若きロバート・フランクのキャリア形成方法とは 「Robert Frank: In America」(Steidl、2014年刊) (パート1)

ロバート・フランク(1924-)の「The Americans」(1959年刊)は、誰もが認める写真の教科書だ。しかし、意外なことに写真集掲載83点以外の50年代の初期作品の存在はあまり知られてない。フランクは同書刊行後すぐに映画制作に転向し、また70年代に全く新しいスタイルで写真界に復帰していることが影響しているといわれている。

本書”Robert Frank: In America“はスタンフォード大学のカンター・アート・センター(Cantor Arts Center)で2014年秋に開催された、50年代アメリカで撮影された作品に初めて注目した展覧会に際して刊行。1984~1985年に同館に寄贈された約150作品からなる企業コレクションがベースとなっている。
1991~2011年までニューヨーク近代美術館の写真部門のチーフ・キュレーターだったピーター・ガラッシ(Peter Galassi)が企画を担当。彼のロバート・フランク論が、イントロダクションとして、9~43ページに展開。写真界の当時の状況、フランクの仕事や人間関係、本が生まれた背景、撮影旅行の過程、 本のレイアウトやシークエンスなどの、検証と分析が行われている。
収録131点中の多くが未発表作品。22点は「The Americans」と重複している。

・グラフ雑誌が写真界を席巻
本書には、50年代の写真界の状況が詳しく紹介されている。写真史には、50年代ころまではグラフ誌が写真界を席巻していた、などとさらっと記述されている。ここでのエピソードは、写真でのアート表現を志す写真家には非常に厳しい環境だったことを詳しく伝えている。
フランクはハーパース・バザー誌でのファッション写真の仕事をやめてアート的な傾向のマガジン・フォトグラファーを目指す。しか写真界は、グラフ雑誌が社会的評価、金銭面、読者数でも圧倒的な存在で、それは美術館プログラムにさえ影響を与えていたのだ。写真家のアート性は全体の雑誌作りの仕事の補助的なものと考えられていた。当時は、あのアンデレ・ケルテスやウォーカー・エバンスさえ作家性を発揮する場所がなかったという。 雑誌の仕事でもフランクのフラストレーションがたまる一方だった。

・フランクの多様な人間関係
そのような厳しい状況でのフランクの活動は、今の日本の若手写真家にも参考になると思う。自分の思うとおりにならないのはいつの時代も同じ。その状況への現実的な対応が求められる。どのように自らの能力を高め、自分の信じる道を追求できるかが問われるのだ。フランクは本当に多くの人と関わりを持ち、影響を受けながら行動し、成長してきた。本書にはその様々な例が紹介されている。

・アレクセイ・ブロドビッチ
まず伝説のアート・ディレクターであるブロドビッチ(1898-1971)。フランクは一時期ハーパース・バザーのスタッフ写真家として働いている。ブロドビッチのアドバイスと激励により、1948年後半に敢行した南アメリカ旅行からカメラをローライフレックスからライカに変えている。ブロドビッチは1945年に写真集”Ballet”(J.J.Augustin刊)を発表している。35mmカメラでアレ・ブレ・ボケを多用してダンサーの動きと雰囲気を表現した。フランクは、構図、デザイン、トーンバランス、プリント・クオリティーにおいて、先人たちの価値観を覆した写真を制作している。その影響をブロドビッチから受けているのは明らかだろう。

・エドワード・スタイケン
そしてニューヨーク近代美術館(MoMA)のスタイケン(1879-1973)だ。彼はフランクを「カメラを持った詩人」と呼び、作品を購入したり、グループ展での展示を行って支援し続けた。彼の紹介で、雑誌”U.S.camera”がフランクに注目してくれる。ライフ誌が掲載拒否した英国ウェールズ鉱山で撮影された作品を1955年版の年鑑で紹介している。また、35mmカメラを特集した1954年9月号にもフランクを紹介している。

・ルイス・ファー
フランクは色々な写真家からの影響を認めている。ハパース・バザー時代に知り合ったのが、年上の友人である写真家ファー(1916-2001)。彼はフランクよりも早く、40~50年代にニューヨーク、フィルラデルフィアのストリートを小型カメラで撮影している。大都市の片隅のアウトサイダーにも目向け、またブレ、アレ、多重露光、光の反射、スローシャッターなど様々な撮影方法を自己の感情表現のために試みている。二人は同じ眼差しで世界を見ていたのだろう。ファーのシティー・スケープ作品は、間違いなくフランクの写真スタイルに影響を与えている。
しかしファーはフランクとは違い、写真群をテーマとコンセプトを明確にして作品としてまとめていない。これが現在の二人の大きな知名度の違いにつながっているのだろう。

・ビル・ブラント
英国の写真家ブラント(1904-1983)の存在も大きかったようだ。30年代、ブラントは英国のあらゆる階層の人たちをドキュメントして”The English at Home” (1936年刊) や” A Night in London”
(1938年刊)などのフォトブックにまとめている。フランクはこれらを通して彼の作品とロンドンの生活に触れていた。”ブラントの写真は、目から、心、体内まで入り込んでいった。私は内部の感情が沸き立つのを感じた。リアリティーがミステリーになった”とフランクは語っている。

・ウォーカー・エバンス
本書を読むまで、エバンス(1903-1975)のフランクへのこれほどまでの大きな影響は認識していなかった。二人は1950年に初めて会う。エバンスは、彼の才能を見抜き、グッゲンハイム奨学金への応募を後押した。フランクのために応募書を書くとともに自筆の手紙も添えている。これにより「The Americans」のプロジェクトが動き出し、フランクは、雑誌仕事からのフラストレーションから解放され、自身のアート性追求が可能になる。また奨学金を得てからの南部への撮影旅行は、彼の提案によるとのことだ。
ガラッシは「The Americans」の基本コンセプトは、エヴァンスがかつて行った、アメリカにおける現代性への疑問符の探究とつがると分析している。フランクが撮影した50年代は、一般的には経済的に繁栄して楽観的な雰囲気だった。しかしその中に、厳しくて陳腐に見える状況があるのは、エヴァンスのテーマは恐慌による一時的な苦悩ではなく、その後も続いている社会の工業化発展による一種の搾取だったと見ることができる、と指摘している。21世紀の現在でも格差拡大や貧困は続いている。ガラッシの分析は非常に説得力を持つといえるだろう。

 (パート2に続く)
次回は「The Americans」の内容分析に触れます。