アート・コレクションという趣味 現代日本写真は宝の山か?

最近、マスコミでアート・コレクションや市民コレクターを話題にした記事をよく見る。
米国のコレクター夫婦をテーマにしたドキュメンタリー映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”は大きな話題になっている。日本経済新聞の”アートを支える人々”という特集記事では、未評価の現代作家をコレクションして公開したり、美術館に寄贈する個人コレクターの例が紹介されている。

前回も触れたが、最近はギャラリー店頭でもアート・コレクションに興味を持つ人が増えている印象だ。写真を買ってみたいと来廊者の方から声をかけてくれることも珍しくなくなった。古美術は買ったことがある、時計は集めているなど写真趣味以外の人も興味を示している。映画のハーブ&ドロシーを試写会で見て、壁をアートで埋め尽くす生活に魅了された、というようなコレクターもいる。
長い間写真コレクションの楽しみをギャラリー側から話しかけ続けていたので、最近の変化はとても感慨深い。

比較的低予算でもアートが買えることが知られてきて、コレクションにリアリティーを持つ人が増加したのだと思う。映画”ハーブ&ドロシー(アートの森の小さな巨人)”の宣伝コピー、”お金がなくても、情熱があれば夢はかなう!”はその象徴。サラリーマン・コレクターというような呼び名も同様の印象を与えている。

しかしこれは単純に低価格作品を買い集めることではない。厳密にいうと、アートの分野を絞り込むことで、低予算でも優れたコレクション構築が可能という意味だ。
私たちはコレクターと言うと富裕層を思い浮かべるが、彼らは既に成熟した市場で作品を買っている人たち。歴史がある成熟分野の市場では、ブランドが確立したセカンダリー市場の作家はもちろん、プライマリー市場の作品でさえ価格が比較的高いのだ。この分野でのコレクション継続にはある程度の資金が必要となる。
しかし実際のアート市場は非常に広いカテゴリーのマーケットの集合体であり、それぞれが別個な要因で動いている。発展途上や過小評価された分野も数多く存在するのだ。それらの一部は全体の相場が低いので一般の人でも十分に低予算でコレクションの醍醐味を満喫できるのだ。
ハーブ&ドロシーのコレクションもはまだ市場性がなかった60年代の米国現代アート市場だから可能だった。サラリーマン・コレクターとして注目される人たちもブーム到来以前の日本の現代アート市場でコレクションを始めている。実はアート写真市場もかつては過小評価されていた分野だった。市場黎明期の80年代からヴィンテージ作品を買っていた人たちのコレクションはいまや高い資産価値を持つようになっている。
それでは、アート市場のフロンティアはすでに消滅したかというとそうではない。市場が成熟した米国、西欧以外の国々の市場はまだ成長の可能性が高いと思う。景気の良い時は欧米のディーラー、コレクターがそれらの市場を物色した。不況の今、やはりそれぞれの国のディーラー、コレクターがその役割を果たしていくべきだろう。またある程度の経済力を持った国であることも市場拡大の必要条件だろう。その意味で、多少セールス・トークになってしまうが、日本の現代写真、ファッション系写真は市場自体が未発達で狙い目だと思う。
上記のような新しいコレクター予備軍が出てきたことで、市場が本格的に立ち上がっていく可能性は十分にあると思う。もしかしたら現在の市場の中には将来の有望作家や過小評価の作家が数多くいるかもしれないのだ。
10年後に、彼らが宝になり輝くか石ころで終わるかは、作家、コレクター、ギャラリー、ディーラー、評論家、美術館キュレーターらの関係者の情熱にかかっている。一般の人たちのアート写真・コレクションへの関心をミニブームで終わらせることなく、 大きな動きにつなげていきたい。