日本のファッション系フォトブック・ガイド(第8回)ホンマタカシ「ウラH ホンマカメラ」(1998年5月、ロッキングオン刊)

ホンマタカシ(1962-)は1998年12月に刊行された「東京郊外 TOKYO SUBURBIA 」(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛賞を受賞した写真家だ。アマゾンco.jpに掲載されている商品説明によると、本書は「駐車場や住宅地、団地の中庭といったどこにでもある東京郊外の風景と、そこで今育っている子供たちを撮った64枚の写真。特別でも何でもない郊外の都市環境を、ひとつのフレームに収めた写真集」とのこと。
いわゆるドイツ人写真家ベッヒャー夫妻が取り組んだタイポロジー的(類型学)なアプローチで、同じように見える東京郊外の風景を撮影してその関係性を訴えようとしたものだ。実はその原点となる写真集が今回紹介する同年5月刊行の「ウラH ホンマカメラ」なのだ。ウラHとは、1994年にロッキングオンから創刊された月刊誌「H」を意識してのこと。同誌は現在では不定期刊になっている。

戦後日本では歴史と伝統を受け継いだ正統派ファインアートと大衆芸術のポップとが混在している状況が続いている。アートシーンの成り立ちが欧米とは全く違うのだ。この点を攻めて独自のアート理論構築を試みたのが、いまや世界的現代美術家の村上隆。マンガ、アニメ、ゲーム、フィギュアなどの延長上に日本独自のアートを追求したのだ。
村上がスーパーフラットを唱え始めたのが1998年、雑誌広告批評の「TOKYO POP」特集が1999年、「スーパーフラット」(マドラ出版)が2000年刊だ。「スーパーフラット」とは伝統的な浮世絵や日本画から現代のマンガ、アニメなどに見られる画面の平面性とともに、日本の社会、風俗、文化、芸術のフラットさをも指し示すもの。
「ウラH ホンマカメラ」で、ホンマは暗にその土壌を肯定しそこからの日本独自のアート写真文化の可能性探求に挑戦しているのだ。
本書内容は、当時の時代性を非常に巧みに取り込んでいる。表紙のニッコリ笑った常盤貴子のB級っぽいポップなポートレートから始まり、流行していた節約生活を紹介する雑誌「すてきな奥さん」を意識した小泉今日子「ステキな奥さん」、芸能人のスクープ雑誌を意識した坂井真紀の「ニセフライデー」、市川実和子「ホワッツ・ガ―リームーブメント?」、「ニセアラーキー愛情生活」、大森克己「暮らしの手帖」、「東京郊外」につながる「郊外雪風景」など。当時の商業写真界の大物である篠山紀信とアート写真界大物の荒木経惟のインタビューを収録しているのも文化の混在を意識してのことだろう。
90年代後半の節操無く消費資本主義が突き進んでいった日本で起きている様々な現象をシュールな視点で見事に撃っている。本書がハード版ではない、雑誌のような形式のペーパー版であるのもポップさ出すために確信犯で行っているのだと思う。
しかし決して軽い内容の本ではない。宮台真司のエッセー「まぼろしの郊外写真」も掲載されており、時代との接点も明確に示されている。ちょうど1997年には酒鬼薔薇聖斗事件など少年犯罪が増加した時期。その背景に生まれつき個性がない郊外のニュータウン環境に育ったことがあると分析している。この文章がホンマタカシの主要作品の明るい郊外写真と子供ポートレートの視点を明確に指示している。

「ウラH ホンマカメラ」は、ホンマの写真家、編集者、アートディレクター、美術家としての才能が遺憾なく生かされた写真集だと思う。彼はその後、欧米現代美術方面に意識的に軸足を移すことになる。たぶんその背景には「ウラH ホンマカメラ」の意図が写真界で理解されず、また正当に評価されなかったことによる絶望にあるのだと思う。現代美術において村上隆を評価した評論家椹木野衣のような人が写真界に存在しなかったことによる悲劇なのだろう。残念ながらその状況は現在でもあまり変わっていない。
個人的には再び本書にある作家としての原点に回帰して、日本独自のポップとアートが混在した写真の可能性を探求して欲しい。
村上隆は2000年代かけて展覧会「スーパーフラット」、展覧会「ぬりえ」などをキュレーションしている。写真家ではHIROMIXや佐内正史らが選ばれているが、ホンマタカシの名前はない。たぶんその理由は、最初は同じ視点を持っていたものの、その後にホンマが村上とは違う方向に行ってしまったからだろう。

古書市場で「東京郊外 TOKYO SUBURBIA 」は版元が倒産したこともありとても高値で取引されている。普通状態で2万円以上もするのだ。マーティン・パー編集のフォトブックガイド「The Photobook:A History volume Ⅱ」(2006年、Phaidon刊)で紹介されたことから、リーマンショック前の市況ピーク時には状態の良い本の海外での評価額が約10万円だったこともある。それに比べると「ウラH ホンマカメラ」はたぶん雑誌として取り扱われたであろうことから非常に低価格、なんと1,000円以下から売られている。明らかに過小評価だと思う。本連載で指摘している視点がより広く受け入れられれば、本書はホンマによる初期傑作写真集と再評価されるだろう。
雑誌形式で傷みやすいことから状態が良いものは多くは流通していない。帯付きの傷みが少ない状態のものを見つけたらすぐに入手すべきだろう。