ブラッサイ

BRASSAI(Halasz, Gyula 1898-1991)

ブラッサイは1899年フランス文学教授の子供としてハンガリー(現在のルーマニア) トランシルバニア地方ブラショブに生まれました。 本名はジュラ・ハラースですが1925年頃からブラッサイ(ブラショブから来た男)と名乗っています。 ブタペストの芸術アカデミーやベルリンで絵画や彫刻を学び、 1923年フランスに移住し1948年に帰化しました。
1930年頃までピカソ、ダリ、ブラックらともに 画家、彫刻家、ジャーナリストとして活躍。 ドイツの雑誌に書いた記事の挿し絵として経費削減の為に写真撮影を開始します。カメラは知り合いのアンドレ・ケルテスから借り、撮影のアドバイスも受けたそうです。 最初は写真自体に興味を全く持っていませんでしたが、彼が強く惹かれた夜のパリを解釈し表現するために写真表現を使うことを決意します。
彼は夜の街に漂うムードと開放感に魅了され、主に夜間に大型のビューカメラ、三脚、マグネシウム・フラッシュを利用して撮影しました。1932年には後世の写真家に多大な影響を与える64枚のイメージを収録した名著“夜のパリ”を出版します。
それ以後1940年までフリーの写真家としてパリの妖しいアンダーグラウンド ・シーンを“パリの秘密”シリーズとして危険を犯しながら撮影し続け、シュールリアリズム雑誌の “ミノトール”や各種グラフ誌などに発表しています。しかし衝撃的なパリのアンダーグランド世界を題材を扱っていることからその全貌が明らかになるのは1976年になってからです。 仕事では長らくファッション雑誌ハーパース・バザーの撮影を行なっていたことでも知られています。

ブラッサイのイメージはモデルたちとのと距離感を感じさせないことが特徴です。 実は撮影は秘密裏に行われたドキュメントではありません。最初に彼の撮りたいイメージがあり、 撮影前にモデルらとの雰囲気作りを行ない、多くの要素が計算された上で創られたイメージなのです。まさに現代のファッション写真に通じる方法がとられていたのです。モデルが大型カメラの存在に気付いているのに自然な感じがするのはそのためです。

戦後は作品を雑誌に発表するほか、舞台や映画にも取り組んでいます。 晩年は著作に専念し、“ピカソとの対話”、“実物大のヘンリーミラー”などを著しています。 1978年にフランス写真大賞受賞、1984年に近代化し変りゆくパリ市街を嘆きながらニースで亡くなりました。


Brassaï


The Secret Paris of the '30s


The Monograph


Paris By Night


The Eye of Paris