消費がアメリカ人を救ったのか? ブライアン・ウールリッチの予見する未来の消費社会

ブライアン・ウールリッチ(1971-)の”Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11″( Aperture 2011年刊)は、同じテーマで作品を撮り続けることの重要性を改めて感じさせる写真集だ。継続すると関連情報がどんどん集積され、テーマに対する問題意識が深まる。いままでに見えてこなかった新たな視点が発見できる。長期プロジェクトの場合、同じスタンスで作品と対峙していると、対象の変化を通して時代が見えてくるのだ。

ウールリッチは、ニューヨーク州ノース・ポート出身。彼が21世紀になってから作品テーマとして取り組んだのが「Retail(小売り)」(2001~2006)シリーズだ。彼がこれを選んだ理由が面白い。米国では2001年10月26日にテロ対策として愛国主義者法(Patriot Act)が成立した。当時のブッシュ大統領は署名したときの挨拶で、「米国経済の活力はアメリカ人の消費意欲による」と発言したという。ウールリッチは、買い物するアメリカ人が本当に愛国者なのかと疑問に思い、写真家として作品制作でそれを確かめようとしたそうだ。
人が多く騒がしい店舗内での撮影は難しい。彼は場所を選んで撮影タイミングを長時間に渡って待ったという。その行為はアートというよりも人類学の人間観察に近いものだったという。

ウールリッチは全米の大規模モールを撮影してまわり、商業施設がどの場所でも均質なことを発見する。 そしてグローバル経済進行のもとで米国人の消費が大きく変化したのに気付く。製造業者が労働コストの安い国へと生産をシフトしたことで起きたのが洋服価格の大幅な下落と大量消費。本書の資料によると、米国人が年間に購入するアウトウェア、アンダーウェアのアイテム数は、1991年には34.7点だったのが2007年には68点に上昇したとのこと。そしてかつては贅沢品だった服は大量消費、大量廃棄される商品になる。やがてそれが家具や電気製品にも広がっていく。イケアなどによる安い商品の登場で家具消費は1998年~2007年にかけて150%も上昇したとのことだ。
ウールリッチはその後の「Thrift」シリーズで消費現場の撮影をリサイクル・ショップや商業施設の裏側にシフトする。大量消費されたモノの行き末に興味を持ったからだ。そこに、価値がほとんどなくなった大量の商品の山、大量廃棄の現場を発見する。写真集表紙は、大量の中古服の中で呆然としている若い女性の写真だ。リサイクル店ではいまやグラム単位で服が売られているという。

そして2008年のリーマンショックをきっかけに消費を取り巻く状況は大きく変わる。大量失業と、不動産価格の急落が原因となり、買いものや消費よりも、節約や貯蓄に関心を持つ人が増加する。ガソリン価格の上昇、環境意識やリサイクルの機運の高まり、インターネットの普及なども影響している。多くが、商品の価値と値段と質を気にするようになり、必用品だけを購入し長く使用するようになる。本書の最終章の「Dark Stores」ではその現場を撮影。大規模商業施設があらゆる意味で過剰で、転換点を迎えていることを示唆している。テナントが撤退した大規模モールや商業施設の外観、そして荒れ果てた内部を醒めた視点で撮影している。

そして彼がこの先に見ているのは、景気回復の期待や施設の長期リースなどから動きは決して早くはないようだが、確実に始まっている米国人の意識変化だ。かつての大規模商業施設は、いまや短期店舗、リサイクルショップ、フリーマーケット、学校、ディケアセンター、医療施設、図書館に変わりつつあるとのこと。これはアメリカ人が、資源の無駄使いを問題視するエコロジーの視点を持ち始めたという事実。そして地域コミュニティーと与えられた環境の中で、消費以外の質の高いにライフスタイルを追求しはじめたことを示唆しているのだ。

本書で紹介されているプロジェクトを通して、優れた写真家はアーティストであり、作品で社会の問題点を発見し、それに対するメッセージをオーディエンスに問いかける存在であることがよくわかる。 美術館も彼の時代をとらえた作品を高く評価。本書は、クリーブランド美術館での個展に際して刊行されている。
さて、アメリカ発の消費スタイルはグローバル経済の進行とともに日本にも遅れて導入されている。最近は大規模モールの撤退のニュースなども聞くようになったが、日本の消費現場ではどのような変化が起きるているのだろうか。写真家の人にとって作品テーマとして魅力的だと思うが、どうだろうか?

“Is This Place Great Or What: Copia : Retail, Thrift, and Dark Stores, 2001-11″Brian Ulrich, Aperture 2011年刊

日本のアート写真市場の将来 作家、ギャラリー、コレクターの共存は実現するか?

新人発掘を目的としたグループ展「ザ・エマージング・フォトグラフィー・アーティスト2012年(新進気鋭のアート写真家展)」が終了した。期間中に約750名の来場があった。新人展なので期待はしていなかったが、作品も予想以上に売れた。

今回、私は主催者の一員であることもあり、会場では全ての参加者に対しできるだけニュートラルな態度でいることを心がけた。毎日いたので、自作についての評価を求めたり、アーティストとして生き方について質問してくる積極的な参加者が多くいた。今回は、新人作家の中での自分のポジションを客観的に見極める絶好のチャンスだったはずだ。残念ながら自作のことだけで頭が一杯だった人もいたようだ。アーティストになりたいのなら狭い自分の殻から飛び出すことが必要。まず自分が作家ピラミッドのどこにいるかを正しく知り、いま何をすべきかを考えることだ。その上で、アート界の厳しい評価の中で生き残っていかなければならない。

今回は、トークイベントなどを通して参加者ができるだけ作品を語る機会を提供した。みなその重要性は理解しているようだ。しかし、何でそれが必要かを勘違いしている人もいたようだ。それは一方的に自分のことを語ることではない。アートはコミュニケーションだ。オーディエンスとのつながりを見つけるのが目的で、常に見る側との共通の感情のフックを探す努力が必要になる。ギャラリスト、ディーラーは客観的な立場からそのお手伝いをする存在なのだ。

本展は将来性のある新人発掘が主目的だったが、アート写真分野のコレクター拡大、ギャラリストやキュレーター発掘も念頭に置いていた。実は作家だけ増えても市場は機能しない。この3分野の充実が活性化に必要不可欠なのだ。
ギャラリーをオープンしたい人にとって、いま一番大きな課題は新人発掘だろう。スペース探しは賃貸市場が低迷しているので容易なのだ。今回は展示作品すべてに推薦文章が掲示されていた。また、トークイベントでは推薦者に写真家の評価理由を語ってもらった。複数の専門家の写真を評価する基準がかなり明確になっただろう。期間中は何人かのギャラリー開設希望者に運営のお手伝いをしてもらった。ギャラリーが増えなければ作家を世に送り出すことができない。今後も彼らの活動を応援していきたい。

本展は、コレクター初心者にとっても有望写真家の作品を買える良い機会になったと思う。グループ展なので一度に複数作家のアーティスト・ステーツメントが読めて、メッセージが直接聞けたはずだ。買うつもりで真剣に作品と接すると写真家の実力の違いや自分の好みが分かった、という意見も多数聞かれた。作品購入者の多くは新人写真家の活動を個人的に応援する人だった。しかし写真家の将来の可能性を信じるコレクターの購入者が複数いたことは、本展の大きな成果だったと思う。それは新人作家にとって初めて自分のメッセージが顧客に伝わった体験になる。これ以上の応援エールはない。
実は一般顧客が自分たちの判断で有望と考える新人の作品をコレクションするのは欧米では普通の事象なのだ。主催のJPADSも将来的に幅広い新人作家が競い合う市場を日本で作り上げたいと考えて本企画に取り組んでいる。日本でもやっと新人の活動をサポートする欧米的なアート写真市場が生まれてきたようだ。
今後の課題は、将来的に競争に勝ち残った人の中からスターが登場してくることだと思う。開催期間中には、参加者の一人である川島崇志が東京フロントラインのフォトアワードでグランプリを獲得した。このような多方面からの評価の積み重ねがスター作家を作り上げていくのだ。
今回は、初めての開催で反省点も多々ある。しかし、多くの関係者が新人作家を世に送り出すシステムを求めているという手ごたえは感じた。来年は、推薦者の数を増やし、一人の推薦枠を少なくすることになるだろう。来年開催するのならぜひエントリーしたいという意見も多数あった。公募枠も設けることも検討していきたいと思う。
参加者、推薦者、来場者の皆様、ご協力ありがとうございました!