑賞は、一生をかけて楽しむことができる高度な知的遊戯なのだ。

アート写真コレクションのすすめ 最初の1枚を買ってもらうには

 

現在の日本では、アートは買うものではなく見て楽しむものだ。高度消費社会が到来して以来、アート鑑賞は一種のシーン消費となり、美術館やギャラリーに行く行為自体に意味を見出されるようになる。最近では、さらに進化して旅による移動と鑑賞が一体化してきた。日本人は元来旅行を好むメンタリティーを持っている。瀬戸内海の直島や金沢21世紀美術館が成功している背景には、旅行とアート鑑賞という目的がセットになっているからに他ならない。最近は”観光アート”というような新書も出ているくらいだ。これが日本でアートを販売する商業ギャラリーが少ない理由のひとつだろう。私どもの写真分野では、カメラで撮影して楽しむことが一般的だ。デジタル化でその流れがさらに強まっている。ギャラリーは厳しい状況をどうにかして変えたいと常に悪戦苦闘しているのだ。

アート写真コレクションの喜びを知ってもらうには何でもよいまず1枚を買ってもらうことだ。そのためには価格が安いことが非常に重要となる。
はじめての人は相場観が全くない。たとえばいきなり5万円を超える作品を買うことは 心理的な敷居がかなり高いのだ。私の経験則ではフレーム込みで3万円以内が初めての人には理想だと思う。
低価格帯作品は、作家の儲けが少ないのでなかなか商品化が難しい。しかし、リーマンショック、ギリシャ危機を経て、景気回復の遅れが強く意識されるいま、低価格作品が次第に登場するようになってきた。それらの多くは写真展期間中の限定販売でオープンエディションだ。興味深いのは、ギャラリーが作家に頼み込むのではなく、両者のあいだで自然と手軽な商品の必要性が意識されてきたことだ。それも新人写真家ではなく、トミオ・セイケ、ハービー・山口、ナオキなど知名度のある作家が積極的に手掛けてくれるようになった。かれらは長年日本市場においてのマーケティングを行っており、ギャラリー同様にアート写真市場の底辺拡大の必要性を感じているからだろう。

面白いことに、アート作品の販売経験が浅い写真家や、新興ギャラリーほど、安い作品を作るのに批判的だ。しかし、最近になり高価格志向が強い商業写真家のなかにも意識の変化が見られてきた。作品を低価格帯から中長期的に売っていきたいと考える人たちが登場してきたのだ。彼らは、自らの開催するワークショップなどを通して一般の人の真のニーズに気付いた人たちだ。最初は、真のファインアートとしてではなく、写真撮影を趣味とする人を念頭に置いて作品を紹介していきたいと考えているようだ。日本市場の特徴は、ハイアートとポップ・カルチャーが混在していること。確信犯でこの分野を攻めるのは決して的違いではないと思う。
そのような考えを持った、商業写真分野で活躍する人たちが来年3月にグループ展を行う予定だ。私どももできるだけ協力していきたいと思う。詳細が決まったらお知らせします。

さて低価格帯作品の売り上げは順調に推移している。知名度があり、作家のブランドが確立している人が高品質で低価格の作品を提供すれば不況でも売れるのだ。ハービー・山口の8X10″フレーム委り銀塩写真の限定ミニ・プリントは非常によく売れた。多くが初めて写真を買った人だった。 彼のプリントの最低価格は11×14″で6万3000円。多くの人が6万の写真は無理だがフレーム込みで3万以下のミニプリントなら買える、と話してくれた。
また低価格の作品から積極的にコレクションを始める人も見られるようになってきた。 インスタイル・フォトグラフィー・センターで行った”Imperfect Vision”展では、知名度がない新人作家の作品が予想以上に売れた。 低価格なら、たとえ経験がなくても自分の感覚を重視して思い切って作品を選ぶことが可能なのだ。またコレクションを意識している熱心な来場者も多かった。複数作家のグループ展なら自分好みの作品と出会える可能性が高いと考えてくれたからだと思う。低価格帯作品は写真家もギャラリーにも儲けはほとんどない。
しかし、それが新しいコレクター層を増やすのなら大いに挑戦する価値があると思う。

実は12月にもう一つ新規コレクターを呼び込むイベントを考えている。今度は約5~7つの写真ギャラリーがインスタイル・フォトグラフィー・センターに集まって10万円以下の作品のみを販売するイベント、”広尾・アート・フォト・マーケット”を開催する予定だ。専門ギャラリーが集まって新たな市場作りを共同で行う。写真コレクションを考えている人、初心者にも複数ギャラリーの低価格作品を一堂にみれる絶好のチャンスだ。こちらも詳細が決まりましたら案内します。

初めて写真を買う人へのアドバイス 作品を見て、感じて、考える!

 

経験豊富なベテラン・コレクターは自分のテイストと客観評価をバランスさせた絶妙な作品選択を行う。しかし、経験が全くない人はいったい何を基準に決定を下せばよいのだろうか。今回はいつも店頭で行っている、初心者向けアドバイスをいくつか紹介しよう。

値段によって判断基準を分けてみるのもひとつのアプローチ。まずフレーム込みで5万円以内くらいまで。これくらいなら、単純に自分の作品の好き嫌いの感じで買ってみてもよいだろう。この価格帯の作品は、作家性よりもイメージ優先の場合が多い。インテリアに飾って違和感を感じることはまずないだろう。

この段階で満足する人が多いのだが、中にはよりよいものが欲しいと考える人もいる。彼らは、感覚重視で買った作品は時間がたつと何か物足りなくなることに気付くのだ。そのような人はアート作品を一種の知的遊戯としてとらえてみてほしい。それらは5万円以上の作品になる場合が多く、必ずしも第一印象が良いイメージではない。重要なのは目で見るだけではなく、心と頭でも作品と向かい合うことのだ。アート作品は単なるビジュアルではなく、作家が伝えたい何らかのメッセージの入り口なのだ。もし、作品を見て何かを心で感じたならば関連する情報を集めてみよう。見る側の持つ情報量によって作家のメッセージの意味が左右されるからだ。疑問点があればギャラリーのスタッフや、アーティストに投げかけてみよう。もし得られた情報で作品がより良く感じられたなら、それは1枚の写真を通して作家とコミュニケーションができたこと。作品が自分にとって価値を持つという意味でもある。そのような作品は購入を検討してみるとよい。

作品の将来性から判断するのもひとつの基準だろう。自分が良いと判断した作品の価値が上昇するのはうれしいものだ。作品価格は作家の仕事の継続性により左右される。通常、新作の個展開催を期に価格は上昇していくのだ。しかし初心者の場合、作品を1回見たぐらいではなかなか判断できないだろう。ここでも作家本人やギャラリーと話してみることがヒントになる。
ただし、これは本人がこだわりを持って作品制作するのとはやや意味が違う。注意が必要だ。例えば商業写真に携わる人は、撮影方法や機材、プリント用紙などへこだわりを持つ人が多い。これは作品判断上の重要な要素の一つだが逆にその部分のこだわりが作家性と勘違いしている人もいる。そんな自分のこだわりを熱心に話す人も多いがこれに惑わされてはいけない。それはどちらかというと職人気質のようなもの。
注目してほしいのは外見ではなくソフト面。つまりその作家はどのようなメッセージを見る側に伝えたいかということだ。それらは本人やギャラリストがいなくても、ウェブサイトやブログなどで語られているはずだ。もし色々と調べても、作家の視点がわからない場合は購入は控えた方がよいだろう。もちろん見る側の経験不足の場合もあるので情報収集をさらに進めて自らを高める努力の継続は必要だろう。写真で何を私たちに伝えたいかが作家の原点になる。ここの部分の強い動議づけがない人は困難に直面した場合の忍耐力が弱い。視点を見極めることが継続できる人かどうかの重要な判断基準になるのだ。

アートは自分の好きなもの、感性を刺激するものを買えばよいという考えがある。それは全くまっとうな考えだと思う。しかしそれでは一般の消費物を買うのとなんら変わらない。アートの魅力は作品を通して、自分が気付かなかった文化的、思想的な視点を獲得できることでもある。そのような作品判断が出来るようになるには、自らが能動的な学習や情報収集を行いし、アート経験を積み重ねていくしかない。単純な感動が一般化しているいま、やや複雑だが知的好奇心を刺激しているアートを求める人は確実に増加している。

10月8日(金)から東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで開催される「Imperfect Vision(侘び・ポジティブな視点)」は初めて写真を買いたい人にぜひ来てほしい写真展だ。

日本の伝統的な美意識を作品に取り込んでいる日本人写真家7人によるグループ展だ。
撮影されている対象は、ファッション、ランドスケープ、シティースケープ、抽象などバリエーションに富んでいる。最初は全く異なるヴィジュアルが並列されているので驚くかもしれない。しかし、その制作背景を読み解こうとすると一貫性があることに気付く仕掛けになっている。
サイズは8X10″から、1メートルを超えるものまで。値段も1.5万円~から数10万円のものまでが幅広く揃っている。作家やキュレーターは出来る限り会場にいるようにしている。作品制作の背景や疑問点などの質問は大歓迎だ。買う買わないはともかく、アートを見て、感じて、考える機会にしたいと考えている。

アートとしてファッション写真 日本はどうなっているの?

 

9月8日まで渋谷パルコ地下1階のロゴスギャラリーで開催している「レア・ブックコレクション2010」。今年は「ファッション」をテーマに、ファッション写真家による写真集とオリジナル・プリントを展示販売している。

実は欧米でもファッション写真はアートとしては新しい分野なのだ。80年代くらいまでは、ファッションは作りものの、虚構の世界であることからアートとしては一般的には認められていなかった。戦前のマン・レイなどは生活の為にファッション写真を撮影していたと言われている。いまでこそ、有名なアート・ディレクターのアレクセイ・ブロドビッチも以前は忘れ去られた存在だった。

写真が真実を記録するメディアから写真家のパーソナルな視点を表現するものと理解されるようになるに従い状況が変化する。ファッション写真には人々の夢や欲望、つまり時代の雰囲気が反映されている点が注目されたのだ。
20世紀末になると、資本主義の高度化とグローバル化、情報化が進行し、世の中の価値観が大きく多様化する。皆が共通の未来像を持っていた時代への懐かしさが強まり、当時の気分を感じさせるファッション写真のブームが到来する。

欧米のアート写真の評価軸は歴史の積み重ねで成り立っている。ファッション写真分野でも、当初は美術館による歴史の掘り起こしと再評価が行われた。 ファッション写真をテーマにした本格的展示は1975年に ホフストラ・ユニバーシティ(米国ロングアイランド)で最初に開催。美術館での展覧会は1977年にジョージ・イーストマンハウスの国際写真センターで行われている。
その後は、1986年に英国ヴィクトリア&アルバート美術館で「Shots of Style」展、1989年にセントルイスのザ・フォーラムでファッション写真のグループ展「Images of Illusion」、1990年にマン・レイのファッション写真を特集する展覧会がICPニューヨーク、1994年には戦後ファッション写真を回顧する展覧会「Appearences」が英国ヴィクトリア&アルバート美術館で行われている。
1990年代以降はパーソナルな視点でファッション写真に取り組んでいた過去の人たちの再評価が進み、数多くの写真集が刊行された。ギイ・ブルダン、リリアン・バスマンなどはその流れからでてきたのだ。いまでは、写真家に自由裁量を与えられて撮影されたファッション写真はアート作品の一部と認められ、ギャラリーや美術館の壁面に普通に展示されるようになったのだ。
ちなみに「レア・ブックコレクション2010」では、それらの写真展開催に際して刊行された多くの写真集や、日本での知名度の低いファッション写真家の写真集を多数用意した。 嬉しいことに多くの人が興味を持ってくれて、開催期間を一日残した段階でそれらはほぼ完売してしまった。

さて本イベントで展示されているのは外国人ファッション写真家の作品が中心で日本人写真家のものは、ナオキと中村ノブオだけ。その理由は、上記の欧米で行われたファッション写真家の評価の積み重ねが日本では全く行われていないからだ。
東京都写真美術館の金子隆一氏とこのことを話す機会があった。彼の見立ては、日本ではファッション写真の評価が中抜けとのことだった。歴史評価の積み重ねがないから、現在のファッション写真家の評価軸が明確に存在しないのだ。このことが理由で、日本人広告系写真家の写真集は、高い作家性と充実した内容でも市場価値が低いのだ。

それでは、いまでこそ当たり前のように語られる日本写真における歴史と伝統はどうだろうか。私はこれは欧米の基準、つまり外人が日本的と考える視点で語られていると感じている。そこで語られるオリジナリティーに現代の日本人はリアリティーを感じるかという疑問を持っているのだ。それをファッション写真に当てはめようとしても無理があると思う。欧米と違い、日本では大衆文化と正統派アートとの明確な区別がない。実はそのような新たな基準、視点を提示することで戦後日本のファッション写真や商業写真のアートとしての再評価はできないものかと考えている。これについては機会を改めて考えを披露したい。

ファッション写真とレア・フォトブックが見て、楽しめて、買える!

 

8月27日から、渋谷パルコ地下1階のロゴスギャラリーで「レア・ブックコレクション2010」を開催する。例年はゴールデンウィーク明けに行っていたが、今年はお盆明けの時期となった。
昨年と同じく、壁面にはオリジナル・プリントを展示する「渋谷・アート・フォト・マーケット」を展開する。今年のテーマはストレートに「ファッション」だ。

今回のイベントでは、ロゴス・ギャラリーでオリジナル・プリントからレア・フォトブック、ヴィンテージ・マガジンまでを、見て、楽しめて、買える空間を作り出すことをイメージしている。価格帯も、数千円のフォトブックやヴィンテージ・マガジンから、数百万円のオリジナル・プリントまでの幅広い品揃いがある。
昨今、アート関係のイベントが数多く開催されている。しかし、その実態は参加することが目的になっている。つまり出店者はスタイタスを上げたり、広告宣伝のため。オーディエンスは展覧会のように見ることが目的となっている。主催するのは専門ディーラーではなくイベント屋さんだ。
欧米のアート・フェアーは、もともとは専門業者が販売を目的としてアート作品を持ち寄った蚤の市のようなものだった。それが専門分野ごとに集合し、アート・フェアーに進化していったのだ。誰しもフリーマーケットに行ったときのわくわく感を経験したことがあると思う。「レア・ブックコレクション2010」は、見て、楽しむだけでなく、それぞれの人の予算に合わせて何かが買えるような、アート写真関連のフリーマーケット的イベントを目指しているのだ。

今回はファッションがテーマなので、50年代~60年代のハーパース・バザー、ヴォーグを多数取り揃えた。雑誌は見て捨てるものなので写真集以上に状態の良いものは入手困難。仕入れにはほんとうに長い年月がかかっている。アヴェドン、ペンが表紙を撮影した号、アンディー・ウォーホールのイラスト、伝説のアレクセイ・ブロドビッチやカーメル・スノウが手掛けたものも含まれる。全て1点ものとなる。

写真集はファッション系レア・ブックの定番となる、リチャード・アヴェドンの「Observations(オブザベーションス)」(1959年刊)、アーヴィング・ペンの「Moments Preserved(モメント・プリザーブド)」(1960年刊)。人気写真家テリー・リチャードソンの初写真「Terry Richardson」(1998年刊)、リチャード・アヴェドンの「Made in France」(2001年刊)、デビット・ベイリーがロンドンのシティー・スケープを撮影した珍しい「Bailey NW1」(1982年刊)などを用意した。日本ではまだ知名度が低いJohn Swannell、Art Kane、Terence Donovan、Michael Doster、Paul Himmel など70~80年代のファッション写真家の写真集も数多くセレクション。

また、ファッション写真の歴史を網羅する資料的な写真集も充実させた。「ファッション写真の歴史」(ナンシー・ホール・ダンカン、1979年刊)、「Shots of Style(ショッツ・オブ・スタイル)」(デビット・ベイリー編集、1986年刊)、 「Appearances(アピアレンセス)」(マーティン・ハリソン編集、1991年刊)、「Fashion Photography of the Nineties」(Camilla Nickerson他、1996)など。これらは好きなファッション写真家を探すガイドとして最適だろう。
その他では、常にコレクター人気の高い、アンドレ・ケルテス、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、ウォーカー・エバンス、ヘルムート・ニュートン、ブルース・ウェーバーなどの写真集も多数展示販売される。

オリジナル・プリントもファッション写真家の作品で統一。
ホルスト P ホルスト、ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツ、ピーター・リンドバーク、カート・マーカス、ブルース・ウェーバー、ウェイン・メイザー、メルヴィン・ソコルスキー、アーヴィング・ペン、フランク・ホーバット、デボラ・ターバヴィル、ジャンルー・シーフ、中村ノブオ、ナオキなどを予定している。
たぶん欧米のアート・フェアーのブースと全く見劣りしない展示だと思う。これらだけでも絶対に見に来る価値があるだろう。

アート写真市場の現在 2010年春オークション・レビュー

景気は世界的に回復傾向にある。しかし、その原動力は各国の大規模な財政支出、つまり借金により賄われている。いままではその恩恵を受けて、生産、消費が改善したが、最近になりその負の面の弊害が目立つようになってきた。ギリシャに端を発した、欧州の財政と金融危機が新たな火種として顕在化。欧州各国は市場からの攻撃を恐れて急激に財政再建路線に軸足を移し始めた。米国では、政府の減税が4月末に終了したことが影響して新築住宅販売が過去最大の下落幅を示すなどその反動も散見されるようになってきた。景気は最悪期は脱したものの、今後の見通しは決して楽観が許されない状況だろう。

さてアート市場はいまどのような状況だろうか。
5月にはニューヨークのクリスティーズでパブロ・ピカソの「NUDE, GREEN LEAVES, AND BUST 」が、アート作品としてオークション最高額の約1億648万ドル(約96億円)で落札された。一方で、6月のロンドンのクリスティーズではクロード・モネのレアな睡蓮の絵画が不落札になっている。やや全体の方向性がつかみにくい印象だ。
6月に世界で最も権威があるフェアーのアート・バーゼルが開催された。専門誌のレポートの見出しは、”豊富な資金、しかし市場の方向性のコンセンサスはない” というものだった。まさにアート市場の現状を言い当てた表現だと思う。
つまり、アート史で評価の定まったような名品を展示できたギャラリーの売り上げは概して好調で、それ以外の中途半端に高額な作品の売り上げは苦戦ということのようだ。
現代アートとしては安い価格帯になる10万ドル(約950万円)以下の動きは悪くないそうだ。実際、作品を出品していた日本人作家によると、新作を含めてかなりの点数が売れたという。しかし、バーゼルは世界中の富裕層相手のフェアーなので、市場の断片的な状況だけを示しているかもしれない。つまり、不況の時でも富裕層は潤沢な余裕資金を持っている。逸品が適正価格で売られていれば買う人は確実に存在する。アート・バーゼルはニューヨークの五番街と同じようなところで、常に買い物客が多く活気があるように感じられるのだ。

価格レベルにかなりの違いがあるが、この傾向はアート写真にもあてはまるだろう。
ちなみに今春のオークションでは100万ドル(約9500万円)超え作品は1点しかなかった。
ササビーズで落札されたエドワード・ウェストンのオウムガイを正面から撮影したヴィンテージ・プリントの”Nautilus,1927″。1,082,500万ドル(約1億283万円)で落札されている。
繰り返しになるが、写真も希少で価値のあるものは高額でも売れるが、それ以外の動きははまだケース・バイ・ケースなのだ。
今春は、アート写真の新たなコレクション構築とみられる、良品の積極的な買いが見られたという。このようなまとめ買いが高額作品の市場を活性化させた印象が強い。
この流れで好調だったのは、クリスティーズで開催されたアーヴィング・ペンの単独セール、”Three Decades with Irving Penn”だ。これはペンのスタジオのマネージャーを長年勤め、彼の右腕として活躍していたPatricia McCabeのコレクションからのもの。ほとんどがクリスマス・プレゼントだったのだが、ペンは普通に販売されているエディション番号付きを贈っていた。抜群の来歴と完璧に近い保存状態からセールは完売だった。

一方で、中間価格帯から以下の作品が中心の複数委託者からのセールは方向性が定まらない印象だった。オークションハウスがかなり厳しい出品作の選別を行っているのに、全般的に普通の落札結果が多かった。
モダンプリントやエディションが付いた希少性が高くない作品は、予想落札価格の範囲内での落札が多い。アーヴィング・ペンやダイアン・アーバスなど有名作家でも最低落札価格が強めと感じる作品は不落札になるケースが見られた。
一般コレクターは、欲しい作品の価格が自分の相場観の範囲内なら買う。しかし、無理して高値を追うことはしないというスタンスだ。転売目的のディーラーは、今のレベルで作品を仕入れても相場の短期的な急上昇は予想しにくいと考えているようだ。従って自分の相場観と比べて過小評価されているものにしか興味を示さない。今まで不調だったファッション系や現代アート系作品も売れるようになってきた。しかしブランド作家の作品以外は相変わらずコレクターは慎重だった。

オークションが行われた4月のニューヨークのダウ平均株価は2月の急落から回復していた。しかし、5月には欧州の財政問題への懸念から再び一時一万ドル割れとなった。株価チャート的にも、リーマンショック後の最安値からの戻りの節目となるポイントを抜くことが出来なかった。中長期トレンドはまだ弱きが続いている。株価動向は経済の先行指標でもあり、オークション参加者に心理的な影響を与える。5月に開催された、ブルームズベリー、やササビース・ロンドンのオークションはかなり厳しい結果だった。目玉が少ない、普通の作品が中心だったからと思われる。これらの価格帯のアート写真のコレクションは中間層の人たちが中心に行っている。彼らには今回の不況のダメージがまだ残っており、先行きにも決して楽観視ていない表れなのだろう。
春先までの市場は、慎重だがやや強気に傾いていた。ここにきて再び慎重スタンスにややトーンダウンした感じだ。