フレーム自体の作品化でアートの本質を問う 末永史尚「ミュージアムピース」愛知県美術館

現在、愛知県美術館で開催中の末永史尚(1974 -)の「ミュージアムピース」展は、作家と同館学芸員と共同で作られるAPMoAプロジェクト・アーチというシリーズの展覧会。「ミュージアムピース」は、美術館の作品という意味だが、同展は同館所蔵の名画のフレーム自体を中心モチーフとして描かれたものだ。洋画の額縁だけでなく掛け軸の表装を取り上げた作品もある。以下が同館のウェブサイトに掲載されている解説だ。
——————–
ミュージアムピース、つまり美術館の展示室を飾るきらびやかな名画たちの多くには、その大切な画面を保護するために、額縁が付けられています。わたしたちが「作品を鑑賞する」にあたって、作品をぐるりと取り囲んでいるこの枠の存在を意識することは殆どありません。絵画というものが、実際には額縁を含んだ大きさと重さを持った物体としてそこに存在しているにもかかわらず、「作品を鑑賞する」という体験からは、額縁は除外されてしまうのです。
一方で額縁は、その内側にある画面に注目せよ、とわたしたちが鑑賞すべき対象を、暗に指し示してもいます。

末永史尚(1974-)は、愛知県美術館が所蔵する名画のいくつかを、額縁を含めた大きさのキャンバスへと置き換えます。しかしそこでは、本来注目すべき名画の主題や表現は消去され、逆にこれまで目の端のほうで焦点を結べずにいた額縁が画面の内側に入り込んでいます。そして、そのことに気づいた途端に、額縁の機能は損なわれ、わたしたちは何に注目すべきなのかわからなくなってしまいます。鑑賞をめぐる視覚の秩序をこのようなかたちで転倒させながら、「絵をみる」という行為に含まれているけれども普段は意識されることのない、不安定で曖昧なわたしたちの視線の存在を、末永は本展を通じて鮮やかに提示します。
(愛知県美術館のウェブサイトより転載)
——————–

今回の展示作品はフレーム自体を描いたものだけではない。注意しないと見過ごしてしまうのだが、名画の横に設置されている作品情報を紹介する小さなキャプションも単色に塗られてフレームを描いたものと共に展示されている。
また立体作品もあり、同館独自規格のスポットライト、事務所に置かれた過去の展覧会カタログの束、作品輸送のための段ボールなどのオブジェも展示されている。ここの部分の創作は、オブジェを紙で制作して写真撮影するアーティストのトーマス・ディマンドを思い起こさせる。
これらの多様な作品群を見るに、末永の表現の目的は、現代社会における美術品が存在するシステム自体を明らかにすることではないかと思えてくる。実はそれは美術品だけではない。私たちが普段はあたりまえのように感じて、接している様々な価値基準は実は私たちの共同の思い込みでもあるのだ。お金、名声、社会的地位、またブランド品の価値などはその例だ。これが時に私たちの悩みや生きにくさの原因になったりする。しかし世の中のすべての価値など幻想で実態がないと達観しても、人間は社会の中でしか生きる選択肢がないのも事実。システムの中にいることを知ったうえで確信犯で生きていく方が少しは精神的に楽ではないかということだろう。そして忙しい社会生活の中で自分を見失いがちな時に、自分を客観視させてくれるのがアートの役割なのだ。末永史尚の「ミュージアムピース」は、アーティストにとっての普遍的なこの大きなテーマを、美術館でのアート展示自体を通じて追求した力作だと思う。

私はアート写真が専門なので、本作のアプローチを写真に当てはめるとどのような作品ができるかを考えてしまった。写真はまず、印画紙にプリントされるという性格上、ブック式のマットにセットされるのが一般的。白色の無酸紙に窓が切り抜かれているものだ。まずそれにより作品と環境とが隔てられている。それ故に写真入りのマットはシンプルなフレームにいれられることが一般的だ。写真作品がモノクロームで抽象化された世界が中心だったことも影響しているだろう。これらのフレームをただ撮影してもあまり面白味はなさそうだ。
しかし、写真でもフレームや額装方法にことだわる分野が存在する。最近の日本で市場が拡大しているインテリア展示を目的とした写真作品だ。業界ではそれらをラウンジフォトと呼ぶことが多い。欧米にも同様の市場が、アート系とは全く別に存在している。しかし日本では欧米的なアート写真市場規模が非常に小さいので、ラウンジフォトがアート写真のように思われることも多い。これらの写真の特徴は、インテリアに飾り易いモチーフのイメージであることだ。アートっぽい雰囲気になる抽象作品も非常に多くみられる。メッセージ性は希薄なのだが、それは写真家の感情の連なりを表現したと解説されることが多い。そして写真のコンテンツの弱さを補うためにフレームの設えに非常に凝るのだ。中にはこだわったデザイン性、カラーなどのフレームが主役で、それにあった写真を探している印象のものもある。
もし写真で「ミュージアムピース」的な作品を提示するなら現在の日本の写真界を象徴したラウンジフォトに焦点を当てると面白いのではないか。 眩い光輝く風景や花や、色彩がきれいな抽象など、あえて普通の写真を撮影したり引用して、凝ったデザインや作りのフレームにいれる。最終的にそれらをフレームを含めて撮影して作品として提示するのは面白いのではないか、などと考えてしまった。
展示方法についても色々と可能性があるだろう。作品の性格を重視して、単に裏打ちだけして直接展示するのが常道だろう。「ミュージアムピース」ではパネル張りで展示していた。
しかし写真なので、あえてブックマットに入れてシンプルなフレームにセットしても面白いのではないか。この方法による作品の肝は、どのようなテーマ性を写真家が提示できるかにかかっている。興味ある作家志望の人はぜひ考えてみてほしい。もしかしたら欧米ではすでにこのようなアプローチで作品を制作している人がいるかもしれない。

愛知県美術館では企画展の「これからの写真(Photography
Will Be)」が9月28日まで開催中だ。また展示室4では、巡回展「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」
―フジフイルム・フォトコレクションによる」も開催中。日本の代表的な写真家101人の貴重なオリジナルプリントが鑑賞できる写真ファン必見の展示だ。
「ミュージアムピース」はコレクション展の一部として展示室6で展示されているので、見逃さないようにしてほしい。

ヴィヴィアン・マイヤーとデジタル革命第2ステージ

ヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)は、死後に大きく再評価された欧米で話題の米国人アマチュア写真家。2007年にシカゴの歴史家ジョン・マーロフが発見するまでその存在は全く知られていなかった。一生独身で、親しい友人もいなかったとのこと。50年代から約40年間、主にシカゴで育児教育の専門知識を持つナニーの仕事に従事していた。
彼女は優れたヴィジュアル・センスと画面構成能力を持っていた。女性のロバート・フランクといわれたり、ダイアン・アーバスと対比されて語られることさえある。都市のなかの一瞬の詩的な瞬間をまるでアンドレ・ケルテスのように切りとり、また被写体に思い切り迫ってポートレートを撮影している。
まさにアマチュア写真家のリアルな夢物語で、いままでに25余りの写真展が開催されるとともに、2014年の秋にはハッセルブラッド・センターでの写真展も予定されている。フォトブックも既に3冊が刊行され、今秋には新刊が予定されている。
オリジナル・プリントは、ニューヨークの老舗写真ギャラリー、ハワード・グリンバーグでエステート・プリントとしてエディション15で販売されている。

彼女は50~90年代にかけて約10万点以上にもおよぶ写真をフランス、ニューヨーク、シカゴで撮影。モノクロ写真のカメラは主に2眼レフのローライフレックスを愛用していた。分類上、それらは20世紀クラシック写真に分類されるだろう。
しかし彼女の再評価はアート写真界における「デジタル革命第2ステージ」の訪れと深くかかわりがあると私は解釈している。「デジタル革命第2ステージ」とは、市場面では拡大する現代アート市場が従来のアート写真市場を飲み込み、また技術面では写真家・アーティストがデジタル技術を使い、自分の思い通りに表現することが可能になった新時代のこと。興味ある人は「写真に何ができるか」(窓社、2014年刊刊)に詳しく書いてあるのでそちらを読んでほしい。

デジタル革命を象徴するネットの普及で、いま優れたアマチュア写真家の作品がアート写真界で注目されやすい状況になっているといえるだろう。ヴィヴィアン・マイヤーの場合は、専門でない人が発見した写真がネット投稿を通して欧米に広まって再評価のきっかけとなった。アートとしての写真は、最終的にキュレーター、評論家、ギャラリストなどの専門家に作家性が認められ市場に紹介される。従来はそこに行きつくまでにかなりの高いハードルがあったのだ。またアート写真市場が欧米では大きな市場になっており、多くの関係者が優れた才能を常に探している点も見逃してはならないだろう。

彼女は撮った写真を誰にも見せなかったとのことで知られている。現像する際もお店で偽名を使っていたとのこと。多くの写真はプリントされず、未現像フィルムも数多く残されていたそうだ。彼女が周りの評価を求めなかったのは当時の写真界の環境も影響していただろう。まず彼女がモノクロで撮影していた50~70年代の写真の主流はドキュメンタリーだった。 また一部にアート写真といわれていたのは、モノクロの抽象美とファインプリントのクオリティーを愛でる高尚なものだった。今のデジタル時代と違い、プロとアマには撮影時とプリント時に決定的な技術的な違いがあった。かつては写真は暗室で写真家本人がプリントするのが当たり前だった。もしかしたら、マイヤーは撮影は好きだがプリント作業は苦手だったのかもしれない。 実際に80年代以降は、モノクロをやめてカラーポジによる撮影にシフトしている。たぶん自分の写真が認められる分野はプロの世界に存在しないと考えていたのだろう。

彼女の発見と再評価は「デジタル革命第2ステージ」の訪れで、写真が大きなくくりの現代アートのひとつの分野と理解されるようになったのが影響していると思う。それは評価の上でアーティストの作品制作の動機が最も重要視されるということだ。プロ写真家、アマチュア写真家でも自分の名誉欲や金銭欲などのために作品を作る人は、その技術が評価されることはあっても、決してアーティストとし認められることはないだろう。そのような人は意識的に世の中に対峙していないので、作品には観る側を感動させるメッセージ性がない。専門家が評価しようとしてもその中身自体が存在しないのだ。
一方でマイヤーには社会で認められたいとか、評価されたいというエゴが微塵もないのだ。自分が感動する被写体を単純に追い求めて撮影し続けてきた。50~70年代のシカゴ、ニューヨークなどで撮影された写真は繁栄を謳歌するアメリカのダークサイドにも目を向けていた。黒人、浮浪者、貧困者、子供など社会の周辺に生きる人も撮影。そして100%パーソナルな視点で被写体と対峙している。彼女に乳母として面倒を見てもらった人が、彼女は社会主義者だった、と表現していたという。もしかしたら社会主義的な視点でアメリカ社会をカメラで見つめていたのかもしれない。

私は彼女の写真の本当の魅力はこの作家性にあると思う。米国人写真家スティーブン・ショアは「私は、写真、世の中、自分自身を知りたいがために作品を作る。優れた作品は何らかの個人的な探求の結果としてに生まれている」と、「Image Makers Image Takers」(Thames& Hudson,2007年刊)のインタビューに答えている。彼女は間違いなくその実践を行っていた。
また、いまやアーティスト自身がプリントしなくても全く問題ないし、カメラを使用しないでアート写真作品を制作する人さえ珍しくなくなった。アート写真界で長きにわたり重要視されていた価値観が大きな変化に直面しているのだ。従来は写真家がプリント制作していない、本人のサインなしのエステート・プリントの価値はあまり高くないと考えられていた。しかし、現在は厳密な管理下で限定制作されるものは資産価値が認められるようになってきたのだ。
彼女は「デジタル革命第2ステージ」というアート写真にとって全く新しい環境が整いつつあった絶妙なタイミングで奇跡的に発見され、その流れに乗ったのだ。たぶん20年前なら、いまほどアート写真界で熱狂的に受け入られることはなかったと思う。
いまアート写真界では、新たな視点からアマチュアを含む過去の写真家の仕事の再評価が始まっている。ギャラリストのハワード・グリーンバーグはインタビューで「自分が彼女の写真アーカイブスを発見したかった」と語っているのが象徴しているだろう。いま密かに第2のヴィヴィアン・マイヤー探しが行われているのだ。