ファッション写真の現在
日本人写真家の挑戦

ファッション写真は時代の憧れを提示するメディアだった。戦前は上流階級に憧れる中流階級の憧れを、戦後はしがらみから自由になり社会進出する女性の理想像を表現するものだった。それが90年代に入り、欧米から始まった高度情報化、グローバル化が進むとともに変化していく。大きな物語が消失して、ファッションもブランド一辺倒から、個人のセレクト、着こなしなどの表現が注目されるようになる。つまりファッションにおいて、服以外の世界とのつながりが重要視されるということ。人々の生き方がばらけてくる中で、ファッション写真は、時代のライフスタイルや若者文化、大衆文化を語るメディアへとなっていくのだ。

2004年にMoMAで開催された、”Fashioning ficition in photography since 1990″展(カタログは上のイメージ)では、それを表現する手段として、シネマティックとスナップ、ファミリー・アルバム的なアプローチが増えていると分析している。簡単に説明すると、映画的なテクニックは見る人の記憶とつながりやすい、スナップや家族アルバム的写真は見る側の感情と結びつき、リアリティーを感じやすい点が指摘されている。
それから7年くらいが経過し私はファッション写真の意味がより広く解釈されるようになった考えている。いまという時代が語られている限りにおいて、その拠り所は、歴史だけにとどまらず。パーソナルワーク、現代アート、他分野の表現や思想などにも求められるということだ。

先週末にinifinityに参加している3人の写真家とのトーク・イベントに参加した。写真家が感じている時代性と、それを語るアプローチが様々で非常に興味深かった。
北島明はシネマティックなアプローチで若きシンガーソングライター加藤ミリヤを起用して日本のいまのユースカルチャーのリアリティーを伝えようとする。撮影時には、詳細なストーリーとキャラ設定をモデルとの間で作り上げるという。まさに上記のシネマティックのアプローチを実践している。
舞山秀一は動物園の動物たちの撮影を通して、人間社会のありそうもなさを明らかにする。彼にとって撮影する行為自体が自分を確認する行為なのだと思う。やや難解なコンセプトなのだが、会場では多くの人が意味を読み解こうと作品と対峙している。舞山の策略はうまく機能しているようだ。12月に開催される個展が楽しみだ。
半沢健は、シュールな非現実的な世界を様々なプリント技法やセッティングで構築する。不思議なヴィジュアルで現実とは何かを意識させ、現代社会の嘘っぽさを撃つ。前回のinfinityの作品”blink”とは印象がまったく違うがメッセージは一貫している。
3人の写真家とも無意識のうちに、いまや多様化したアートとしてのファッション写真の流れとつながっている。彼らがそれを意識することでアーティストとしてのキャリア展開に踏み出してほしいと願う。