神話化されたヴィジュアル世界 ライアン・マッギンレー写真集
「WHISTLE for the WIND」

ライアン・マッギンレー(Ryan Mcginley, 1977-)の新作写真集「WHISTLE for the WIND」(Rizzoli、2012年)が刊行された。2000年~2011年までに撮影された約130作品が収録されたキャリア初期から中期を回顧するものだ。カラー作品は、昨年に刊行された「You and I」(Twin Palms,2011年)とかなり重なる。 違いは2010年以降にスタジオで撮影されたモノクロのヌード作品が収録されていること。
ダストジャケットに採用されているのは、ヌードで走る若者たちの背中を明るめに撮影した”Highway,2007″。これはアイスランド出身バンドのシガー・ロスによる”Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaust”(2008年)のCDジャケットにも使用されている。
音楽の好みや感じ方は人によって違うし、それを言葉で伝えるのは非常に難しい。私は人に音楽勧めることはしないのだが、このバンドの作りだす寂寥感を持つサイケデリックで美しい音の世界はマッギンレーの自由と美を追求する写真世界と通じると個人的に感じている。

本書「WHISTLE for the WIND」を見るとき、いくつかの注意点がある。
まず写真集として個別の写真を流れで連続して見ない方がよいだろう。実は彼の多くの作品は巨大サイズなのだ。72 X 110インチ(182X279cm)もの壁画のような作品もある。このスケール感は写真集では理解できない。実物の展示見るのがベストだが、展示風景の写真をみてもその感覚がつかめると思う。 つまりアート写真というよりも、現代アート作品として認識して本のページを見たほうがよいのだ。彼は写真で表現する現代アート作家で、本書は代表作を収録したカタログもしくは画集と理解すればしっくりくる。それぞれの作品は映画のワンシーンを切り取ったような連続性、ストーリー性を感じるが、作品自体は独立して存在する。マッギンレーを一般的な写真家と先入観でとらえない方が良いだろう。
カタログ的な写真集の刊行が続いた背景には、自分の世界観はすでに世の中で受け入れられているという認識があると思う。今度はそのイメージを定期的に大量に発信することで自らの世界観を強化しようと目論んでいるのだろう。

前回も紹介したが、マッギンレーは、「私の写真は人生を謳歌するもので、その喜びで、美しさだ。しかし実際の世界にはそれらは存在しない。私が生きていたいと思う、本当に自由で、ルールがない、つまりファンタジーの世界なのだ。」と語っている。彼は気が滅入るようなイメージは作りたくないと一貫して主張しているのだ。
本書ではマッギンレーが紡ぎだしてきたそんなポジティブな写真世界が明確に展示されている。以前紹介したが、彼の作品は初期作品を除いてほとんどがキュメントではなく作り込まれたフィクッションなのだ。(文章最後のリンクの記事を参考にしてください) 私たちは誰も実現したいと願いながら、決してできないファンタジーの世界を持っている。特に高度資本主義社会のなかで交換可能な存在である多くの人は、かけがえのない自分を実現する場所を熱望している。マッギンレーの写真世界では、実生活における偶然性が演出されている。そこでは健康的な若い男と女たちが美しく特別な自然環境の中で、服を着ないで自由に走り、飛び跳ね、またたたずんでいる。誰もが現実には存在しないそんな特別な場所に身を置きたいと熱望するのだ。

マッギンレーの写真世界には様々な仕掛けがある。彼は決してプロのモデルを使わない。素人のモデルたちをヌードで撮影するのが彼の写真の持つリアル感の源泉だろう。ヌードに日本人は違和感を感じるだろう。日本では刑法上の問題が生じてくる。しかし、欧米には裸で自然の中で暮らすヌーディズムの歴史があり、それは衣服の拘束からの解放や、裸で日光、水、大気に触れることを目的とした一種のレクリエーションとして実践されている。基本は他人の裸を見るのではなく、自分が裸になることがも目的だという。彼はインタビューで、モデルたちは服を着ているときの方がセクシーに見えると語っている。つまり服が人を魅力的に見せるからそれを避けようとしたのだ。素人のモデルから、さらに素のリアルさを引き出すために服を着せないのだと思う。

彼の写真ではフレーミングが特徴的だ。多くのイメージは、モデルたちが複雑に絡み合い動き回り、写真の枠を超えて存在する。一瞬をとらえるのではなく、特異な状況の中で、被写体が飛んだり、ジャンプしていたり、落下していたりすることで見る側の心をとらえているのだ。彼は5歳から18歳までほぼ毎日スケートボードをしていた。写真撮影の時もスケードボードに乗っている方法で行うという。ヴィデオでスケードボーダーを撮っていた経験が生かされているのだ。
また彼の世界観は完全にアメリカ文化を下地にしたものだ。野原を駆け抜ける写真などは、明らかにアメリカの原風景とそこで暮らす人々を描き続けた画家アンドリュー・ワィエスの精神と通じている。それは、ラルフ・ローレンやトミーヒルフィルガーの世界観ともつながると写真集巻頭のテキストでも指摘されている。

そんな彼の写真から私たちは自然と様々な意味を読み取ることになる。アメリカの伝統文化を取り込んだヴィジュアルは、直感的にアメリカン・ドリームを思い起こさせる。若干24歳でのホイットニー美術館の個展開催など、彼は実社会ではありえない成功を成し遂げている。若くしてのアーティストとしての成功は彼の神話性を強化する役割を果たしているのだ。 彼の写真世界は、自分の実力で若くて成功を手にするアメリカンドリーム、そして健康、自由、美の象徴なのだ。それが社会環境の変化により、もはや奇跡的な出来事になったからこそ多くのオーディエンスを魅了する。特に彼と同世代の「ジェネレーションY」からは圧倒的に支持されているという。彼の神話性は中間層の没落とともに強化されてきたのだ。

写真集の巻頭で、写真家としても知られる映画監督ガス・ヴァン・サント(1952-)との会話が収録されている。それによるとマッギンレーは次の展開として映画撮影を考えているらしい。元々彼は家族のスーパー8ムーヴィーカメラでスケートボーダーを撮影していた。また毎夏に行っているロードトリップは映画のアイデアを写真にしたとのことだ。入念に仕込まれた撮影アプローチや、動きのあるシマティックな広がりを持つイメージ類をみるに自然な展開だろう。いまや神話化されつつあるライアン・マッギンレーのヴィジュアル世界。こんどは映画形式で多くの人の心を魅了するのだろう。

・ライアン・マッギンレー関連のブログ
なんでライアン・マッギンレーはすごいのか?

切れがある俳句のような写真集 意識的な空白がリズムを作る

Blogテリー・ワイフェンバックの新作写真集「Maple and Chestnut」(Nazraeli、2012年刊)にはテキストが一切ない。また写真と余白スペースがうまい具合に共存し、心地よいヴィジュアルのリズムを作っている。その空間は俳句の”切れ”のような役割を果たしているのではないか。写真集なのだが何かヴィジュアルによる俳句集のようにも感じられる。

長谷川櫂の「俳句的生活」(中公新書、2004年刊)によると、「俳句は言葉を費やすのではなく言葉を切って間という沈黙を生み出すことによって心のうちを相手に伝えようとする」という。芭蕉の有名な、「古池や蛙飛び込む水の音」も、切れ字「や」により、現実の世界ではなく心のなかの古池を表現していると解説している。

俳句というと禅と不可欠な関係にある。禅は今ここに生きることを重要視する。ジャズの即興演奏、つまりインプロヴィゼーションはこれを意識したものだ。以前に紹介したがそれを写真集で試みたのがロバート・フランクの歴史的名著「The Americans」。フランクは、導入部分があり、メインテーマがあり、終わりがあるようなストーリ仕立ての写真集は嫌いだった。何か違うものを作ろうとしていたと発言している。「The Americans」では、写っているモチーフで”間”を作っていた。それは、アメリカンイコンを象徴する星条旗や自動車など。なぜ余白空間を使用しなかったのか?たぶんイメージが見開きの右側、左は余白でキャプションがあるという写真集フォーマット故の判断だったのだろう。

写真集には様々な種類がある。その中で、パーソナルな視点でとらえられたコンセプト、テーマを本のフォーマットで表現したアート系の写真集はフォト・ブックと呼ばれている。上記のワイフェンバックやフランクの写真集はこのカテゴリーになるのだ。
この判断は初心者には非常に難しいだろう。もちろん、マーティン・パーなどが著したフォトブックのガイドブックを参考にする手もある。私はレアブック市場の相場を参考にすることをすすめている。つまり、優れたフォトブックはコレクションの対象でプレミアムが付いて高価なことが多いのだ。その他の写真集は絵画の画集と同じように資料的価値しかない。いくら古くてもあまり高い値段は付いていない。

フォトブックでは作家のメッセージ性が重要視される。それを伝える為に”間”は有効なのだ。写真には大きく分けて説明的なもの、感覚的なものがある。社会と接点を持つ何らかのコンセプト、アイデアは、これらの写真を織り交ぜて伝えることになる。その視的、心情的バランスをコントロールするのが余白スペースなのだ。
また流れの中に時間的、空間的な”間”をおくことによって、作家自身の過去の記憶、思い出などとつながっていく効果もある。それはワイフェンバックが撮影時に意識した、かつて中間層が暮らしていた「Maple and Chestnut」の町並みだろう。つまり本作「Maple and Chestnut」も前作「Another Summer」同様に、現実のドキュメントではなくワイフェンバックの心の中の世界だということ。スペースは見る側が色々な解釈を行う仕掛けにもなっているのだ。

世の中にでている多くの写真集では、余白は作家の意図ではなくデザインの見地から挿入される。ドキュメント系の写真集の場合はその傾向が強い。それは同じ系統の被写体や対象物が続いていた時に、その終了を意図する締めの意味合いになる。しかしフォト・ブックを制作する時、デザイナーはヴィジュアルだけでなく作家のメッセージも意識して配列を考える必要があるのだ。デザイナーはギャラリストと同様の能力が求められる。それは写真家と真剣に話をしてそのコンセプトを理解すること。この場合、写真はデザインする素材ではないのだ。高いクオリティーのフォト・ブックを作るには、そこの部分の共通認識が重要なのだと思う。

話がややそれるが、写真展の場合のアプローチも紹介しておこう。通常は壁面の移動によりリズムを作ろうとする。しかし、どうしても会場ごとの物理的な制約があるのでヴィジュアル展開は写真集よりも複雑で難しい。しかし、展示も写真集もあくまで作家のメッセージをオーディエンスに伝えるための方法論。手段が目的化しては本末転倒だ。私は、会場内でのアーティスト・ステーツマントや解説の掲示により作家の視点を明確にし、作品展示はできる限りシンプルを心がけている。

テリー・ワイフェンバックの俳句のような新作写真集「Maple and Chestnut」(Nazraeli、2012年刊、限定1000部)の初回入荷分は完売しました。現在、サイン・プレート付き次回入荷分の予約をギャラリーの店頭で受付中です。

消費がアメリカ人を救ったのか? ブライアン・ウールリッチの予見する未来の消費社会

ブライアン・ウールリッチ(1971-)の”Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11″( Aperture 2011年刊)は、同じテーマで作品を撮り続けることの重要性を改めて感じさせる写真集だ。継続すると関連情報がどんどん集積され、テーマに対する問題意識が深まる。いままでに見えてこなかった新たな視点が発見できる。長期プロジェクトの場合、同じスタンスで作品と対峙していると、対象の変化を通して時代が見えてくるのだ。

ウールリッチは、ニューヨーク州ノース・ポート出身。彼が21世紀になってから作品テーマとして取り組んだのが「Retail(小売り)」(2001~2006)シリーズだ。彼がこれを選んだ理由が面白い。米国では2001年10月26日にテロ対策として愛国主義者法(Patriot Act)が成立した。当時のブッシュ大統領は署名したときの挨拶で、「米国経済の活力はアメリカ人の消費意欲による」と発言したという。ウールリッチは、買い物するアメリカ人が本当に愛国者なのかと疑問に思い、写真家として作品制作でそれを確かめようとしたそうだ。
人が多く騒がしい店舗内での撮影は難しい。彼は場所を選んで撮影タイミングを長時間に渡って待ったという。その行為はアートというよりも人類学の人間観察に近いものだったという。

ウールリッチは全米の大規模モールを撮影してまわり、商業施設がどの場所でも均質なことを発見する。 そしてグローバル経済進行のもとで米国人の消費が大きく変化したのに気付く。製造業者が労働コストの安い国へと生産をシフトしたことで起きたのが洋服価格の大幅な下落と大量消費。本書の資料によると、米国人が年間に購入するアウトウェア、アンダーウェアのアイテム数は、1991年には34.7点だったのが2007年には68点に上昇したとのこと。そしてかつては贅沢品だった服は大量消費、大量廃棄される商品になる。やがてそれが家具や電気製品にも広がっていく。イケアなどによる安い商品の登場で家具消費は1998年~2007年にかけて150%も上昇したとのことだ。
ウールリッチはその後の「Thrift」シリーズで消費現場の撮影をリサイクル・ショップや商業施設の裏側にシフトする。大量消費されたモノの行き末に興味を持ったからだ。そこに、価値がほとんどなくなった大量の商品の山、大量廃棄の現場を発見する。写真集表紙は、大量の中古服の中で呆然としている若い女性の写真だ。リサイクル店ではいまやグラム単位で服が売られているという。

そして2008年のリーマンショックをきっかけに消費を取り巻く状況は大きく変わる。大量失業と、不動産価格の急落が原因となり、買いものや消費よりも、節約や貯蓄に関心を持つ人が増加する。ガソリン価格の上昇、環境意識やリサイクルの機運の高まり、インターネットの普及なども影響している。多くが、商品の価値と値段と質を気にするようになり、必用品だけを購入し長く使用するようになる。本書の最終章の「Dark Stores」ではその現場を撮影。大規模商業施設があらゆる意味で過剰で、転換点を迎えていることを示唆している。テナントが撤退した大規模モールや商業施設の外観、そして荒れ果てた内部を醒めた視点で撮影している。

そして彼がこの先に見ているのは、景気回復の期待や施設の長期リースなどから動きは決して早くはないようだが、確実に始まっている米国人の意識変化だ。かつての大規模商業施設は、いまや短期店舗、リサイクルショップ、フリーマーケット、学校、ディケアセンター、医療施設、図書館に変わりつつあるとのこと。これはアメリカ人が、資源の無駄使いを問題視するエコロジーの視点を持ち始めたという事実。そして地域コミュニティーと与えられた環境の中で、消費以外の質の高いにライフスタイルを追求しはじめたことを示唆しているのだ。

本書で紹介されているプロジェクトを通して、優れた写真家はアーティストであり、作品で社会の問題点を発見し、それに対するメッセージをオーディエンスに問いかける存在であることがよくわかる。 美術館も彼の時代をとらえた作品を高く評価。本書は、クリーブランド美術館での個展に際して刊行されている。
さて、アメリカ発の消費スタイルはグローバル経済の進行とともに日本にも遅れて導入されている。最近は大規模モールの撤退のニュースなども聞くようになったが、日本の消費現場ではどのような変化が起きるているのだろうか。写真家の人にとって作品テーマとして魅力的だと思うが、どうだろうか?

“Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11″Brian Ulrich, Aperture 2011年刊

2011年に売れた洋書写真集 ロバート・フランクが4年連続1位獲得

アート・フォト・サイトはネットでの売り上げをベースに写真集人気ランキングを毎年発表している。2011年の速報値が出たので概要を紹介します。

一番売れたのは、ロバート・フランクの歴史的名著「アメリカ人」の刊行50周年記念エディション(2008年、スタイドル社刊)。なんと4年連続の1位獲得となった。
私は個人的に、レアブック・コレクションに関するレクチャー”フォトブックの世界”を昨年行った。その中で「アメリカ人」に掲載されている全83点を写真の見せ方やコンセプト面から解説した。自分自身でも何で歴史的に高く評価されるかが改めて理解できた。連続トップにも納得し素直に嬉しく感じる。
2位はこれも定番中の定番、スティーブン・ショアの「Uncommon Places: The Complete Works」。2004年に刊行されてからずっと売れ続けている。3位の「Tim Walker Pictures」も人気が全く衰えないベストセラーだ。

毎週、洋書写真集を新刊中心に幅広くチェックし、お薦めの1冊を紹介している。ここ数年を振り返っての印象は、特に際立った注目本やベストセラーがなかったことだ。昨年のランキングもそのような状況が見事に反映されていた。上位はほとんどが既刊本で、2011年刊行ではマイケル・デウィックの「Habana Libre」が5位、ティム・ウォーカーの「The Lost Explorer」が10位だった。また厳密な新刊ではないが、歴史的なレアブックを本体の複写形式で蘇らせているブック・オン・ブックス・シリーズから、アレキセイ・ブロドビッチの「Ballet」が8位にランクインしていた。

全体的な印象は、売れているのはヘルムート・ニュートン、ジャンルー・シーフ、マイケル・デウィック、ティム・ウォーカー、ギイ・ブルダンなどファッション系と、ロバート・フランク、スティーブン・ショアー、ウィリアム・エグルストンなどの巨匠写真家の定番作品集だ。定番が売れる傾向はここ数年変わらない。背景に長引く不況があることはまちがいない。 限られた予算内でハズレのリスクを避けたいと消費者が考えているからだ。しかし、それだけが原因でないと思う。最近はデジタルカメラの普及で写真人口は増加している。その中には、長期的に作家を目指す人も確実に増えているのだ。写真は売れないが、売りたい人は増えている状況がある。アート写真のワークショップは盛況だ。作家を志向する人にとって過去の先人たちの名作探求は必要不可欠の行為。不況でも定番本が売れているのにはこのような背景もあると思う。

巨匠系はランキング外でも、アンドレ・ケルテス、リー・フリードランダー、ジョエル・マイヤービッツ、アンリ・カルチェ=ブレッソンらの複数タイトルが売れている。
現代アート系は、人気が高いアンドレアス・グルスキー以外は勢いがなくなっている。作家志望者に制作にコストのかかる現代アート系写真はあまり参考にならないのだろう。

全体の売り上げは前年比約22%減だった。冊数ベースでは約18%減。年間を通して4円程度の円高を考慮しても、販売単価は引き続き低下している。非常時において、写真集はアート作品同様に不要不急の最たる商品だ。実際に、3.11東日本大震災からしばらくは売り上げが急減した。年後半にかけて回復したものの、震災が年間売り上げに大きく影響したといえる。写真集市場は、景気回復の遅れと、ヒット商品の不在、そして大震災の心理的影響が相まり規模縮小傾向に歯止めがかかっていない状況といえるだろう。

2011年ランキング速報
1.「The Americans」, Robert Frank
2.「Uncommon Places: The Complete Works」, Stephen Shore
3.「Tim Walker Pictures」, Tim Walker
4.「Stern Fotografie」, Helmut Newton
5.「Habana Libre」, Michael Dweck
6.「William Eggleston’s Guide」, William Eggleston
7.「40 years of photography」, Jeanloup Sieff
8.「Ballet」, Alexey Brodvitch (Book on Books)
9.「Photography After Frank」, Phillip Gefter
10.「The Lost Explorer」 Tim Walker など

詳しい全体順位と解説は、近日中にアート・フォト・サイトで公開します。

キューバのシークレット・ライフ
マイケル・デウィック”Habana Libre”

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先日、マイケル・デウィックの新刊"Michael Dweck: Habana Libre"を紹介したら写真展の問い合わせが多かった。写真展は、ブリッツで12月2日(金)よりスタートする予定です。

新刊に収録されているのは、ナイトクラブのパーティー、若者のナイトライフ、スケートボーダー、ファッションショー、音楽ライブ、ビーチライフ、サーフィンなどのシーン。作品をみて多くの人は、マイアミかリオという印象を持つだろう。しかしすべて共産主義国キューバの写真なのだ。キューバと言うと、ライ・クーダとヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の、古い街並みと50年代のアメリカ車が走っているというイメージを持つ人が多いだろう。
いまでも多くの住民は経済的には非常に貧乏だ。しかし、キューバの社会には違う面があるという。それはアーティスト、俳優、モデル、ミュージシャンたちの階層。デウィックが撮影したのは、西側はもちろん、キューバ内でも知られていない同国内に存在するクリエィティブな特権階級のシークレット・ライフのドキュメントなのだ。どうも実際のお金が平均以上の生活のために必要なのではなく、社会的なコネクションが重要らしい。お互いに才能を認め合った多分野のクリエイティブな人たちのコミュニティーということだろうか。
そのような人材が育った背景には、1959年の革命以来、政府がキューバ文化の振興に力を入れたことがあるようだ。本書に収録されている、"キューバは経済的には貧乏だが、人材的には豊かだ" というUNICEFのLimpias氏のコメントがそれをよくあらわしている。私はこの視点こそは、「お金がなくてもそれぞれが自分磨きをして魅力的になれば、仲間が集まってきて幸せになれる」、という不況で苦しんでいるアメリカ人へのメッセージではないかと感じている。私たち日本人にも当てはまるだろう。このあたりの事情は写真展開催の前にデウィックに聞いてみたい。

デウィックの写真集はプレミアムが付くことで知られている。"The End: Montauk"(2004年刊)の帯付き初版などは、誰が買うのだと思うくらい高額になっている、"Mermaids" (2008年刊)も価格上昇中だ。"Michael Dweck: Habana Libre"も初版限定3000部なのでフォトブックコレクターは要注意だ。なお、プリント付きの箱入り特装写真集も限定100部発売予定。収録作品イメージや値段はまだ未定。詳しい情報がわかりましたらご案内します!

「Publish Your Photography Book」写真集出版のためのノウハウ本

現在は世界的に写真集ブームの時代だ。いまや写真集は自己表現であると広く認識され、多くの人がコレクションするようになった。またテクノロジーの進歩で出版の敷居は以前よりはるかに低くなっている。有名写真家でなくても、自分の写真集出版はもはや夢ではない。しかし、どのようにすれば自分の本が出せるかはネットを調べても詳しくは分からない。 本書「Publish Your Photography Book」(2011年、Princeton Architectual Press刊)は、一般にはあまり知られていない写真集制作と出版のプロセスを解説したノウハウ本。狭い客層のファインアート系中心に書かれているが、客層の多い大きなテーマの本にも触れている。写真集コレクターには、最初のセクションに書かれているレアブックのガイドブックのリストが役に立つだろう。私も知らなかった本が何冊かあった。

著者は、ダリウス・ハイムス(Darius Himes)と、メアリー・ヴァージニア・スワンソン(Mary Virginia Swanson)。ハイムス氏はオンライン書店のphotoeyeの創設時のエディター、またRadius Booksの共同創業者でもある。スワンソン氏は有名なファインアート写真のコンサルタント。写真家からの相談を1時間300ドル(約2.5万円、ただし最低2時間)で行っている。これは米国の弁護士の相談費用と同じ。アート写真市場が小さい日本では到底考えられないだろう。状況の違いに本当に驚かされる。本書の値段は29.95ドル(アマゾンならもっと安い)。 彼女の名前だけで購入する人も多いのでないか。

本文の内容はいたって平凡だ。絶対に成功する写真集の秘訣などは書いていない。
内容は6つのセクションにわかれている。写真家が写真集出版に関して検討しないといけない、版元探し、制作手順、出版コスト、契約、デザイン、販売の解説が網羅されている。出版社に提出すべき書類のリストも記載。ケーススタディーのセクションは、アレック・ソス、ジョン・ゴセージなど7人の作家とのインタビューで構成されている。その他、作家、出版人、デザイナー、編集者などの幅広い分野の業界関係者とのインタビューも収録。資料として、デザイン印刷、マーケティングのスケジュールの見本。出版に際しての基本をまとめたワークシートまでが用意されている。
ワークシート最初の質問は、”なぜあなたは写真集を出したいのか?”、”どのような本にしたいか1行で書け”。シンプルだが最も重要な点だろう。自分の思いを本にする理由を明確に語れないといけないのだ。アーティストを目指す人へのノウハウ本の最初に、”あなたにパッションがあるか?”と書いてあるのと同じことだろう。

ノウハウ本なので英語の本文はとても読みやすい。辞書片手だったが比較的短時間に読破できた。自分が興味があるセクションから読んでも問題ない。本の形式の、出版のためのチェックリストと関連資料集と考えてもよいだろう。
私もやや期待したのだが、作品のコンセプトやテーマの具体的なまとめ方などは書いていない。よく考えると、これは個別の写真家で全て違うから簡単に解説などできないだろう。ここについてはコンサルタントに相談料を支払わんければアドバイスはもらえないようだ。

興味深かったのは、アート系出版でもマーケティングが重んじられること。出版時に購入してくれるターゲットを明快にすることを求めている。過去の同様の出版例から予測するまでが必要とされている。誰が買ってくれるかの想定が明確にできない場合は中堅、大手での出版は難しいようだ。アート系写真集の印刷部数は有名写真家でもだいたい3000部とのこと。ネイチャー系など、大きなポピュラーなテーマの写真集と比べてかなり敷居が高そうだ。
しかし、写真家にとって実際に出版しないと売れるかどうかはわからない、というのが本音だろう。米国でも状況は同じで、本書では自費出版や、Zine、オンディマン印刷などを通して写真家が写真集を世に送るチャンスが増えていることも説明している。アレック・ソスやライアン・マッギンレーも自費出版からチャンスをつかんでいるのだ。
そして、本書内で一貫して強調されているのが写真家本人の自助努力の重要性。当たり前なのだが、自分の写真集は本人が率先してマーケティングを行わなければ誰が動いてくれるかということだ。出版社は数多くの出版プロジェクトを抱えている、 本人の熱意がないかぎり必要以上に動いてくれることはない。

本書は写真家が出版社とがどのように仕事を進めていくかを書いた本だ。読み続けていて感じたのは、これはギャラリーと写真家との関係とまったく同じだということだ。例えば上記のマーケティングの自助努力を写真展に置き換えると、写真家が積極的に動かない写真展は集客や売り上げが悪い。本人の熱意が、ギャラリーの動きと重なることでマスコミや世の中の人々が複合的に反応してくる。世の中にはヴィジュアルは氾濫している。いくら作品が優れていてもそれだけではその他の中に埋もれてしまうのだ。本書は、キャリア・レベルがセミプロ期で作家を目指す写真家には、商業ギャラリーへの営業の手引としても十分に使えると思う。

「ロバート・フランクの”The Americans”」アートとしてのドキュメント写真とは?

 

アメリカ国旗をデザインしたカヴァーに魅了されてジョナサン・デイ著の「Robert FranK’s “The Americans”」(Intellect、2011年刊)を購入。これはロバート・フランクの米国版写真集「アメリカ人」を分析した本。実は参考写真もある程度は収録されていると思っていたのだがイメージはほとんどなしだった。2008年スタイドル社の「アメリカ人」刊行50周年版とともに読み進めるように書かれている。本書自体は写真集ではない。興味のある人も勘違いしないでほしい。ただし評論なのだが英語文章は比較的分かりやすい。割と早いペースで読み進むことができる。写真集はそれが生まれた時代背景と写真史との関連がわからないと正しく評価できない。 著者のデイ氏は、それらをうまく引用、解説しながらフランク論を展開していく。

写真集イメージの順番、セレクション、フォーマットの分析は興味深い。この当時は、ライフなどのグラフ誌が全盛だった。その特徴は、写真に解説文章がつけられていたこと。フランクはそれらに対して新たな方法を試みた。彼は優れた写真自体の持つ物語性を信じたのだ。写真集は見開きの右側に写真が置かれ、左側には短いキャプションがつけられている。 これはウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフス」を意識したとのこと。 解説文なしで写真を並べるのは当時としては画期的だった。
「アメリカ人」収録写真は、一見かなり適当にセレクションされたと感じる人もいるだろう。しかし彼はイメージ・セレクションに約1年も時間をかけているという。約27000点がコンタクトシートにプリントされ、それが1000点、100点へと絞られていったそうだ。写真の配列はジャズの即興演奏にたとえられている。「アメリカ人」では星条旗やクルマなど作品テーマが明確なイメージがある。これがジャズのイントロのような役割を果たしている。ページ展開の中でそのバリエーションが続き、テーマを掘り下げていく。ここがジャズの即興演奏のようだと分析されている。
それを意識してページを眺め直してみると、確かにイメージ展開の中にリズム感のようなものを感じる。これが意識されて行われたのは驚きだ。即興演奏は「いまという瞬間に生きる」意図がある。これこそは禅の奥儀に通じる考え方だ。フランクは旅の現場で経験したリアリティーをいままでにない方法で写真集にまとめて伝えようとした。ここの認識こそが「アメリカ人」をより深く理解するヒントになるのだろう。

それでは「アメリカ人」刊行時の50年代の時代の雰囲気はどうだったのか?当時はアメリカン・ドリームという幻想が社会に蔓延していた。新しい国アメリカに求められる新しい信念。それは、国旗であり、車であり、道の先にあると信じられていたフロンティアの存在だ。 フランクは、それらに隠れるリアリティーを暴いて見せたと著者は分析している。
このあたりの評価は特に目新しくないだろう。興味深かったのは、それに続くアートとしてのドキュメンタリー写真の考察だ。これは同書の主題でもある。フランク以前のドキュメントは、写真で社会を教育して変革させようというものだった。一方で、アート写真はエドワード・ウエストン、アンセル・アダムスなどの様に上品なものだった。彼のドキュメント風の写真には視点が明確にあり、それを見る側に伝えたいと考えていたのが特徴。それこそが、現代のアート写真で重要視される、写真家と見る側とのコミュニケーションなのだ。
アート写真のオリジナリティーは、写真史のつながりの中から新しいものを作り上げること。フランクはどことつながるのだろうか?著者は上記のウォーカー・エバンスの「アメリカン・フォトグラフス」とビル・ブラントの「イングリッシュ・アット・ホーム」からの強い影響を受けていると分析している。アートとしてのドキュメント写真の歴史の流れは、エバンス、ブラント、フランクと受け継がれてきたのがよく分かる。
そして重要なのはフランクの写真に対する姿勢なのだろう。彼は「写真家は社会に無関心であってはならない。意見は時に批判的なものでもあるが、それは対象への愛から生まれている」と語っている。さらに「写真家に必要なのは博愛の気持ちで状況に対すること。そのように撮影されたのがリアリズムだ。しかしそれだけでは不十分で、視点を持つことが重要だ。この二つがあって優れた写真が生まれる」と続けている。
現代でも、写真家の姿勢はギャラリーが作品を評価するときの最重要ポイントになっている。本書は、なんでロバート・フランクが、写真集「アメリカ人」がすごいのかを、新しい視点から知らしめてくれる優れた著作だと思う。

アートとしてのファッション写真の原点 ブロドビッチの写真集「Ballet」

 

アレクセイ・ブロドビッチ(1898-1971)の写真集「Ballet」(1945年、J.J.Augustin刊)がブック・オン・ブック・シリーズの第11弾として発売された。現在、「Ballet」は写真表現を語る上での歴史的な写真集と評価されている。彼は、アレ・ブレ・ボケ・明暗の強調などを多用して動きのある写真を制作した最初の写真家だった。それを実践して写真集にまとめたのが「Ballet」なのだ。Kerry William Purcell氏の本の解説によると、ブロドビッチは、重複、フェードアウト、クロ-ズアップ、場面の急転など、映画のテクニックを写真に取り入れたとのことだ。

ブロドビッチがニューヨークのハーパース・バザー誌では働き始めたのは1934年。その直後の1935年から1939年にかけてバレエ・リュス・ド・モンテ・カルロなどのロシアバレー団ニューヨーク公演のリハーサル、パフォーマンス、バックステージを撮影している。動きのあるバレーの雰囲気を引き出すために様々な実験を行っている。35mmのコンタックス・カメラを使用し、スローシャッターで自らが動きながら撮影。また暗室でもネガを脱色したり、レンズの周りにセロファンを貼ったり、引き伸ばし機を傾けたり様々な工夫を行ったいるのだ。制作時の有名な逸話も残っている。プリント作業を行った、ハーマン・ランドショフが間違って、ネガを床に落として踏みつけた事件があったという。その時、ブロドビッチは怒ることなく、ネガを踏まれたそのままでプリントしろと指示したという。

時代背景を知らないとブロドビッチが何ですごいのか、わからないだろう。当時は西海岸発のストレート写真が大きな勢力だった。グループf64が設立されたのが1932年。創設メンバーは、アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモージン・カニンガムらが名を連ねる。細部まで鮮明に焦点があったモノクロ写真で対象のリアルさを追求し、絵画の代替物から、写真独自のアート性を追求していた。まさにブロドビッチとは対極の写真の価値観が主流だったのだ。
1920年代~1940年代の米国写真界は過渡期で、様々な写真の価値観が混在していた。シカゴには、ラスロー・モホイ=ナジの「ニュー・バウハウス」、ニューヨークには、ベレニス・アボット、シド・グロスマンらの、「ザ・フォト・リーグ」があった。当時の写真のもう一つの流れがグラフ・ジャーナリズム。フォーチュン誌が1930年、ライフ誌が1936年に創刊された。当時はまだ写真は真実を伝えるメディアと考えられていたのだ。

「Ballet」刊行後でも、ブロドビッチはアートディレクターとしては知られていたが、写真家、アーティストとしてはあまり認識されていなかった。いまでこそ戦後のすべての写真家は何らかの形で彼の影響を受けている、と称賛されているが、彼のキャリア後半はむしろかなり悲惨だった。2度の自宅火災で、「Ballet」のネガや写真集の在庫を失うという悲劇に合う。奥さんがなくなってからは、うつ状態とアルコール依存で入退院を繰り返していた。入院していた病院での写真撮影や自伝執筆にも挑戦するがうまくいかなかった。最後は親戚のいるフランスに戻って1971年に73歳で亡くなっている。

死後、1972年にフィラデルフィア美術大学で展覧会、1982年には、フランスのGrand-Palais,Parisで、回顧会が開催されている。しかし、当時でさえ彼の業績は写真史のなかでは決して高く評価されてはいなかった。実は、独自の歴史展開をしていた写真が、アートと本格的に認められるのは米国でも60年代になってからだ。その後に、記録性というよりも自己表現の手段としての可能性が認識され、ドキュメント、ファッション写真がアートの一形態と再評価されるのはもっと後になってからだ。ブロドビッチの評価はこの流れとともに徐々に高まっていった。
1985年に、ワシントンD.C.のココーラン美術ギャラリーでジェーン・リビングストンが「The New York School 1936-1963」という展覧会を企画。1992年には同名の写真集が出版された。彼女は、それまでの写真ルールを破り、フォトジャーナリストの手法で、小型カメラを駆使して、自然光で撮影するスタイルの写真家たちを包括的にセレクションした。彼らは、画家やグラフイック・デザインの背景を持つ人たちが多かったのが特徴だった。 当時流行していた抽象画家の影響を受けて撮影されたパーソナルワークをひとまとめに「The New York School」の写真家としたのだ。収録されているのは、ブロドビッチを始め、リチャード・アヴェドン、ダイアン・アーバス、ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、ブルース・ダビットソン、テッド・コナー、ヘレン・レビット、リゼット・モデルなどの錚々たる16人。その本には、ブロドビッチの「Ballet」の一部が複写され掲載されている。彼女の著作で、ブロドビッチの業績が歴史のなかで明確にポジショニングされ、写真集「Ballet」はニューヨーク・スクール写真家の原点として評価されるようになる。

私はこの本が戦後のファッション写真の可能性を広げたのではないかと考えている。戦前のファッション写真はスタジオでモデルが着た洋服を撮影するのが一般的だった。 つまり、それらは単なる記録や情報の一方的な伝達に過ぎず、見る側とのコミュニケーションは希薄だったのだ。それが、ファッションの背景にある時代の気分や雰囲気を表現して伝えるメディアにまでなったのはブロドビッチの存在が大きく影響している。
本書のオリジナル版の発行部数はわずか500部。多くが贈呈され書店にはほとんど流通しなかったと言われている。本書の掲載エッセーによると、写真家シド・グロスマンが2回目の火災後にブロドビッチを訪ねた時、彼の手元に「Ballet」はわずか3冊しかなかったとのことだ。たぶん多くが火災で焼失したのだろう。
私は、いつかはオリジナル版を買おうと古書相場をすっとフォローしている。しかし、相場は不況でもまったく下がらない。現在の、古書市場では5000ドル(約45万円)以上の値が付いている。ファッション写真に興味のある人は、ブック・オン・ブックの「Ballet」をぜひ手にとって見てほしい。

Art Photo Site では以下で紹介しています。
http://www.artphoto-site.com/b_652.html

2010年に売れた写真集 ロバート・フランクが3年連続1位獲得

 

アート・フォト・サイトはネットでの写真集売り上げをベースに写真集人気ランキングを毎年発表している。2010年の速報値が出たので概要を紹介しておきます。

一番売れたのは、ロバート・フランクの歴史的名著「アメリカ人」の刊行50周年記念エディション。なんと3年連続の1位獲得となった。フランク人気は根強い。その他の新刊本2冊もベスト20に入っていた。
アート・フォト・サイトでは、毎週、洋書写真集の新刊を幅広くチェックするとともに、お薦めの1冊を紹介している。昨年を振り返っての印象は、特に際立った注目本やベストセラーがなかったことだ。ランキングもそのような状況が見事に反映されていた。
上位は全て既刊本で、2010年刊行ではアーヴィング・ペンの「ポートレーツ」がやっと9位だった。全体の売り上げは前年比約20%減だった。しかし、為替レートが約15%円高になっているので減少幅は見かけほど大きくはなかったと言えるだろう。冊数ベースでは約12%減。全体的には、景気回復の遅れと、ベストセラー不在が相まり、リーマンショック後の市場規模縮小傾向に歯止めがかかっていないという感じか。

気になるのはランキング入りしている写真家の顔ぶれがとても保守的なこと。ロバート・フランク、スティーブン・ショアー、ウィリアム・エグルストンなど、ブランド作家の本や定番本が中心に売れているのだ。この背景にはやはり不況があると感じる。写真集はリスクの大きいビジネスだ。評価の定まっていない新人・中堅作家の出版には版元も慎重になるだろう。買う側もデフレ化の限られた予算の中での選択となる。ハズレのリスクを避けたいと考えるのが自然だ。
しかし、わたしはこの状況を決して悲観的には見ていない。アート系の写真集は心は豊かにしてくれるが、お腹は満たしてくれない。不要不急の代表的な商品である。それなのに、不況が続く中でもそこそこの売り上げがあるのは、衣食住の次の生活上の優先順位に知的好奇心や優れたヴィジュアルを追求する人が増えてきた証拠だと思う。売り上げ減の大きな要因は、不況は無視できないものの、買いたい写真集があまりなかったからだと、あえてポジティブに解釈したい。

ランキングの中には希望の光を感じる点もある。アート写真の解説本がランキングのベスト10入りしているのだ。なんと、「The Contact Sheet」が2位、「Photography After Frank」が6位なのだ。これは写真の表層だけを見るのではなく、作家の世界観、視点、歴史的背景を知りたいという人が増えている証拠。写真がやっとアートとして認められてきたのだと思う。名作や定番本が売れ、写真の見方の解説本が売れている。なにか、多くの人がアートとしての写真を学んでいる大きな流れのようなものを感じる。アート写真黎明期の日本では健全な傾向だと思う。
実はギャラリーの店頭でも、自分の知識、経験で写真を判断している人が増加している印象を持っている。いままでは、写真集は売れるものの、写真が売れないという状況が続いてきた。ここにきてやっと状況に変化の兆しが出てきたのだ。写真集コレクションをきっかけに、オリジナル・プリントへ興味を持つ人が確実に育っているのだと思う。

2010年ランキング速報
1.「The Americans」, Robert Frank
2.「The Contact Sheet」
3.「Uncommon Places: The Complete Works」, Stephen Shore
4.「Tim Walker Pictures」, Tim Walker
5.「William Eggleston’s Guide」, William Eggleston
6.「Photography After Frank」, Phillip Gefter
7.「400 Photographs」, Ansel Adams
8.「Topologies」, Edgar Matins
9.「Portraits」, Irving Penn
10.「New Topographics」

詳しい全体順位と解説は、近日中にアート・フォト・サイトで公開します。

高級車の残骸からのメッセージ ラファエル・ワルドナー写真集”Car Crash Studies”

 

スイス出身の写真家ラファエル・ワルドナー(1972-)は2005年にスイスのエリゼ美術館が開催した”ReGeneration’ 50 photographers of tomorrow”に選ばれた若手の一人だ。これは、世界中のアート写真系大学が推薦した写真家50人によるイベント。同展のカタログは、”写真のドキュメント性とアート性に魅了され、日常生活に横たわる多義性の表現に挑戦している。ワルドナーは日常的な場所やモノが本来の機能をはたさない状況を観察する写真家だ。”と彼の作品を解説している。
本書”Car Crash Studies 2001-2010″(Jrp/Ringier、2010年刊)、は上記本にも収録されていた Car Crash Studies シリーズがついに1冊にまとめられたもの。彼は過去10年に渡り、カー・クラッシュつまり自動車事故の探求を体系的に行ってきた。クルマという工業製品が一瞬のうちに想像できないように変形してしまうことに注目。 いままでに約300もの事故車を写し続けてきた。背景を黒くするために撮影はすべて夜間に行われている。
抽象的で絵画的でもあるクルマ・ボディーのダメージのクローズアップ、衝突のインパクトの大きかった部分の詳細、ひびの入ったウィンドシールド、エアバックが作動しているインテリア、車体から飛び出したエンジン部分などをセクションごとにまとめている。それらは残骸のタイポロジー(類型学)でもあるだろう。

ワルドナーが撮影しているのは、ポルシェ、ランボルギーニ、アストンマーチン、フェラーリ、BMW,メルセデスなどの高級スポーツ・カーやラグジュアリー・カーだけ。巻末には車の検索リストまでが収録されている。カー・クラッシュで富の象徴の高級なステータス・シンボルが一瞬にして無価値になる。無残な一種の静物は、資本主義の高度消費社会で人間が取りつかれている、テクノロジー、移動、富、見栄、セクシーアピール、などのはかなさに気付かせてくれる。

また本作は、未来に何が起こるか分からない人生の不条理さも伝えてくれる。欧州では交通事故で毎年約5万人が死亡し、10万人が怪我をするという。欧州では自動車産業は重要な基幹産業だ。そして多くの人の生活の一部にすらなっている。人々の意識は低いものの、実は自動車により得られる利便性は常に怪我や死と隣り合わせなのだ。彼の写真は徹底的に客観的。事故の被害者などは一切写っていない。エアバックが作動している事故車のインテリアや、ひびが入ったウィンドシールドに血の跡も見当たらない。ドライバーが事故でどのような怪我を負ったかの記載もない。しかし、見る側の心はどうしても死を感じてしまう。

最近、死を意識させるもう1冊の写真集を入手した。ロニ・ホーン(1955-)という米国人アーティストの”Another Water”(Scalo、2000年刊)だ。全編にわたってテムズ河の川面の写真約47点が収録されている。脚注には細かい文字によるショート・ストーリや詩が収録。様々な表情を見せる川の見開き写真を約10ページくらいめくるごとに、警察から発表されたテムズ河で上がった死体の所見レポートのテキストに遭遇する。自殺した人、殺された人などの、名前、年齢、性別、眼の色、職業、髪型、服装、所有物、死体発見場所、事前の行動、死にいたる前の生活環境などがシンプルな文章で詳細に記載されている。死体レポートからの情報が与えられると川の印象が大きく変わり、メランコリックで複雑な気持ちになってしまう。
たまに病院に行くと、健康のありがたさを実感するだろう。誰もが普通に生活している都市にも普通に死が存在することを改めて気付かせてくれる。 マスコミなどで報道されない人の死は私たちの周りに数多くあるのだ。本作はロンドンのテムズ河だが、たぶん東京の多摩川でも隅田川でも同じような状況があるのだろう。

“Car Crash Studies”、”Another Water”ともに、ラテン語で「自分が死ぬことを忘れるな」という意味のメメント・モリがテーマになっている優れた作品なのだ。これらの作品をどのように解釈するかは見る側の意識によるだろう。どうせ人は死ぬのだからと、諦めや、開き直りの気持ちになる人もいるかもしれない。 しかし社会でサバイバルしなければならない現在の状況ではそれは空虚な響きしか持たない。私は、以前に”Imperfect Vision”展でテーマとして取り上げたように、ネガティブをポジティブに置きかえる考え方を取ってほしいと願う。人生が有限であるからこそ今という時間を精一杯生きるとうことだ。