リチャード・アヴェドンは何ですごいのか?パリの財団主催オークションで高値続出!

 

11月20日にクリスティーズ・パリで開催された、リチャード・アヴェドン財団のオークションは大成功に終わった。財団から出品された、最高の来歴の作品65点は見事に完売。1点物や非常に貴重な作品は熾烈な入札競争になり高値を呼んだ。売り上げ総額は、約546万ユーロ(約6億2800万円)と予想落札価格の上限を超えた。

オークションの最高価格は、アヴェドンのファッション写真の代表作”Dovima with elephants,1955″。1978年にメトロポリタン美術館で開催された個展で展示された作品だ。サイズは約216X166cmと同イメージでは最大級の大きさになる。予想落札価格上限の60万ユーロを大きく超えて、約84万ユーロ(約9600万円)で落札。 落札者は、なんとメゾン・クリスチャン・ディオール。作品のイーブニング・ドレスがイブ・サンローランのデザインによるディオール製であることから、価格に関係なく入手したかったのだろう。もちろんこれはアヴェドン作品のオークションの最高落札価格となる。欧州で落札された最高価格の写真作品だそうだ。ドル換算価格だとアヴェドン初の100万ドル超えの作品となった。

アヴェドンはファッションをどのように考えていたのか。オークション・カタログ収録の語録によると、”世界とファッションは分けられない。ファッションは私たちの生き方そのものだ。T.Sエリオットは、人の顔に会うために私たちは顔を作ると語っているが、それがまさにファッションだ。私が撮影している服や帽子の下に隠れている女性の真の精神性を和らげるために、デザイナーは布の感触、シェープ、パターンを貸し与えてくれるのだ。”と語っている。
アヴェドンのファッション写真が何で偉大なのか、アート作品として評価されるのか。それは、彼は洋服を撮影しているのではなく、女性の精神性と、それに影響を与えている時代性とをファッション写真で表現しようとしていたからなのだ。

カタログに序文として掲載されている、「ストレンジャー」という文章もアヴェドンのポートレートへの取り組み方が垣間見れて興味深い。モデルは、彼自身が関心を持って選んだ人だけだった。選ばれた人たちの共通項は、人間の精神力の限界を超えかかっている人たちだったという。面白いのは彼自身が有名写真家だと意識していたこと。モデルとなった有名人たちは、選ばれて招待されてスタジオに来たという感覚を持っていたというのだ。スタジオに入る時点で彼らは有名写真家に新たな自分を引き出してもらうという心構えを持っていた。撮影がモデルと写真家による共同作業であるという高い意識が両者に共有されていることが良く分かる。アヴェドンのポートレート写真は最初から特別だったのだ。撮影セッションのことをアヴェドンは全く覚えていないという。それが写真家とモデルとの濃密な真剣勝負のだったことがよくあらわれている。そして、撮影が終了すると再び「ストレンジャー」つまり他人に戻っていくという。

1957年に物憂げで孤独な表情のマリリン・モンローを撮影した有名なポートレートがある。今回のオークションの表紙にもなっている。有名なスターがこのような表情を撮らせるのは当時としては非常に珍しい。アヴェドンによると、マリリン・モンローというイコンは彼女が作りあげた創作物だという。それは小説家が登場人物を創作するのと同じだという。彼は創作物ではない素の彼女を撮りたいと考えたようだ。 スタジオでテンションを上げてマリリン・モンローを演じ続けた後に、彼女は隅に座り素顔に戻った。ファインダー越しに彼女はノーと言っていなかったことがわかったからその表情を撮影したという。名作にはよくできたストーリーがあるものだ。1960年にプリントされた本作品は落札予想価格上限を大きく上回る約16万ユーロ(約1943万円)で落札されている。

アヴェドンといえば白バック。それは彼の持つ人生哲学と関わっている。人生は実存主義的な感覚のものだと感じている、と彼は語っている。それは、いまここに生きている自分自身の存在を意味する「実存」に根差した思想のことだろう。
アヴェドンは、人は無の中に生きていて、過去にも未来にも存在していない。白バックは人生の無の象徴で、そこでは被写体の表情に本人の本質が象徴的に表れる、という。彼は白バックで被写体の人生を象徴的に表現しようとしていたのだ。
今回のオークションでも白バックのポートレートは高い人気だった。写真集”In the American West”に収録されている、”James Story, coal miner, Somerset, Colorado, 12-18-79″の、142X114cmという大判作品が落札予想価格上限を大きく上回る約12万ユーロ(約1391万円)で落札されている。

その他の高額落札作品も紹介しておこう。2番目の高値は”The Beatles Portofolio, London, England, 8-11-67″。カラーのダイトランスファー作品で、落札予想価格上限を大きく上回る約44万ユーロ(約5117万円)で落札されている。3番目は、アンディー・ウォーホールとファクトリーのグループを撮影した3枚組の大判作品。1点ものということで落札予想価格上限の2倍以上の約30万ユーロ(約3461万円)で落札されている。

最後にアヴェドンのアート観を以下に引用しておく。”アート作品が心を動揺させるべきでないという意見に私は違和感を覚える。私はそれこそがアートの特性だと考える。それは人を困惑させ、考えさせ、心を動かすものだ。もし私の作品が人の心を動かさなければ、それは私的には失敗だ。アートはポジティブな意味で人の心を動揺させなければならない”と語っている。
ここの解釈には注意が必要だ。これは、彼の先生のアレキセイ・ブロドビッチが語っていた、”私を驚かせる写真を見せろ”と同じ意味だと思う。しかしそれは、決して奇をてらうことではないのだ。アヴェドンは、”ポジティブな意味で”と語っているが、意図するのは”より洗練された方法で”、ということなのだ。ブロドビッチの影響を感じさせる、非常に高レベルのアート観だと思う。

今回のクリスティーズ・パリのオークションはアヴェドンの偉大さを改めて多くの人に再認識させたと評価できるだろう。全作完売と、高い売り上げ数字がそれを証明している。彼の世界観や、写真へのアプローチを伝えてくれるカタログの編集も見事だったと思う。
アヴェドン財団はアヴェドンの存命時に設立されている。彼は財団に自身の作品を所有して、運営の為に売却益を使うように遺言を残しているとのことだ。それに従い今回の全収益は財団の行う写真教育の慈善事業支援の寄付に使われるとのことだ。天国のアヴェドンも心から喜んでいることだろう。

高級車の残骸からのメッセージ ラファエル・ワルドナー写真集”Car Crash Studies”

 

スイス出身の写真家ラファエル・ワルドナー(1972-)は2005年にスイスのエリゼ美術館が開催した”ReGeneration’ 50 photographers of tomorrow”に選ばれた若手の一人だ。これは、世界中のアート写真系大学が推薦した写真家50人によるイベント。同展のカタログは、”写真のドキュメント性とアート性に魅了され、日常生活に横たわる多義性の表現に挑戦している。ワルドナーは日常的な場所やモノが本来の機能をはたさない状況を観察する写真家だ。”と彼の作品を解説している。
本書”Car Crash Studies 2001-2010″(Jrp/Ringier、2010年刊)、は上記本にも収録されていた Car Crash Studies シリーズがついに1冊にまとめられたもの。彼は過去10年に渡り、カー・クラッシュつまり自動車事故の探求を体系的に行ってきた。クルマという工業製品が一瞬のうちに想像できないように変形してしまうことに注目。 いままでに約300もの事故車を写し続けてきた。背景を黒くするために撮影はすべて夜間に行われている。
抽象的で絵画的でもあるクルマ・ボディーのダメージのクローズアップ、衝突のインパクトの大きかった部分の詳細、ひびの入ったウィンドシールド、エアバックが作動しているインテリア、車体から飛び出したエンジン部分などをセクションごとにまとめている。それらは残骸のタイポロジー(類型学)でもあるだろう。

ワルドナーが撮影しているのは、ポルシェ、ランボルギーニ、アストンマーチン、フェラーリ、BMW,メルセデスなどの高級スポーツ・カーやラグジュアリー・カーだけ。巻末には車の検索リストまでが収録されている。カー・クラッシュで富の象徴の高級なステータス・シンボルが一瞬にして無価値になる。無残な一種の静物は、資本主義の高度消費社会で人間が取りつかれている、テクノロジー、移動、富、見栄、セクシーアピール、などのはかなさに気付かせてくれる。

また本作は、未来に何が起こるか分からない人生の不条理さも伝えてくれる。欧州では交通事故で毎年約5万人が死亡し、10万人が怪我をするという。欧州では自動車産業は重要な基幹産業だ。そして多くの人の生活の一部にすらなっている。人々の意識は低いものの、実は自動車により得られる利便性は常に怪我や死と隣り合わせなのだ。彼の写真は徹底的に客観的。事故の被害者などは一切写っていない。エアバックが作動している事故車のインテリアや、ひびが入ったウィンドシールドに血の跡も見当たらない。ドライバーが事故でどのような怪我を負ったかの記載もない。しかし、見る側の心はどうしても死を感じてしまう。

最近、死を意識させるもう1冊の写真集を入手した。ロニ・ホーン(1955-)という米国人アーティストの”Another Water”(Scalo、2000年刊)だ。全編にわたってテムズ河の川面の写真約47点が収録されている。脚注には細かい文字によるショート・ストーリや詩が収録。様々な表情を見せる川の見開き写真を約10ページくらいめくるごとに、警察から発表されたテムズ河で上がった死体の所見レポートのテキストに遭遇する。自殺した人、殺された人などの、名前、年齢、性別、眼の色、職業、髪型、服装、所有物、死体発見場所、事前の行動、死にいたる前の生活環境などがシンプルな文章で詳細に記載されている。死体レポートからの情報が与えられると川の印象が大きく変わり、メランコリックで複雑な気持ちになってしまう。
たまに病院に行くと、健康のありがたさを実感するだろう。誰もが普通に生活している都市にも普通に死が存在することを改めて気付かせてくれる。 マスコミなどで報道されない人の死は私たちの周りに数多くあるのだ。本作はロンドンのテムズ河だが、たぶん東京の多摩川でも隅田川でも同じような状況があるのだろう。

“Car Crash Studies”、”Another Water”ともに、ラテン語で「自分が死ぬことを忘れるな」という意味のメメント・モリがテーマになっている優れた作品なのだ。これらの作品をどのように解釈するかは見る側の意識によるだろう。どうせ人は死ぬのだからと、諦めや、開き直りの気持ちになる人もいるかもしれない。 しかし社会でサバイバルしなければならない現在の状況ではそれは空虚な響きしか持たない。私は、以前に”Imperfect Vision”展でテーマとして取り上げたように、ネガティブをポジティブに置きかえる考え方を取ってほしいと願う。人生が有限であるからこそ今という時間を精一杯生きるとうことだ。

アート・コレクションという趣味 現代日本写真は宝の山か?

最近、マスコミでアート・コレクションや市民コレクターを話題にした記事をよく見る。
米国のコレクター夫婦をテーマにしたドキュメンタリー映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”は大きな話題になっている。日本経済新聞の”アートを支える人々”という特集記事では、未評価の現代作家をコレクションして公開したり、美術館に寄贈する個人コレクターの例が紹介されている。

前回も触れたが、最近はギャラリー店頭でもアート・コレクションに興味を持つ人が増えている印象だ。写真を買ってみたいと来廊者の方から声をかけてくれることも珍しくなくなった。古美術は買ったことがある、時計は集めているなど写真趣味以外の人も興味を示している。映画のハーブ&ドロシーを試写会で見て、壁をアートで埋め尽くす生活に魅了された、というようなコレクターもいる。
長い間写真コレクションの楽しみをギャラリー側から話しかけ続けていたので、最近の変化はとても感慨深い。

比較的低予算でもアートが買えることが知られてきて、コレクションにリアリティーを持つ人が増加したのだと思う。映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”の宣伝コピー、”お金がなくても、情熱があれば夢はかなう!”はその象徴。サラリーマン・コレクターというような呼び名も同様の印象を与えている。

しかしこれは単純に低価格作品を買い集めることではない。厳密にいうと、アートの分野を絞り込むことで、低予算でも優れたコレクション構築が可能という意味だ。
私たちはコレクターと言うと富裕層を思い浮かべるが、彼らは既に成熟した市場で作品を買っている人たち。歴史がある成熟分野の市場では、ブランドが確立したセカンダリー市場の作家はもちろん、プライマリー市場の作品でさえ価格が比較的高いのだ。この分野でのコレクション継続にはある程度の資金が必要となる。
しかし実際のアート市場は非常に広いカテゴリーのマーケットの集合体であり、それぞれが別個な要因で動いている。発展途上や過小評価された分野も数多く存在するのだ。それらの一部は全体の相場が低いので一般の人でも十分に低予算でコレクションの醍醐味を満喫できるのだ。
ハーブ&ドロシーのコレクションもはまだ市場性がなかった60年代の米国現代アート市場だから可能だった。サラリーマン・コレクターとして注目される人たちもブーム到来以前の日本の現代アート市場でコレクションを始めている。実はアート写真市場もかつては過小評価されていた分野だった。市場黎明期の80年代からヴィンテージ作品を買っていた人たちのコレクションはいまや高い資産価値を持つようになっている。
それでは、アート市場のフロンティアはすでに消滅したかというとそうではない。市場が成熟した米国、西欧以外の国々の市場はまだ成長の可能性が高いと思う。景気の良い時は欧米のディーラー、コレクターがそれらの市場を物色した。不況の今、やはりそれぞれの国のディーラー、コレクターがその役割を果たしていくべきだろう。またある程度の経済力を持った国であることも市場拡大の必要条件だろう。その意味で、多少セールス・トークになってしまうが、日本の現代写真、ファッション系写真は市場自体が未発達で狙い目だと思う。
上記のような新しいコレクター予備軍が出てきたことで、市場が本格的に立ち上がっていく可能性は十分にあると思う。もしかしたら現在の市場の中には将来の有望作家や過小評価の作家が数多くいるかもしれないのだ。
10年後に、彼らが宝になり輝くか石ころで終わるかは、作家、コレクター、ギャラリー、ディーラー、評論家、美術館キュレーターらの関係者の情熱にかかっている。一般の人たちのアート写真・コレクションへの関心をミニブームで終わらせることなく、 大きな動きにつなげていきたい。

アート写真コレクションのすすめ 最初の1枚を買ってもらうには

 

現在の日本では、アートは買うものではなく見て楽しむものだ。高度消費社会が到来して以来、アート鑑賞は一種のシーン消費となり、美術館やギャラリーに行く行為自体に意味を見出されるようになる。最近では、さらに進化して旅による移動と鑑賞が一体化してきた。日本人は元来旅行を好むメンタリティーを持っている。瀬戸内海の直島や金沢21世紀美術館が成功している背景には、旅行とアート鑑賞という目的がセットになっているからに他ならない。最近は”観光アート”というような新書も出ているくらいだ。これが日本でアートを販売する商業ギャラリーが少ない理由のひとつだろう。私どもの写真分野では、カメラで撮影して楽しむことが一般的だ。デジタル化でその流れがさらに強まっている。ギャラリーは厳しい状況をどうにかして変えたいと常に悪戦苦闘しているのだ。

アート写真コレクションの喜びを知ってもらうには何でもよいまず1枚を買ってもらうことだ。そのためには価格が安いことが非常に重要となる。
はじめての人は相場観が全くない。たとえばいきなり5万円を超える作品を買うことは 心理的な敷居がかなり高いのだ。私の経験則ではフレーム込みで3万円以内が初めての人には理想だと思う。
低価格帯作品は、作家の儲けが少ないのでなかなか商品化が難しい。しかし、リーマンショック、ギリシャ危機を経て、景気回復の遅れが強く意識されるいま、低価格作品が次第に登場するようになってきた。それらの多くは写真展期間中の限定販売でオープンエディションだ。興味深いのは、ギャラリーが作家に頼み込むのではなく、両者のあいだで自然と手軽な商品の必要性が意識されてきたことだ。それも新人写真家ではなく、トミオ・セイケ、ハービー・山口、ナオキなど知名度のある作家が積極的に手掛けてくれるようになった。かれらは長年日本市場においてのマーケティングを行っており、ギャラリー同様にアート写真市場の底辺拡大の必要性を感じているからだろう。

面白いことに、アート作品の販売経験が浅い写真家や、新興ギャラリーほど、安い作品を作るのに批判的だ。しかし、最近になり高価格志向が強い商業写真家のなかにも意識の変化が見られてきた。作品を低価格帯から中長期的に売っていきたいと考える人たちが登場してきたのだ。彼らは、自らの開催するワークショップなどを通して一般の人の真のニーズに気付いた人たちだ。最初は、真のファインアートとしてではなく、写真撮影を趣味とする人を念頭に置いて作品を紹介していきたいと考えているようだ。日本市場の特徴は、ハイアートとポップ・カルチャーが混在していること。確信犯でこの分野を攻めるのは決して的違いではないと思う。
そのような考えを持った、商業写真分野で活躍する人たちが来年3月にグループ展を行う予定だ。私どももできるだけ協力していきたいと思う。詳細が決まったらお知らせします。

さて低価格帯作品の売り上げは順調に推移している。知名度があり、作家のブランドが確立している人が高品質で低価格の作品を提供すれば不況でも売れるのだ。ハービー・山口の8X10″フレーム委り銀塩写真の限定ミニ・プリントは非常によく売れた。多くが初めて写真を買った人だった。 彼のプリントの最低価格は11×14″で6万3000円。多くの人が6万の写真は無理だがフレーム込みで3万以下のミニプリントなら買える、と話してくれた。
また低価格の作品から積極的にコレクションを始める人も見られるようになってきた。 インスタイル・フォトグラフィー・センターで行った”Imperfect Vision”展では、知名度がない新人作家の作品が予想以上に売れた。 低価格なら、たとえ経験がなくても自分の感覚を重視して思い切って作品を選ぶことが可能なのだ。またコレクションを意識している熱心な来場者も多かった。複数作家のグループ展なら自分好みの作品と出会える可能性が高いと考えてくれたからだと思う。低価格帯作品は写真家もギャラリーにも儲けはほとんどない。
しかし、それが新しいコレクター層を増やすのなら大いに挑戦する価値があると思う。

実は12月にもう一つ新規コレクターを呼び込むイベントを考えている。今度は約5~7つの写真ギャラリーがインスタイル・フォトグラフィー・センターに集まって10万円以下の作品のみを販売するイベント、”広尾・アート・フォト・マーケット”を開催する予定だ。専門ギャラリーが集まって新たな市場作りを共同で行う。写真コレクションを考えている人、初心者にも複数ギャラリーの低価格作品を一堂にみれる絶好のチャンスだ。こちらも詳細が決まりましたら案内します。