何で海外で評価が高いのか?木村肇 写真集「谺(KODAMA)」

百瀬俊哉写真展を見に来た窓社の西山社長が昨秋に刊行された写真集を持ってきてくれた。まだ30歳を超えたばかりの写真家木村肇がマタギの里の四季を2007年~2010年にかけて撮影した「谺(KODAMA)」(窓社、2012年刊)だ。夏場の焼畑や、雪山での猟のシーン、その周辺部の風景をとらえたコントラストが強く粒子感のあるモノクローム写真約30点が収録されている。
最近の報道によると、マタギの用具が伝統的な狩猟文化を伝えるものとして重要有形民族文化財に指定される見込みとのことだ。しかしこの本は消えゆくマタギの記録を目指したものではない。マタギの人たちのライフスタイルをパーソナルな視点で撮影しているのだ。写真家本人が彼らをリスペクトし、その生き方がカッコいいと思っているのが感じられる。それぞれの写真はドキュメント風だがきちんと構図が計算されて撮影されており、モノクロで抽象化された世界はまるで水墨画のような感じでもある。印刷にマット系用紙を採用していることも写真の雰囲気作りに一役買っている。

海外での評価が高く、2012年バッテンフォール・フォト・プライスにおいて2位に入賞したそうだ。これはドイツのC/Oベルリンとスェーデンの電力会社バッテンフォールが才能のある35歳までの写真家を紹介し活動をサポートするための賞。4回目の昨年のテーマは「Tension」だった。写真家本人がパリフォトに写真集を50部位手持ちしたところ完売したそうだ。
西山社長はこの若い写真家の自品をアピールするフットワークの軽さが気に入っている印象だ。手ごろな値段ということもあるが、写真集はもちろん、オリジナルプリントも関係者や仲間中心にかなり売れたそうだ。いくら良い写真でも写真家はそれを伝える努力を自ら汗をかいて行うことが必要だ。それは写真家自身が表現者として生きていくことの意思表示でもある。日本では優れた写真を撮影している人は多いが、ここの部分のプロ意識がかけている場合が多い。特に昨今の長引く不況の中では、写真が売れなかった90年代と同じく写真家本人の人間力、営業力が極端に重要になる。この点に関しては出版とギャラリーも同じで西山社長と話がよく合う。

写真史的には同じく雪国がモチーフとなった濱谷浩と小島一郎の写真集の延長上にあると評価されたと思われる。この2冊は金子隆一、アイヴァン・ヴェルタニアン著の「日本写真集史 1956-1986」(赤々舎、2009年刊)に収録されている。同書の解説によると、濱谷浩の写真集「雪国」(カメラ毎日、1956年刊)は、”日本人のアイデンティティーの礎となるもの、つまり日本人を日本人たらしめているものは何かを土着の文化のなかに探ろうとしている”という。
小島一郎の写真集「津軽」(新潮社、1963年刊)は、ハイコントラストの写真と構図によりとてもモダンな雰囲気を持っている。津軽を記録するのではなくパーソナルな視点で撮影しているのが特徴だ。木村の写真はよりこちらに近い雰囲気を持つ。
「日本写真集史 1956-1986」はアパチャー社から英語版が刊行されている。このガイドブックの存在が木村の写真集の写真史での位置づけを明確にしてバッテンフォール・フォト・プライス入賞につながったのは明らかだ。

上記の「日本写真集史 1956-1986」だが、収録されているのはほとんどが70年代までの本。81年以降は深瀬昌久の「鴉」(1986年刊)だけなのだ。80年代以降は高度経済成長により、それまで繰り返されてきた、戦争の総括、欧米文化の影響、日本人のアイデンティティー探求のようなテーマが写真家にあまり意識されなくなった。日本社会はバブル経済に突入し、多くの写真家も商業写真の世界に取り込まれていく。どうしても読者に伝えなければならないような大きなテーマが喪失していくのだ。
では21世紀の現代になんでマタギの写真なのか?どうしてそれが欧州で評価されるたのだろうか?それは自然を支配することが前提のキリスト教を背景とする近代化が数多くの問題に直面しているからだろう。欧米人は東洋人以上にその点に無力感を抱いているのだ。多くの産業は地球の有限の自然資源を消費しながら成長を続けてきた。その結果、環境が悪化し、気候の温暖化などを引き起こしている。さらにリーマンショックを経験して多くの人が経済成長が必ずしも善ではない事実に気付き始めている。そこで繰り返しでてくるのが、自然に神を見出す東洋の神道や仏教のような考えなのだ。アート写真、現代アートの世界では何でもテーマをここに安易に関連付ける悪癖があるくらいだ。
しかし伝統的な狩猟文化をテーマに撮影を続けた木村の写真はそれらと明らかに一線を画している。マタギは山に神を見出しているという。現代の日本人が明治以降に忘れ去った伝統的な意識がマタギの世界には残っている。それを若い写真家がテーマにしたということは、時代が変化したものの日本の伝統的な精神性のDNAは私たちに潜在的に流れているということなのだろう。
結果的にはまず海外での評価が先行したのだが、発行人の西山社長は作品の背景にあるテーマを感じ取り、現代の日本人へメッセージとして新人作家の写真集化を英断したのだと思う。

伝えたいメッセージを持ち、作品作りを真摯に継続している人には無名でもチャンスが必ず訪れるのだ。