若きロバート・フランクのインテリジェンス 「Robert Frank: In America」(パート2)

前回に引き続き、ピーター・ガラッシ著作による「 Robert Frank: In America」の解説を行いたい。

・「The  Americans」の内容分析
この写真史上の名著の内容については多くの専門家が多方面から分析している。「Robert Frank: In America」でガラッシが行っている同書の分析にも触れておこう。

内容に関しては、一般人が反応するようなアメリカ的なありきたりのフォトジャーナリズム的な題材が多く取り込まれており、それらが全体の1/4を占めているとしている。
いくつかのテーマに対応する明確なイメージがあり、そこからアメリカ国旗、自動車、ジュークボックスなどのシンボルを導き出される。またページ展開の中でそのバリエーションが続き、そこからテーマを掘り下げていく。 この流れの繰り返しは、ジャズの即興演奏のようだ、と指摘されることもあるアプローチだ。
旅の行程の検証からも、フランクがどのようにテーマを膨らませていったのがよくわかる。まず彼が題材にしたのは自動車のアメリカ社会や文化への影響だ。フランク最初の旅はデトロイトのフォード工場の撮影だった。関連する、生産工場、ガソリンスタンド、石油精製所、ボディー素材となる鉱山などを幅広く計画的に撮影している。
そしてウォーカー・エバンスが奨めた南部の旅では、社会における黒人の存在とそのコミュニティーを追っている。その他、普通の市民生活における「富と階層」、「政治」、「映画とテレビ(メディア)」 などを意識している。

また「The Americans」では、取り上げていない項目にも注目して紹介。それらはドラッグ・ストアー、ファイブ&ダイム ストアー、ナショナル・チェンストアーなどを通して表現されている「消費文化の状況」。「郊外化の波」、「高速道路」、「モーテル」、「多民族の移民」、「少数民族」などにおよぶ。
フランクは、奨学金リニューアル時の応募テキストに「いまのアメリカ人の日常生活のポートレート、平日と休日、現実と夢、町やハイウェイのながめ」を撮影するのがプロジェクトの目的と記載している。彼は、当時のアメリカ社会における幅広い様々なテーマを意識しながら各地でかなり計画的かつ慎重に撮影していたのだ。「The Americans」には、テーマを慎重に絞り込んで83点をセレクションしたことがわかる。
・フォトブックとして評価

フォトブックにおける写真の見せ方についても分析されている。写真を見開きページに2枚配置するのと、同書のように右側に1枚の写真を置き左側には短いキャプションをつける流れを意識した方法との違いについては、いままで多くが語られてきた。
「The Americans」はウォーカー・エバンスの「American
photographs」を意識していたことは良く知られている。ガラッシによると、見開きはページでは、イメージの類似性やコントラストを強調する。また2枚の写真の関係性はシークエンスよりも強い。しかし1枚の写真でも、それらが慎重に系統だってイメージが並べられるととても強く、複雑になる、と分析している。
そして本書「Robert Frank: In America」では、あえて見開きページに2枚の写真を見せることで、イメージの類似性や関係性を強調している。これにより、いままであまり意識されなかったフランクの写真スタイルが明らかになる。
ライカという小型カメラが人に気付かれることなく様々な状況での撮影を可能にしていた。
もちろんこれは作品テーマとの関係性がある。彼が多く撮影している被写体には、社会の周辺の「孤立している個人」、社会的な存在としての「カップル」、様々な種類の人をとり入れている「多人数」に分類できることが例示されている。特に正面から被写体が平行に並んでいる写真は、シンプルなフォルムのまとまりを作り、黒人と白人の違い、貧富の格差、差別意識などの対比を表すことに成功している。
典型的なのが「The Americans」表紙のトロリーの窓を撮影した”Trolley-New Orleans, 1955″、「Robert Frank: In America」表紙の信号待ち人々をとらえた”Main Street – Savannah, Georgia,

1955″だろう。

・フランクの際立ったインテリジェンス
若いアーティストは自信過剰だが人生経験が不足しており、なかなか優れたアート作品を作り上げることができない。当時30歳前後だった若きフランクは、なんでこれほどの名作を制作できたのか?
本書を通して見えてくるのは、フランクが多くの専門家のアドバイスに真摯に耳を傾け、 また多くの写真家の過去の作品を研究し参考にしていた事実だろう。真の個性や創造性は、周りの影響を受けたからかわるものではない。”絶対的な価値があるものは、人がどんな状況であっても決して失わないものだけだ”とドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーは語っている。才能は多くの経験や学習の上で花開くもの、若くても経験知を上げることは可能なのだ。

全米の旅に出る時点で、彼の頭の中には既に膨大なヴィジュアルとコンセプトのデータベースが出来上がっていたのだろう。その状況で、今のありのままのアメリカを表現しようというアイデアが浮かび、結果として「The Americans」誕生につながったのだ。フランクは、考え抜いて撮影された複数テーマと、多種多様なスタイルを持った写真イメージを自分の中で総合化して、新たな作品として提示する高いインテリジェンスを持っていた。ここの部分は才能と呼んでもよいだろう。USカメラ1954年9月号に掲載された、バイロン・ドベル(Byron Dobell)のフランクに関するテキストはその点に触れ”小さいカメラで人は直ぐに良い結果を得ることができるでしょう。しかし、多くの人はテクニカルなレベルで止まってしまう。良い仕事をするためには、更に知性が必要になる”と指摘している。彼は知的作業とヴィジュアルを駆使して行うアート表現に本当に喜びを感じていたのだろう。好きだったからこそ、継続して制作作業を行い作品にまとめることができたのだ。しかし、ここでフランクのことを、現在の現代アーティストのように頭でっかちだったと誤解してはいけない。彼は、フランス人作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの、”心でしかよく見えないんだよ。大切なものは目には見えないんだ”という言葉を好んで引用するといわれている。これは写真の表層を見たり、作品テーマを考えるだけではその本質は理解できない。写真家の感動に共感できることが一番重要なのだ、という意味ではないだろうか。かれはアートとして写真の本質をちゃんと理解していたのだ。

 最後に本書31ページに掲載されているジョナサン・グリーン(Jonathan Green)の文章を紹介しておこう。”「The Americans」は写真のフォルムとスタイルの小さな百科事典だ。写真史において、写真家が、これほど作風、異なるスタイルを混ぜ合わせて、途方もない効果をもたらす新しい企画の作品へと発展させた例はない”。そして、ガラッシは「The Americans」は革新的なスタイルというよりも、異種のパーツから強く引き出されて統合することができた勝利だ、としている。

本書の、ガラッシによる制作背景、時代考証、撮影スタイルの解説・分析により、「The Americans」はより魅力的なフォトブックに感じてくる。2冊を見比べて、フランクの1枚1枚の写真が何を伝えたいか、どのテーマとつながるかを読み解く行為はアート写真ファンの知的好奇心を刺激してくれる。アート写真での表現者を目指す人にとっては、多くを学ぶことができる教科書になるだろう。

 

若きロバート・フランクのキャリア形成方法とは 「Robert Frank: In America」(Steidl、2014年刊) (パート1)

ロバート・フランク(1924-)の「The Americans」(1959年刊)は、誰もが認める写真の教科書だ。しかし、意外なことに写真集掲載83点以外の50年代の初期作品の存在はあまり知られてない。フランクは同書刊行後すぐに映画制作に転向し、また70年代に全く新しいスタイルで写真界に復帰していることが影響しているといわれている。

本書”Robert Frank: In America“はスタンフォード大学のカンター・アート・センター(Cantor Arts Center)で2014年秋に開催された、50年代アメリカで撮影された作品に初めて注目した展覧会に際して刊行。1984~1985年に同館に寄贈された約150作品からなる企業コレクションがベースとなっている。
1991~2011年までニューヨーク近代美術館の写真部門のチーフ・キュレーターだったピーター・ガラッシ(Peter Galassi)が企画を担当。彼のロバート・フランク論が、イントロダクションとして、9~43ページに展開。写真界の当時の状況、フランクの仕事や人間関係、本が生まれた背景、撮影旅行の過程、 本のレイアウトやシークエンスなどの、検証と分析が行われている。
収録131点中の多くが未発表作品。22点は「The Americans」と重複している。

・グラフ雑誌が写真界を席巻
本書には、50年代の写真界の状況が詳しく紹介されている。写真史には、50年代ころまではグラフ誌が写真界を席巻していた、などとさらっと記述されている。ここでのエピソードは、写真でのアート表現を志す写真家には非常に厳しい環境だったことを詳しく伝えている。
フランクはハーパース・バザー誌でのファッション写真の仕事をやめてアート的な傾向のマガジン・フォトグラファーを目指す。しか写真界は、グラフ雑誌が社会的評価、金銭面、読者数でも圧倒的な存在で、それは美術館プログラムにさえ影響を与えていたのだ。写真家のアート性は全体の雑誌作りの仕事の補助的なものと考えられていた。当時は、あのアンデレ・ケルテスやウォーカー・エバンスさえ作家性を発揮する場所がなかったという。 雑誌の仕事でもフランクのフラストレーションがたまる一方だった。

・フランクの多様な人間関係
そのような厳しい状況でのフランクの活動は、今の日本の若手写真家にも参考になると思う。自分の思うとおりにならないのはいつの時代も同じ。その状況への現実的な対応が求められる。どのように自らの能力を高め、自分の信じる道を追求できるかが問われるのだ。フランクは本当に多くの人と関わりを持ち、影響を受けながら行動し、成長してきた。本書にはその様々な例が紹介されている。

・アレクセイ・ブロドビッチ
まず伝説のアート・ディレクターであるブロドビッチ(1898-1971)。フランクは一時期ハーパース・バザーのスタッフ写真家として働いている。ブロドビッチのアドバイスと激励により、1948年後半に敢行した南アメリカ旅行からカメラをローライフレックスからライカに変えている。ブロドビッチは1945年に写真集”Ballet”(J.J.Augustin刊)を発表している。35mmカメラでアレ・ブレ・ボケを多用してダンサーの動きと雰囲気を表現した。フランクは、構図、デザイン、トーンバランス、プリント・クオリティーにおいて、先人たちの価値観を覆した写真を制作している。その影響をブロドビッチから受けているのは明らかだろう。

・エドワード・スタイケン
そしてニューヨーク近代美術館(MoMA)のスタイケン(1879-1973)だ。彼はフランクを「カメラを持った詩人」と呼び、作品を購入したり、グループ展での展示を行って支援し続けた。彼の紹介で、雑誌”U.S.camera”がフランクに注目してくれる。ライフ誌が掲載拒否した英国ウェールズ鉱山で撮影された作品を1955年版の年鑑で紹介している。また、35mmカメラを特集した1954年9月号にもフランクを紹介している。

・ルイス・ファー
フランクは色々な写真家からの影響を認めている。ハパース・バザー時代に知り合ったのが、年上の友人である写真家ファー(1916-2001)。彼はフランクよりも早く、40~50年代にニューヨーク、フィルラデルフィアのストリートを小型カメラで撮影している。大都市の片隅のアウトサイダーにも目向け、またブレ、アレ、多重露光、光の反射、スローシャッターなど様々な撮影方法を自己の感情表現のために試みている。二人は同じ眼差しで世界を見ていたのだろう。ファーのシティー・スケープ作品は、間違いなくフランクの写真スタイルに影響を与えている。
しかしファーはフランクとは違い、写真群をテーマとコンセプトを明確にして作品としてまとめていない。これが現在の二人の大きな知名度の違いにつながっているのだろう。

・ビル・ブラント
英国の写真家ブラント(1904-1983)の存在も大きかったようだ。30年代、ブラントは英国のあらゆる階層の人たちをドキュメントして”The English at Home” (1936年刊) や” A Night in London”
(1938年刊)などのフォトブックにまとめている。フランクはこれらを通して彼の作品とロンドンの生活に触れていた。”ブラントの写真は、目から、心、体内まで入り込んでいった。私は内部の感情が沸き立つのを感じた。リアリティーがミステリーになった”とフランクは語っている。

・ウォーカー・エバンス
本書を読むまで、エバンス(1903-1975)のフランクへのこれほどまでの大きな影響は認識していなかった。二人は1950年に初めて会う。エバンスは、彼の才能を見抜き、グッゲンハイム奨学金への応募を後押した。フランクのために応募書を書くとともに自筆の手紙も添えている。これにより「The Americans」のプロジェクトが動き出し、フランクは、雑誌仕事からのフラストレーションから解放され、自身のアート性追求が可能になる。また奨学金を得てからの南部への撮影旅行は、彼の提案によるとのことだ。
ガラッシは「The Americans」の基本コンセプトは、エヴァンスがかつて行った、アメリカにおける現代性への疑問符の探究とつがると分析している。フランクが撮影した50年代は、一般的には経済的に繁栄して楽観的な雰囲気だった。しかしその中に、厳しくて陳腐に見える状況があるのは、エヴァンスのテーマは恐慌による一時的な苦悩ではなく、その後も続いている社会の工業化発展による一種の搾取だったと見ることができる、と指摘している。21世紀の現在でも格差拡大や貧困は続いている。ガラッシの分析は非常に説得力を持つといえるだろう。

 (パート2に続く)
次回は「The Americans」の内容分析に触れます。

フォトブック・コレクション指南
写真家評価リスト利用のすすめ

ゼロ年代になってからフォトブックの出版数が非常に増えている。販売チャンネルも洋書店だけでなくなった。規格品なのでネット通販と相性がよく、国内外の大小様々なオンライン・ブックショップで売られている。
新刊の情報収集は、多くの人が出版社やネット書店のメール・マガジンなどで行っているだろう。しかし、いまや発信される情報量は膨大で、忙しい日々を過ごしている個人では彼らが推薦している全てをフォローするのは不可能になっている。フォトブックもまるで新譜の音楽CDと同じような状況になってしまった。

膨大なフォトブックの中から、どのように自分の求める1冊を選んでコレクションしていくか? いままで何回も取り上げてきたテーマだが、今回は少し違う視点からアドバイスを行ってみたい。
フォトブックは、本を通して提示される写真家のテーマ、コンセプト、スタイルの創造性が、フォトブック史、写真史、アート史と照らし合わせて評価されることになる。キャリアを積んだ写真家の場合、過去に評価が繰り返し行われている。その結果、すでにある程度の順列が出来上がっている。より高評価の写真家のフォトブックの方が内容が優れている可能性が高いと想像できる。

以下に、写真家の評価レベルを推しはかるための参考基準を点数化して提示してみた。最も重要なのは、その写真家がそれまでに制作した作品やフォトブックのアート市場での評価だ。情報は写真家のプロフィールをネットで検索すれば容易に入手できる。
オークションの実績もいまやネットで調べられる。リストで算出した得点が高い人、つまり作品に市場性がある人が新作フォトブックを出版した場合は内容をチェックした方がよいだろう。

フォトブック購入時の写真家評価リスト

・主要オークション会社での取引実績がある。
(クリスティーズ、ササビーズ、フィリップス)
— 5点
・主要美術館で個展、回顧展の開催実績がある。
— 5点
・主要都市の老舗アート・ギャラリーで個展開催がある。
— 4点
・過去のフォトブックにプレミアムが付いている。
— 3点
・美術館で開催された企画グループ展の参加実績がある。
— 3点
・美術館で開催された新人グループ展の参加実績がある。
— 2点
・主要都市の中堅アート・ギャラリーで個展開催がある。
— 1点

しかしこれらの基準に当てはまる写真家はかなりの数に上る。人間は様々な価値基準を持っており、自分が好きでないものを無理して買っても興味が続かない。最終的な判断は、まず自分が好きで興味を持てるテーマを持つフォトブックを選び、その中で自分に新しい視点を与えてくれるコンセプトや、デザインが斬新と感じるスタイルのものを選べばよいだろう。

上記の基準に合致するのは、だいたい写真史、アート史で評価が定まっている写真家になる。これ以外の、新人・若手のフォトブックの場合、写真家の評価が未確定なので上記のリストに該当しないことが多い。当然、全ての人は自分が価値ある仕事をしていると思っているのだが、実際に彼らが提示しているテーマとコンセプトが時代に合致しているかどうかはその人のその後のキャリア展開を見ないと判断できない。つまり初期の仕事は、その後にその人がキャリアを積み重ねた段階で評価が確定する。 キャリア展開に失敗すれば忘れ去られてしまう。それゆえ、新人・若手のフォトブックの評価では、テーマとコンセプトは評価者の個人的好みに偏りがちになり、どうしても外見のスタイル面に目がいきがちになる。つまりポートフォリオ構築の方法論、ブック・デザインの評価に重点が傾いてしまうのだ。

したがって、新人・若手のフォトブックの評価は、将来的に歴史に残る可能性がある写真家の一人であるという評価者の予想なのだ。いま世界中で数多くのフォトブックの新人賞が企画されている。写真家が作家活動を継続する動機づけを与えるためにこのような賞は重要な意味を持つ。 しかし、若い受賞者が勘違いして、方法論の繰り返しに陥るリスクもはらんでいる。
「FIRST PHOTOBOOK」などの各種新人賞は出版界の活性化のために関係者によって行われる業界振興策的な面もあるので、くれぐれも絶対的な評価と勘違いしないでほしい。

私はアート・フォト・サイトで毎週1冊の新刊フォトブックを紹介している。候補をリストアップするときは、上記の「フォトブック購入時の写真家評価リスト」を大まかな基準にしている。 膨大なフォトブックの中から自分のための1冊を見つける参考になれば幸いだ。

ストリートのポートレート写真で米国社会の現実と夢を紡ぎだすリチャード・レナルディ(Richard Renaldi)の「Touching Strangers」

ストリートで撮影される市井の人々のポートレート写真には何も仕掛けはないと誰もが思うだろう。今回取り上げる、リチャード・レナルディ(Richard Renaldi、1968-)のフォトブック「Touching
Strangers」(Aperture、2014年刊)を見た人は、8X10″の大型ビューカメラで撮影されたアメリカ各地の恋人、夫婦、友人、家族の写真だと疑うことはないだろう。しかし、撮影されているペアやグル―プの人たちは実は全くの見ず知らずの他人同士なのだ。

2007年以来、レナルディは全米の都市を旅してまわり、各地で全くの他人である二人もしくはそれ以上の人たちを選び出し、カメラの前で、友人、家族、恋人、夫婦のように親しいポーズをとり、互いに触れ合うことを依頼してきた。
彼のカメラは、他人どうしの自発的で、つかの間のはかない関係性を構築し、それはシャッターが押される瞬間だけ続く。撮影時には、時に彼らの心地よい対人距離を超えることさえあるそうだ。彼の研ぎ澄まされた感性はそんな状況から微妙な親しみやすい瞬間を見事に切り取っている。
撮影時のポイントになるのが、本書タイトルにあるように相手に触ることだろう。個人の性格にもよるのだが、ボディタッチは不安を低減させ、リラック感や安心感を生起させ、相手との心理的距離を埋める効果があるという。これはレナルディの幼少時における教会の礼拝での経験がヒントになっている。牧師は横に座る見ず知らずの人と平和のサインを握手で伝えるように求めたという。彼はその行為で親戚以上に他人と心がつながるように感じ、写真作品で同様の効果を作り出そうと考えたと語っている。

レナルディの作品は明らかに今のアメリカ社会をテーマにしている。表紙の女の子の星条旗がプリントされたT-シャツ、メジャーリーグやアメフトのロゴの入った洋服類。そして背景や撮影場所も、ストリートだけでなく、スーパーマーケット、ダイナー、美術館、マーケット、コインランドリー、クラブ、ピックアップトラック、ハーレーのバイク、地下鉄などのアメリカ的なシーンが選ばれているのだ。
またアメリカがいま抱えている様々な分断もポートレートで伝えられている。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教、白人、アフリカ系、アジア系、先住民系などの人種、老人と若者、富と貧困など。建前上は平等だけれども様々な不平等が存在する現実が、ポートレートとなる被写体のペアリングで見事に表現されていると思う。
そして、現実には相容れない他人同士の穏やかな表情のポートレートを通して、現状は変えられないが、彼らの心が通う合う可能性があることを示唆しているのだ。
なんでこのような奇跡的なポートレートが実現するかといえば、それはアート作品として撮影されるからだと思う。宗教、信条、人種、貧富の違いに対してアートはニュートラルなのだ。本作を、写真やアートが世界を多少は良くする可能性を持つ実例として見ることもできるだろう。

レナルディのメッセージは宗教的ともいえ、やや胡散臭いと感じる人もいるだろう。しかし現実のアメリカ社会では、「宗教」が大きな分断や格差の中で希望を見いだせない人の心の支えになっているのだ。日本人である私はどうしても日本と比較してしまう。この国でも格差は広がっているが、未来に希望が持てない人たちを支える社会的仕組みが存在しない。しかし共同体的な古き良き時代にはもはや後戻りもできないだろう。このあたりをテーマにした日本人アーティストから何らかのメッセージを見聞きしたいところだ。ヴィジュアル的には、現代アメリカの本当に多様で幅広い現実のファッションが写っている点が面白い。写真家が特にファッションを意識して被写体を選んでないのだが、多種多様な人選がそのような結果をもたらしたのだろう。リアルなストリート・ファッションをコレクションした写真集にスコット・シューマンの「The
Satorialist」がある。本書には、これよりもはるかに現実的なファッションが紹介されていると思う。
大型ビューカメラで撮影された、社会文化的な視点が明確な美しいポートレートは、時代の気分と雰囲気が反映された広義のアート系ファッション写真でもあると思う。21世紀におけるファッション・フォトの進化形と評価しても良いだろう。

フォトブックを通して世界を理解する 自分のために1冊を見つけだす方法とは

いま市場には膨大な数の写真関連本が流通している。
そのなかには、アマチュア写真家が私費で制作するZINEやリトルプレス、写真家による自費出版本からアーティストの自己表現の一部と評価できるフォトブックまでもが含まれる。様々な完成レベルの写真集の中から、優れたフォトブックを選別し、さらに自分好みの1冊を見つけるのは非常に困難な作業になっているといえるだろう。

数多ある写真集のなかで、フォトブックは本ではなく写真家のアート作品と考えられている。本自体を商品として買うのではなく、それを通して伝えられる写真家のメッセージを愛でることなのだ。私たちは、提供される本の情報を手掛かりにそれらを読み解き、さらに自分に価値があるかを判断する必要がある。
この情報の取り扱いには注意が必要だ。私たちはマスコミは社会的に有力なメディアであることから、彼らの流す情報は信用できるものだと考えてしまいがちだ。しかし、情報を提供しているメディアが、一方でフォトブックの出版社や書店でもあることがある。フォトブックを紹介・推薦している個人も、写真業界で仕事を行っている関係者でもあることも多い。決してすべてが客観的ではなく、なんらかのバイアスがかかった情報が混在していると考えるのが賢明だろう。

私たちは、自分が好きなヴィジュアルが収録されているか、ブックデザインが好みかで1冊のフォトブックに関心を持つことが多い。そこからフォトブックの背景にある写真家のアート性に注目していくことになる。しかし、たった1冊のフォトブックだけではその判断が難しいといえるだろう。アーティストならば何らかの継続的なメッセージを様々なテーマを通して発信している。 結果的に複数のフォトブックが刊行されているはずだ。そのテーマ性の展開過程をフォローすることはアーティストを判断する上で重要な役割を果たすだろう。
最近はネットで写真家のキャリアを調べることが容易になった。アマゾンで写真家名を検索すると写真集リストが出てくる。また現在はほとんどの写真家がオフィシャル・サイトを持っている。どのような仕事を行ったかの情報入手は非常に簡単だ。気になるフォトブックがあったらその写真家のいままでの仕事を調べてみることを強くおすすめしたい。

優れたアート性を持った写真家のフォトブックならば自分が興味を持ったトピックに関して斬新な視点を提供してくれるし、多くの知的満足感を与えてくれるだろう。

例えば最近、カナダ人写真家のグレッグ・ジラード(Greg Girard, 1955- )のフォトブック「Phantom Shanghai」を購入した。

彼の本はずっと気になっていたが、買ったのは今回が初めてだった。私が反応したのは2001年に撮影されたカヴァー写真と本のタイトルだ。タイトルは「上海の幻影」のような意味となる。ちょうど今年の9月に中国の上海に行って自分の持っていた中国のステレオタイプの都市イメージと現実との乖離の大きさに驚いていたところだった。発展途上国的な部分と近代的な部分が共存しているイメージだったのが、いまの上海都市中心部は完全に近代都市そのものだった。グレッグ・ジラードの写真は、近代的高層ビルを背景にして、まるで爆心地みたいに破壊されて廃墟化したスペースに、古い時代の建造物がぽつんと佇んでいるような写真。廃墟に見える建物には電燈がともっていて人の気配が感じられるという、とてもシュールな写真なのだ。
それは、まさに私が感じた認識のギャップを埋めるような写真だった。早々に彼のキャリアを調べてみた。「City of Darkness: Life in Kowloon Walled City」を1993年に刊行しており、香港でも九龍城の高層スラム街を5年間にわたり包括的に撮影していた写真家だった。彼は貧富の格差など、近代化、文明化のダークサイドを主に中国で継続的に撮影している写真家だと分かった。その他、アジアの米国軍基地の周辺を撮影するシリーズ「Half the Surface of the World」では、そこにまるで米国郊外の町のような奇妙なシーンが展開している状況を提示している。私はこちらのテーマにも興味を感じている。

また私は過去に刊行された写真集の古書相場も調べることにしている。これは古本の専用サイトでなくてもアマゾンの本紹介ページの中古本(Used)欄でチェックできる。絶版本の古書市場での相場は、写真家のアート性の評価が反映されている。ジラードの「City
of Darkness: Life in Kowloon Walled City」だが、特に初版ハード版は非常に高額なレアブックとして取り扱われており、彼の市場での高い評価がわかった。私たちがフォトブックに魅了されるのは、自分と同様の興味を持つ写真家のメッセージを通して、ある特定のトピックの新たな視点を獲得できるからなのだ。高度情報社会の現在、様々なメディアから膨大なフォトブック情報が入手できる。それらの内容を吟味したうえ、自分が何を考えて、何に興味があるかを意識した上で整理整頓し、自分に必要なものだけを選べばよい。それを基準に自分が求めるフォトブックを判断するのだ。人はそれぞれの考えを持っているので、結果的に他人と自分では良いと思うフォトブックも違ってくる。フォトブックのコレクション構築は自分が何に興味がある人間かを知ることであり、自分探しと同じなのだ。私たちはフォトブックを通して、世界の仕組みをより良く理解できるようになるのだと思う。

「写真に何ができるか」
-思考する7人の眼-
2014年4月中旬に刊行!

近日中に、新進気鋭の写真家7名による「写真に何ができるか」(思考する7人の眼)という本が窓社から刊行される。私も編者とし企画に関わっているので内容を紹介しておきたいと思う。本書はもちろん写真を紹介するヴィジュアル本なのだが、写真家の人たちが自らの言葉でテキストを書いているのが大きな特徴になっている。

全員に、”自分にっとて写真とは何か、そしてどんな可能性を信じていま、そしてこれからも写真を撮ろうとしているのかを自分の言葉で書いてほしい”と依頼した。昨年の夏から本当に多くの新人、中堅写真家にテキスト執筆を打診してきたが、快諾してくれる人は思いのほか少なかった。本当は10~12人くらいを想定していたが、きりがよい数字なので参加者は、三善チヒロ、幸田大地、にのみやさをり、石橋英之、芦谷淳、西野壮平、武田慎平の7名となった。

写真をアート作品として提示する場合、写真家が伝えたいことを自ら語ることが必要不可欠だ。しかし日本では、ヴィジュアル重視の傾向が強く、この部分はあまり重要視されていない。また語る人の中にも、自分以外の人が紡ぎだした世の中に流布しているメッセージをそのまま流用する場合がよく見られる。自作を自分の言葉で語り、書くことに慣れていない人が本当に多いのだ。中には素晴らしいコンセプトの作品を制作しているのだが、時間的に考えをまとめる時間がないという理由から断る人も複数いた。
以上から、本書の参加者は、みな普段から世界をみずからの眼で見て、思考することで作品テーマを見つけ出している人たちといえるだろう。彼らは自分自身の明確な考えを持つからこそ、あまり抵抗なくテキストを書き上げることができたのだと思う。本書は、写真家が文章と写真作品というに二本立てで自らのメッセージを世の中に発信しようという試みなのだ。

本書の発案は窓社の西山俊一氏。同書のまえがきで彼は以下のように語っている。
「ここに紹介させていただく写真家たちは、前述のような写真的現実のさまざまな変化変容に関わらず、「写真とは何か」という問いを手放さず、写真に対して真正面から真摯に誠実に向き合い、写真をみずからの人生の縁にして生きていこうと決意し、あくまでも自分の内発的を糧に自律的作品の制作にエネルギッシュに挑んでいる気鋭の写真家たちである。私には彼らが写真の世界から生まれ出た哲学徒のように思われてならない。私にとって哲学者とは「問う人」であり、答えの見えない可能性に「挑む人」であり、あくまでも自前で思考し、どんな境遇にあろうとも「自分自身」を生きようとする者の謂いである。」

私も彼ら7名の写真家のアート写真界においてのポジションを明らかにするテキストを書いている。デジタル化が進行して、現代アートが市場を席巻しているこの時代を「デジタル革命の第2ステージ」として様々な現状分析を行った。21世紀になり、従来のアート写真がどのように現代アート市場に飲み込まれていったのか、その過程を詳しく解説している。デジタルとアナログを比較して、どちらが優れているというような議論がなされているのはいまや日本だけの現象なのだ。
またギャラリストの立場から、各写真家のメッセージがこの時代でどのような意味をもつかの評価も試みている。写真でアーティストを目指す人には、現代写真市場の最先端の現状を知るとともに、ギャラリーの持つ具体的な価値基準を理解できる内容になっていると思う。写真が売れないといわれる日本市場の分析もかなりディープに行っているのでコレクターの人にも、何を買うべきか、買わないべきかの参考になるだろう。

写真家のテキストを強調してきたが、それはあくまでも写真作品とともに存在するもの。 やはり、本の中の印刷物よりも実際のオリジナルプリント見てもらうことが絶対に必要なことはいうまでもない。
「写真に何ができるか-思考する7人の眼-」参加者による写真展開催を5月中旬に開催することになった。会場は広尾のインスタイル・フォトグラフィー・センターを予定している。会期中は写真家と編者による、トークイベントも予定している。実際の写真を見ながら、作家本人のメッセージが聞けて、販売業者のセールス・トークも聞ける興味深い機会になると思う。

「写真に何ができるか-思考する7人の眼-」(窓社、2014年4月刊)
三善チヒロ、幸田大地、にのみやさをり、石橋英之、芦谷淳、西野壮平、武田慎平
(編者)福川芳郎
販売価格 2700円(税込)

2013年に売れた洋書写真集
偉大なアマチュア写真家ヴィヴィアン・マイヤーが2連覇!

 

アート・フォト・サイトはネットでの写真集売り上げをベースに写真集人気ランキングを毎年発表している。2013年の速報値が出たので概要を紹介する。

一番売れたのは、2年連続でヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)の「Vivian Maier: Street Photographer」(powerHouse Books 2011年刊)だった。
なんと2位にもマイヤーの2012年年末に刊行された「Vivian Maier: Out of the Shadows」(Cityfiles Press 2012年刊)が入った。
彼女は2007年にシカゴの歴史家ジョン・マーロフにより発見された米国人アマチュア写真家。彼女のストリート写真は、ヒューマニストの視点による戦後アメリカの都市部のリアルライフが写されている。社会のマイノリティーの人たちへの暖かなまなざしも好印象の理由だと指摘されている。 またヴィジュアは高いレベルの、美しさ、感動、ユーモアを持ち、ダイアン・アーバス、ロバート・フランク、アンリ・カルチェ=ブレッソンと比較されることすらある。エステート・プリントはニューヨークの老舗ギャラリー、ハワード・グリンバーグが取り扱っている。

2位の「Out of the Shadows」は上記のマーロフではなく、約2万点に及ぶ”Jeffrey Goldstein Collection” からセレクトされたもの。1949年~1970年代中盤までの作品が収録。マイヤーを知る人物とのインタビューなども収録されている。
彼女の写真アーカイブスにはまだ膨大な写真が残っており、調査が進むに従って今後も写真集が刊行される予定だ。

3位はウォーカー・エバンスの歴史的名著「American Photographs」(MoMA、2012年刊)の再版。ながらくランキングしていたロバート・フランクの「アメリカ人」の代わりという印象だ。 それ以降は、長期にわたるベストセラーのスティーブン・ショアー、ファッション系の、ギイ・ブルダン、リチャード・アヴェドン、ジャンルー・シーフが続いている。

ランキングの順位を見るに、2013年は特に目新しい動きがなかった印象が強い。不況による読者の保守的な購入傾向が続いていて、当たりハズレのない定番が売れるのに変わりはないようだ。ヴィヴィアン・マイヤーが上位を占めたが、彼女の写真は伝統的なクラシック写真に分類されるので意外性は少ないと思う。

2013年の一番大きなニュースは、外部環境の激変が売り上げに大きな影響を与えたことだと思う。つまり外為市場で進行した急激な円安だ。2012年はだいたい1ドルが75円から85円以内の円高水準に推移していた。それが2013年になると年初からドル高/円安が進み一気に100円を突破していく。1年間でだいたい20~25%くらいも円安に動いたことになる。写真集は欧州からも入ってくる、ユーロ/円は2012年はだいたい1ユーロが75円から110円のレンジだったのが、2013年は120円~145円のレンジになった。こちらはさらに大幅な円安水準に振れていたのだ。

外為市場での急激な円安は、仕入れ価格、輸送コストの上昇により洋書写真集の販売価格上昇に直結する。その結果、2013年の売り上げ金額は前年比約35%減と大きく落ち込んだ。これは東日本大震災の影響で約18%減少した2011年を上回る減少となる。金融緩和で株価は上昇したが、そもそも何でそのような金融政策が必要かというと景気が良くないからだ。本当に景気が良ければ長期金利が上昇するはず。そのような状況での円安による輸入コスト20%超の上昇は売り上げを直撃する。いままでは安く買えたと思うと、なかなか新しい価格を心理的に受け入れにくい面もあるだろう。
アートフォトサイトでは写真集を紹介した段階の為替レートで参考価格を表示している。特に円高だった2012年刊の写真集の販売価格はいま大きく上昇している。2位のマイヤー「Vivian Maier: Out of the Shadows」は、4,571円から6,076円に約30%上昇、ウォーカー・エバンスの「American Photographs」は2,590円から3,503円に約35%上昇している。
今後の為替レートも円安傾向が定着すると思われる。4月には消費税率が上昇する。もし欲しい洋書がある人は3月中に入手しておいたほうがよいだろう。

2013年ランキング速報
1.Vivian Maier: Street Photographer, 2011
2.Vivian Maier: Out of the Shadows, 2012
3.Walker Evans: American Photographs, 2012
4.Uncommon Places: The Complete Works, 2004
5.William Eggleston’s Guide, 2002
6.Avedon: Women, 2013
7.Jeanloup Sieff: 40 Years of Photography ,2010
8.The Last Resort: Photographs of New Brighton: Martin Parr, 2010
9.Lewis Baltz, 2013(European Retrospective)
10.The Mexican Suitcase, 2010

詳しい全体順位と解説は、近日中にアート・フォト・サイトで公開します。

「グラビア美少女の時代」(集英社新書) グラビア写真はアートになり得るのか?

写真家細野晋司による「グラビア美少女の時代」が集英社から発売された。これは細野のグラビア写真約200点と複数の著者による文章とで構成されたヴィジュアル版の新書。
綾瀬はるか、相武紗季らの貴重な写真が満載されている一種の写真集なのだが、コンパクト・サイズの新書版なので価格はリーズナブルだ。この中で私は「グラビア写真からアートは生まれるか」という章を担当した。

グラビア写真はアートとは対極に位置するポップカルチャーだ。それがアートになるかという論議にはかなり無理があると感じられるだろう。まず最初にどのような考えでこのやや無茶な提案を引き受けたかを説明しておこう。

私の専門はアートとしてのファッション写真。しかし、それは単に洋服を着たモデルを撮影したものではない。実際にはアートになりえるファッション写真はほんの一握りなのだ。それが市場で認識されるようになったのは80年代後半とまだ比較的歴史が浅い。そこにいたる歴史と理論構築の過程が、もしかしたらグラビア写真にも応用できるのではないかという直感があったのだ。また文章化することで自分のなかの知識を整理整頓したいという意図もあった。

苦労したのは、想定している読者がグラビア写真を愛でる一般の人たちであること。アートとして理論を展開していくためには、読者と書き手が知識や考え方を共有していることが前提となる。一般の人にアート関係の文章が分かりにくいのは、書き手はある程度の情報を持つ読者を想定して書いているからだ。
今回は、まずアート写真の基本から説明する必要があった。日本では一般的に写真はアマチュアが撮影する趣味と考えられているが、世界にはアートとして認識される写真が存在することから語り始めないといけなかった。 その過程では、読者の現状を把握している編集者からもらった色々なアドバイスは非常に参考になった。またここでの試みを通して、一般の人に写真のアート性を理解してもらい、それらをコレクションしてもらうまでの道のりの困難さを改めて実感した。

前述のようにグラビア写真がアートになるかどうかを、アート系ファッション写真が誕生した経緯を参考に検証を始めた。またその前提に、日本が大衆文化とファインアートが混在している社会であることにも注目した。これは現代アート分野の作家がコンセプト構築の前提としてよく使う認識。この土壌があるからこそ今回の理論展開の可能性が出てくるのだ。
そのためにはグラビア写真と写真史とのつながりをどのようにリンクさせるかがポイントとなる。私は欧米でファッション写真がアートとして認められた流れと、80年代の日本で起きた、広告写真の延長上にアート表現の可能性を探究する流れにあるとした。残念ながら後者はバブル崩壊で頓挫したが、現在の写真界のアート的不毛状況はその流れとつながっていると考えた。しかし、ここの部分は専門的すぎて新書の読者には内容が難しすぎるということで今回は掲載はしなかった。個人的には絶対必要な分析と考えるので機会があればぜひ紹介したいと思う。

歴史とのつながりを確認し、現状分析を行った結果、21世紀の日本では従来タイプのグラビアは残るだろうが、アート性を持つ新しいグラビアが生まれる可能性もあると結論づけた。そしてアートの可能性は最終的に写真家の志向性にかかっているとした。写真家の発想と意識の転換が求められるということだ。グラビアはマスの人たちが満足する写真。しかし、アートとなるとたターゲットが異なってくる。知的好奇心やヴィジュアル感度が高い比較的少数の人たち向けの高品位なものになるということだ。発表するメディアも、雑誌よりも発行部数のすくないフォト・ブックやアート・ギャラリーでの写真展の形態をとるだろう。それらは高品質で限定販売のものとなるので値段も高くなる。ビジネスモデルは従来の薄利多売から、高額商品の少数売り切りを目指すタイプへと変わってくる。イメージとしては少数相手の純粋ファインアートと多数相手のマス向けのポップカルチャーの中間的なポジションになっていくのではないか。アートのエッセンスを持つインテリア向け写真といえないこともない。

色々と状況を分析した結果、欧米のアート系ファッション写真のポジションに日本ではアート系グラビア写真が入るかもしれないと感じ始めてきた。私はいままで日本の広告やファッション分野で活躍している人たちに、自分たちの仕事の延長上にアートの可能性を見つけてほしいと語ってきた。残念ながらそれは非常に困難な試みだった。
アート性獲得には作品作りの段階で写真家にどれだけの自由裁量が与えられるかが課題となる。日本では関係者が多いファッションや広告よりも、グラビア写真の方が写真家が比較的自由に撮影できる環境があるのだ。一番大きなハードルは被写体のグラビアアイドルとその所属事務所の認識を写真家が変えることができるかどうかだろう。欧米では優れた写真家はアーティストと考えられている。モデルになる人はどんな有名人でも自分がアーティストの作品の一部になることを好むのだ。それらは写真集に収録され、アートギャラリーで販売もされている。日本でそのようにポジションを獲得するための努力を行う写真家が生まれてくるかということだ。

誰かがこの分野で先陣を切って行動を起こさないと何も始まらない。今回はギャラリストの立場からできる情報発信の一環として「グラビア写真からアートは生れるか」を引き受けたのだ。本ブログで連載している「日本のファッション系フォトブック・ガイド」も同じ視点で書いているので興味ある人はチェックして欲しい。
写真家では、細野晋司にぜひその先導の役割を担ってほしいと考えている。有名人ポートレート写真でのアート性を追求した写真集「知らない顔」を作り上げたヴァイタリティーがあれば可能だと思う。
かつて、ヘルムート・ニュートンは雑誌の撮影セッションの後にプライベート作品の撮影を続けて行ったという。それは日本のグラビア写真の現場でも可能な取り組みではないだろうか。

現在の日本のアート写真市場は非常に小さい規模しかない。私は、アート系グラビア写真にはビジネスチャンスが十分にあると考えている。 現存するアートカテゴリーの、現代アート系、エログロ系、ファインアート系、ドキュメンタリー系、インテリア系などよりも、間違いなく多くの人がリアリティーを感じる分野だと思われるからだ。
決して簡単なことではないが、グラビア写真のアート性が認識されれば写真家にとって新たな仕事分野が創出されることになる。市場の存在が認識されれば、多くの才能のある人が参入してくるはずだ。「カワイイ」に次ぐ、世界への情報発信も可能な日本独自の文化に育っていく可能性も十分にあると思う。

○「グラビア美少女の時代」 (集英社新書ヴィジュアル版)
細野 晋司 (著)、鹿島 茂、仲俣 暁生、濱野 智史、山内 宏泰、福川 芳郎、山下 敦弘
1,260円

グラビア写真のことがメインに取り上げられているが、アート系ファッション写真に興味ある人でも楽しめる内容だと思う。興味ある人はぜひ読んでみて欲しい。

フォトブックのコレクションのいま 写真集ガイドブックの最新ガイド

2000年代に起きたフォトブック・コレクションの一大ブームは、
“Book of 101 Books, The: Seminal Photographic Books of the Twentieth Century”(Andrew Roth著、2001年刊)や、
“The Photobook: A History, Vol.1 & Vol.2” (Martin Parr他、2004年 & 2006年刊)などの、歴史的レアブックのガイドブックが次々と刊行されたことから始まった。そこでフォトブックが写真表現の一つの形態であることが学術的に語られたのが大きく影響していると思う。
またハッセルブラッド・センターでのフォトブック自体を展示する展覧会の開催などが2004年にあり、新しいコレクション分野を求めていたアート写真コレクターが注目する。
その中でもガイドに多数掲載されていた日本のフォトブックに世界中のコレクターが熱い視線を注ぐことになる。日本人写真家はオリジナルプリントよりフォトブック制作に重点を置き、初版本はヴィンテージプリント同様の価値があると解説された。日本にはヴィンテージプリントがないと諦めていたコレクターが一部のフォトブックに殺到した。市場のピーク時には、川田喜久治の傷みやすいことで知られる写真集「地図」の極上状態ものが500万円以上で取引されたそうだ。この金額は明らかにフォトブックではなくオリジナル・プリントの値段だ。

その後、2008年秋のリーマンショック後の景気悪化などが原因で低価格帯のアート作品市場は大きな打撃を受ける。それらの中心コレクターだった中間層が不況の打撃を一番受けたからだ。フォトブックはここ10年余りで市場が確立してきた低価格帯の新コレクション分野だった。市場自体にまだ厚みがなかったので景気後退の影響は大きかった。市場拡大により2006年からクリスティーズのロンドンなどで開催されていたPHOTOBOOKSのオークションも2009年を最後に休止されてしまった。いまではスワン・オークション・ギャラリーズなどで写真作品の一部として取り扱われるだけになった。またオンライン書店photoeyeが開催するネットオークションでは継続されている。かつての世界的なレアなフォトブック・ブームは一休みという感じだ。

いま思えばフォトブックのブームは明らかにバブルだったといえるだろう。Errata Editionsから”Books on Books”シリーズがリーマンショック後の2009年に刊行される。このあたりがブーム終了の始まりだったと思う。
これは、オークションなどで高額で取引される入手困難のフォト・ブックの全内容をなんと複写(!)して別の本として紹介するものだった。まともに考えればこのようなタイプの本が売れたこと自体がバブルだったのかもしれない。

さて今まで話題が少なかったフォトブック市場だが、2011年以降には新たなフォトブックのガイドブックが次々と刊行されるようになってきた。たぶん企画自体は以前からあったものが、世界的な金融緩和により大恐慌が回避されたことで再び発売が決定したのだろう。
2000年代に刊行されたガイドブック類に対しては、その収録するフォトブックセレクションに対して様々な意見があった。いわゆる、もっと良い本があるのに何で掲載されないのか?のようなつっこみだ。
ガイドの発売がきっかけで今までは散逸していたフォトブックの情報がかなり専門家の元に集約されたのではないだろうかと思う。それが更に新しい切り口のガイド刊行につながったのだろう。市場が先行してそれをアカデミックに評価していく流れがここにも見られる。
最近のガイドの特徴は、ラテンアメリカ諸国、スイス、オランダなどの地域ごとのくくりになって狭い範囲でより深く掘り下げていることだ。2013年には、人気アーティストのエド・ルシェのコンセプチュアルなアーティスト・ブックに注目し、過去30年間の世界中に広がった彼のフォロアーを紹介するガイドまで登場した。これらの中には初めて見た写真家のフォトブックも数多く含まれる。
写真家にとってどんな形式にしろ作品を本にまとめることが重要なことを痛感する。例え最初は評価されなくても、本として残ってさえすれば時代や地域を超えて再評価の網に引っ掛かる可能性があるのだ。
フォトブックの世界的ブームは落ち着いたものの、どうもこのカテゴリーは世界各国の研究者により探求がゆっくりと進んでいる感じだ。日本のフォトブックも含めて調査が手つかずの分野もまだまだ存在する。市場は、写真分野、刊行された地域、規模ともに徐々にだが拡大していくことだろう。

フォトブックはアート写真のカテゴリーとして市場ではすでにポジションが確立されている。中長期的には現在のやや弱気な相場は絶好の買い場だと思う。日本のコレクターにはドル高による円貨額の上昇も気になるところだろう。もし狙っているフォトブックがあるならば、いまこそ買うつもりで市場を見た方が良い。 歴史的なレアブックの場合、真剣に買おうと思うと、案外お値打ちの良品の流通が少ないことに気付くのだ。状況を正しく把握して、心構えができていると肝心な時に判断に悩むことはない。

2011年以降に発売されたフォトブックのガイドブック

The Latin American Photobook, Aperture (2011/10/31)

・Swiss Photobooks from 1927 to the Present, Lars Muller Publishers; Mul版 (2011/12/5)

The Dutch Photobook: A Thematic Selection from 1945 Onwards, Aperture (2012/5/31)

VARIOUS SMALL BOOKS: Referencing Various Small Books by Ed Ruscha ,The MIT Press (2013/2/1)

2012年に売れた洋書写真集 ランキング順位に変化あり!

アート・フォト・サイトはネットでの写真集売り上げをベースに写真集人気ランキングを毎年発表している。2012年の速報値が出たので概要を紹介したい。

一番売れたのは、なんとヴィヴィアン・マイヤーの「Vivian Maier: Street Photographer」(powerHouse Books 2011年刊)だった。昨年までロバート・フランクの歴史的名著「アメリカ人」の刊行50周年記念エディション(2008年、スタイドル社刊)が4年連続の1位だった。なんと5年ぶりの1位交代となった。
マイヤー(1926-2009)は2007年にシカゴの歴史家により再発見された米国人アマチュア写真家。彼女のストリート写真は、ヒューマニストの視点を持ち、高いレベルの、美しさ、感動、ユーモアがある。戦後アメリカの都市生活のリアルライフが写されている点が評価されている。いまでは、ダイアン・アーバス、ロバート・フランク、アンリ・カルチェ=ブレッソンに並ぶ写真家といわれることもあり、作品は欧米の美術館やギャラリーでも展示されるようになった。写真雑誌「IMA」の2013年春号でも巻頭で紹介されている。
全く無名だった写真家がランキング1位だったのは集計を行ってみて正直驚きだった。

2位もやや意外だった。なんと映画監督ウィム・ヴェンダースの「Wim Wenders: Places, Strange and Quiet」(Hatje Cantz、2011年刊)。彼は写真集を数多く出しており、「Written in the West」などはレアブック市場でも人気が高い。ファンが多いのもうなずける。

それ以降は、いままで売れていた、スティーブン・ショアー、ウィリアム・エグルストン、ティム・ウォーカーなどの常連が入ってくる。ロバート・フランクは「アメリカ人」がランクを10位以降に落とした一方で、「You Would」(Steid、2012年刊)がランクインしている。4位は長らく待たれていたウォーカー・エバンスの歴史的名著「American Photographs」(MoMA、2012年刊)の再版だった。これはほぼ予想通りだろう。

毎年ランキングの集計を行っているが、長引く不況による読者の保守化により、ずっと定番が売れる傾向が続いてきた。ここにきてランキングに変化が出てきたのは読者もそろそろ新しいビジュアルを求めるようになったのではないか?
ちなみに、知名度が低いがヴィジュアルが斬新なシグ・ハーヴェイの「You Look at Me Like An Emergency: Cig Harvey」(Schilt Publishing、2012)もランキングに入っている。やや意外だったのはライアン・マッギンレイ。彼の「Ryan McGinley: Whistle for the Wind」 (Rizzoli、2012年刊)は思ったほど売れていない。アート業界と一般読者との間には人気のギャップがあるようだ。

全体の売り上げ金額は微減だった。2011年は3.11東日本大震災の影響で売り上げが約18%減少した。とりあえず2012年は減少傾向に歯止めがかかったとポジティブに解釈したい。2013年になり株価が上昇しているものの急激な円安傾向になっている。これは直接的に洋書価格の上昇につながる。相場の見方次第だが、さらに円安になると考える人は今のうちに欲しい洋書を入手しておいたほうがよいだろう。

2012年ランキング速報
1.Vivian Maier: Street Photographer
2.Wim Wenders: Places, Strange and Quiet
3.Uncommon Places: The Complete Works
4.Walker Evans: American Photographs
5.William Eggleston’s Guide
6.Tim Walker Pictures
7.Irving Penn: Small Trades
8.You Would, Robert Frank
9.Edgar Martins Topologies
10.You Look at Me Like An Emergency: Cig Harvey

詳しい全体順位と解説は、近日中にアート・フォト・サイトで公開します。