コレクションの基礎(2)
資産価値はどのように決まるのか

前回はコンテンポラリー作家の市場で付く作品価値について考察した。それでは、すでにオークションで取引されるような作品の資産価値はどうして決まっているのだろうか? 以下にいくつかの理由を上げてみた。

・希少性などの歴史的価値
いまや入手困難な、19世紀写真、20世紀初頭の写真。無名の人の写真の価値は骨董的な価値しかないが、写真史に残る写真家のヴィンテージプリント、つまり撮影から1年以内にプリントされたは写真作品は非常に高価だ。これらの写真作品は現存する絶対数が少ないうえに、一度美術館や有名コレクションに入ったものは二度と市場に出てこない。オークション・ハウスの担当者は、コネクションを駆使してそれらをカタログに掲載するために日々尽力しているのだ。
写真史を念頭に置いて系統的に収蔵、展示する美術館や有名コレクションは、基本的にヴィンテージプリントを購入する。世界的に美術館の数は増加傾向にある。また、いくらヴィンテージプリントが高価といっても他の美術品と比べては安いのだ。この分野には定常的に潜在ニーズがあるのだ。需給関係から相場が大きく下がることはない。

・現代アートの視点での再評価
かつて写真は独立したカテゴリーとして存在していた。モノクロ写真の抽象的な美しさやファインプリントのプリントクオリティーを愛でる分野だった。しかし、現代アートが市場を席巻し、いまや過去の一連の写真史は現代アートの視点で再評価されるようになった。何らかの時代性があるメッセージを持った写真家や、写真表現の可能性拡大を探求した人の作品の市場価値が高くなっている。ウィリアム・エグルストン、アンセル・アダムス、ロバート・アダムスなどだ。

・写真史で認められた有名作家
その他の、ドキュメント、スナップ系では、写真史でその仕事が評価されている写真家の場合は、そのサインの価値は認められている。しかし、高い資産価値を持つのは一部の代表作だけになる。知名度の低い作品は価格も安く、流動性も低くなる。これは、アンリ・カルチェ=ブレッソンやロベルト・ドアノーでもおなじだ。
20世紀に活躍した写真家の場合、数点だけの代表作しか高い市場性がない場合も多いのだ。

・キャリアに話題性がある作家
写真史上に優れた作家性を持つ人は数多くいる。その中でキャリアに話題性がある写真家の資産価値は高くなる。特に悲劇的なキャリアを持つ写真家の場合、その豊富な話題性からコレクター人気がある。画家のゴッホと同じような構図だろう。 自殺した女性写真家のダイアン・アーバスやフランチェスカ・ウッドマン。エイズで亡くなったロバート・メイプルソープ。アマチュア写真家で死後に評価を受けたヴィヴィアン・マイヤーも話題性で注目され作家性が認められた。ピーター・ベアードも、アフリカを舞台にした数々の逸話や、有名人との華やかな付き合いなどから注目されるようになった。
この分野で、本人が制作した作品は非常に高額だ。死後に制作されたエステート・プリントでさえも資産価値を持つ場合が多い。

・時代性を撮影したアイコン&スタイル系作家
この分野では、単にセレブリティーが撮影されているだけのブロマイド的な写真の価値が低い。撮影時にどれだけ写真家に自由裁量が与えられていたか、写真家と被写体との関係性が問われるのだ。ファッション系も、ただ単に洋服やモデルを撮影しただけの写真のアート的な価値は認められていない。写真家がどれだけ当時の社会や時代の価値観を感じ取って作品に反映させているかが問われるのだ。またこのカテゴリーは、インテリアに展示しやすいから人気が高いともいえるだろう。

オークションの市場動向を20年以上に渡ってフォローしているが、高額で取引されている作品の種類はそんなに多くないと感じている。最近の平均落札率が60%前半くらいであることからわかるように、オークションに出るような有名作家の作品でも約1/3は不落札になるのだ。写真家の作家性が評価されていても作品が売れるわけではない。資産価値が認められてコレクションされる写真作品は、全体の中では限定的なのだ。
しかし、欧米のアート写真市場では、シリアスなベテラン・コレクターは、既に評価されている作品にあまり興味を示さない。資産価値の視点から作品を買うのはあまりアート写真リテラシーが高くない富裕層の人たちなのだ。ベテランは、資金があれば有名作はいつでも買えると考える。彼らは常に情報収集と分析を行って、過小評価されている分野や将来性が期待できる写真家を探している。自分の目利きを市場に問うのがコレクションの醍醐味だと考えているのだ。
このように様々な視点を持った買い手が併存していることが、欧米のアート写真市場にダイナミズムを与えている。

次回は、いま話題の多いインテリア向け作品の資産価値について検討する。