2023-1-21

  

ヘルムート・ニュートン

NEWTON, Helmut (1920-2004)

ヘルムート・ニュートンは1920年ドイツのベルリンの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。 12歳で既に自分自身でカメラを買い写真を撮り始めます。彼はマーティン・ムンカッチのルポルタージュに魅了され、自身も写真家を志すようになります。1936年からベルリンのファッションおよび演劇専門の女性写真家エルセ・サイモン(通称イヴァ)の見習いになり写真を学び始めます。
しかし、その後はナチの迫害を逃れてシンガポールに渡ります。1940年にオーストラリアに移り市民権を獲得、メルボルンで写真スタジオを開きます。この頃にジューン夫人(アリス・スプリング)と知り合い1948年に結婚しています。

1952年にヴォーグ・オーストラリア版で仕事を始めます。1957~1958年にはヴォーグ・イギリス版と契約して、一時ロンドンに住んでいます。1962年にパリに移り住みヴォーグ・フランス版の仕事がきっかけで実力が認められるようになります。初期のニュートンの写真は映画やドラマをヒントにしたものが多く見られます。しかし70年代以降に開花するヨーロッパ上流階級の退廃的な雰囲気と潜在的な暴力、エロティシズムを感じさせるスタイルのベースをこの時代の写真に発見することができます。60年~70年代にかけて各国のヴォーグ誌、マリークレール、エル、シュテルン、プレイボーイで大活躍します。

彼のスタイルは1971年に心臓発作を起こして大きな転機を迎えます。それ以降ニュートンは自分の体のことを考え自分の望むイメージしか撮らなくなります。雑誌やクライエントの為に心臓に負担のかかるプレッシャーの中でアイデアを絞りだすことをやめたのです。彼は戦前のベルリン時代からの自分自身の体験をベースにしたイメージのみを撮影することになります。
彼の写真スタイルはより激しいセクシーさやエロティシズムを追求するように変貌していきました。今までファッション写真ではタブーであった 売春婦、フェティシュ、女性の男装などをモチーフに取り入れるようになるのです。時代の流れを先取りしたイメージは最初ポルノだとの物議をかもしました。しかしこのスタイルの変化が彼のオリジナリティーを確かなものにし、特に写真集 "White Women"を1976年に出版後は彼は写真家どころかアーティストの地位を不動のものとしていきます。

1975年からオリジナル・プリントの展示、販売を初め、彼の作品は世界中のギャラリー、美術館で 展示されるとともにコレクションされています。1981年よりモナコに在住、80歳を過ぎても現役で広告、ヴォーグ誌、ヴァニティー・フェアー誌で作品を発表していました。 日本ではヘアヌードがブームの90年代前半に石田えりの写真集を撮り下ろして話題になりました。また2002年には世界巡回写真展"Helmut Newton Work"が大丸ミュージアムで開催さています。

2003年には自叙伝"Helmut Newton Autobiography"Random House刊、を発表し更なる活躍が期待されていましたが、 2004年1月23日、ハリウッドのChateau Marmont Hotel を出るとき、自らが運転するキャデラックが 壁に激突して事故死しました。83歳でした。