ソウル・フォト2011(Seoul Photo 2011)アジアのアート写真最前線 Part-2

ソウル・フォト2011のレポート第2弾です。

中国や韓国には欧米や日本のように銀塩写真の歴史がない。写真独自に発達してきた市場は存在しないのだ。複雑な政治、社会環境で自由に写真が撮影できる状況ではなかったのだろう。だから、ソウル・フォトの意味合いは欧米のフォト・フェアとは違う。欧米では現代アートや絵画などと、写真は全く別の歴史と伝統がある。その延長上にアート・フェアとフォト・フェアが個別に存在する。韓国では、その境界線はかなりあいまいだ。ソウル・フォトは、ここ10年で表現メディアとして一般化した写真を使用して制作された作品を扱うギャラリーのフェアなのだ。たぶん、彼らには写真専門ギャラリーというは認識はないと思う。

前回に紹介したように、大陸のテイストは繊細な感覚を持つ日本人の好みとはかなり違う。韓国では、少し前までモノクロ写真はドキュメントでアート表現ではないと考えられていたようだ。今回のフェアでもデジタル出力によるモノクロの大判作品の展示はあったが、小振りの銀塩写真を展示する地元ギャラリーはほとんどなかった。しかし、状況には変化の兆しも。それは、今回招待作家だったベー・ビョンウがモノクロで作品制作を行うようになり、その可能性に気付いた人が増えてきたという。いまでは、現代アート写真の新たな表現としてモノクロの写真作品が認知され始めたとのことだ。

会場ではそんなコレクターの好みを意識した現代アート風の、インパクトが強く、カラフルな大判作品が数多く展示されていた。作品のレベルは様々だ。仕上げ面では特に問題ないものの、コンセプトが弱い「壁紙」のような作品も数多く存在していた。しかし不思議なことに、それらのうちかなりの作品が売れているのだ。どうもこの状況は、当局がビル新築時に必ず文化的スペースを設置するようにと指導しているという、韓国市場の特性がかなり影響しているらしい。要は、大きなサイズの作品を求める企業ニーズが相当あるということ。あるギャラリーのディレクターに聞いたら、対企業の売り上げ比率は約20%以上あるという。金額ベースの比率はもっと高いのだろう。日本の写真ギャラリーでは考えられないことだ。購入の判断基準は、作家のアート性だけではなく、ギャラリーと企業との人間関係やコネクションも大きく関係しているらしい。だから、日本のギャラリーが単に大判作品を持ってきても決して売れないのだ。もちろんオークションで取引されるようなブランド作家の大作なら話は別だろう。色々と情報収集してみると、個人コレクターが求める作品サイズはそんなには大きくないようだ。たぶん企業にコレクションされた作家がブランドとなり個人が購入するのでないか。ここにもギャラリストとの人間関係が重視されているようだ。
欧米では、富裕層がコレクションするのが現代アートで、アート写真分野では中間層がメインプレーヤーだ。彼らはアーティストの作家性やメッセージを自ら判断、評価することが多い。しかし、韓国ではまだアート写真に特化した中間層のコレクターは少数で、企業と富裕層が人間関係とブランドで写真作品を買っているようだ。作品の評価基準は、ヴィジュアル的にきれい、面白い、カラフル、奇抜なモチーフ、目新しい制作方法なのだろう。歴史がないことから、オリジナルであることの基準がまだ明確ではないようだ。表現は自由だが、まだ洗練されていない感じだ。

さて、韓国市場は上記のような状況だが、今回のブリッツの展示は、小振りのファッション系の写真が中心だった。他のギャラリーと比べてかなり個性的な展示だろう。実は、アジア地域でも私どもの扱うファッション系写真に可能性があると考えているのだ。現在の富裕層コレクターはともかく、もし中間層コレクターが育ってくると彼らはソウル・フォトで地元ギャラリーが展示しているような作品にリアリティーを感じないのではないかと考えている。ファッションの意味だが、それはカッコいい写真のことだ。もう少し難しく説明すると、共同体社会のウェットなしがらみから解放されたいという、ドライで自由な感覚が表現されている写真作品のことなのだ。つまりイメージ自体ではなく、その背景にある思想やライフスタイルを重要なセールスポイントとしている。
儒教的精神が強かった韓国でも、核家族で育った若者の中にはドライな人間関係を求める層も増加しているという。大家族的な伝統的文化との軋轢が生まれつつある状況は容易に想像できる。これは、アメリカン・カジュアル・ファッションのブランド戦略と類似しているかもしれない。実際、ソウルの街中で見かけるファッションや関連広告はアメリカン・カジュアルが中心になっている。それらを好む層は、ドライな感覚のモダンな写真に魅力を感じるのではないだろうか。
実際、今回主要作品を展示したマイケル・デウイックの写真には現地のギャラリストたちも魅力を感じていた。あるギャラリストは、ドライでクールな雰囲気を持つマイケル・デウイックの世界に若い世代は共感はするだろう、しかし最低でも2000ドル以上する作品は高額でなかなか売れないと話していた。これは日本と同じ状況だと感じた。市場拡大のための課題はやはり値段だろう。欧米写真家の作品はまだ高価。同じようなテイストを持つアジアの若手や新人なら可能性は十分にあると思う。どちらにしても、作家と中間層のコレクターの育成のために地道な啓蒙活動の継続が必要なのだと思う。