岡村昭彦「生きること死ぬことのすべて」パーソナルな視点による戦争・紛争写真

本展は一般にはあまり知られていない戦争写真家、岡村昭彦(1929-1985)のキャリアを本格的に回顧するもの。
彼は1964年6月12日号の「ライフ」に9ページにわたり掲載されたベトナム戦争の写真でフォトジャーナリストとして国際的デビューを果たし「キャパを継ぐ男」として世界的に注目された写真家。学芸員の金子隆一氏によると、展示作品は5万点におよぶ写真原版にまで遡り、研究者と関係者の監修のもとに既発表、未発表を問わずに新たにセレクトをおこない、オリジナル・プリントとして制作したもの、とのことだ。知名度の高くない岡村の本格的紹介を試みた意欲的な展示といえるだろう。

私の写真に対する第一印象は予想とかなり違っていた。岡村は戦争や紛争を撮影していたと聞いていたが、特に被写体の悲惨さや残酷さを強調するものではなかった。フレーミングといい、モノクロではなくカラーで撮影されている点など、オーディエンスがその場にいて見ているような普通に感じるイメージが多いと感じた。
全くの畑違いの写真なのだが、ウォルフガンク・ティルマンス(1968-)の最近のフォトブック「Neue Welt」(2012年、Taschen刊)に収録されている、ストリートを撮影した写真に雰囲気が似ている気さえした。

写真展カタログに掲載されている写真研究者、戸田昌子氏のエッセー「目の中の傷」を読んだら、私がそのような印象を持った理由が良く理解できた。戸田氏は岡村の写真を「コンテンポラリー・フォトグラファーズ(社会的風景に向かって)」の流れで捉えているのだ。これはイーストマン・ハウスで1966年から3回にわたって開催された展覧会のこと。ブルース・デビットソン、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランド、ダニー・ライアン、ドゥェイン・マイケルズらが選ばれている。彼らは記録目的のドキュメントの対象になるドラマチックな出来事ではなく、個人的な普通の日常の出来事に対して視点を向けているのが特徴だ。もちろん、その原点はロバート・フランクの「アメリカ人」とウィリアム・クラインの「ニューヨーク」にある。

かつて、写真は大衆に世界の様々なイベントを目撃させて真実を伝えることが可能だと考えられていた。その後、テレビがその役割を担うようになり、真実を伝えるという写真神話は崩壊した。 一方で写真が自己表現の可能性なメディアであることが認識されるようになった。それが写真表現にも変化を与え、それまでのタブーだった、アレ・ブレ・ボケなども表現方法として取り入れられるようになる。「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」展はそのような状況変化を提示した60年代の写真動向を語るうえで重要な展覧会なのだ。

岡村がいままで美術館レベルであまり注目されなかったのは、戦争写真という性格上、ドキュメンタリーの視点からの評価しかされなかったからだろう。しかし、実際は戦地や紛争の場所が彼の日常だったのだ。写真家デビューが遅く、初期写真はピントが甘かったり、また決定的瞬間を重視した写真でなかったことも影響していたのだろう。しかし、彼がパーソナルな視点で戦争現場の出来事を撮影していたと解釈すると、その一見技術が劣ると感じる写真がとてつもなく魅力的になると思う。当時の感度の低いカラーフィルムで撮影したのも、戦争現場がモノクロで抽象化されインパクトを強めることを意識的に回避したからだろう。会場で配られている、モノクロ写真をコレクションしたパンフレット「monochrome」を見ると、それらはまさにステレオタイプの戦争写真だ。カラーとモノクロだと印象が全く変わってくることが良く理解できた。

戸田氏は「その衝撃度は日常的なまなざしであるカラー写真だからこそ増したのではないだろうか」と指摘している。そして岡村のパーソナルな視点で撮影されたベトナム戦争の写真がアメリカ人に戦争を「他者の問題」ではなく「自己の問題」として認識させるきっかけを作ったとしている。岡村の写真はグラフ・ジャーナリズムの崩壊を象徴しているというわけだ。これは写真史とアメリカ史を踏まえた的確な分析だと思う。
彼はベトナム戦争後も、ドミニカ、ハワイ、タヒチ、北アイルランド紛争、ビアフラ戦争などを取材している。戸田氏によると「岡村のテーマは、戦場だけではとらえきれない戦争の姿を探し続けることだった。日常の中に深く根を下ろした戦争の惨禍と傷みを、どのように受け止めていくのか、ということが岡村の仕事のすべてを貫く中心にある問題意識である」としている。そして彼のキャリアを通しての様々な活動を「戦争のすがたをあらゆる日常の中に見出す」姿勢から行われていると分析している。これこそが岡村の一貫した作品コンセプトということだろう。戸田氏の「目の中の傷」では、非常にわかり易い優れた写真家のテーマ分析が行われている。日本では感想文的なエッセーが多い。このような写真家の視点を明確にした写真評論は非常に珍しい。岡村昭彦の写真を写真史の中で再評価した優れた仕事だと思う。
なお都写真美術館は大規模改修工事に伴い2014年9月から約2年間休館する。本展は最後の美術館主催展にふさわしい、素晴らしい内容とメッセージ性を持つ展覧会だといえるだろう。ぜひ海外の美術館にも巡回してほしい。

スティーブン・ショア(Stephen Shore)の新作「WINSLOW ARIZONA (SEPTEMBER 19th, 2013)」

六本木のアクシスに今春オープンしたIMA Galleryの3回目の企画展「THE STREET GOES ON」が8月10日まで開催されている。
運営する(株)アマナは、季刊写真雑誌IMAの刊行を皮切りに、アート写真分野の幅広い業務に積極的に取り組んでいる。ギャラリー、ブックショップを含むコンセプトストアーの運営、ワークショップやセミナー開催、複数の写真ギャラリー経営者と共同での写真販売会社の設立、独自の業界団体の立ち上げ、フォトフェアの企画開催、写真集の出版、プラチナプリントの工房アマナサルト設立などを行っている。また現代アート・写真分野で活躍する日本人写真家・アーティストの作品を独自の視点から積極的にコレクションしている。

これらはすべて利害関係がからむことから、彼らの事業方針や方法論には様々な意見がある。しかし日本のアート写真市場はまだ黎明期で、市場がまだ非常に小さい規模にとどまっている。どんな形でも上場企業による先行投資は、市場拡大のための好ましい活動といえるだろう。もし彼らのここ数年の取り組みがなかったならば、いまの日本の写真界はいまよりもアマチュア写真が中心となり、アート写真は世間で忘れ去られた存在になっていただろう。

本展のIMA Galleryの案内コピーは「世界の写真家たちのストリートフォトの共演。路上を様々なアプローチで切り撮った7人の写真家の中からあなたのお気に入りの1枚を見つけてください」というもの。参加者は、スティーブン・ショア、マーク・コーエン、北島敬三、ホンマタカシ、ピーター・サザーランド、春木麻衣子、ロレンツォ・ヴィットォーリ、オスカー・モリソン。資料には特定のキュレーターのクレジットはないので、IMA編集部が中心になって参加者が選ばれたと思われる。

展示のメインはウィリアム・エグルストンとともにシリアス・カラー写真を代表する米国人写真家スティーブン・ショア(1947-)の新作「WINSLOW ARIZONA (SEPTEMBER 19th, 2013)」の展示だろう。
彼は、1970年代から米国中のロードトリップを敢行し、何気ない普通のアメリカン・シーンを撮影している。代表作に、35ミリカメラで撮影した写真によるロードムービー的な作品の「American Surfaces」や、大型8X10インチ・ビューカメラによる「Uncommon Places」がある。客観的な視点で撮影された一連のカラー作品は、アンドレアス・グルスキーやトーマス・シュトゥルートなどの現代アート系アーティストに多大な影響を与えている。いま市場を席巻している巨大風景作品の原点がショアだともいえるのだ。

本作は「アート・トレイン」で全米を横断するという、現代アート作家ダグ・エイケンの「Station to Station」プロジェクトにショアが参加した時に制作されている。これは、エイケンが列車を貸し切り、事前に決められている駅に到着するたびに参加しているアーティスト、映像作家、パフォーマーがその地に用意された会場で作品を展示したり、パフォーマンスを行うようなイベント。ショアは本プロジェクト参加に際し、単なる展示やフォトブックのために写真を撮るのではなくパフォーマンスを行いたいと考えたという。彼は、南カリフォルニアの小さな町バーストウが停車駅に含まれ、そこのドライビングシアターが発表の場であることを知らされていた。 彼は「American
Surfaces」の撮影の際に、バーストウの一つ前の駅となるアリゾナのウィンスローを訪れたかことがありそこには土地勘があったようだ。彼は、列車がウィンスローに到着する2日前に町に入り、その地で1日中撮影を行い、それらの写真をバーストウのドライビングシアターでスライドショーとして上映する計画を立てる。写真の編集は一切行わず、シークエンスもそのままで上映すれば写真撮影の行為自体が一種のパフォーマンスになるのではないかと考えたのだ。前半の写真撮影、後半の上映を通してのパフォーマンスということで、彼はこれを「Visual  Improvisation(即興映像)」と呼んでいる。実際のスライドショーでは、なんとロックバンドのノー・エイジとベックがライブ演奏する中で約180点が上映されたという。

撮影は8X10インチの大判カメラではなくニコンD3Xで行われている。しかし撮影スタイルは不変で、彼はひとつの被写体について1枚だけシャッターを押している。ギャラリーの資料によると、展示作品は50.8X61cmのサイズ、C-Print、エディション8枚とのこと。販売価格は売れた枚数により異なるが、人気アーティストであることから展示作はすべて100万円を超えていた。
なお「WINSLOW ARIZONA」は写真集化もされ、それには上映された180点のうち約64点が収録されている。パフォーマンスで使用された作品を、その当初の意図から離れて写真集化するのはどのような意味があるのかはやや気になるところだ。単にその資料として制作されたということだろうか?ショアというと私たちははどうしても「American Surfaces」や「Uncommon Places」を思い起こしてしまう。特に本作は撮影場所や写真フォーマットが「American Surfaces」と重なることから、オーディエンスはその延長上の作品と捉えてしまいがちになるだろう。
写真集のページをめくるに、どうも彼が21世紀のウィンスローに代表作を制作した70年代の残り香を求めているような印象を感じてしまう。当時の未発表作として提示されても信じる人が多いのではないか。シティー・スケープを撮影する場合、頻繁にモデルチェンジを繰り返す車に時代性が反映されることが多い。本作でショアは、ファイヤーバード・トランザムなど70年代以前の車を多く撮影している。また、古びて朽ち果てた看板、ネオンサイン、家屋や町の断片を意識的に撮影している。 またデジカメでの撮影なのだが人間は撮影されていない。ポートレートは髪型やファッションを通して時代の雰囲気が写真に現れることが多い。インテリアの写真がないのも同じ理由からだろう。「Visual Improvisation(即興映像)」ということは、アイデアやコンセプトはないオーディエンスは自由にヴィジュアルを見て楽しんで欲しいという意味だろう。しかし、普通で何気なく感じられる一連のイメージは、決してドキュメントではなくショアのパーソナルな視点で映し出された風景なのだ。
「Visual Improvisation(即興映像)」として作品を提示したのは、「Station to Station」の企画者であるダグ・エイケンへ敬意を表したということだろう。自分のスタイルを確立した写真家は、特に明確なコンセプトを提示しなくても観る側がどのように意識するかを想像できる。ショアは、本作のオーディエンスが自分の70年代の作品を思い浮かべることを最初から意識しているのだと思う。
彼は70年代のアメリカがすでに懐かしむ対象になっていることを示そうとしているのではないか。70年代は、石油危機、ベトナム戦争、スタグフレーションなどがあり経済や社会文化が決して良い時代ではなかったと思う。
だから、彼は当時の作品でアメリカン人の心に沁みるような原風景の残り香を提示し、消費文化が盛り上がった黄金の50年代の断片を皮肉を多少込めて表現した。それはかつてアメリカンドリームが描けた古き良き時代の象徴なのだ。

ではなぜ「WINSLOW ARIZONA」で、決して良い時代だと感じていなかった70年代の断片を求めたのだろうか?、それは現在と比べると、まだ当時の方が多くの人が将来に対して夢が描けたということなのだと思う。貧富の格差が広がり、中間層が没落している現在の状況を考えて欲しいという意図があるのだろう。かつて道の先にあると信じられていたアメリカンドリームは、いまやはるか遠い昔の記憶の中にしか存在しないということなのだ。
彼は、かつてインタビューで『私の作品は、写真、世の中、自分自身などを探求した結果として生まれている』と語っている。本作は今に生きるアメリカ人へのメッセージなのだと思う。過去を振り返ることは、いまを考えるきっかけにもなると伝えたいのだろう。そして現実をリアルに認識して、新たな生き方を見つけてほしいという願いが込められている。アメリカ文化の影響を受けた世代の日本人も、リアリティーを感じる作品ではないだろうか。

ジュリアン・レヴィ (Julien Levy)「Beauty Is You Chaos Is Me」展 欧米におけるアート写真最前線の表現!

シャネル・ネクサス・ホールは、数ある日本のアート作品展示スペースの中でも、最も熱心に最先端の欧米のビジュアル表現を紹介している。常にアーティストの展示意図をできる限り尊重する彼らの姿勢には敬意を表したい。 そこからは、日本とは違う欧米社会でのアート支援の基本姿勢が垣間見えてくると思う。

現在、同ホールではジュリアン・レヴィ(Julien Levy)「Beauty Is You Chaos Is Me」展が7月20日まで開催されている。レヴィは1982年パリ生まれ。現在はニューヨーク中心に活躍しているアーティスト。本展では、東京、パリ、ニューヨークで制作された、写真、映像、インスタレーション、フォトブックなどを複合的に展示している。それらはデジタル革命第2ステージを迎えた欧米の最先端のアート写真表現といえるだろう。

彼自身は「眼で見る詩のコレクション」と自作を語っているが、詩人が様々な映像手段を使用して3次元空間で表現していると解釈したほうがわかり易いかもしれない。
アストリッド・ベルジュ=フリスベ、水原希子などの女優たちのポートレートやメランコリックな風景が主なモチーフになっている。すべてが観る側が写真家の視点を共有できるようなカジュアルなスナップ的なヴィジュアルだ。 アート的な写真として非日常的に展示会場の壁面に存在するのではなく、あくまでも観る側が自分の視点の延長上にあるように感じるシーンが連なっている。
そのための仕掛けとして、フィルムの半分だけが露光されて写真や、大きなマットの中に数センチの四方の極小の写真をセットしてそれをルーペで拡大する方法、部屋のインスタレーションの中で見せる方法などが導入されている。私たちの頭の中で、浮かんでは消えていく過去の記憶イメージを表現するかのような布や壁へのビデオの映写もその一部なのだろう。
これらはすべて、観る側が作品に入り込んでリアリティーを感じてもらうための仕掛けなのだと思う。この部分の展示アイデアもが彼の作品コンセプトと一部になっている。
ただし、自由な表現を目指し、作品がフレームからも自由になろうとしながらもその中にあえて留まっている印象もある。個人的にはフレームでの展示パートにやや違和感を感じた。会場設営に1週間もかかったそうだが、広いシャネル・ネクサス・ホールでの短時間での展示には限界があったのだろう。

全体の様々な形態の作品を俯瞰するに、一種のヴィジュアル・ストーリーのような印象だ。会場がシャネル・ネクサス・ホールであることから美を追求するシャネルというブランドの世界観をビジュアルで表現しているような感じもする。同社のリシャール コラス氏は彼のことを”ジュリアン・レヴィの作品は私たちの心を揺さぶり、混沌と嵐、無垢と残酷、エレガンスと無頓着とを問いかける。過去に例の見ないポエティックな「美」の賛歌であり、シャネルがこれに関心を寄せたのは当然の成り行きであった”と評している。彼もそのような印象を持ったのだろう。

現代社会の中で自由に生きることもレヴィの重要なテーマとなっている。彼はココ・シャネルと自分は「美」のとらえ方が共通していると主張している。さらに続けて”「美」は、パーソナルで、形がなく、変化し続けるもの。闘って手に入れなければならないもの。与えられるのではなく、この手で掴みとるもの-。私にとって、美を渇望することは、独立宣言と同じなのです。”と語っているのだ。ここの「美」は全て「自由に生きる」に置き換えられるだろう。
生きにくい社会生活のなかでできる限り自由に生きるために、シャネルは服を通して、レヴィはヴィジュアル表現を通して、「美」を追求してきたのだ。
この点を正しく知っていないと、本展の趣旨は理解できないだろう。自由に生きることを自分の夢を一方的に追求すること、権威を否定することと勘違いしている人がとても多い。しかし自由とはある一定の条件の中で成し遂げられることなのだ。アーティストは好き勝手なことを行っている人ではない。それができるのはアマチュアだけだ。

シャネルのような有名ブランドとの仕事では、レヴィはアーティストとしてある程度の妥協が求められるだろう。時に納得がいかなくて精神的に落ち込むこともあるかもしれない。それは一般の社会人が行っている仕事と何ら変わらない。そこで自己主張だけを一方的に行えば仕事は成立しない。自由と不自由との落としどころを的確に見つけ出す能力がプロのアーティストには求められるのだ。
またそれは仕事を行う相手にもよっても変わってくるだろう。フランス人の彼は、同じような考えを持って苦労してブランドを構築したシャネルの生き方に敬意を払っている。だからこそ妥協点が見つけられるではないか。彼のように自分より上位のものを尊敬して、認められる人は自分自身をそこまで高めることができるのだ。それで逆に彼は自由を獲得しているといっても良いのではないか。またアートの世界で生きていくこと自体も、資本主義という大きなシステムの中で確信犯で自分をそれに合わせることを意味する。彼は、若い時は「美」を追及していたが、いまは「優雅」を追求しているという。その優雅「Grace」とはシステムをうまく乗りこなすという意味も含んでいるだと思う。 彼はアーティスト活動を続けていくうちに自由に生きるということの真の意味を理解して実践しているのだと思う。

本展では、欧米のアートシーン最前線で活躍するアーティストの写真表現を見ることができる。まさに「デジタル革命第2ステージ」の現場といえるだろう。特に写真表現でアーティストを目指す人には見て、考えて欲しい展覧会だ。

「石元泰博 生誕93年記念展」

石元泰博(1921-2012)の生誕93年記念展が、東京広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターで6月22日まで開催されている。主催は「石元アーカイヴ事務局」。ちなみに6月14日は本人の誕生日とのことだ。

石元は、米国サンフランシスコ生まれ。1969年に日本国籍を取得している。シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインのニューバウハウスでハリー・キャラハンやアーロン・シスキンらに写真を学んでいる。
彼の偉業のひとつは日本建築の象徴的存在である京都の桂離宮が400年前のモダニズム住宅だったことをヴィジュアルで明らかにしたこと。彼は、1953年~1954年にかけて京都の桂離宮を大型フォーマットのカメラで集中的に撮影。一連の仕事は、写真集「Katsura:Picturing Modernism in Japanese Architecture(桂-日本建築における伝統と創造」(1960年刊)にまとめられた。写真集では桂離宮の幾何学的外見の屋根部分を切り落とし、モダニズムの絵画のようにグリッド状の構図にレイアウト。開放的な建築空間がモダニズムの直線的でシンプルな空間構成と重なることを提示しているモダニズムの視点で17世紀の日本の伝統的建築物、桂離宮の美を再発見した点が高く評価された。
初版は、バウハウスのヘルベルト・バイヤーがデザインを担当、建築家丹下健三とヴァルター・グロビウスのエッセーを収録した幻のレアブック。2010年には米国のヒューストン美術館で開催された写真展に際して約50年ぶりに新版が刊行されている。ヒューストン美術館写真部門の中森康文が石元泰博と丹下健三の関係を新たな視点から探求。建築物の写真を抽象的な部分として見せようという、丹下の意向が石元の写真のトリミングや配列順序に深くかかわっていたことを解き明かしている。
その後、石元は「ある日ある所」(芸美出版社、1958年刊)、「シカゴ、シカゴ」(美術出版社、1969年刊)などの代表作を相次いで発表している。それらのフォトブックは入手が難しいレアブックとして世界的に知られている。

いま彼の作品や資料は、出身地の高知の高知県立美術館の「石元泰博フォトセンター」に収蔵されている。東京にいるとオリジナル作品はなかなか見ることはできない。
本展は、「桂離宮」、「シカゴ、シカゴ」などの代表作から、キャリア後期に取り組んだカラーの抽象作品までをコレクターの協力で幅広く集められた写真展。作品取り扱いギャラリーのPGIの在庫からは出品されていないとのことだ。コレクターが何らかの魅力を感じ、実際に購入している作品の展示となる。写真界の錚々たる人々が石元作品をコレクションしていることがわかって興味深い。キャリアを網羅する多様な作品群を見るに、彼が写真表現のなかでのモノクロームの抽象美とファインプリントのクオリティーを追求するとともに、やがてその限界を超えることに挑戦していた事実が見えてくる。
平滑性が重要視される印画紙をあえて手を加えて、くちゃくちゃにした90年代の作品、 カラーの多重露光で色彩とフォルムで抽象美を探求した作品などは現代アートの写真表現につながると思う。しかし、それらが技法の追及や実験ではなかったことを明確化するために、どのような写真家の意図が創作の背景にあったが語られることが非常に重要だと思う。
写真史ではなくアート史の視点からの再評価が可能なのではないだろうか。今後の「石元アーカイヴ事務局」による、さらなる調査を期待したい。

リリアン バスマン写真展
「Signature of Elegance」

リリアン・バスマン(Lillian Bassman、1914 – 2009)は、米国を代表する女性ファッション写真家。日本での本格的展示は、1994年に三越美術館新宿で開催されたファッション写真のグループ展「VANITES」以来ではないだろうか。
本展では彼女の1940年代からのキャリアを振り返る約47点が、白色と、黒色の箱型のフレームに分けられて展示されている。その中で約7点は大きく引き伸ばされている。作品はすべて透明アクリルなしで直接フレーム上にセットされている。いかにも粗いモノクロのインクジェット出力のように感じられるが、マット系の印画紙にプリントされたオリジナル作品の質感はかなり展示作品に近い。もしアクリル入りフレームに額装されていればたぶん見分けは難しいと思う。

彼女は写真表現の可能性を広げる努力を行ってきたことでいま高く評価されている。その背景には写真も現代アート表現の一つの分野と考えられるようになったことがある。 それは従来の写真プリント自体よりも、写真家の作家性により重点を置くという意味だ。 いまでは多くのアーティストがデジタル技術を駆使して、写真での様々な表現探求を行っている。彼女はなんと1940年代からアナログでそれを実践していた。ティッシュやガーゼを使い、暗室作業で写真トーンの調整なども行っていたのだ。
特に女性ランジェリーの仕事で高い評価を得ていた。それまでのイメージは男性写真家の撮影が多く、非常に堅苦しくて面白みがないものだった。モデルが同じ女性であるから親しみのある雰囲気のヴィジュアルを作れたこともある。 当時はいまよりもはるかに撮影時間に余裕があり、写真家とモデルは撮影に1日を費やすことも多かったという。おしゃべりをして、ランチをともにすることで肩の力抜けたモデルの表情を引き出したとのこと。
彼女の写真は戦後の自由に生きるアメリカの女性像を様々なセッティングや技法を駆使して表現しようという試みだったのだ。

しかし当時はストレート写真に絶対的な価値が置かれていたので絵画的なヴィジュアル作りは写真界からはあまり評価されなかったと思われる。いまでこそ、ファッション写真はアートになりうると考えられているが、当時はファッションは作り物の商業写真で、アートとは最も縁遠い表現と考えられていた。またファッションが巨大産業化し、次第に写真家の自由な表現が難しくなっていく。彼女はファッション写真の先に自由なアート表現の可能性はないとしだいに考えるようになる。
1969年に広告関連のネガを全て破壊し、エディトリアル・ページで使用されたネガをゴミ袋に入れて物置に放置してしまう。それらは長らく忘れ去られてしまい、やっと1990年代になってから写真史家のマーティン・ハリソンにより発見される。時代の価値観がやっとバスマンに近寄ってくるのだ。彼女の本格的な再評価は、1991年にヴィクトリア&アルバート美術館ロンドンで開催されたファッション写真のグループ展「Appearances: Fashion photography since 1945」での紹介がきっかけだ。
その後、彼女はかつてのネガを再解釈して新たな作品として提示するようになる。最終的には画像処理ソフトのフォトショップを使用していたとのことだ。
今回の展示でも90年代以降に再解釈された作品が多く含まれている。彼女の再解釈作品とは、アナログ写真の技術的限界により撮影時やプリント時に自分の思う通りにできなかった表現を、デジタル技術を駆使することで新たに実践しているということだろう。サイズもそれに含まれる。たぶん大きな作品を作りたかったのだろう。

ファッションの流行は20年周期で繰り返すといわれている。彼女が再評価された90年代は、ちょうど40~50年代から二周りした時期にあたっていた。当時は忘れ去られていた、アレクセイ・ブロドビッチが再評価を受けており、その流れで彼の愛弟子だったバスマンにも注目が集まったという事情もある。2010年代もちょうど90年代から20年経過している。バスマン作品を斬新に感じる若い世代の人は多いのではないだろうか。

作家としてのりリアン・バスマンはもちろん才能のある人なのだが、今回の例のようにいったん忘れ去られた才能を新たに見つけ出して評価する欧米アート写真界のダイナミズムにはいつも驚かされる。世の中の価値観の変化に合わせて歴史の評価軸も巧みに修正していくのだ。日本でも同じように優れた才能が歴史に埋もれているのではないだろうか?まずアートの視点から、日本のファッション写真、商業写真界の歴史が書き直されることが必要になるだろう。

INFINITY VS ~僕らと、たった一人のモナ~
パルコミュージアム渋谷

松岡モナは僅か15歳でミラノコレクションにデビューした若手ファッションモデル。本展は、広告とファッション分野で活躍中の日本人写真家9名が様々なセッティングで彼女を撮影した作品を展示しているグループ展。

展示を見て「Kate」(1995年、Pavilion刊)というケイト・モスをフィーチャーした写真集を思い出した。彼女は長年にわたり第一線で活躍しているスーパーモデル。この本は、複数のファッション写真家が撮影したケイト・モスの写真をコレクションしたもの。その後しばらくしてから彼女がスーパーモデルとして世界中で大活躍するようになり、本書は古書市場で高額で売買されるようになる。
松岡モナはケイト・モス的な要素をもったモデルだと感じた。ケイト・モスが評価されたのは、彼女がデザイナーやフォトグラファーのディレクションによりまるで別人かのように様々な表情やスタイルをみせることだろう。 20世紀後半以降は人々の価値観が多様化したことで、強い個性がないことが個性になったのだ。90年代前半の各自があらゆる面で超個性的だったスーパーモデル・ブームとは状況が大きく変化した。いまや見る人が自分の理想像を反映させる対象になりえるモデルの人気が高いのだ。個性的だと見る側の好き嫌いが明確に出てしまう。
今回の展示の中には、本当に様々な顔を持つ松岡モナがいた。とても一人のモデルだとは思えなかった。オーディエンスは間違いなく、自分好みの彼女を展示作品の中から見つけられたのではないか。ほとんどの写真が、彼女の写真というよりも見事に写真家自身の作品になっていた。
ちなみにケイト・モスのデビューも同じく15歳だった。松岡モナも将来的にぜひケイト・モスのようになって欲しい。

個別の写真家の作品に触れておこう。
小林幹幸は彼の得意とするエロがない透明感のあるスクールガールの世界を表現していた。
鶴田直樹はいつものエンリケ・バドレスクを思い起こさせるカラーながら、サラ・ムーンの色見とスタイリングを感じさせる斬新なアイデアを展開、個別作品を見せるスタンスが強く感じられた。
北島明は、4点のグリッド状作品、2点の組作品で相変わらずややシュールでアバンギャルドな世界を表現していた。
半沢健は、様々なサイズのシート作品を壁面にインスタレーション。松岡モナを自分の日常世界に引き込もうとしていた。ウォルフギャング・ティルマンズを思い起こさせる展示アプローチだ。
設楽茂男は画家のように彼女自身の顔をキャンバスに、カラフルなペインティングを施したポートレート作品。
Rrosemaryは濃厚なモノクロームで松岡モナのフォルムを抽象的に表現。モダンとクラシックが共存していた。
舞山秀一は東京のストリートを背景にした、ドキュメント的作品だった。カラー、モノクロを混在させて小作品をグリッド状に並べた作品は映画のようにイメージが連続する効果が感じられた。見る側によって流れが変わっていく印象だ。
中村和孝は1点物のポラロイド作品の展示。 ニック・ナイトやパオロ・ロベルシの雰囲気を感じられる。

インフィニティーの人たちはアート性を目指していると公言しない点が清々しい。 変にエゴを押しつけるアート風の作品よりもはるかに親しみが感じやすい。世界的なモデルを日本の最先端の写真家が撮影した写真はカッコいいに決まっている。都会で暮らす現代人にはアート写真といわれる小難しい写真よりもはるかにリアリティーを感じるはずだ。
しかしこのような写真は広告写真の場合が多くなかなか販売はされていない。案外、カッコイイ写真がみれて買える機会はないのだ。
ちなみにサロンスぺースで展示販売されている8X10″の作品はフレーム込で21,000円。その他の作品も3万円くらいから売られている。
これらの写真ははたして将来的に値段が上がるのかという突っ込みが入るかもしれない。それは見る人、買う人の目利き次第だといっておきたい。もし将来的に、今回のどれかの展示作品が21世紀東京の時代の気分や雰囲気が反映されていると評価されれば、それはアートとしてのファッション写真になるということだ。また、松岡モナがケイト・モスのような有名モデルになれば、15歳の彼女をとらえた作品の価値は間違いなく上がるだろう。
まずは自分の目利きを試す意味合いで、単純に今の自分の気分に合った写真を選んでみてはどうだろうか。

『フジフイルム・フォトコレクション』展 日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」

富士フイルム株式会社のフィルム事業の規模は2000年がピークで、当時は写真関連事業が営業利益の約60%を占めていたそうだ。それが僅か10年後の2011年には、なんと売り上げに占める比率が僅か1%にも満たなくなったそうだ。ちなみに競合していたコダックは2012年に経営破たんしている。写真の急激なデジタル化を象徴した驚くべき数字の推移だろう。
もはや中身は写真関連企業とはいえない富士フイルム。このたび同社は創立80周年を記念して、日本の写真史を飾る写真家約100名を選び出し各1点を『フジフイルム・フォトコレクション』として収集した。そのコレクションを披露する展示が東京ミッドタウンのフジフイルム スクエアで5日(水)まで開催中だ。2014年2月21日~2014年3月5日には大阪の富士フイルムフォトサロンに巡回する。
プレスリリースによると、「約150年前の幕末に写真術が日本に渡来してから銀塩写真が最盛期を迎えた20世紀の間に活躍し、高い技術と感性で国内外で高く評価を受けた写真家約100名の「この1 枚!」という代表的作品を、優れた技術で新たに制作された高画質の銀塩プリントで後世に残すものです。」とのこと。19世紀から1950年代生まれまでの写真家が選ばれている。
それらは、フェリーチェ・ベアド、下岡蓮杖、上野彦馬、内田九一、福原信三、田淵行男、木村伊兵衛、濱谷浩、土門拳、林忠彦、秋山庄太郎、植田正治、石元泰博、長野重一、芳賀日出男、奈良原一高、東松照明、細江英公、前田真三、操上和美、立木義浩、篠山紀信など。各作家1点だが、歴史を網羅するこれだけの写真家の作品がまとめて鑑賞できる機会はあまりないだろう。

コレクションの監修は写真ディーラーを長年務めている山崎信氏が担当している。写真家の知名度というよりも写真家の作家性が重視されていることが興味深い。商業写真、ファッション写真の分野で活躍した人などを含む、日本の写真史では必ずしも評価されていない人たちも選出されている。
アートとして日本写真の歴史では、いまだに書かれていない分野が数多くある。本コレクション展がきっかけでそれらが再評価されることを願いたい。

同時刊行された約220ページにも及ぶカタログは分厚く非常に豪華。印刷も高品位だし、作品解説、作家情報など、資料も満載されている。将来的に、この本が日本人写真家の作品コレクションにおけるレファレンスになるのではないか。販売価格は2500円と非常にリーズナブル。資料として買っておきたい1冊だ。

ザビーヌ ビガール写真展「TIMEQUAKES 時のかさなり」

シャネル・ネクサス・ホールでパリを拠点とするアーティスト、ザビーヌ・ビガールの写真展が開催されている。
展示作品はカラーによるポートレートの連作だが、実はデジタルによる画像処理を駆使して制作されている。15~16世紀ルネサンス期の、ダビンチ、ラファエロ、ホルバイン、ファンエイク、クルーエなどの巨匠の宮廷肖像画と、現代の様々な人種のポートレート写真を重ねて制作されたものなのだ。ただ顔の部分を入れ替えただけではなく様々なパーツにもデジタル処理で手が加えられているとのことだ。さらに、その合体した写真の背景には彼女の以前の来日時に撮影された抽象的な東京の夜景が使われている。大判を含む様々なサイズの全50点がクラシカルな雰囲気のフレームに額装され、黒を基調としたシックな会場に展示されている。

資料によると、本作は彼女が東京で経験した東日本大震災においての心理的混乱が制作のきっかけになっているとのことだ。そして大震災での物質的破壊を一時的な堆積(たいせき)と解釈し、それを表現するために本作に取り組んだという。やや難解なので、これはどのような意味なのか考えてみたい。
ネットで調べると、堆積とは、地層を形成するに至るまでの過程を意味するとのこと。彼女は震災経験後に思索を重ね、地震や津波による地形や構造物の破壊をより宇宙的な視点と時間軸で解釈しようとしたのだろう。天変地異は、僅か80余年の寿命しかない人間にとっては非常に衝撃的な出来事である。 しかし、地球規模の時間軸でとらえた場合、この破壊と再生は幾度となく繰り返されその痕跡が堆積したうえで現在の状況があることも事実だろう。大震災で起こされた破壊も時間経過の末にやがて堆積物の一部となっていく。日本人は八百万の神というように古代から自然に神を見出してきた。また地震や台風などを何度となく経験しているので、自然災害に対して諦めの感覚を持ち、また自然が再生するという仏教の輪廻のような感覚を本能的に理解している。しかし、キリスト教を信じる欧米人は自然は神が作ったもので人間が支配するべきという発想を持っている。ザビーヌ・ビガールは地震の直接体験がきっかけとなり、日本人が生まれ持つ自然への畏れのような感覚に気付き、それを論理的に作品コンセプトとして自作に落とし込んだのだ。永遠に繰り返される自然の営みや輪廻のようなことを理解してもらうためにその考えを言葉と作品で提示しているわけだ。その方法は画像を重ね合わせることで試みている。複数の時間軸が1枚の写真の中に共存することを時間の堆積として暗喩的に表現しているのだ。タイトルの「TIMEQUAKES」は、時間の「TIME」と、揺れる、振動するを意味する「QUAKE」をくっつけた造語だと思う。自然で繰り返される堆積を、時間の堆積で表現しようとした意図が読み取れる。

ビガールの作品は、時代性が反映されたアイデアと、インテリアにも飾り易い親しみやすいヴィジュアルをあわせ持っている。まさに欧米で主流の、写真表現を取り入れた最先端の現代アート作品だと思う。日本ではややなじみの薄いこのようなタイプの写真作品が、欧米市場では熾烈な生き残り競争を続けているのだ。作品テーマと時代との関連性構築の考え方や、デジタル技術を多用した巧みな画像処理による作品制作アプローチはアーティストを目指す人にも大いに参考になると思う。

植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真で遊び続けた天才たち

本展はジャック・アンリ・ラルティーグ財団と東京都写真美術館とによる共同企画とのこと。ではなんで植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグの二人展になったのだろうか。 二人の間に特に交流があったわけではないようだ。またともにキャリア後半に世間で認められたアマチュア写真家という切り口にはかなり無理があるように感じる。
色々と調べてみると図録の資料に、植田は「写真に関する自分のゆるぎなき師匠は”ジャック・アンリ・ラルティーグ”である」と1993年のインタビューで語っていたという記述を発見した。二人展のアイデアはこのあたりが発端らしい。

会場では、「実験精神」、「インティメイト:親しい人たち」、「インスタント:瞬間」、「自然と空間」のセクションに分けられて二人の作品が互いに展示されていた。
写真展タイトル「写真であそぶ」が示す通り、ともに写真を楽しむことを貫いた点に共通性を見出したという企画になっている。これは非常に興味深い二人展での見せ方だといえよう。
二人の写真に共通しているのはエゴが微塵も感じられないことなのだ。実はこれは本当に難しい。作家活動を長年続けている写真家は、年齢を重ねるに従いどうしても社会の評価が気になってくる。アマチュア写真家も最初は純粋に好きで写真を撮っている。しかし少し認められると自分が特別だと思い始める。そのような人たちは、もし思い通りにならないと焦りがでてくる。残念なのだが、エゴが次第に態度に出てきて環境などに責任転嫁するようになる。その結果、他人の心を動かすような写真が撮れなくなるのだ。結果を求めず純粋に写真撮影の行為自体に意味を見出し続けるのはとても困難なのだ。ラルティ-グと植田が「偉大なアマチュア写真家」だというの正確ではなく、かれらこそ作家性を追求し続けた真のアーティストなのだと思う。写真を遊ぶ、はそれを象徴した意味なのだ。だから写真自体の表層的な共通性というよりは、写真に対する共通の姿勢が二人展開催の主な理由になるのだろう。

ラルティーグ作品に関するマルティーヌ・ダスティエ氏による図録巻頭掲載のエッセーは、作品を見る視点が明確に提示された素晴らしいものだった。図録を購入した人はぜひ読んで欲しい。
それによると、彼は若い時から自分の未来に希望を見出すことが出来ずに、楽しかった過去の記憶を写真アルバムと日記で残して満足しようとしていたという。その中でフランスの小説家ベルトラン・ポワロ=デルペシュが、陽気で軽薄だと評されるラルティーグ作品の二面性を指摘していることが引用されている。ラルティーグの写真には、彼の人生の苦悩の裏面も感じるということなのだ。つまり、彼は自然の中で生かされている人間の無力さ、生まれた瞬間から死に向かっているとい歴然たる事実をかなり若い段階から見抜いていたということ。たぶん幼いころから写真と日記をつけることで深い思索の世界で生きてきたのだろう。 しかし、彼はそれで絶望して厭世的になるのではなかった。逆にだからこそいまという瞬間を一生懸命、できるだけ明るく生きようとしている。それを支える手段として写真、日記などがあった。それらで楽しかった過去の蓄積を行い、それをベースに未来を信じるのではなく”いま”を生きようとした。将来天国に行くというキリスト教的な未来信仰にすがらない、強い意志を持った現実的な大人の人間だったのだ。その姿勢を理解した人には、ポワロ=デルペシュが指摘しているラルティーグ作品の闇の部分を感じることができ、彼のさらに深い写真世界に魅了されるのだ。それは見る人も作家本人と同じ世界観を持つことに他ならない。

専門家はラルティーグは一つのジャンルでは収まらない写真家と評価している。しかし、私は彼の写真こそはファッション写真だと思う。ラルティーグは、カメラで何かを記録しようとはしていない。また単に自分のフィーリングを重視していただけではない。自分がカッコいいと感じるものにカメラを向けている。
それはスポーツ、飛行機、自動車、自転車、着飾った上流階級の女性たちだった。カッコいいということは時代を感じさせるシーンであるということで、ベルエポック期の気分や雰囲気を伝えるものになる。それらは非常に移ろいやすいもので、見る側の趣味性や感受性に左右される。現代ではファッション写真家がその役割を担っている。ラルティーグは上流階級出身だったがゆえに当時の最先端の時代性を感じ取ることが出来たのだろう。
つまり彼の写真はアートになり得る優れたファッション写真と同様の要素を持つと考えればよい。誤解を避けるために確認しておくが、ファッション写真とは単に洋服を撮影したという狭義ではなく、時代性が反映されたという広義の意味だ。

被写体をモノのように並べる構図やポーズなど、演出がかった撮影アプローチが植田調と言われている。ある意味でこれは植田がディレクションしたファッション写真と言えないことはないだろう。ファッション写真は時代の最先端を意識するメデイアだが、植田作品には山陰の土着的なものローカル的なものが取り込まれている。しかしそれらは決して意識されたものではなく、彼は単純に当時の地元で自分がカッコいいと感じる写真を作りあげていただけなのではないかと思う。それが反映されたヴィジュアルは、当時の日本を知る人の記憶に残っている印象と重なり、懐かしいような感覚を覚えるのだ。
彼の作品は50年代~60年代くらいまでファッション写真同様に作り物のイメージとして低く見られていた。それが、70年代以降に優れたファッション写真のアート性が認められるに従い評価されるようになるのだ。90年代以降の海外での再評価は、土着的なところが逆に日本的で新鮮に感じられたからだろう。日本的なファッション写真と理解された面もあると思う。ラルティーグと植田には、ともにファッション写真的な要素を持つという共通性もあるのだ。

二人の写真家の「写真であそぶ」人生は、実は写真とともに生きることだったのだ。
いま日本では多くのアマチュア写真家、商業写真家がいる。二人の写真家人生は、アーティストになるには、アマチュア精神を持ち続けることが重要なのだと教えてくれる。
本展は、複数の奥深い視点が提示されている、見て考えて楽しむことができる優れた写真展だと思う。

ジョセフ・クーデルカ展(Josef Koudelka) 旅の人生からのメッセージ

ジョセフ・クーデルカ(1938-)は、ハイ・コントラストのモノクロ写真で知られるマグナム所属の写真家。彼はソヴィエト軍のプラハ侵攻を撮影、それが原因で国を離れて亡命者として旅の人生を送ることになる。代表作に「ジプシーズ(1962~1970年撮影)」、「エクザイルズ(1968~1994年撮影)」などがある。彼の本格的な展覧会が先ほど東京国立近代美術館でスタートした。初期作品から最新作の「カオス」までの約280点でキャリアを回顧するものだ。日本では2011年春に東京都写真美術館で開催された「ジョセフ・クーデルカ プラハ
1968」以来の写真展となる。

どの場所や時代でも写真だけで生活していくのは容易ではない。クーデルカも最初は航空技師として働きながら写真家活動を行っている。1962年ごろに劇場の撮影から写真家キャリアをスタートさせ、1967年にフリー写真家に転じている。
1962年~1970年までに撮影された劇場写真では、演劇のリアリティーや演技シーンのモノクロームでの抽象性を追求。虚構世界の演劇を単に記録ではなく作品として取り組んでいる。
ほぼ同時期に取り組んでいたチェコスロバキアのジプシーをテーマにしたシリーズでは、彼らの存在をドキュメントとしてではなくパーソナルな視点で撮影している。一般社会から離れて独自のコミュニティーの中で暮らすジプシーたち。彼らの存在はクーデルカにとっては劇場と同じ非日常の世界だったのだ。クーデルカの視線には、それはまるでストリートで演じられている演劇のように映っていたのだろう。

そして有名なプラハの春の写真ではソ連軍の侵攻というリアルな出来事をドキュメントというよりも、これもチェコスロバキア人の視点でとらえ撮影している。 あたかも映画のワンシーンのように見えないこともない。図録収録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は当時の状況を以下のように語っている。
“写真をとることが重要だと思ったから撮影した。自分が何をしているかについては深く考えなかった。後になって、君は殺されるところだったかもしれないぞと言われたが、その時はそんなことなど考えもしなった”(図録インタビュー、P53)

東京国立近代美術館の増田玲氏は図録に収録されたエッセーで、クーデルカにとってのプラハの春を以下のように解説している。
“世界を陰影に富んだものとしてとらえる世界観を獲得していったプロセスだったと考えていいだろう。何しろ、クーデルカがその時プラハで目の当たりにした事態とは、「現実それ自体が非現実」な出来事だった”(図録 クーデルカの世界、P158)

彼は、プラハの春の写真がきっかけで亡命者として生きることになる。誰もが思い浮かぶ疑問は、なぜ彼が旅の中に生き続けてきたかだろう。彼はそれまでの両極端の実体験により、世の中には客観的な現実などは存在しない、すべて見る側の意識がつくりだしている虚構のようなものだと気付いたのだと思う。そしてカメラを通すことでそれらは並列して提示することが出来ると考えたのではないか。彼の写真に写されているのはこの社会に幻想を持たない人が目の当たりにしているシーンなのだ。

図録のカレン・フィシダーラとのインタビューの中で、彼は自分の人生を以下のように 語っている。
“私は私の生きたいように人生を生きてきた””私はつねに自分にできる最良のものは何かを見究めようとしてきた”(図録インタビューP122.)

多くの一般人は妥協した人生を送ることで不自由だが安定した生き方を選択する。好きに生きることの追求は社会の最下部の人生をいきることになるかもしれないのだ。 それでもそれを追求する人は、自分の中に強い心のよりどころを持たないと、本能から湧き出で膨張していく不安や欲望に負けてしまう。彼は旅の中で生き続けることで世界に客観的な実体がないことを確認しているのではないか。
依頼仕事を受けないのも、お金をもらうことで不自由になることを避けるためなのだ。 危険にさらされている人たちにカメラを向けるのも同じような理由があるだろう。やや乱暴だが、危険を感じることで人はいまこの瞬間に生きることが可能になるからだ。

図録のインタビューでこんなエピソードが語られている。(図録インタビューP23.)
あるジプシーがクーデルカの旅の人生を、”おまえが旅を続けるのは、まだ(1番と思える)土地をみつけていないからだろう。まだそんな土地を探しているからなんだろう”と質問している。それに対するクーデルカの答えは”それはちがうよ。私はそんな場所を見つからないように必死になってがんばっているんだよ”
つまり彼にとって旅は人生の何かを見つける手段ではなく、旅自体が人生であり目的なのだ。

展覧会のレセプションにご本人が参加していて遠目でゲストの人たちと歓談しているシーンを拝見することができた。一瞬だがお会いして短い会話を交わすこともできた。とても気さくで、気取りや、飾り気のないまるで童心を持ったような人物に感じられた。 彼は自らの高い意志と感情により行動する力強い人物なのだと思う。
日本人の私には、それがまるで旅の途中で亡くなった松尾芭蕉の「軽み(かろみ)」に通じる境地に達した写真家ではないかと感じてしまう。「軽み(かろみ)」を簡単に語るのは難しいが、人生は良いことばかりではないが他に選択肢があるわけではないのだから、逆にそれを楽しむ、のような意味。
そのように気付くと、1986年~現在まで取り組んでいるカオスシリーズには俳句のような「間」を感じられる。組写真の余白スペースはまさに「間」だ。またパノラマ作品では長さがあるので視点を何度か変えて見ることになる。その視点の移動が「間」を生むのではないだろうか。その効果の結果、私たちは現実からクーデルカの心の世界に誘われる。観客はいままで会場で見てきた彼の旅の人生そのものに思いをはせることになる。クーデルカのような人生を歩むことはできないことを思い知らされて、改めて彼の写真に惹きつけられるのだ。カオスシリーズは、クーデルカの回顧展でこそ魅力が強調されると感じた。

彼のオリジナルプリントはニューヨークの有名ギャラリー、ペース・マクギルが取り扱っている。オークションでの取扱いはまだ多くはないが相場は、数千ドル~4万ドル程度。2011年春、クリスティーズ・ニューヨークではジプシーからの1枚、銀塩の”Romaina,1968″が、43,750ドルで落札されている。これは80年代にプリントされた作品。ちなみに本展でも同作は展示されている。サイズも同じだ。(図録P.60)

本展は今秋開催のベストの写真展。アート写真ファンは必見だろう。