2023-1-21

  

マン・レイ

MAN RAY (1890-1976)

マン・レイの本名はエマニュエル・ロドニツキー、ユダヤ系ロシア人の子として1890年米国フィラデルフィアに生まれています。7歳の時にニューヨークに転居し、スティーグリッツの"291"ギャラリーなどで数々の重要なアート運動の影響を受けます。ハイスクールでドローイングを学び、最初は商業アーティストの仕事を行ないながら絵画制作を行います。 1915年にはマルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアらとニューヨーク・ダダを創始します。ピカビアにすすめられ写真に興味を持ちます。1921年ダダイストに励まされてパリに渡ったマン・レイはデュシャンにより当時の文化の革新者であったピカソ、サティー、ブルトン、コクトーらに紹介されます。彼自身もダダイズムの一員として活躍し、その後シュールリアリズムの主要なアーティストとなります。

彼は長いキャリアの中、絵画、版画、デッサン、映画、彫刻、コラージュなど広いメディアを駆使し作品を制作しました。その特徴は、表現方法に特に深い必要性があるというより、一つの着想がいくつもの方法で表現されたことです。写真が出発点となりデッサンや絵画に展開していくことが度々ありました。表現方法の中でも写真作品が最も独創的です。写真に対しても光と手でイメージを作るという画家的なアプローチでした。また写真技法に伝統的な芸術に対するダダ的なものを感じとっていました。 そして彼は暗室での試行錯誤から写真表現のダダ版ともいえる新しい可能性を切り開きました。印画紙の直接オブジェを置いて光を当てるレイヨグラフや、写真の白黒を作為的に反転させるソラリゼーションなどの写真技術の開発です。

彼はアメリカ人的な現実感覚を持っており、アート写真と商業写真を分けて考えていました。生活を支えるために商業写真を手掛けたことでも知られています。ポール・ポワレとの出会いがきっかけで撮り始めたファッション写真はヴォーグ誌やハーパース・バザー誌などに発表されました。 そのシュールリアリズム的なイメージは仕事と割り切って制作されたものの現在ではそのアート性が評価されています。
彼の主要な活動は1940年にナチの侵攻で帰国するまでパリで行われました。1940年から1951年まではハリウッドに在住、その後再びパリに戻り、亡くなるまで活動を続けました。

マン・レイの作品はアート写真市場でも人気が高く、1920年から1930年代の作品は非常に高額で取引されています。2022年5月にはクリスティーズ・ニューヨークで開催されたオークションで名作”Le Violon d’Ingres, 1924″の、極めて貴重なヴィンテージ作品が、写真作品のオークション最高落札額となる12,412,500ドル(@128/約15億8880万円)で落札されました。