日本の新しいアート写真カテゴリー クールでポップなマージナル・フォトグラフィー(3)

いままで多くの写真家やギャラリーが写真を売ろうと悪戦苦闘してきた。限界写真(マージナル・フォトグラフィー)のクール・ポップ写真の価値観が広く認知されてくると、写真販売へのこだわりがなくなるだろう。この新ジャンルの定義については(1)、(2)を参照してほしい。
いままでなんで彼らが写真を売ろうとしていたかといえば「海外で売れているようだから日本でも売れるようになるはず」という期待からだろう。実際、戦後の様々な消費トレンドは海外発で日本に普及した例は数多ある。私が写真ギャラリーを始めたきっかけも、海外で写真が売れているのも目の当たりにして、日本でもブームが来ると考えたからだった。

まず実際の数字を見てみよう。写真市場はギャラリー店頭のプライマリー市場と、それらのうちで年月が経過して資産価値が認められた作品が販売されるオークションなどのセカンダリー市場がある。

日本の市場規模を客観的に知るうえで公に取引されるオークション市場を比較することが適当だと考える。手元の資料によると、2015年1月~6月下旬までの半年で、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、ケルンなどで16回の写真関連のオークションが開催されている。合計3120点の写真作品が出品されて2064点が落札されている。平均落札率は約66.15%。総売り上げは、各国の為替レートで円換算してみると、約35億7000万円になる。
ただし、これには現代アート・カテゴリーに出品された写真作品は含まれていないので、実際の数字はもっと大きいと思われる。一方、日本では写真専門のオークションは存在しない。かつては大手のシンワ・アートオークションは写真も取り扱っていたが売り上げ低迷から撤退している。いまではSBIアートオークションが”Modern
and Contemporary Art”オークションの一部として取り扱っている。その他のオークションでもたまに単発的に出品されることがある程度だ。SBIアートオークションの、今年行われた2回のオークションでは、写真作品35点が出品され、24点が落札されている。売上高は約1639万円。そのなかで日本人作品は18点で16点が落札されている。主な写真家は杉本博司、荒木経惟、森山大道などだ。彼らの市場は世界的に確立されているので、海外のオークションにも出品されている。

あまり意味がないかもしれないが、単純に欧米市場と比較してみると、日本の売上高は0.459%。出品数、落札数では1.1%の規模にとどまっている。公式な統計は存在しないので、ギャラリー店頭での正確な売上高はわからない。しかし、取り扱い規模がある欧米市場では、セカンダリー市場の1~3倍程度だといわれている。
ギャラリーでかつて売られた作品がオークションで再び売られることを考えると、日本においての、いままでの写真作品のギャラリー店頭販売数はかなり少ないと予想できる。この数字が示すように、いままで感覚的にいわれてきた、海外で写真が売れて日本で売れていないのは明らかな事実のようだ。
もちろんこれはいままでの話なので、これから日本でも写真が売れるようになると予想することは可能だろう。しかし過去20年間、状況が全く変わらないことを考えると、海外市場で写真が売れているから日本でも売れるはずだという発想はなにか根本的なところで間違っているように感じる。

写真が売れない理由として、日本の家屋が欧米と違い壁面が少ないからという説明がずっとされてきた。物理的に壁面が少ないのが理由なら、現在のマンションや西洋的な現代住宅には壁面があるので、写真がもっと売れてもいいはずだろう。実際の意味は、日本では伝統的に壁に平面作品を額装して展示する生活文化習慣がないと理解すべきだろう。
絵画は壁画から発展したものという。日本の伝統的な木造住宅は漆喰仕上げの土壁などが主流で西洋的な壁面は存在しなかったのだ。写真作品の代替物であるポスターの展示方法にもその違いが反映されている。海外ではポスターを額装するが、日本ではシートで飾ることが多いのだ。
床の間に掛け軸などの美術品を飾る習慣があったが、西洋化の浸透で現代住宅ではいまやほとんど見られなくなった。いまやアート作品を展示する伝統的な習慣も廃れてきたのではないか。
以上から、日本ではインテリア向けのデコラティブ写真の需要も欧米と比べてはるかに小さいのではないかと疑っている。ここの市場も、海外との市場規模の比較で成長性が語られることが多いのだ。この分野のビジネスを考えている人は、できるだけ慎重に事業を進めるべきだろう。

ファイン・アートの写真家の場合は、その最終的な評価は作品が売れるかどうかだ。限界写真(マージナル・フォトグラフィー)のクール・ポップ写真では、写真家が作品販売のしがらみから解放される。写真家にとって、写真は売るものではなく撮るもので、社会とのコミュニケーションを交換する手段となる。アーティストとは写真を販売して生活する人ではなく、ライフワークとして能動的に社会と接する人の一種の生き方になる。どれだけ心を開いて世界を真剣に見たうえで撮影されたかが重要視される。逆説的だが、作品を売ろうという気持ちが消えた時にクール・ポップ写真は生まれるのだ。テーマやアイデア・コンセプトは写真家自身から語られないが、第3者による見立てで作品評価が行われる。
それが、観る側の心に訴えるメッセージ性をもっていれば、邪念がない写真と相まって魅力的な存在になるのでないか。
私は案外そのような要素を持った写真やフォトブックは売れるのではないかと予想している。それは民藝作品が愛でられて、多少高くても購入されるのと同じような構図になると考えている。

最近、その原点はどこにあるかの調査も独断と偏見で行っている。全く個人的な見解なのだが、6月上旬に
表参道画廊で写真史家の金子隆一が企画した「モダニズムへの道程-写真雑誌『白陽』に見る構成派の表現」展で展示されていた淵上白陽などの写真家、先般行われた
AXISフォトマルシェ2で私どもが展示した新山清、FUJIFILN SQUAREで写真展開催中の塩谷定好などがそれに近いと感じている。現在情報収集中だ。
新ジャンルの写真の可能性に対する反応は様々だ。いままでの私の提案は、新たなジャンルを作り上げる議論の叩き台だと考えている。ぜひ様々な意見を聞かせてほしい。今後は、講座やワークショップでもこの新分野の写真について語っていきたいと考えている。